キャッツアイの宿題、シャントヤンシーの開眼
硬度8.5。よろしくお願いします。
「ふわあーぁ……」
口を大きく開け、欠伸をしながらティスタは首を回した。コキ、と凝った音がする。肘をボリボリと掻きながら階下へ降りると、珍しく工房から音がした。
(……あれ、まだ朝早いのに)
扉が少し開いている。外の音が聞こえるようにだろうか。そっと覗き込んだ。
ルーペを片目につけ、依頼の石を洗浄している。あれは一昨日、魔力が詰まって持ち込まれた品だ。石は『溜め込もうと思ったら詰まっちゃった』とエヘヘと笑っていた。
何度も石を覗き込み、リアンの魔力を流し込んだ「洗浄液」へと浸けている。やがて石の輝きが増し、石の先端からリアンの魔力が火を吹くように飛び出した。
「……こんなもんか」
石からリアンの魔力を出し切って、柔らかな布で拭いて呟いた。
ぶっきらぼうながらも石への扱いは優しい。そんな彼に懐かしい面影を覚え、ティスタは思わず声を掛ける。
「……なんかさあ、だんだん『マラカイ』に似てきたよね、リアン」
「ああ!? ……ティスタか……。いたなら声掛けろ(すげぇビックリした)」
あはは、と少し低い声でティスタは笑った。そのまま近くの椅子を引っ張ってきてリアンの隣に座る。とん、と座った拍子に彼女のぴょんと跳ねた寝癖が揺れた。
「だってさあ、洗浄の回数、最後の『こんなもんか』の言葉までそっくり。いやあ、弟子は師匠に似るもんだねぇ」
「……そう言うお前もな(鑑定してる時の顔なんてほぼマラカイだぞ)」
「なんか変な声聞こえたなあ? あ、リアン、お腹すいた」
ちっ、と彼は舌打ちしながらも立ち上がった。そのまま茶を淹れようと火の用意を始める。
「まず着替えてこい。寝間着のまま来んな(無防備過ぎんだよ)」
ティスタが着ているダボッとした寝間着は、リアンが使っていたお古だ。着心地はいいし新たに買うのも面倒なのでそのまま着ている。クタッとした感じ、最高。
鑑定時の神聖な「チャロ」の片鱗は一片もない。あるのは、どこか抜けていて無防備な「ティスタ」だ。
「はーい」
今度は腹を掻きながらティスタは着替えに立ち上がった。捲れたシャツからはへそがちらりと見える。
「…………(だから、なんでこんな雑なんだよ……っ)」
カラン。
珍しく客の波が引いた昼下がり。ドアベルが「石」の訪れを告げる。
「あ……あの、ここで、石を鑑定してくれないか」
オドオドとした態度で、一人の男が入ってきた。店舗の影、工房側でハーブティーを慌てて流し込み、チャロはゆったりとした足取りで顔を出した。
「……やあ、いらっしゃい」
気怠げな掠れた声が男の耳朶をくすぐる。見ると、不思議な髪色の店主が奥から出てきた。近づいた「彼」の唇からは微かなハーブが、首筋からは「甘い」香りが漂ってくる。男にも、女にも見えるその性別不明な店主に、男は不覚にもどきりとした。
眠気を誘う昼下がり。まるで幻想の世界から飛び出してきたかのような美しさ。
男装の麗人。男はそんな印象を抱いた。
「……失礼、ジェントル。僕の顔に何か?」
微笑んで問われ、男は我に返った。
「あ……ああ、こ、この石を見てほしくて」
そう言って彼が取り出したのは、ゴツゴツとした岩の塊であった。片手で握れるほどの大きさ。色は、冴えない緑褐色。
チャロは目を瞬く。
(原石……?)
「お、俺はこれから全財産をかけて、この海の向こうに大商談に行く。今は海がシケる時期だ。だが、コイツが本物の『キャッツアイ』なら、俺はあの嵐の海を渡れる。もし、偽物なら、ここで破産だ」
包んでいた布ごと石を受け取る。大きさの割にずっしりとそれは重い。
チャロは石を手に持ち、じっくりと見る。表面はゴツゴツとし、すりガラスのように曇って特徴的な「猫の目」は見えない。
(まあ、当たり前か。……さて)
次に小瓶の蓋を開け、中に入っている油を指にとって石に擦り付けた。そのまま北窓の光に照らす。中を覗くと、わずかに繊維のようなものがびっしりと並んでいるように見える。
(うーん)
クリソベリルキャッツアイはベリリウムとアルミニウムの酸化物が結晶化した鉱物だ。結晶が成長する過程でほんの少し鉄が含まれることで、あの独特の緑がかった蜂蜜色になる。そして針状のインクルージョンが規則正しく、しかもぎっしりと並んで、磨いた時に「猫の目」が現れる。
(ちょっと、落ち着かないんだけど)
男の熱をはらんだ視線が、チャロに降り注ぐ。重要なのは石ではないのか。こんな男(男装だけど)を見て何が面白いんだろう。
チャロは今度は窓を閉め、部屋を暗くした。一本の蝋燭に火を点け、ずいと近づける。
「お、おい……!」
男が焦ったような声を上げる。チャロは落ち着かせようと微笑みを返した。
「大丈夫。石なので燃えませんよ」
「……っ!」
(ま、ダイヤモンドは消えるけど)
そう毒づきながら、チャロは原石の表面を小さな火で照らし、濡らした面をゆっくりと動かした。この子の奥の、繊維の束が揺らめく。と、一瞬、ぬらりと獣の瞳の瞳孔のような、細い線が見えた。
(おお)
蝋燭の火を消し、窓を開ける。ほのかに男の顔が赤くなっていたが、チャロは気づかない。原石を目の近くにまで持ち上げ、その結晶の形を観察した。複数の結晶がくっついて、歯車のような独特な形をしている。
(ほぼ、間違いないかな。さあ、「クリソベルキャッツアイ」、君の声を聞かせて)
ずきり。痛みとともに「声」が聞こえてくる。
『……見えないよう。霞んで、よく見えないんだよう』
(まだ君は磨いていないからね。君は、「この人」とともに大勝負に出たいかい?)
『……まだ、わかんないよう。力が出ないもん』
ふむ。どうしたものか。悩みながらもう一度原石に目を落とすと、小さな石の段差の隙間、そこに微かに「M」の文字が彫られていることに気がついた。
(あれ、これ……もしかして、「マラカイ」の……!)
チャロとリアンに石の鑑定や加工の全てを骨の髄まで叩き込んだ、二人の師匠、マラカイ。彼の磨く石には全て「印」が付けられていた。その石が、「ここ」にある。
チャロはぼんやりと立ち尽くしている男に声を掛けた。そういえば、お茶も出していない。
(やばっ)
心の焦りは悟られないように、困ったような笑みを浮かべた。
「……大変申し訳ありません、ジェントル。お茶も出さず(忘れてたよ)」
「いっ、いや……」
そのまま原石を手のひらでころころと転がしながらチャロは椅子を指し示した。
「どうぞ、お掛けください」
まずお茶を出し、布張りのトレイに原石を載せた。対面に座り、チャロは口を開く。
「これは、あなたの言う通り、クリソベルキャッツアイで間違いないでしょう。……けれど、『彼』はまだ原石。磨かなければ魔力も通さないし守護の力も出ない。どうします? ここに、腕の良い加工職人がおりますが(加工までいけばがっぽりよ)」
そう言って妖艶に微笑んだ。男は熱に浮かされたように、まるで首振り人形のように頷いた。
「あ、ああ、お願い、します……。できれば、俺みたいなやつでも身に着けられるような、そうだ、ブローチを……」
「承知いたしました(リアンの客ゲットー!)」
鑑定スペースにある小さな小窓。そこに付けられた紐をひくと、ちりん、と音が鳴った。少しして、がらりと小窓が開かれる。
「なんだ、チャロ」
「おうわぁっ!?」
男は突然出てきたリアンを見て飛び上がった。もう一人ここにいたのか、しかも男。今まで幻想の森にいたはずなのに、突然冷水を浴びさせられた気分だ。
「……クリソベルキャッツアイです。至急、この子の『瞳』を出してあげてください(見えないんだって)」
「はあ!?(今かよ!?)」
リアンは原石を手に取った瞬間、その顔色を変えた。男に分からないように、チャロは頷く。
「……おい、これはどこで手に入れた? この、印――」
「はっ、はい?」
男はリアンに睨みつけられ、もう一度飛び上がった。けれど、リアンは一度舌打ちをすると、石を手に工房へと向かう。
「……クリソベルキャッツアイ? 磨けってか。カボションカットじゃねえか。……夜に取りに来い。俺が最高の守護の石にしてやる」
その口の悪さにチャロは苦笑する。
「まったく、リアンは……。すみません、あの男は口は悪いですが、腕は確かです。少々お時間をいただけますか?」
男が海へ繰り出すのは二日後。それまでに加工(と支払い)を終わらさなければならない。
(頼んだよ、リアン……!)
リアンは工房の研磨機に魔力を流して起動させる。そして、石を研磨の際、手の代わりになるドップスティックに固定する前に、その磨く方向を確認した。
キャッツアイの、あの猫の瞳孔を中心に出すには、結晶の中の繊維を「完全に平行」に削る必要がある。角度が少しでもずれると、「目」は斜めに歪むか、最悪濁って「目」を潰してしまう。
難易度は高い。けれど、リアンの中の「職人」が、武者震いのように震えているのが感じ取れた。
(宿題ってか。やってやろうじゃねえか、師匠……!)
ドップに石を固定する。回転版の上にはダイヤモンドの粉末、コンパウンドを水に溶いたものを塗りつけた。
クリソベリルキャッツアイは硬度八・五。ダイヤモンド、コランダムに次ぐ三番目に硬い鉱物。ただ金属だけで研磨すると石に負ける。
何度も何度も研磨の方向を確認し、呼吸を整えてから回転盤に石を押し付けた。
――ギィィイイイン!
金属音が工房に響く。摩擦による凄まじい熱がリアンの手の先にある石から放たれ、油の臭いが工房の中を満たしていった。
(……始まったか。リアン、師匠の遺志、ちゃんと汲んでよね)
耳をつんざくような金属音が聞こえた途端、チャロの目の前に座っている男は「ひぃ!」と小さく悲鳴を上げ、体を縮こませた。
「……大丈夫ですよ。今、あの石の目を開けさせているところですから」
にこりと笑ってお茶のおかわりを淹れる。ついでに、茶菓子を出した。
菓子店で買ったものではない。昼休憩が満足に取れない(主に接客で)チャロのため、
すぐ口に入れられるようリアンが適当に焼いたパウンドケーキだ。
「菓子店のものではなく、見栄えは悪いですが……。もしよかったらどうぞ」
はっ、と男は目を瞠った。食い入るように菓子を見つめている。
「こ、これを、アンタが……?」
「ええ(出しましたが?)」
男は恭しい手つきでフォークを手に取り、震える手でケーキを口に運んだ。そして感動するかのように恍惚の表情を浮かべた。
「お気に召しました?(美味しいよね、リアンのパウンドケーキ)」
二時間ほどつんざくような金属音は断続的に鳴り続け、しばらくして、金属の板を爪でひっかくような、背中がゾクゾクするような不快な音へと変わり、それがまた二時間ほど続く。窓の外は少し日が傾いている。
男は大分緊張がほぐれてきたのか、チャロと談笑までし始めている。クリソベリルキャッツアイをどこで見つけたのか、大商談に行くと決めたきっかけ、年齢は幾つだとか、家族構成まで。
(話の流れがおかしいな!?)
しかしチャロは微笑を絶やさない。お客様は大事にしなければ。
「……っ」
リアンは額から流れる汗を袖で乱暴に拭った。かなりの魔力消費だ。平行に削るため、繊維に沿って魔力を流し続けたのだ。
(かなり「荒っぽい」やり方だからな。師匠からゲンコツ食らいそうだ)
向きを確認する。まだ石の表面は曇りガラスのまま。形にはなっている。後は磨くだけ。
(これに時間がかかんだよな)
回転盤を金属から鹿の角へと変える。ブオォォン……、と回転させ、宝石になりかけた石をそっと当てた。
シュゥゥゥ……。と耳に心地のよい音が奏で始められた。スルスルと石は回転版の上を滑るように磨かれていく。
目に汗が入って痛い。けれど、リアンは拭うことなくその目を開き続けた。
「……ええと、チャロ、さん」
男はこほんと咳払いをすると、チャロの両手を取った。すっかり日は暮れており、チャロは店を閉めている。
「……何でしょう、ジェントル?(ええー……何、いきなり!? ちょっとリアン早くー!)」
「もし、この商談が無事に終わり、またこの国に帰ってきた時、その時……」
バァン!
勢いよく扉が開き、汗だくのまま、少し目を血走らせてリアンが石を片手に飛び込んできた。ビクゥ! と男は驚いてチャロから手を離した。
「おい! ティ……チャロ! できたぞ!」
彼が握っている石は、はじめの原石とは全く異なる、滑らかな弧を描いていた。布を敷いたテーブルにことりとそれは置かれる。
暗い室内にはランプが灯され、ゆらゆらと揺らめく火の光に石は照らされた。
光の当たっている側の石はとろけるような蜂蜜色に。そして、反対側は白く濁った乳白色。チャロは石を持って左右にゆっくりと動かすと、蜂蜜とミルクの色はすっと入れ替わる。
シャントヤンシー効果。猫のような細長い瞳孔が、辺りを睨みつけるように動いた。
『よく見える! よく見える!』
世界が広がった喜びからか、キャッツアイは歓喜の声を上げる。
(このひとを守ってくれるかい?)
『喜んで! 大冒険に行くんでしょう? ぼくが守ってあげるよ!』
ふふ、とチャロはとろけるように微笑んだ。
結局、男はリアンの眼光により、チャロへの「想い」は封印された。けれど、彼は胸に「猫の守り」を身に着け、大きく手を振ってその「大冒険」へと旅立ったのだった。
しばらくして、男から「お礼の品」の貿易品が店に立て続けに届き、二人の胃袋を満たしたのは言うまでもない。
数年後、世界を代表する大商人となった男の胸にはいつも、周りを睨みつけるような、未来を見据えるような、猫の瞳の美しいブローチが光っていたという。
「おい、ティスタ! 何勝手にアイツにパウンドケーキ出してんだよ!?(アレはお前の軽食だろうが!)」
男が帰って、流しにお茶セットが二人分置いてあることを見たリアンは、ティスタを怒鳴りつけた。
「ええー? だって時間かかってたし、お茶だけじゃ間が持たないなって思って。……あ、食べたかった? 美味しいって、ジェントルも絶賛してたよ!」
はあ、とリアンは顔を覆って崩れ落ちる。
「……そうじゃねえ……馬鹿が!」
「なんで私が叱られるの!?」
接客してたのに! と憤慨するティスタに、リアンは特大のため息をついた。
けれども。
(いい「宿題」だったぜ、師匠)
この空の向こう、大柄の男がからからと笑っているような気がした――。
ご都合主義なのは目を瞑っていただけると……!
クリソベルの仲間には、他にアレキサンドライトがあります。(素人調べ)




