騙し合う碧
話が進むうちに石も柔らかくなり、私の風邪も治って……いかないんですね、これが。
「うー……ん?」
ティスタはベッドの上でごろりと寝返りを打つ。時刻は夜中の一時を回っている。なんだか引っかかるものがあって、目を覚ましてしまった。
(なんだろう……帝国関係?)
ダイヤモンド。ムーンストーン。マラカイ……。「閉じられた回路」。
「あっ!」
ガバっとティスタは布団を跳ねのけて起き上がる。彼女の柔らかい髪の毛がふわりと浮き上がった。
居ても立っても居られず、彼女はそのままリアンの部屋に押しかける。
「リアン! リアン! ちょっと!」
彼は目をぎゅっと瞑り、眉間にしわを寄せる。
「んん……。何だよ、ティスタ……。うるせえな……」
もう一度夢の世界へ旅立とうとしているリアンを揺り動かした。
「ちょっとー! 私、リアンに言うの忘れてたことあったんだよ! 回路! 閉じられた回路の石、前に持ってきてた人がいた!」
「んだと……?」
覚醒したのか、リアンも飛び起きる。そして、ティスタが寝巻き(リアンのお古シャツ)で自分の部屋にいるのをようやく理解し、彼は叫んだ。
「ぎゃー! ティスタ!? バッカヤロー!」
「……で? 回路が閉じられてた石を持ってきた男がいたと。いつの話だ」
疲れ切ったようにリアンはぐったりと顔を覆い、テーブルに向かって話しかけている。
ティスタはリアンに五回デコピンされたおでこをさすりながら、思い出そうと天井を見上げた。
「確か……夏。夕立のひどかった日」
ジルコンを持ってきた紳士。帝国産ダイヤモンドと言われて、騙された人。
「石が……ダイヤモンドじゃなくて、ジルコンで……。あの石、あの人のこと、『ウソつき』って言ってた……。もしかして……」
「そいつが帝国の人間で、もしかしたらティスタのことを探りに来たかもしれねーって事か」
回復したのか、起き上がって腕を組むリアン。考え込むようにテーブルの木目を見ている。
「……何の目的でここに来たのか……。特段力も無いティスタには用は無いはずだろ。……まさか、今更『愛玩』になんてあり得ねえ……」
最後に呟いた言葉は小さすぎて聞こえない。
「え? 今なんて言ったの?」
「や、別に。……それより、なんでこんな大事なこと言わなかった」
ぎろり、とリアンはティスタを睨みつける。
「だって、リアンが……!」
「は?」
もごもごと言葉を飲み込んだ。あの日、あの激しい夕立で濡れた上半身裸のリアンを見て、全部頭から吹っ飛んだなんて言えない。
「忘れてました。すみませんでした」
ティスタはもう一度デコピンを食らった。
「理不尽!」
はっ、とリアンは勝ち誇ったように軽く笑う。けれど、次の瞬間、石を見定める「職人」の顔になる。すっ、と空気が変わり、ティスタは知らず背筋を伸ばした。
「……と、まあ、冗談はここまでだ。なんでそいつがここにジルコンを鑑定しに来たか、だな。しかも、その日俺は買い物に出ていて不在。噂を聞いて知っていたのなら、ティスタ――チャロだけを見に来たっつーのが濃い線だな」
ちら、と彼はティスタのラベンダー色の髪の毛に視線を寄越した。
「お前、髪色は隠してねえだろ。ま、見方によっては白髪に見えなくもねえが」
「ちょっと!」
言い返そうとしたティスタを片手で制する。
「マラカイに師事していた事、髪色、噂。諸々鑑みて鑑定士チャロの正体を探りに来たってのもアリかもな。石を置いていかなかったってことは、そこまで深入りしようとは思っていなかった。閉じられた回路をこじ開けられれば駒として使えるかもしれなかったが、その技術はお前にはない。結果として、その日は引き下がる事となった、って具合か」
ティスタはあの時の会話を思い出そうとする。
――いやいや、今日はありがとうございました。なかなか良い体験をさせていただきましたよ。
――いいえ、お役に立てず、申し訳ありません。
(……ん? 「なかなか良い体験」……? なんで?)
含みのある言葉。ほんの少し、秋の夜の空気よりも薄ら寒い何かが背中を撫でた気がした。
「……ティスタ、いくらお前が男装しようが一人称を変えようが、分かるやつには分かんだよ。もしかしたら、昔のティスタを知っていて、チャロの正体をティスタだとたどり着いたかもしれねえ。用心するに越したことねえな」
帝国は、また来る。
それは、予測ではなく「確信」であった。
カラン。
ドアベルは来客を告げる。
「やあ……いらっしゃい」
日が射していつもより温かい昼下がり。気怠げな声が店の奥から聞こえてきた。ほんのり目元が潤んだ(ただのあくび)、ミステリアスな店主。微笑みを浮かべて来客を歓迎する。
「二度目」の対峙であったが、彼は知らず、生唾を飲み込んだ。
「あ、ああ。チャロさん。どうも」
それは、以前ジルコンを持ってきた男であった。チャロも微笑んで会釈する。
「ジェントル。またお会いしましたね。以前のジルコンは大丈夫でした?」
いやいや、と彼は首を振った。
「以前見ていただいたのに、その節は大変申し訳なかったですな」
「お気になさらず」
和やかに会話は進む。その会話を、小窓の向こうから耳を澄ませて聞いていたのはリアンである。
(……なんか、嫌な感じのやつだな)
ざわざわする。それは、「職人」としての勘なのか、「リアン」としての勘なのか、分からなかった。
「そう言えば、本日は?」
そうそう、と彼は穏やかに懐から布に包まれたものを取り出した。
「帝国では、回路が閉じられた石が出回って、騒動になっているそうなのです。リベンジ、してみます?」
悪戯っぽく彼は微笑んだ。そして、チャロの手を取り、その包みを手渡す。
「……リベンジ、ですか?(何手掴んでんの、この人……)」
男の目の奥にねっとりとした熱がある。思わずチャロは半歩後ろに下がった。
「ええ……。これも魔力が通らなくてね……」
囁くような声。ぞわり。チャロの全身の毛が逆立った。
(これ、ヤバイやつだ……!)
「はっ、拝見させていただきます!」
避難だ。避難! チャロは鑑定スペースへと足早に移動する。
布を開くと、ハッとするようなネオンブルーがまず飛び込んできた。美しくカットされ、宝石として眺めるには申し分ない。
手袋をつける。
(アクアマリンとも違う色味だ。トルマリン、でもなさそう)
まずはルーペで石を覗き込む。ファセットラインは肉眼ではきちんとカットされていたが、拡大するとほんの少し削れている。柔らかいのだろうか。石の内部はどこまでも澄み切っており、内包物は見当たらない。
カチリ、とライトをつけて当ててみる。光を透かした石は、見たままの色を少し柔らかく照らし、発光するほどではない。
あまり確信はないが、これはもう「裏ワザ」を使うしかない。
(君は、『アパタイト』かな。どうしたの?)
キィィン――。
『正解正解! よくぞ見破った!』
キャイキャイと嬉しそうに声を上げる。当たっててよかった。チャロは、ほ、と息をつく。
『あんたら、いや、特に短髪。狙われてるぜ』
(……え?)
『帝国は動き出した。こないだロック外しただろ? 確かめに来たんだよ』
どく、とチャロの心臓が音を立てる。
アパタイト。かの石は「惑わす」を語源とする、様々な石に「擬態」する石として知られている。けれど、そう名付けたのは人間。彼らは「惑わす」こともなく、ただ純粋な石として存在しているだけなのだ。
(ありがとう……!)
チャロはアパタイトに礼を言い、男を振り返った。内心の焦りは押し隠し、困ったように眉を下げた。
「ジェントル、僕は鑑定士なので、その技術はないのです」
「……は」
ですので、とチャロは小窓についた呼び鈴を鳴らす。程なくして小窓が開き、中から眼光鋭い(たぶん寝不足と嫉妬)顔をしたリアンが顔を覗かせた。
「おおっ!? ……いや、失礼」
まさか彼は奥に人がいるとは思わなかったようで、少し驚いた声を上げた。どことなくリアンの表情に冷や汗をかいているように見える。
「……なんだ、チャロ」
「『君』の技術を見せて上げてください。回路が閉じているというアパタイトです(狙いはリアン。騙しあいだよ!)」
どうか伝わって。そんな気持ちを副音声に込め、チャロはリアンの目を見て頷く。ちら、とリアンはやる気なさそうに見やると、小さく舌打ちをする。
「ちっ。アパタイトかよ。脆い石は面倒くせえ。魔力回路が閉じてるだあ? そんな嘘くせえことあるわけねえだろ。……少し待ってろ」
そう言ってリアンは工房の奥へと石を持って引っ込んだ。
男は狐につままれたような顔でチャロを見る。
「彼は、一体……?」
「彼は、僕の最も信頼している加工職人の一人です」
チャロは、笑みを深めた。
(……この回路が潰されてるから循環がうまくいかないのか。……つーかマラカイ、クソ面倒くせえことしやがる……。ん? いや、潰れてるんじゃなくて石自体が閉じてんのか……。んー……。まあ、この回路を……こう、して……)
ルーペを覗き、リアンは石の魔力回路をちょいちょいと弄っていく。「細工」しながら、魔力が「通った」ように見せかけて。
(……ったく、誰が「最も信頼している加工職人の一人」だよ。くせえこと言うんじゃねえよ)
知らずリアンの口元が弧を描く。思考とは裏腹に、瞬く間にアパタイトの回路は「正常」に作り直されていった。
ガコン。
数分後、小窓が開いてリアンの手がぬっと出てくる。
「これ、回路が閉じてんじゃなくて、引っかかってただけみたいですね。ほら」
リアンが魔力を通すと、石からぼっと彼の魔力が真っ青に吹き出した。
「そ、そんな……!?」
驚愕の表情を浮かべる男に、リアンは少し小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ふっ……。もっと『ちゃんとしたところ』で見てもらったほうがいいんじゃないですか? 俺より、きちんと経験積んだ所に」
リアンは石を軽く振り、布で拭いて男に手渡した。男は白い顔でリアンから石を受け取った。彼の手は少し震えていた。
カロン。
男が帰った後、チャロはリアンに詰め寄る。
「……っ、何してんの!?」
「……んだよ」
そんな、煽るようなこと、絶対目をつけられた。
面倒くさそうに目を細めるリアンをチャロは睨みつける。
「何だよ、じゃないよ! 帝国だって研究して、こっちに来たんだよ!? なんでそんな煽るようなこと言うの!?」
ちっ、とリアンは小さな舌打ちをして、チャロから視線を逸らした。
「……お前が標的になるくらいなら……俺の方がマシだろ」
「っ、そういうことじゃないよ!」
アパタイトが教えてくれた情報。帝国が本当に欲しいのはリアンの技術だ。
「それに、石に魔力を通してそのまま渡すなんて……!」
「うるせえな。俺だって何も考えてない訳じゃねえ。魔力は切ってから渡してあるし、アパタイトの回路は途中で詰まるように作ってある」
「だからって……!」
ちぃっ。大きな舌打ちにチャロの言葉が途切れた。
ガっとチャロの手首が掴まれる。ぎり、と力を込められて、チャロは顔をしかめた。
「痛っ……!」
「これくらいの力で痛いんだろ? どんな格好してても、お前は『女』なんだよ! いい加減理解しろ!」
ばっ、と振り払われるように手を離される。びりり、とチャロの手首はまだ痺れている。
「お前、周りをどんだけ『魅了』してんのか、自覚ないだろ!? あの男の、『チャロ』を、お前を見る目を見たか!? 『愛玩』なんて、絶対許さねえ……。ティスタは出てくんな。これは俺の、『俺とジェダ』のプライドをかけた復讐なんだよ!」
「そ……んな、こと……」
「ティスタ」は次の言葉が出てこなかった。
カラン。
「あの……すまない。その……取り込み中だったか……? 媒体の洗浄を、頼みたいのだが……」
気まずそうに店に顔を出したのは、媒体の宝飾品を手に持つオリバー。
「チャロ」は仮面をつけ直す。
「……いいえ。失礼いたしました。すぐに」
リアンは石を受け取ると無言で工房に消えた。
秋の爽やかな天気の中、とても重い空気が店の中に充満していた。
だんだんリアンが不憫に思えてきた。




