路地裏とチンピラとローズマリー
湿った風が、頬を撫でる。
「…………ん」
俺は、ゆっくりと目を開けた。
石畳の路地裏。
左右に並ぶ、カラフルな建物。
窓辺には、
見たこともない花や果物が吊るされている。
遠くからは、人々の賑やかな声。
どこか香辛料の効いた匂いも漂ってきた。
「……おぉ」
俺は、ゆっくり身体を起こす。
壁に掛けられた木製看板へ目を向けるが、
書かれている文字はまるで読めない。
だが――そんなことは、どうでもよかった。
「来たんやな……」
右手を見る。
そこには、一本のマヨネーズ。
「よし」
そして、勢いよく立ち上がる。
「――異世界、キターーーッ!!!」
路地裏へ、叫び声が響き渡った。
近くにいた鳥っぽい生き物が、
バサバサと飛び立つ。
テンションが上がる。
いや、上がらない方がおかしい。
「うおおお! ファンタジーや!!」
「剣と魔法の世界や!!」
「テンション上がるぅぅぅ!!」
思わず、声が止まらなかった。
その時だった。
「いやぁ、これは上玉だ。親方がきっと喜ぶぜぇ〜」
下卑た男の声。
「……私が旧聖教の神官だからって、舐めないでください」
今度は、少女の冷たい声が聞こえた。
「ん?」
俺は、ぴたりと動きを止める。
声は、路地の奥から聞こえてくる。
壁越しにそっと覗き込むと――。
「へへっ、強がんなって」
「旧聖教なんざ、今じゃ嫌われ者だろ?」
「大人しく俺達について来いよ」
ガラの悪そうな男が三人。
そして、その中心には――。
黒い神官服を纏った、銀髪の少女。
透き通るような白い肌。
鋭い青色の瞳。
俺と同じくらいの年齢だろうか。
だが、その顔に浮かんでいるのは怯えではない。
明らかな苛立ちだった。
「離してください」
少女が低く告げる。
「おぉ、怖ぇ怖ぇ」
男の一人が、少女の肩へ手を伸ばした。
その瞬間。
「……さすがに、無視はできひんよな」
俺は、小さく呟く。
右手のマヨボトルを見る。
「異世界一発目で見捨てんのも、後味悪いし」
キャップを開ける。
ブシュッ。
そのまま、マヨを直飲みした。
「……よし!」
口元を拭う。
「力がみなぎってきた……気がする!」
少女と男達が、一斉に俺を見る。
「…………は?」
「なんだテメェ」
俺は、ニッと笑った。
「通りすがりのマヨラーや」
「は?」
「三人がかりで女の子囲むとか、ダサいやろ?」
「ナメやがって!!」
男の一人が拳を振り上げる。
だが。
「おっと」
俺は、その拳を軽く避ける。
旅先で身につけた格闘術。
勢いを利用し、そのまま腕を掴み――。
ドゴォッ!!
男の身体が、石畳へ叩きつけられた。
「がはっ!?」
「え?」
銀髪の少女が、目を見開く。
「おぉ、ちゃんと決まった」
自分の手を見ながら、少し感心する。
「世界回っとると、案外こういうの覚えるもんなんやなぁ」
「て、てめぇ!!」
残り二人が飛びかかる。
だが俺は、軽い足取りで攻撃をかわし、
肘打ち、足払い、投げ技で次々と男達を転がしていく。
「ぐぇっ!」
「痛っ!?」
「なんなんだコイツ!」
「いやぁ、海外って治安悪い場所も多くてさぁ!」
ドスッ!!
最後の男の腹へ拳を叩き込む。
「護身術、結構大事なんよね!!」
「ぐはぁっ!!」
男達は情けない悲鳴を上げる。
「っ……! お、覚えてやがれ!!」
三人は、足早に逃げていった。
路地裏に静寂が戻る。
「ふぅ……」
俺は、軽く肩を回す。
「大丈夫?」
銀髪の少女へ振り返る。
少女は、少し呆けたように俺を見つめていた。
やがて、小さく頭を下げる。
「……助かりました」
「いやいや!」
俺は、笑いながら手を振る。
「困っとる人、助けるのは当然やろ?」
その瞬間。
シャキンッ。
銀髪の少女が、
どこからともなく小型の槍を取り出した。
「……まあ、貴方の助けがなくても問題はなかったんですけどね」
「えぇ……」
思わず顔が引きつる。
少女は、どこか得意げに槍を回した。
「一応、神官ですから」
「神官って槍使うんや……」
「使いますよ?」
「そうなんや……異世界、奥深いな……」
少女は槍をしまい込み、改めて俺を見る。
「私は、マリです」
「マリ?」
「ええ。旧聖教の神官、マリ」
そう名乗る少女へ、俺は笑った。
「俺は、佐藤真宵」
そして、右手のマヨを掲げる。
「職業、マヨラーや」
「……はい?」
マリが、ぽかんと目を瞬かせた。
「……貴方、変わってますね」
マリが、じっと俺を見る。
「その服も、見たことありませんし」
「ん?」
俺は、自分の格好を見下ろした。
紺色のポロシャツ。
黒いズボン。
スニーカー。
……言われてみれば、
周囲の人間はローブや革鎧ばかりだ。
完全に浮いている。
「まあ、確かに」
俺は苦笑する。
「めっちゃ遠い国から来たからな」
「遠い国……?」
マリが、小さく首を傾げる。
「海の向こう、とかですか?」
「もっと遠い」
「……?」
まあ、“異世界の向こう”なんやけど。
さすがに説明しても信じてもらえんやろな。
「てか、マリこそ変わりもんやろ?」
俺は、周囲の薄暗い路地を見回す。
「女の子が一人、こんな暗いとこおるなんて」
その瞬間。
マリの表情が、ほんの少しだけ曇った。
「……私、家がこの辺りなので」
「あっ」
沈黙。
気まずい。
風の音だけが、静かに路地を抜けていく。
俺は、さっき男達が言っていた言葉を思い出す。
――旧聖教なんざ、今じゃ嫌われ者。
なるほど。
多分、色々あるんやろう。
「…………」
空気が重い。
いや、このままは良くない。
俺は、パンッと手を叩いた。
「よし!」
「……?」
「マリ! この街案内してくれ!」
「は?」
「まず、この街の名前からやな!」
その瞬間。
マリが、ガクッとずっこけた。
「街の名前も知らないんですか!?」
「いやぁ、さっき来たばっかで」
「さっき!?」
マリが信じられないものを見る目を向けてくる。
「貴方、本当にどこから来たんですか……」
「めっちゃ遠いとこ」
「雑ですねぇ……」
呆れたようにため息を吐きながらも、
マリは小さく笑っていた。
どうやら、さっきまでの重い空気は消えたらしい。
「ここは、スターティア」
マリが、街の奥へ視線を向ける。
「ヨースタイン辺境伯領の領都です」
「すたーてぃあ……」
異世界っぽい名前だな。
「冒険者や商人が集まる街ですよ。
迷宮も近いので」
「おぉ〜!」
一気にテンションが上がる。
迷宮。冒険者。
完全にファンタジーだ。
「……ちなみに」
マリが、ちらりと俺を見る。
「身分証とか、持ってます?」
「みぶんしょ?」
「はい。冒険者証や、市民証です」
「ない!」
即答だった。
マリが、頭を抱える。
「……よくそれで街に入れましたね」
「気づいたら路地裏におった」
「雑すぎません!?」
うんうん、いいツッコミだ。
「……はぁ」
マリは、小さく息を吐く。
だが、その表情にはさっきほどの警戒はなかった。
「とりあえず、冒険者ギルドへ行きましょう」
「冒険者ギルド!」
俺の目が輝く。
「めっちゃテンプレやん!!」
「てんぷれ?」
「あ、気にせんでええ」
マリは、じーっと俺を見る。
やっぱり変な人だ、みたいな顔だった。
でも。
「……まあ、悪い人ではなさそうですし」
小さく呟く。
「ん?」
「なんでもありません」
マリは、くるりと背を向けた。
黒い神官服が、ふわりと揺れる。
「ほら、行きますよ。
迷子にならないでくださいね?」
「おう!」
俺は、マヨネーズを片手に、元気よく頷いた。
――こうして。
異世界での俺の冒険は、始まったのだった。




