極限のサテンスパー、爆ぜる想い
もう最高に脆い石です。
「……なんで、貴族の家宝がうちに来るわけ?」
頭痛をこらえるかのようにリアンはこめかみに手を当てた。
リアンとチャロの前には、ベルベット張りのトレイに置かれた、乳白色の原石。だが、その石はただの白ではない。光の当たり具合でそれはまるで絹の柔らかなドレスのように滑らかな光を放つ。少しトレイを動かすと、光の筋がツーっと動き、月光が差し込んでいるよう。
「コリンズ伯爵家に代々伝わります、『月の女神の涙』にございます」
黒い執事服を上品に、かつシワなく着こなした初老の紳士がトレイを手に説明する。
「いや、おかしいだろ、伯爵家! お抱えの宝石商は!? 加工職人いるだろう!? 俺は平民だ!」
リアンは何やら喚いている。しかし、紳士は全く動じない。
「オリバー様をはじめ、我が当主も許可済みでございます。……何でも、素晴らしい腕をお持ちだとか。ご安心ください。あなた方の『素性』につきまして、当家で保護いたします故」
びく、とリアンとチャロの動きが止まった。
「な、な、な……」
はくはくとチャロは紳士を見る。彼は澄ました顔のままだ。
「貴族家が関わりまするに、得体のしれぬ者を大切な次期当主と接するわけにいきますまい。調べたところ、我が当主は腰を抜かして二日寝込みました」
「その情報いるか!?」
かくして。
「月の女神の涙」はこの店に持ち込まれた。
「なー……この石ってさあ……」
「うーん、やっぱり『セレナイト』だと思うよ」
ほんの少しだけ爪を立てたチャロは慌てて手を引っ込めた。すぐ傷がつきそう。
セレナイトは硬度二。人の爪は三ほど。爪のほうが硬い。本来のセレナイトは透明度の高いものであるが、無数の結晶が規則正しくぎっしりと並び、絹のような光沢を持つ「サテンスパー」もまた、セレナイトと呼ぶ。
成分は石膏の仲間。脆く割れやすく水に弱い。危なっかしい爆弾のような石だ。
執事曰く。
「この石を加工できる者は我が系列の職人はおらず、ほとほと困っております」
と、のたまう。では原石のまま、これまでのように使えばよいのでは? とやんわりと勧めたところ、「奇跡」を見たいと一点張り。
「どーすんだよ……。自信ねえよ……」
べた、とリアンはテーブルに頬をつけて突っ伏した。
「割れないようにカボションとか? 石に聞く?」
「んあー……」
何も考えたくない。そんな空気をリアンから感じた。
そもそも、なぜティアラに加工する必要があるのか。
「挙式の際、我が伯爵家はこの石とともに誓いを交わす。そこで石の魔力が同調すればその夫婦は女神の加護を得、家が栄えると言われている。女神のティアラにすることで、信仰を重ねようとする狙いもある」
ハードルが上がった。
オリバーは眉間にしわを寄せている。
「というか、一月経つのにまだ布に包まれているだと? ティアラに合わせたドレスにしようと思っていたが……。デザインはあるのか?」
ない、と答えると未来の花婿は大きくため息をついた。
「仕方がない。ドレスに合わせてデザインしてくれ。……冬が来るぞ。この店、寒いんじゃないのか」
暖房魔道具を貸し出してくれることになった。変温動物のチャロは喜んだ。下手するとそろそろ冬眠するところだった。
「そう言われているだけです。現コリンズ伯爵夫人の時も、前伯爵夫人も、そんな事なかったと聞いています。だから、そんな気負わなくても……」
イザベラが申し訳なさそうに言う。ティスタは引き攣った笑みを浮かべて、イザベラと同じテーブルでお茶を囲んでいる。なぜだ。
「……それで、何故私はここに?」
チャロとしてコリンズ伯爵家に呼ば《拉致ら》れ、イザベラの一声で着替えさせられ、ティスタとしてお茶を飲んでいる。
いや待って。平民だし仕事で来たんですけど!?
「お姉……ティスタさんとこうしてお茶を飲むのが夢でした……」
ほう、とイザベラは恍惚の表情でため息をつく。
「あの、イザベラ様……?」
ラベンダー色の髪は緩やかに編み込まれ、おくれ毛をこぼしたうなじは女性としての色気が出ている。なぜかコリンズ伯爵夫人も出てきてノリノリで着飾らされた結果、貴族令嬢と化していた。コルセットを締めなくともウエストが強調される腰の細いワンピースは、その白い肌を浮き立たせる深い青。
「休憩したら、お仕事お願いしますね」
にこりと未来の花嫁は微笑んだ。
最近手加減しなくなってきたな、この人。
「ドレスはお義母様……伯爵夫人のものをリメイクする予定で、それに合う宝飾品を見繕ってほしくて」
トルソーに飾られたドレスは雪のように純白。小さなダイヤモンドが散りばめられ、キラキラと光を反射している。デコルテには繊細なレースが上品に胸元を飾り、プリンセスラインのボリュームが出るタイプ。ベルスリーブの袖は薄布がゆったりと揺れ、華奢な腕を強調しそう。
(これにセレナイトのティアラか……。あと、耳飾りとネックレスねえ……)
大きくリメイクはしないらしい。ティスタはドレスのデザインを持ってきた羊皮紙にさらさらと描きつけていく。その真剣な瞳に、伯爵家の人々はため息をついて見惚れていた。
ドレスとイザベラを見比べ、ティスタはイザベラの顔を覗き込んだ。彼女の瞳はペリドットのような明るい緑。そして髪色は温かみのある栗色だ。
ティスタは持ってきていた手袋をはめた。目の前のテーブルには、いくつもの宝石が置かれたトレイ。
「イザベラ様、失礼」
ティスタは「ティスタ」であることを忘れ、イザベラの頬に手を当て、石をいくつも耳に合わせていく。
「(耽美……っ)」
「(眼福だわ……!)」
そんな会話がメイドたちから交わされた。
ティスタの藍色の瞳は忙しなく石と瞳を往復する。
(……セレナイトは「月」、色は乳白色……。イザベラ様はまるで「太陽」、太陽……、太陽……。明るさを受け止める、芯の通った……)
トレイへと目を向ける。ちか、と一つ、返事をするような石と「目」が合う。
(これだ……!)
その石を取り、彼女へと合わせる。ティスタの瞳が柔らかく微笑んだ。
「おっ……お姉様……!」
イザベラは息も絶え絶えであった。
「ん? ぎゃー! イザベラ様ー!?」
知らぬは本人のみばかり。
そろそろ手を付けないとマズイことくらい、リアンでもわかる。だが、気持ちが「立て込んで」いて、このままでは石に現れてしまう。そんな中途半端な仕事はやりたくない。とりあえず悶々としていても職人としての意地はあった。
「はあー……。一月、なー……。アイツ人の告白を流しやがって……」
一人で考えているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
(もうこのままでもいいか)
苦しいのは自分だけで。アイツがそれなりに幸せならそれで。
「ただいまー、リアンちょっと聞いてよー」
表から連れて行かれたはずのチャロが裏口から帰ってきた。口調は心なしか崩れている。
「おー、おかえ……」
とりあえず溜まっていた媒体の洗浄をしていたリアンは、工房から出てチャロを出迎えた。のは一瞬だけで、彼はすぐに「うわぁっ!?」と声を上げて壁に張り付いた。
裏口に疲れたように立っていたのは、髪を品よくまとめ、垂らしたおくれ毛に色気を出し、華奢な体を惜しげもなく強調したワンピースに身を包んだティスタであった。
「……何? 人のこと幽霊みたいに」
「おっ、おまっ、なっ、チャロ! チャロはどこへ行った!?」
壁に張り付いたまま、顔を精いっぱい逸らしてリアンは叫ぶ。
「イザベラ様の所に行くにはチャロじゃなくてティスタなんだって。あ、どう? これ、伯爵夫人がくださったの。『あなたもそろそろ入り用かと思って』とか何とか言われたんだけど、よく分かんなかった」
「わからなくていい! さっさと着替えてこい! 汚れる!」
「もー……。せっかくドレスのデザイン写してきたのに……」
ぶつくさ文句を言いながらティスタは二階へと上がっていった。顔を手で覆って、へなりとリアンはしゃがみ込む。
「……くそ、勘弁してくれ……」
離れようとしたら、こうだ。諦めることを諦めろってか、師匠。
「……まあ、華やかなドレスだな……」
ティスタが描いてきた羊皮紙を広げてリアンは呟いた。さすが貴族。ドレスにダイヤモンドがついている、と走り書きしてある。
ふとその読んだ字をもう一度読み返す。その文字は、ここ、小国の文字。指で書かれた文字をなぞった。
「……ティスタも、この国の文字が普通に書けるようなったんだな」
「ふふ、血のにじむような努力の結果だよねえ。……ここに逃げてきてさ、帝国語は共用語だから良かったけど、字がまさか違うとは思わなかったよね」
何とか持ってこれたのは、マラカイからもらった専門書。擦り切れるまで読んでボロボロだ。
決して楽な生活ではなかった。十四歳と十二歳。子どもにとって、世間は厳しい。
簡単な鑑定と回路の修復を続け、コツコツと信頼を積み重ねて今に至る。
「……ありがとな、ティスタ」
ぽつ、とリアンは呟く。ティスタは彼を見上げた。
「何、急に?」
「んー、お前いなかったら俺生きてなかったわ」
「あはは! それ、こっちのセリフー! 変なの」
笑うティスタの頭を小突く。「ぎゃー、いたーい」としばらく二人で笑った。
リアンは腕まくりをする。ドレスのデザインとティスタが選んできた、イザベラが着ける宝飾品の色。心は吹っ切れた。
「さて、やりますか」
セレナイトは大変脆い石である。爪で傷がつくくらいだ。ナイフで簡単に切ることができる。その反面、強く擦れば粉になる。
ガリガリと大まかに形を作っていく。楕円状に切り出した。
『うふふ、私も、宝飾品になれるの?』
どこか弾んだ声がセレナイトから聞こえてくる。頬杖をついて、ティスタは微笑んだ。
(うん、どんな石にも負けないくらい、リアンが綺麗にしてくれるからね)
次に粘土を水に溶いたものを付けた皮を石に当て、表面の傷を擦って磨いていく。ヤスリでは粗すぎる。くるくると擦っていくだけで石は角を無くし、徐々に綺麗な形になっていった。
そして磨き。鹿の皮の、とても柔らかい部分で乾拭きしていく。何日も、何日もかかる気の遠くなる作業。手から出る汗を防ぐため、リアンも手袋をはめて作業する。
季節は冬。暖房のない工房は寒い。はあ、と呼気は部屋を白く曇らせた。
「簡単な洗浄でしたら、僕がやりましょう」
チャロはリアンの邪魔にならないよう、媒体の洗浄を引き受ける。と言っても、液に漬けたり磨いたりなどはできないから、チャロの魔力を流して洗浄する。
『詰まったー、チャロー、取ってー』
(はいはい。よいしょーっと!)
『ここ、痛いー! ねー、チャロー』
(ありゃ、痛そうだね。回路、ちょっと直してあげる)
回路を変えたり刻み直すことはできないけれど、乱れた回路を魔力で整えることなら一時しのぎにはなる。
「申し訳ありません。今、工房の者は手が離せなくて……」
ふう、といつもより魔力の放出が多くて息をつく。石が入っているせいで燃費の悪い体が恨めしい。
(でも、このおかげで石の声が聞こえるんだよなあ)
うーん、なかなか。
作業を初めて二月。凍えそうな季節はいつの間にか通り過ぎている。
「はっくしっ」
もこもこの毛布を体に巻き付け、ティスタは大きなくしゃみをした。雄々しく鼻をかむ。
「ティスタ? 大丈夫かよ?」
「はー、鼻通った。うん、平気。今年はそんな寒くなくて良かったよねえ」
言いながら暖房に当たっている。変温動物はどんな冬だろうが寒いものは寒いのだ。リアンはため息をつく。
「指、霜焼けできてるぞ」
「手袋で隠すんで大丈夫ですー。そういうリアンはどうなの? セレナイト」
ふっふっ、とリアンは笑う。その不敵な笑みに、ティスタは「おっ!」と思った。
「あとは組み込むだけだ。石の機嫌が良けりゃ、奇跡も起こるかもな」
「えー! できたら見たい見たい!」
完成を待て、と笑って言って、リアンは暖房の温度を上げ、一人寒い工房へと向かった。
――それは、月の光をまとったティアラ。美しい均等なカボションカットの中、絹の光沢と一筋の月光が動く。
細身のプラチナで花を編み込んだようなティアラの中央に、セレナイトは優しくはめ込まれていた。
「うわあ……。綺麗……」
手袋をはめたティスタは、トレイの上にティアラを置いたままため息をついた。
『これが私? すごいわ……! 嬉しい!」
「良かったねぇ、本当に、綺麗だよ」
石に優しく話しかける。あとは、イザベラに選んだ石と共鳴してくれれば、「奇跡」は起こるはず。
「ついに完成か……!」
オリバーは震える声を上げた。というか、両伯爵家揃っている。権力の圧がすごい。ティスタとリアンは帰りたくなった。
「……お納めください」
コリンズ伯爵はティアラに掛けられた布を取った。
「……おお……」
魔力を使わず、純粋な人の手だけで作られたティアラは、どこまでも無垢な光を灯す。「月の女神の涙」は、悲しみではない。女神の慈愛の涙なのだ。
「……なんて、美しいの……」
皆、一言呟いたあと言葉を失っている。リアンが注意事項を説明する。
「『月の女神の涙』……セレナイトは大変脆い石です。人の爪ですら傷が付きます。さして水分、汗に弱い。もし、濡れるようなことがあればその輝きは曇ることでしょう。取り扱いはくれぐれも厳重にお願いいたします」
執事は激しく頷いた。「家宝の石」が「家宝の宝飾品」になって帰ってきたのだ。代々コリンズ伯爵家に仕える彼にとって、三世代の結婚式をこの目で見ることができるのは、感涙の極みであった。完璧な管理を。決意が彼の心に刻まれた瞬間だった。
「もし、イザベラ様の宝飾品がございましたら、御二方とセレナイトと、相性を見てもよろしいでしょうか?」
ティスタは微笑む。気に入ってもらえてよかった。
「お姉様……!」
イザベラの目が潤んだ。ところで、この間から何かな、その「お姉様」って。
ティスタがイザベラに選んだのは、太陽の石「サンストーン」である。一見地味な褐色を含んだオレンジ色の石であるが、日に当たると、角度で小さな光沢粒子がキラキラと輝く、まさに太陽の名を冠する石である。
大きな一粒をオーバルカットし、周囲をメレダイヤでぐるりと囲んでいるネックレス。細身のプラチナチェーンが石を上品に強調している。
ピアスは耳元でわずかに揺れるドロップ。髪を結い上げた時、彼女の頬を色よく見せてくれることだろう。
ティスタは石たちを見比べ、同調した。
『あら、サンストーン? どう、私? 原石から磨いてもらったのよ!』
『セレナイトだ! わあ、綺麗にしてもらったねえ! イザベラにつくんだよね?』
石たちは相性バッチリのようだ。
これは、もしかして、もしかしなくても。
「……相性は良うございます。……ふふ、良かったねぇ」
人に話しかけるようなティスタに、イザベラの胸がキュンとなった。
(石を愛するお姉様……素敵……!)
時は流れ、コリンズ伯爵家の結婚式当日。
その日はとても穏やかで温かい春の日差しがこぼれる日であった。
教会の厳かな光の中、純白のドレスに身を包んだイザベラが歩む。その頭上にはリアンが磨き上げた「セレナイトのティアラ」、胸元にはティスタが選んだ「サンストーンのネックレス」。
二人が誓いのキスを交わした瞬間、イザベラの胸元の太陽の輝きが頭上の月へと完璧な回路で繋がり、乳白色の石がまるで夜明けの太陽のような神秘的な黄金の光を放って教会全体を包み込んだ。
「おお……! 女神の加護だ!」と、奇跡の光に歓声を上げる参列者たち。教会の影、参列者たちに混ざってこっそりとで見守るティスタとリアン。
幸せそうに見つめ合う新郎新婦と、鳴り響く祝福の鐘の音。そのあまりにも美しく温かい光景に、ティスタの胸がぽうっと熱くなる。
「……うわぁ、結婚式、いいなあ……」
思わずうっとりと呟いた直後。
(……ん? 「いいなあ」?)
何でこんな事を? 誰と、「あんな風」に?
――お前ら、くっついちまえよ!
――お前の「専用加工職人」はこの俺だ。誰か他の奴が隣に立つとか、考えたくもねえし認めねえ。
いつかの二人の声が脳内にこだまし、思わずティスタは隣に立つ相棒を見あげてしまった。
リアンはまだ奇跡が起こっている中心の二人を見つめ、誇らしげな、それでいて優しい笑みを浮かべている。
ドキン。その顔がとても直視できないほど格好良くて、慌てて顔を逸らした。心臓がうるさい。
「んじゃー、帰るか、ティスタ」
突然リアンがティスタを見下ろした。ぴゃっ。ティスタは真っ赤な顔で肩を跳ねさせる。
「あ? 何お前、赤くなってんの」
「なんでもない! なんでもないから! あー! イザベラ様、素敵だったー! 早く帰るよっ」
ティスタは早足で歩き出した。
ちょっと、もう、どうしよう。
ついにオリバーとイザベラが結婚!? 使い勝手の良いモブは必要ですよね。




