二色のエメラルド、変色石のやきもち
遅刻です。言い訳させてください。夏休みの宿題がね……? お子のね?
ティスタは、営業を知らせる店の看板をひっくり返しに扉を開けた。
「すまない!」
そこには、必死の形相で頭を下げているオリバーがいた。そのままパタン、と扉を閉める。
(……気のせいかな……?)
まだ夢心地な頭が作り出した幻かもしれない。そうだ、そうに違いない。
「おい! ティスタ嬢!?」
バンバン、と扉を叩く音。びくっとティスタの肩が飛び上がった。夢じゃなかった。
「お、オリバー様? どうしたんですか、人の店の前で……!」
暗に営業妨害と訴えるが、彼の顔は青いまま。その騒ぎにリアンが工房から顔を出した。
「オリバー様、本日は何を割ったんですか」
とりあえず中へ、と店の中を示す。
「違う! 割ってなどいない!」
彼は顔を赤くし、憤慨しながら中へ入ってきた。リアンは「はいはい」と流している。なんだ、この関係。
「オリバー様、何用です? 平民の私に頭を下げるなんて、外聞悪いからやめたほうがいいですよ」
ティスタの言葉に、今度は赤い顔が青くなる。忙しいな、この人。貴族ってこんな表情豊かでいいんだっけ?
「す、すまない。その、仕事の依頼だ……。石の鑑定だ。私も断れない」
「それ何とかするのがあなたの仕事では?」
リアンが責めるように切り込んだ。本当に容赦ないな、リアン。いいのか、リアン。ティスタはオリバーにコーヒーを出す。彼にはミルクと砂糖も一緒につけた。
「け、権力の大きさには抗えない! 相手は侯爵だ。しかも一癖も二癖もあるお人だから、下手に断って敵視されたら火の粉が大火事になったりするんだぞ!? こちらも保身を選ぶ!」
「開き直ったぞ……」
呆れたようにため息をつくリアン。ティスタもまた、苦笑した。
「その侯爵は何をどこから聞き出したのか、ティスタ嬢、君を指名してきた。……というか、まあ、この店の鑑定士を、だ。だからリアン、頼むから私を睨むのはやめてくれ。侯爵を睨め、侯爵を」
ティスタを指名した、とオリバーが言った瞬間、店内の空気が数度低くなった。リアンの醸し出す不機嫌そうな冷たい視線に晒され、オリバーは慌てて言い直したほどだ。
「私を指名、ということは、あちらへ出向くということですか?」
まあ、この店に来られたらある意味迷惑なんだけど。オリバーはコーヒーにミルクを足しながら頷く。
「具体的には何を?」
「どうなのだろうな。『目の良い鑑定士がいるのだろう。どれほどの腕か、見てみたい』と言ったらしい」
ふうん、とティスタは小首を傾げた。下ろしているラベンダー色の髪をくるくると指に巻き付けて考える。
(行きたくはないけれど、行かなかったらオリバー様に迷惑が掛かるし……)
「ね、リアン……」
「却下だ」
むすりとした顔でリアンはティスタを見る。
「まだ何も言ってませんけど!?」
「行かなくていい。だめだ」
「待て待て、後見は私だぞ!? くっ、たまにお前たちの方が偉いと錯覚するのはなんなんだ……!」
オリバーは頭を抱えてブツブツ何か言っている。そうだよね、リアン、なんか偉そうに言うよね。
「『チャロ』でなら行ってもいいでしょ?」
はあ? とリアンが不機嫌さを上乗せした声を上げた。その言葉にポンとオリバーは膝を叩く。
「そうだ、それだ! かの侯爵は大の美しいもの好きでな、ティスタ嬢では危険かもしれない。……だからリアン、立場的には私の方が上なんだが」
ぶる、とオリバーはさらに低くなった温度に体を震わせた。ティスタはリアンの手を握った。
「もー。リアン、オリバー様困らせちゃだめでしょ。いいよ、チャロで行く」
しばらくリアンは眉間にしわを寄せたまま考えて、舌打ちをした。
「ちっ。仕方ねえ。俺も行くわ。ティスタだけって、コイツ何やらかすか不安すぎる」
「ひどー!?」
「……すごい御屋敷……」
馬車から降りたチャロはぽつりと呟いた。後ろから「んんっ!」とリアンの咳払いが聞こえる。ハッと慌ててチャロは背筋を伸ばす。危ない危ない、久しぶりにチャロになったから、素がまだ隠しきれていなかった。
「いいか、相手は侯爵閣下だ。君達は変なことを言わないでくれよ。下手したら不敬罪なんだからな!」
「……わかってるさ」
リアンの言葉にチャロも頷く。かっちりとしたブレザー、シワのないシャツにネクタイを締め、どこから見ても(多分)男に見えるはず。鑑定一式は鞄に詰め込んで持ってきた。リアンはオリバーの付き人として荷物を持っている。
「コリンズ伯爵家オリバーだ。侯爵閣下と約束してある」
「お待ちしておりました、オリバー様。お連れの方々もどうぞ」
いざ。
「ああ、オリバー君。どうだね、新婚生活は。君は次期伯爵として、有能と聞いているよ。期待している」
応接室。侯爵は食えない笑顔でオリバーを見るとにこやかに談笑を続ける。
「閣下、ありがたいお言葉です。まだ若輩者ですので、まず父に指導いただいております」
こうしてみると、オリバーはちゃんと貴族してる。チャロは何とも失礼なことを考えた。
「では、君が件の鑑定士かね」
水を向けられ、微笑みを浮かべて頭を下げた。一、二、三……。時間を数える。きっちり五秒数えたところで、「良かろう、発言を許そうじゃないか」と声が掛かった。
(第一関門、クリア……!)
「発言のお許し、感謝申し上げます。チャロと申します。今回は、どのようなご依頼でしたでしょうか?」
ジロジロと値踏みされるような不躾な視線。それは、チャロの真価を見出すような、性別を探られているような、何とも気持ちの悪いものであった。
「なるほどな。……この石の、真贋を見出したまえ。この、二つの『エメラルド』をな」
侯爵の背後に立つ男がテーブルの上にトレイを置く。
トレイの上には、大粒のペアシェイプカットが目を引く、ブローチ。もう一つはラウンドカットの指輪。ブローチの石は青みがかった深い緑色で、針葉樹林を思わせる。指輪の石は若々しいオリーブグリーンだ。
(パッと見た感じ、エメラルドに見える。「真贋」ということは、エメラルドと偽物、ということ?)
「失礼いたします」
手袋をつけ、ブローチを手に持つ。
カット自体は問題なさそう。でも、何だろう、この違和感。
(ブローチも、指輪も、大きさは違うんだけど、大きさの割に重い)
リアンはオリバーの座るソファーの後ろに立ち、チャロを見つめる。彼はチャロの違和感に「職人」として気がついていた。
(普通、エメラルドと言えば、傷だらけで職人泣かせの石。そんな石をペアシェイプになんか削れねえ。ラウンドカットも厳しいぜ)
ルーペで中を覗いてみる。ブローチの石は、特に傷は見えない。モヤモヤとした内包物もない。エメラルドに特徴的な、小さな四角い部屋の中に液体と気体の泡、塩の結晶の三相インクルージョンもあったりするが、それもない。
(……んー……、「庭園」はない。逆に……)
極細のシルクのような針が平行に並んでいるのが見えた。そして、石が成長した「年輪」の、階段状の筋が極うっすら、見える。
(まだ決定に欠けるけど、これはエメラルドではない)
奥側のファセットラインは二重にブレている。
(まあ、複屈折……、強め?)
とりあえずブローチを置く。次に、指輪を手に持った。
(重っ!?)
ではこちらがエメラルド、と思って持った瞬間、その重さに目を瞠る。
(え? こっちがエメラルドじゃないの?)
わずかに手が止まったチャロを見て、リアンもまた思考に沈む。
(……重いのか。エメラルドは比重は軽い。つまり、これは「そういう」事か)
耳の痛くなる静寂と、張り詰めた緊張感に、オリバーの胃はキリキリと痛んだ。
(なんだ……? 何が起こってる……? てぃ、ティスタ嬢……! 教えてくれ……!)
指輪の石をルーペで覗き込む。
石の内部の針が、今度は決まった角度で交差しているのが見える。割れ目や気泡もない。そして、ファセットラインは一本だけ。
(これも、ジャルダンはない。単屈折ぽいなあ)
光を当てて角度を変えてみる。色の変化はない。エメラルドなら、黄緑色と青みが強い緑に変わるはずなのに。
(うーん、これは……)
最終兵器を取り出すか。チャロは鞄からもう一つ、ペンライトを取り出した。ちょっと魔力消費が多いから使いたく無かったけど。
「おい、まだ分からないのか」
侯爵はソファーにふんぞり返り、チャロを見下ろした。チャロは微笑んだ。
「大変美しい石でしたので、つい、魅入ってしまいました」
「ふん、そうだろう。……このエメラルドは私が求めたものでね。色味はそれぞれ違うが、珍しく透明度の高いものなのだ」
「左様でございますか」
微笑んで頷く。
そしてそのまま、ペンライトに魔力を流す。カチリ。音がしてそれは日の光と異なる、ランプの光のような赤みを帯びた光を出した。
まずは指輪にライトを当てる。すると――。
オリーブグリーンだった石が、赤褐色の赤みがかったものへと変わる。
(やっぱり、これ……!)
確信を持って、今度はブローチに光を当てる。針葉樹林を思わせる緑は、紫の強い赤ワインのような色味を呈した。
「なっ……!? 色が変わったぞ!?」
オリバーが驚いてソファーから立ち上がった。侯爵もまた、目を瞠っている。
チャロは、トレイにそっと置いた。
「……閣下。こちらはどちらもエメラルドではありません。こちらのブローチ。これは『アレキサンドライト』という、昼と夜で表情を変える、大変希少な石でございます。種類はクリソベリル。硬度もありますので、媒体としても優秀な石でございます」
ライトをブローチの石に当てる。チラチラとそれはエメラルドとルビーのような色を交互に映し出した。
次に、とチャロは指輪を指し示す。
「こちらは、『カラーチェンジガーネット』。アレキサンドライトと同様に、表情を変える石にございます。エメラルドにある、美しい『ジャルダン』が双方見られず、内部の光の通り方、結晶構造、重さ、極めつけはこの色の変化が決定打です」
侯爵は、何も言い返せぬまま、呆然と座っていた。
「ふう……、一時はどうなることかと思ったぞ」
ガタガタと揺れる馬車の中でオリバーは息をついた。
エメラルドだと言って出してきた石を、よりによってエメラルドではないと言う鑑定結果。状況が状況ならば、平民が貴族の意見を否定するということは不敬罪に当たる行為だ。けれど。
――これは、エメラルドよりも価値の高い石でございます。こんな美しい石をお選びになられた閣下はお目が高い。さすが、閣下でございます。当初、エメラルドの真贋と仰ったのは、この事だったのですね。
上げて上げて上げまくったチャロの言葉に、侯爵は満更でもなさそうに口元を緩め、腕を組んでふんと鼻を鳴らした。
――ま、まあな。よければ私のコレクションを見せてやろう。
――ええ? 本当ですか? 僕は幸せ者でございます。
天使のように微笑んだチャロに、侯爵はついに陥落した。
その後、夕方になるまで彼らは侯爵のコレクションを、侯爵の長ったらしい自慢話とともに聞くはめになった。
「はあー……疲れた」
チャロの仮面を脱ぎ捨て、帰ってきたティスタは食卓の椅子にへろっと座った。
「お疲れ」
こと、とリアンはカップをティスタの前に置く。中身は蜂蜜入りホットミルクだ。
「リアンもお疲れー」
軽く手をひらひらと振る。けれど、彼は椅子に座らない。どうしたんだろう、とティスタはリアンを見上げると、彼は何とも言えない複雑な顔をしていた。
「どしたの?」
「いや……。お前の対人スキルの高さにどう言えばいいのか……。すげえ複雑」
あはっ、とティスタは笑う。
「今さらー」
「んだよ、今更なんだ、よっ」
「わあっ!?」
リアンはティスタの腕を引いて、ティスタと椅子の間に座り込んだ。ちょうどティスタはリアンの膝に座っている状況。そのまま後ろから抱きしめられている。なんだこの体勢。
「……営業スマイルは、いいんだけど……。その……なんか、やっぱり釈然としねえ」
「えー? 嫉妬した? 私の才能に?」
ちげーよ、とリアンはティスタの頭に顎を乗せる。肩から背中にかけて体温が伝わってくる。お互い心臓がドキドキ言ってて恥ずかしい。
「……侯爵に嫉妬した」
ぶすっとした声が頭上から聞こえ、ティスタはふふっと笑った。
さて、チャロと一緒に謎解き……できませんよね? 私もです。




