引き寄せる連鎖のエレクトロン
朝は涼しいと感じるようになってきましたね。秋かな?
帝国へ向かう船はゆっくりと波に揺れている。男の持つ鞄の中身には、厳重に梱包されたカルサイト。
「……これで本当に機構が直るんでしょうか」
「直らなければあの加工職人を連れてくるまで。まあ、あの『愛玩』をダシにすればいくらでも来るだろう」
潮の香りがする。揺れはやがてゆったりとしたものとなった。
「まあ、そうなった場合、我々の首が繋がっているかは分からないがな」
「うあー……」
リアンはベッドの上で頭を抱えていた。
(「覚えてろ」とか……ガキかよ……。何だよ俺……)
大体、ティスタが変なことを言うから悪い。こっちがどれだけ我慢してるか知らないくせに。
「はあー……」
腕で顔を覆ってごろりと転がる。
「師匠ぉ……。俺、もういいよなあ……?」
そもそも。なんで自分は何に操を立てているのか。
(ジェダとの約束だ)
――ね、リアン。ティスタは可愛いね。
――……別に。かわいくねーし。あんなガキ。
あはは、とジェダは笑う。
――いつか、分かるときが来るかもね。それまでさ、リアン。ティスタを守ろうね。
(分かんねーよ……)
アンバー。
有機物が石となった、太古の奇跡。それはいわば、数億年の沈黙で綴られた、記憶を宿す書物である。
それは、この帝国に満ちる莫大な魔力を惹きつけ、国家の根底を支える「心臓」そのものであった。
核となるアパタイトが全体の魔力を統べ、カルサイトが出力を均一に制御する。そして、その膨大な魔力の供給源として、アンバーが中央機構の最深部に鎮座していた。
今、帝国は深刻な魔力飢饉に陥っていた。
かつては不夜城のごとく煌々と輝いていた華々しい首都は、今や消え入りそうなランプの灯火に怯えるように揺れている。潤沢な魔力に溺れていた民衆は、干上がった川底で水を求めるように媒体を探し求めて荒れ狂い、これまで誰かの犠牲(搾取)の上にその贅沢が成り立っていたことすら知らない。
一方で、未だその恩恵に胡座をかき、最後の果実を貪り食う上層部。――そんな歪な楽園は、すでに破滅へのカウントダウンを始めていた。
「これが! 回路を復活させたカルサイトになります!」
持ち込まれた石。それはどこまでも澄んでいて、彼らにとって救いの神のような石に見えた。
中央機構の責任者がその石を確認する。回路は複雑な紋様を描き、どこに繋がっているのか分からないほど細かい。二重にブレる奥の景色は、石の内部の回路を映しているのか、鏡合わせのように反対に見える。
「……あの男が未完成としていた回路を修復し、さらに完成させたと……?」
「魔力が通ったことはこの目で確認済みです」
「末恐ろしいものだ。……これで我々の首も繋がるというもの。組み立てよ」
「は!」
カチリ。
ゆっくりと、石は「起動」した。
「あ」
薄暗い夜明け前の部屋。リアンはふっと目を開けた。そのまま、口元に弧を描く。
「やっちまったな」
「……ん……?」
なんだか、体の中の石がざわついた気がして、ティスタは目を覚ました。胸元に手を当てても何もない。気のせいだろうか。
(そろそろ、石も向こうに着く頃かな)
コォォォォ……。
アパタイトが青く輝き、機構を動かす。アンバーから引き出された魔力を、カルサイトが綿密な回路を通して安定して送り出す。
彼らは喜びの声を上げた。おお、とどよめく。
しばらく、機構は「従順」に、魔力を供給し続けた。
ほんの少しこぼれた魔力が、カルサイトの裏回路にチロチロと沈殿していっていることに気づかずに。
――さあ、残りの時間を数えよう。
異変は起動から数日経って起こった。
ギィィィィイ……!
カルサイトで完璧に制御されていたはずの魔力が、今度は増幅し始めた。
「お、おい、なんだ……?」
澄んでいたはずの方解石が、内側から濁った白へと急速に染まっていく。鏡合わせのようにブレていた二重の回路が、限界を超えた熱でパキパキとヒビ割れて融解を始めた。
魔力が引き出されていたアンバーは、今度は魔力を恐ろしいスピードで引き寄せていく。チュイン、と夜空を駆ける流れ星のように、カルサイトの裏回路が一筋の光を走らせた。
ブツッ。……パァー……ン!
石の中の回路と、機構内部が焼き切れ、都市部や地方の受容体に煙がもくもくと上がる。
中央機構内部、崩壊。
帝国の揺るぎないと思われていた「安心」が、砂のように崩れた瞬間だった。
その報せは、平民まで轟いた。
「おい、聞いたかよ! 帝国内部崩壊だと!」
「なになに!? 『あの』帝国が?」
「石の採掘量といい、ついに神に見捨てられたのかもな!」
「ほら、十五年くらい前、変な噂あったわよね、子どもを使ってさあ……」
ざわざわとそんな声が聞こえる、午前十時。
作業用のエプロン姿でコーヒーを飲みながら新聞を眺めるリアンと、その文章を後ろから目で追うチャロ。
「……終わったねぇ」
「ああ。やっと、な」
ざまあねえ、とぐいっとリアンはカップに残ったコーヒーを流し込んだ。
「師匠、超えられたかなあ?」
「……さあな。ま、俺達で超えたんじゃねえ? あのカルサイトで」
「そうだね」
にいっとリアンは「悪い」顔でチャロを見上げた。テーブルに置いた新聞を指でトントンと叩く。
「……あのカルサイト、何の仕組みしてたか、知りたいか?」
「え、知りたい」
しし、と意地悪そうにわらう。
「マラカイは、表回路の真裏に、時限爆弾を仕込んでたんだよ。魔力増幅回路と思わせ、裏に魔力をすこーしずつ流して増幅が急激に増長して、最終的に焼き切れるような。カルサイトは倍屈折だ。気づかれないように真裏に仕込んでやがった。……ま、裏回路に流し込む魔力の調節はマラカイの設計よりももう少し遅くしてやったぜ。アイツらが、ゆっくりしたーって思った頃にドカン。やべーだろ?」
「うわー……。リアン、ものすごくいい笑顔だねえ」
当たり前だろ、と呆れたようにチャロを見る。
「帝国に犠牲になった奴らが、何人いると思ってんだよ」
「うん、そうだね」
プロジェクト・ジェムのために連れてこられた、罪のない子どもたち。石の崩壊のために吹き飛んだ職人たち。
リアンとティスタのために、その命をかけたマラカイ。
「ジェダ、どこかで生まれ変わってるといいね」
ティスタより五つ上の、誰よりも頼りにした「兄」。ぽつ、と溢した言葉に、リアンは窓の外、空を見上げた。ガラス越しに見えるその色は、どこか翠がかった青。
「……そうだな」
ところでさあ、とリアンは頬杖をついたまま空を見て口を開いた。
「……ティスタってジェダのこと好きだったんだ?」
「なっ!? 何急に!? 子どもの頃の話じゃん!」
「へえ……。『初恋』?」
頬杖をついた顔がこちらを見る。少しにやにやとしている。
かかかか、と「ティスタ」の頬が赤くなってくのがわかる。
「だ、や、だって、私その時五歳! はは初恋とか、あるわけ無いでしょ!」
「ふうーーーん?」
暗くて狭い部屋の中。三人でいつか来る別れの時に怯え、身を寄せ合った。ジェダは、ティスタにとって安心する兄であり、だいすきな人であった。ただ、それ以上でもそれ以下でもない。
リアンはしばらく楽しそうに慌てふためくティスタを見ていた。そして、天井を見上げる。
「……あー、もう、なんなの、お前」
ガタリと椅子から立ち上がる。
「……俺の初恋はティスタ、お前だよ」
「え……?」
そのまま、リアンはきっちりと結ばれた髪紐をするりとほどき、「チャロ」から「ティスタ」に戻す。
「へ……あっ、ちょっと、リアン……!」
ティスタは抗議の声を上げたが、リアンの顔を見た瞬間口を噤んだ。彼の瞳の奥、ゆらゆらとティスタの知らない熱がある。
一歩、後ろに下がる。
「……媒体が欲しいっつったよな、お前。……いいぜ、作ってやろうじゃねえか」
「リア……」
「お前の『専用加工職人』はこの俺だ。誰か他の奴が隣に立つとか、考えたくもねえし認めねえ」
ティスタの心臓はこれ以上ないほどドクドクとうるさい。待って、息切れしてきたかも。
気がつくと背中に壁が当たった。逃げ場がない。ティスタは壁とリアンの腕の「檻」に閉じ込められた。
「石はお前が見繕え。俺が最高の媒体作ってやる」
耳元で囁かれて、ティスタの赤い顔はもうこれ以上ないくらい真っ赤になっている。ふにゃ、とずるずると座り込んだ。
カラン。
ドアベルが来客を告げた。
「いらっしゃいませ」
すっ、と何事もなかったかのようにリアンは離れる。その影に隠れてティスタは髪をまとめた。頬は熱いまま。
「……っ!? えっと、その、お、お取り込み中!?(何この状況ご馳走様ああ!?)」
上擦った女性の声。イザベラだ。
「ああ、イザベラ様……。本日はいかがなさいました?」
接客をリアンに任せたまま、チャロは立ち上がれない。どうしよう、腰が抜けた。
「イザベラ、先に行くなど……。珍しいな、リアンがここに立っ……」
遅れて店に顔を出したのはオリバー。彼は腰が抜けて髪の乱れたチャロが真っ赤な顔で座り込んでいるのを奥に認め、言葉を切った。
「オリバー様まで。いらっしゃいませ」
リアンはあくまでもにこやかに接客している。店に流れる熱い空気に触れたのか、彼らの顔はみるみる赤くなっていく。
「こ、これをお二人に渡したくて……」
恥ずかしそうな声でイザベラは封筒をリアンに手渡した。
(うわーん、立って、私! は、恥ずかしいいい!)
チャロは完全に抜けた腰を叱咤していた。業務放棄など自分の中で許せない。リアンのバカ!
「これは……?」
「春になったら、式を挙げるんだ、私たち。今までかなり世話になったから、来てもらいたくて」
「ちょうど今年卒業なので、暖かくなってから、なのですけど」
それはおめでとうございます、と和やかに会話が続く。リアンはテーブルを指し示した。
「立ち話もなんですし、お座りになられては。媒体、洗浄いたしましょうか」
「ああ、頼む」
「チャロ、茶ー」
石をトレイに載せ、チャロを振り返る。ようやく力を取り戻したチャロはリアンの視線を感じてひゃっと飛び上がった。
「直ちに!」
バタバタと茶の用意をする「ティスタ」に、リアンは息をついた。
「……僕たちは平民なのですが」
ふわん。くゆる紅茶の香りが店の空気を彩る。少し困ったような声でチャロは二人を見る。
「……構わん。そもそも、私たちの仲を取り持ったのはそちらだろう」
「あのまま行けば、私たち、もしかしたらもっとギスギスしていたかもしれないの。お姉……んんんっ、チャロさん達にはとても感謝しているの」
彼らの指に光るのは、分かたれたインペリアルトパーズのギメルリング。それをちらと見て、チャロは微笑みを浮かべた。
「片隅でよろしければ、お言葉に甘えて」
一瞬、イザベラのたおやかな手がぐっと拳に握られた気がした。気のせいかな?
「……では、依頼を受けてもらおうか」
「依頼、ですか……?」
「我が家に伝わる『月の女神』。それを式で使うんだが、ティアラに加工したいんだ」
そっち《依頼》が本命か!
ルーペで石の回路を覗きながら、リアンはぼんやりと思った。
(結婚式ねぇ……。別に、羨ましいとか、思ってねえし)
副鼻腔炎、薬でテキメンに良くなりますね。




