廃教会と腕輪と消えかけスパイス
都市スターティア――スラム街。
夕暮れの路地裏を、
二つの影がゆっくり進んでいた。
「っ……」
赤髪の少女――ナナミが、
苦しそうに息を吐く。
足取りは、明らかに重い。
「ナナちゃん!」
隣を歩くマリが、慌ててその身体を支えた。
「大丈夫!? やっぱり、今日は無理しすぎだよ!」
「……平気よ」
だが、その声には力がない。
ナナミは、
夕焼けに染まる空を睨みながら呟いた。
「……黒狼を逃がしてしまったわ」
悔しそうに、ぎり、と歯を噛み締める。
「今のままじゃ、一時凌ぎが精一杯ね」
「ナナちゃん……」
マリが、不安そうに顔を曇らせた。
二人は、そのまま無言で歩き続ける。
やがて。
スラム街の外れ。
人気のない路地奥へ、
古びた建物が姿を現した。
崩れかけた尖塔。
色褪せたステンドグラス。
かつて祈りの場だったそこは、
今では完全に廃墟と化している。
ギィィ……。
重たい音を立てながら、扉がゆっくり開いた。
◆
廃教会内部――書斎。
壁一面の古い本棚。
机には、
大量の資料や魔法陣の紙が散乱していた。
ナナミは、迷うことなく部屋奥へ向かう。
そして。
カチ、カチ、カチ……
古びた金庫のロックを解除した。
「ナナちゃん……?」
マリが、不安げに声を漏らす。
ゆっくりと、金庫の扉が開く。
その中に収められていたのは――。
黄金の腕輪だった。
淡い金色の光を放つ、異様な装飾の腕輪。
まるで、生きているように脈打っている。
ナナミは、それを静かに手に取った。
「待って!!」
マリが、叫ぶ。
「超人覚醒は、ダメ!!」
「…………」
ナナミは、答えない。
ただ、金の腕輪を見つめ続けていた。
「黒狼に対抗するには……これしかないのよ」
静かな声。
だが、その奥には焦りが滲んでいた。
「でも!」
マリが、必死に訴える。
「ナナちゃんの魔力、もう限界だよ!?」
「っ……」
「さっきの戦いでも、ボロボロだったじゃん!!」
ナナミの指先が、わずかに震える。
それでも。
「……私が、やるしかないのよ」
小さく呟いた。
そのまま、ナナミは書斎を出ていく。
「ナナちゃん!!」
マリが、慌てて追いかけた。
薄暗い廃教会の廊下。
出口へ向かって歩くナナミへ、
マリが立ちはだかる。
「待って!」
「どいてちょうだい」
ナナミの赤い瞳が、鋭く細まる。
「時間の無駄よ」
空気が、張り詰める。
その時だった。
「おおーーーっ!!」
場違いなくらい明るい声が、
廃教会中へ響き渡った。
「ここが異世界の教会か!! すげぇなぁ!!」
「…………」
「…………」
ナナミとマリが、同時に固まる。
次の瞬間。
バンッ!!
勢いよく扉が開いた。
そこには――。
目をキラキラさせた真宵が立っていた。
「真宵さん!?」
マリが、目を丸くする。
「よっ!」
真宵は、教会内をきょろきょろ見回す。
崩れかけた柱。
古びたステンドグラス。
薄暗い礼拝堂。
そして、どこか秘密めいた空気。
「なんか……秘密基地みたいでワクワクするな!」
「……はぁ」
ナナミが、呆れたようにため息を吐く。
「よく、ここが分かったわね」
「俺、結構鼻が利くねん」
真宵が、得意げに胸を張った。
「鼻が利くってレベルじゃない気が……」
マリが、小声でツッコむ。
その時だった。
ひょいっ。
「あっ」
真宵が、ナナミの手から金の腕輪を奪い取った。
「なっ――!?」
ナナミの顔色が変わる。
真宵は、腕輪をじっと見つめた。
黄金色の装飾。
淡く脈打つ、不思議な光。
「話は聞いたで」
真宵が、腕輪を軽く掲げる。
「これなら、あの狼倒せるんやろ?」
「……っ!」
ナナミが、一歩踏み出す。
「返して!!」
鋭い声が、廃教会へ響いた。
「それは、私の物よ!!」
だが、その瞬間。
「っ……!」
――キーン!
ナナミの身体が、ぐらりと揺れる。
頭を押さえ、苦しそうによろけた。
「ナナちゃん!!」
マリが、慌てて支える。
真宵は、小さく息を吐いた。
「ほら、見たことか」
真宵の声が、少しだけ真面目になる。
「今の君には、無理や」
「……でも」
ナナミが、悔しそうに睨み返す。
「貴方にも無理よ」
赤い瞳が、真宵を真っ直ぐ射抜いていた。
「それ、命落とすかもしれないのよ……!」
だが真宵は、いつもの調子で肩をすくめる。
「いや、やってみな分からへんやろ」
「ふざけないで!!」
ナナミが、叫ぶ。
感情が爆発したような声だった。
「貴方、何も知らないくせに……!」
空気が震える。
だが真宵は、一歩も引かなかった。
「知らんよ」
真宵は、腕輪を握りしめる。
「でも」
その顔から、笑みが消えた。
「一人で無茶するのは、なんか違うやろ」
「っ……」
ナナミが、言葉を失う。
真宵は、くるりと背を向けた。
「ここは、俺に任せとけ!」
そう言い残し、
廃教会の出口へ向かって走り出す。
「ちょ、待ちなさい!!」
ナナミが、慌てて叫ぶ。
だが身体が言うことを聞かない。
その場へ、崩れるように膝をついた。
「っ……!」
マリは、そんなナナミをじっと見つめる。
不安。
迷い。
葛藤。
様々な感情が、その瞳の奥で揺れていた。
やがて。
「……ナナちゃん」
マリが、小さく呟く。
そして、静かに頷いた。
「私、行ってくる」
「マリ……!?」
マリは、真宵を追うように走り出した。
廃教会へ、静寂が戻る。
「……なんで」
ナナミが、震える声を漏らす。
「なんで……」
悔しそうに、拳を握り締める。
「今の私は……こんな不完全なのよ!!」
ドンッ!!
拳が、廃教会の床を叩いた。
赤い火の粉が、静かに舞い散る。
その横顔は、悔しさと無力感に歪んでいた。
◆
都市スターティア――大通り。
夕暮れの街は、
まだ多くの人々で賑わっていた。
屋台から漂う香辛料の匂い。
商人達の呼び声。
買い物袋を抱えた人々の笑い声。
そんな喧騒の片隅。
黒いフードを深く被った男が、
静かに路地裏へ立っていた。
「くそっ……!」
低い声。
フードの男――ガラムが顔を歪める。
「あの赤髪の女……!」
脳裏へ浮かぶのは、
森で現れた片翼の少女。
紅蓮の炎。
圧倒的な魔力。
ガラムは、舌打ちをする。
「……だが、まあいい」
ゆっくりと顔を上げた。
「あの様子じゃ、しばらく動けねぇだろ」
そう呟きながら、視線を大通り奥へ向ける。
そこに建っていたのは――。
『魔宝石専門店』
煌びやかなショーウィンドウの奥には、
色とりどりの魔宝石が並べられていた。
「それより……」
ガラムの口元が、にたりと歪む。
「今は、目先の宝だ」
その瞬間。
ドクン。
ガラムの胸元が、赤黒く脈打った。
「……来い」
ゆっくりと、自らの胸へ手を突っ込む。
ズブリ、と。
肉を掻き分けるような、不気味な音。
そして――。
「グルルルル……」
胸の奥から、黒い獣が這い出してきた。
漆黒の毛並み。
赤黒い瞳。
禍々しい牙。
あの黒狼だった。
だが今の黒狼は、まるで影そのもののように、
身体の輪郭が揺らめいている。
「大通りの店……」
ガラムが、低く命じる。
「全部から魔宝石を奪ってこい」
黒狼の瞳が、ぎらりと光る。
次の瞬間。
ドンッ!!
黒狼が、大通りへ飛び出した。
「ガァァァァァッ!!」
轟音のような咆哮。
ガシャァァンッ!!
魔宝石店のガラスが、
派手な音を立てて砕け散る。
「きゃああああっ!!」
「ま、魔物だぁ!!」
「逃げろぉ!!」
人々が、悲鳴を上げながら逃げ惑う。
黒狼は、
散らばった魔宝石を荒々しく漁り始めた。
混乱。
怒号。
恐怖。
夕暮れの大通りは、一瞬で地獄へ変わる。
その光景を。
ガラムは、路地裏から静かに見つめていた。
「さぁ――狩りの時間だ」
フード奥の口元が、ゆっくりと吊り上がった。




