第17話「世界は魅力にあふれている」V
僕はどこかへ行きたかった。冒険が好きだった。小さいころから好奇心が旺盛で、なんでも挑戦するタイプだった。失敗することも多かったが、妹のアルファンは、そんな僕を信頼して、いつでも隣で笑っていてくれた。ひとりだったら挫けていたことも、アルファンと一緒に乗り越えてきた。
僕の名前はヴィクター・デ・ササラ。この、『デ』という中間名を持っている者たちは、国から、社会的制約を受けることになる。僕たちの家は税金が多く取られて、そのせいでササラ家は、はっきり言って貧乏だった。同じセラフィタスに勧誘されたレテアとシリカの中間名『フォン』は、ちょうどイグニクアの王様のナルヴィッツ・フォン・イグニクア様と同じ中間名。それは、彼ら『フォン』の人間が、僕たちの家と比べて、最低でも10倍、いやきっとそれよりも遥かに多い資産を持っていることを意味していた。
でも、僕は、ヴィクター・デ・ササラという名前が大好きだ。アルファン・デ・ササラも、両親も、ササラ家を愛している。ササラ家に生まれて良かったと思う。主が僕に話しかけてきて、もう一度自由に人生をやり直せると言われたら、僕はヴィクター・デ・ササラを選ぶか、他の人間を選ぶか、大いに悩むことだろう。
僕の人生はわくわくすることに満ち溢れていた。この地球は広い。2大陸でもこんなに広いのに、その何倍も広い世界が、この地球には広がっている。
僕には将来の夢がある。この2大陸の外にある、地球のほんとうの姿を見てみたい。本当に、この2大陸の外には人間がいないのか? それとも、未知の、僕たちでは到底想像もつかないような景色が広がっているのだろうか。
この夢を与えてくれたのは、僕たちをセラフィタスとメルアとの戦いに巻き込んだ、フィリアという女性だった。
僕がフィリアに出会ったのは12年前、7歳のときだった。僕は、出稼ぎに出ていた。
人はみんな、7歳で働かなきゃいけないヴィクターくんがかわいそうだ、と言った。でも僕には、何もかもが楽しかった。家の中でも、託児所でも、学校でもない場所。周りにいる大人は全員知らない人だ。大人の、知らない人。その人は、僕よりも長いあいだこの世界でいろんなことを知って、経験してきた人だ。僕はその人たちにいろんな話を聞いた。小さな子供だったので、可愛がられて、たくさんのエピソードを聞くことができた。そのどれもが、僕をわくわくさせた。
ナミス県のフェイヴァート町、ナミス肉がとてもおいしいそうだ。カロメナス海岸には人魚がいるって噂だ。エラのグォッツ県では、ホメロパとマホによる第一次大戦の決戦が行われたらしい。マウラ県のラキ山は子供が迷い込むことが多い、恐ろしい山なんだという。
僕が生きていた世界、僕の知っている世界がどれだけ狭いかという事実は、僕をただひたすらわくわくさせた。まだ知らないことの方が多いという事実は、いつまでも僕を虜にした。
イグニクア北の橋を建設するバイトだった。子供だったので力仕事は任されなかったけれど、雑用はいくらでもあったし、給料をもらうので子供とは言えどしっかりこき使われた。
休憩時間に、どこからともなくやってきた茶髪の女性が、僕に話しかけた。
「あら、きみ、こんなに若い子がどうしたの。そんなに汚れちゃって」
フィリアは僕の汚れた作業服に目をやる。話をするために、子供の目線に合わせて屈んでくれた。
今思えば、シーカーとしてか、何か仕事でイグニクア海岸を調べていたのだろう。ずっと前のことだから、そのころから彼女がシーカーだったかは分からないけれど。
「僕はアルファンのためにお金を稼がなきゃいけないんだ。ちょっとどいて」
「アルファンっていうのは妹さん? それともお姉さん?」
「妹だよ」と僕は木材を運びながら言った。
「へえ、偉いね。その年でそんなに頑張っているなんて」
「当たり前だよ。生きていくには必要なことなんだ」
「坊や、名前は? 私はフィリア・ダ・セラフィス」
「ヴィクター・デ・ササラ」
ミドルネームが『ダ』だから、『デ』の僕よりはるかに身分が上だ。『ダ』は、イグニクアでは上級国民と呼んで差しつかえない立派な名前だ。
「ヴィクターくん。今日、ちょっとだけ私と一緒に出掛けてみない?」
「え? どこに?」と、僕はちょっと怪しんだ。怖いオトナかもしれない。
「そうだな。じゃあその橋が出来たらあっちの海の方へ渡って、景色を見てみようよ」
「それだけ?」
「うん、それだけ。なんだか、君のことが好きになっちゃって」
と、フィリアはくしゃりと笑いながら言う。僕はドキッとした。大人の女の人に、好きと言われた。
「それなら……良いよ。フィリアさん、海に行こう」
「さん、って言わなくていいよ。フィリアって呼んで」
それからしばらくして橋が完成した。僕たちは渓谷を越えて、川に沿って歩いた。
大きな海が、その先には広がっていた。初めて見る海だった。
「これが……海……」
僕は駆けだしたい気持ちになった。叫びたい気持ちに。
「どう? すごいでしょ」
「この匂いは何?」
「これはしおの匂いだよ」
「塩? 料理に使うやつ? あ、待って。それ、聞いたことあるよ。海から採ってるんだ」
「まあ、ヴィクターくんは賢いのね。まだ6歳なんでしょう?」
「当然! 僕、頭いいんだよ」
「ふふ。頭いいの? ヴィクターくん」
「うん。皆、そう言うよ」
しばらく僕は海で水遊びをした。あんなに遊んだのは久々だった。学校に通いはじめたころで、、出稼ぎもやめるわけにはいかなかったから。
「ねえフィリア、あの島は何?」
僕は遠くに見える大きな島を指さした。今までの人生で見たどんなものよりも大きかった。いや、正確じゃないか。あの頃は、太陽が月がそれよりも大きいとは思っていなかったんだ。
「あれは『エラ』。知ってるわよね」
「あれがエラ? エラってこんなに近くにあるんだね!」
「そうよ。この世界にはイグニクア大陸とエラ大陸、2つの大陸があるのよ。いつかエラに旅行に行ってもいいかもね」
「楽しみ! お金をもっとためないとだね」
「そうだね」と言うのを、彼女は少しためらった。
日が沈んでいく。最初に見た海が、夕焼けに照らされた絶景だった。主は、僕に、わくわくのカタマリを与えた。あんなにきれいな夕焼けは珍しい。いつまで経ってもあの光景を忘れることはないだろう。
「もう夕方だ。そろそろ帰らないと。じゃ、またね。ヴィクターくんに、主の……うん、主のご加護がありますように。小さい子をこんな時間まで連れまわして、大人として、だめなんだけど。でもとても楽しかったわ」
それに返事をするまえに、僕は、「わあ」と息をのむ。
夕焼けが、海に沈んでゆく。オレンジ色に染まる世界。さっきまで青かった海。地球という命が脈打つかのように荒々しく音を立てていた波が、本当に血脈であるかのように感じられた。
僕は圧倒された。地球は生きていると思った。その生命の息吹がもっとも溢れだす場所が、きっとあの場所だった。僕はその、ほとばしる命の奔流を全身いっぱいに浴び、何故か、泣きそうになった。
世界はこんなにも綺麗なんだ……!
それから僕の夢は決まった。
『地球の全てを知る』こと。
地球上にはイグニクアとエラしか本当に存在しないのか? もっと、わくわくする何かがあるんじゃないか? まだ誰も知らない、何かが。
世界中を回って確かめたい。この世界はどうなっているのか。この綺麗な世界は、いったいどこまで続いているのか。
主が、この世界を作った。本当に、この世界は、こんなにもちっぽけなものなのか。2つの大陸だけが、世界のぜんぶなのか。
この世界の真実。それを見つける旅に出る。
僕はそう決めた。
ありきたりな言い方だけど、小さな僕にとってもっとも大きな夢だった。
シリカはあれから、しばらく休んでいた。僕もアルファンも、知り合いらしいレテアも、彼女に声をかけることはできなかった。
事態はすべて、あのシリカという子を傷つけるために動いているように見えた。彼女の相棒だったノヴァという男が裏切って、そして、いま、彼女がグレイとウィルという2人の男を父親だと思い込んでいるということが発覚した。エレアナが言うには、精神や思考を操作する魔法が作用しているかもしれない、とか。
大怪我を負ったソテルとフィリアが目を覚ますことはなかった。
セラフィタスというのは、すぐには受け入れるのは難しかった。だが、僕は世界が滅ぶとか、たくさんの人が死ぬとか、そういうのは嫌だった。
フィリアが僕を信頼したのなら、僕にはできる可能性があった。僕はフィリアを信頼している。なぜかは知らないが、世界じゅうの100万人以上の人間から、フィリアは僕とアルファンを選んだ。僕はフィリアのその選択を信じている。やらない理由は、親が心配するからというのと、アルファンを危険な目に遭わせたくないというのしかなかった。危険性は、昨日の城での戦いで良く分かった。あのとき、僕は大して動けなかった。アルファンよりも。
ナルヴィッツ王がセラフィタスについての説明を終えて、エレアナが一人で調査に出かけてから、長い時間が経った。医者が来て、寝ている2人の様子を見て、経過は良いから私達にできるのは待つことだけだと言ってから、数十分のあいだ、ほとんど誰も言葉を発さなかった。僕もアルファンも、シリカが心配だった。まだ会ってから1日しか経ってもいないのに、僕はシリカの気持ちに共鳴していた。
「あの」と、突然シリカが言って、びっくりした。「私は、おうちに、戻ります。グレイお父様と、ウィルお父様のこと、知りたいから」
僕は立ち上がった。「待っていた。……こちらから、そう言うのは、憚られたのでな。アルファン、おまえも、僕と同じことを考えているだろう?」
「ええ。お兄様。ねえ、シリカさま。私たちも、一緒にエラに行かせてください。シリカさん、ひとりでは、寂しいでしょう?」
シリカはずいぶん驚いていた。「え。でも……悪いよ。あなたたちだって、親御さんのところに、おはなししにいかなきゃいけないよね」
「それはそうだが、僕とアルファンは、シリカを置いて行くほど薄情じゃない。いや、むしろ、ぜひ、一緒に行きたいと思っているよ」
アルファンも鼻息を荒くして頷いた。シリカはやや悩んで、「じゃあ、お願いしようかな。冒険家さんなら、道に迷わないですみそうだし」
「ああ、それがいい! そうだね、僕とアルファンが、シリカ、きみを、安全に家まで送り届けよう。そのあいだ、たくさんお話をしよう。こうして出会えたのも主のお導きだし、きっと僕たちはこれから、たくさん、話すことになるだろうからね」
「そうしましょう、シリカさん。私も、お兄様も、まだ会ったばかりですが、シリカさんの味方でいたいと思っていますのよ」
シリカは、ありがとう、と言って頭を下げた。深々と、丁寧に。
「そんなに、畏まらないでくれ」と僕は言った。「僕たちは、ともだちだ」
「……ともだち?」
「ああ。ともだちだ」
シリカは、ふふ、と笑った。僕たちは、フィリアとソテルの面倒をみるレテアに別れを告げて、東の大陸、エラに向かうのだった。
TOPIC……ヴィクター
名前:ヴィクター・デ・ササラ
年齢:18歳
誕生日:22222222203年6月4日
職業:冒険家
出身:イグニクア北マユ県
魔法:なし
大事なもの:家族全員、特に妹、自分の名前、心の中のわくわく感、眼鏡、いつも着ている白衣(しかし、冒険には向かない。)




