空白と女神とマヨネーズ
「無人島に一つだけ持っていくなら、何?」
会話に困った時、よく出る話題だと思う。
水?ナイフ?ライター?
……まあ、普通はそうだろうな。
でも、俺なら迷わない。
――マヨネーズだ。
じゃあ、こう聞かれたらどうだ。
「異世界に一つだけ、持っていくなら?」
最強の武器?無限の魔力?チートスキル?
……いや。
やっぱり、マヨネーズだ。
――それが、俺の答えだ。
◆
四月初旬、とある空港。
「いやぁ〜、やっぱ日本ええなぁ」
スーツケースを転がしながら、伸びをする。
俺は――佐藤真宵、大学生。
この一年、休学して世界中を回っていた。
いわゆる――自分探しってやつだ。
……まあ、何も見つかってないけど。
◆
「ただいまー」
ガラガラと扉を開ける。
「……おかえり」
そこは、実家の定食屋。
油の匂いと、懐かしい空気が広がる。
「どうしたん?急に帰ってきて」
母が心配そうな顔で、俺を見る。
「いやさ、ここらで旅費稼ごう思って。
……それより、これお土産!」
俺はスーツケースを開ける。
中から出てくるのは——
謎の民族仮面。
本場インドのスパイス。
そして、各国のマヨネーズ。
「……あんた、ちゃんと生きてた?」
「ギリな」
父と母が、同時にため息をつく。
「で、どれが本命なん?」
「マヨ」
俺は、決め顔で即答する。
「とりあえず、エビマヨ定食。マヨ多めで」
「帰ってきて、一発目がそれ?」
苦笑しながら、母は厨房へと向かった。
◆
厨房から聞こえる、ジュワッという音。
この音、この匂い。
やっぱり、実家の飯が一番だ。
そう思った、次の瞬間だった。
「……なんだこれ」
背後から、父の声。
振り返ると――
父がスーツケースの奥から、
小さな“光るボトル”を取り出していた。
「そんなの、あったっけ?」
見覚えがない。
いや、マジでない。
「お前のだろ?」
「いや、ちゃうって」
父からボトルを受け取る。
その瞬間——
ピキッ。
足元に、淡い光が走る。
「……は?」
魔法陣が、浮かび上がる。
見間違いじゃない。
明らかに、ヤバいやつだ。
「ちょ、待っ——」
光が、どんどん強くなる。
身体がふわっと浮く。
グッと引っ張られる感覚。
——嫌な予感しかしない。
「エビマヨ食いたかったああああ!!」
その叫びを最後に。
俺は——その場から、消えた。
◆
――気づくと。
真っ白な空間に立っていた。
「……どこや、ここ」
さっきまで、実家にいたはずだ。
だが、目の前にあるのは――エビマヨ。
……ではなく、無限に続く白だった。
「ようこそ、異界の狭間へ」
その時、透き通った声が聞こえた。
俺は、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは――
白い衣を纏った、金髪の美女だった。
「私は女神。世界を管理する存在です」
「……えっと、宗教の勧誘?」
「違います」
即答だった。
「……あなたは選ばれました」
「ほう」
「私の世界は今、確実に滅びへと向かっています」
「へぇ」
「魔神が人々を狂わせているのです」
「ふーん。大変やな」
「……他人事ですか?」
「いやまあ、他人やし」
女神が、ほんのわずかに顔をしかめた。
「あなたには、世界を救ってもらいます」
「断ったら?」
「強制です」
「ブラックやなぁ」
「ですが、特別に一つだけ。
異世界に持っていく物を選ばせてあげましょう」
来た。
例のやつだ。
「さあ、何を選びますか?」
――すう、と息を吸う。
「最強の武器?無限の魔力?
それとも、特別な力でも——」
「マヨネーズ」
「……はい?」
「マヨネーズ」
「……え?」
「マヨネーズで」
――沈黙。
空気が、ぴたりと止まる。
女神は、完全に固まっていた。
「……本当に、それでいいのですか?」
「ええで」
「後悔しませんか?」
「せえへん」
ほんの一瞬、視線が交わる。
「なぜ、そこまで――」
「好きやから」
あまりにも、あっさりと。
言い切った。
「……それだけや」
まっすぐ、女神を見返す。
その瞬間。
静けさが漂った。
「……じぃちゃんが言ってたんです」
「?」
「人間、いつ死ぬか分からない。だから、
好きな物は――肌身離さず持っておけ、って」
「……」
「……まあ、俺の場合、それがマヨネーズやっただけですけど」
女神は、しばらく何も言わなかった。
やがて――
「……良い言葉ですね」
小さく呟く。
その声音は、どこか柔らかかった。
「にしても、次の行き先は異世界か!」
肩をすくめて、笑う。
「どんな冒険が待ってるか楽しみやなぁ」
「……これは、旅行ではありませんよ」
「まあまあ」
軽く手を振る。
「世界の危機とやらも、なんとかするから。
期待せんと、気楽に待っといてなー」
俺は、女神に笑みを向けた。
「……ほんと、おバカな人」
小さく、息をつく気配。
「でも、そんな彼なら、きっと——」
「ん? なんか言った?」
「いえ、何でもないです」
◆
光が、満ちる。
足元の魔法陣が、強く輝く。
視界が白に染まっていく。
「……どうか、ご武運を」
「おう、任せとき——」
その言葉は、途中で途切れた。
――そして。
俺は、異世界へと落ちていった。
◆
真宵が消えた後。
真っ白な空間で、女神は一人佇んでいた。
「っ……」
胸を押さえる。
その手には、ひび割れた白いボトル。
パキッ――。
また一つ、亀裂が広がる。
「……魔神タバス」
女神は苦しそうに呟いた。
「想像以上ですね」
赤黒い光が、ボトルの奥で脈打つ。
しばらく沈黙。
やがて女神は目を閉じた。
「……やはり」
静かな声。
「彼一人では足りませんか」
パキッ。
さらにひびが広がる。
「次の候補も、探さなければ――」




