第13話「臥薪嘗胆」E
「ああ、主よ」
私はいま、イグニクア中央聖堂で祈りを捧げていた。周りには数百名にものぼる信徒がいた。ここはイグニクアで2番目に大きな聖堂だ。
告解室で、主にすべてを打ち明けてしまうのはどうだろう。
メルアが、私の子を殺しました。新たに結成するはずだったセラフィタスは、メルアの襲撃により初日から滅茶苦茶になってしまったのです。どうか、主よ、我々にご加護を与え給え。
昨日ナミダとの追いかけっこに遭い、今日は私の他のセラフィタス5人との顔合わせがあった。ソテルという、おそらくエオと共に死んだ2人の人間の子。レテアとシリカという、エラ四貴族の2人の少女。冒険家とその助手だという、ヴィクターとアルファンの兄妹。
そこにM4ナミダとM5ノヴァが襲撃してきた。ナミダはイグニクア官僚の長生き族で、我が宿敵の相手である。ノヴァはシリカの相棒だったらしい。フィリアの前のシーカーであり、今はエラ軍の兵士として、軍務長である私の弟エルセスのもとで働いていたようだ。
昨日のナミダの襲撃の目的通り、私は魔法を万全に発揮できなかった。ナミダはともかく、ノヴァは魔法を持たないのだから、私にとっては造作もない相手のはずだった。2人があのような目に遭うこともなかった。これでは敵方の思うつぼだ。慙愧の念にたえない。
フィリアとソテルが出血多量の怪我をい、万事休すというところに、ノヴァとナミダが何やら合図をしあって、M2から戦闘停止命令が出たなどと抜かした。いや、抜かしてくれた。くださったのだ。主は私に微笑んのだ。そのお礼を、私は言いに来た。
主よ。感謝いたします。私はまだ生きながらえている。私は復讐を果たすまで、死ぬことは無いだろう。たとえ肉体が消えようと、私の魂がそれを許さない。
それにしても、M2の狙いは何だろう。あの戦闘を見ていたということだろうか。メルアの中で何かの連絡手段がある可能性については、いくら考えてもキリがない。
「だがしかし、」と私は声に出してしまった。そんな奴がいるか。周りの信徒が不思議そうに私の顔をチラ見する。見世物ではない。
ああ、だがしかし、M2の目的や性格を、ここから推理することは可能ではないだろうか。推理というのは時々くだらない。人々は、いや、推理小説に浮かされたような男たちは、大した根拠もないのに、細部にこだわったもっともらい仮説を立てることを推理と呼んでいるからだ。くだらない推理は予想に過ぎず、そう、今から私が行うのは推理ではなく予想だった。
気が散る。この世には聖堂に来ると落ち着くだとか主の安心感を感じ取れるとか言うやつばかりだが、こんなにきらきらした内装の豪華な世界に入り込んで興奮せぬ女児は存在しないだろうし、何百人もの人がワラワラとあたりを取り囲んでいるような環境で一息つける人間も存在しないだろう。だというのに、聖堂や教会を心のよりどころとし、休日や余暇を用いて休みに来る人間が存在することは、どうやら私が人間の性質に関して考えていたことはただの予想に過ぎないことであり、実際の人間は違う、他人は他人なのだということを私に突きつけてくる、たいへん学びの深い事実なのであった。
なんの話だったか。
そう。M2はどうやら、あの時点で戦闘を止めたかったらしい。M1やM2と言ったメルアの上位陣が、あのまま戦闘が続き、死人が出るような惨状になるのを恐れたのだろうか。であれば、それはメルアが我々セラフィタス(の卵)か、その中の誰かを利用しようとでもしているのだろうか。それとも、私には想像できない、いや、予想もつかないようなのっぴきならぬ事情が発生し、やむを得ず戦闘停止を呼びかけたのだろうか。ちなみに、のっぴきならないというのは、退き引きならないという、退くのも引くのもならんというのが語源らしい。
その後、私は子供たちを医務室に残し、やや南下してここイグニクア中央聖堂までやってきた。近くにある香時計によれば時刻は22時すぎ。イグニクア城でナミダ・ム・ミレーとの戦いがあってから、数時間。身体や心はやや疲れ、すぐに休むこともできたが、私はそれよりも先に、主のもとで心の整理をするのがよいと考えた。
おや。あちらに、ディオネ大司教がいるな。今日はシェルネ大聖堂ではなく、こちらにいらしているのか。
身廊を横切って、私は説教をするディオネ大司教の周りに行ってみた。説教壇を中心に人だかりができている。この大司教は、この世界で影響力のある有名な6人のうちの1人だ。700年ほど前から生きているらしい。
ディオネは慈母のような微笑みをたたえ、前よりも黒い髪が長くなって肩の下まで伸びていた。司祭服に身を包んだ彼女は、本当に主が遣わした天使であるかのように錯覚を起こさせる。彼女のカリスマ性は、あの美貌もその一端を担っているだろう。
ディオネとは知り合いではあるが、彼女と話をしたい気分でもない。主に、心の中で祈りを捧げよう。
それにしても、700年以上を長生きするとは何事か。いったい、何にそんなに執着しているのか。長く生きようと思うほど、このこぎたない世界に興味があるのか。ナミダにしても、ディオネにしても。
私は、エオの復讐を果たせさえすればそれでよい。そういう単純な生き方をするのではいけないのだろうか。いったい何が長生き族を長生きに駆り立てる。こんな世界に意味があるとでもいうのか。ああ、これはさっきも言ったことだな。
……ミ宿の地下に駆けて行ったエオを待っていたのは、激しい爆発音だった。
そこには恐らく、3人の人間がいた。パテルと言う男、マテルと言う女、そして未だその正体を見せぬメルアの人間だ。
パテルとマテルは、セラフィタスだったのではないか。何のわけあってか、ただのリゾート宿泊施設であるミ宿の地下がバトルの舞台となり、メルアに敗北し命を落とす。不運にもその現場に遭遇してしまったのがエオで、巻き込まれてか、口封じのためか、不憫なエオは、ああ、憎きメルアによって、その命を奪われることになる。そして永久に目を覚ますことはなく、今もとある森の奥にある墓の下、地面の中に埋まりながら泣いているのだ。
自分が腹を痛めて産んだ子が、亡き夫が私に託した愛おしいたった一人の子が、どこの誰かも分からないやつに殺されて、すべての可能性を失い、すべての過去も未来もなくなって、体温が失われ、身体を焼かれて骨になって地面に埋められる。
私が地下空間の暗さに慣れ、エオの身体を腕に抱えたときにはもう、彼は瀕死の状態だった。
「エオ! ……エオっ!」
「ママ。……まま」
「エオ。どこが痛い? どこだ」
「ママ。……生きて」
私は魔法を使って、エオの身体の傷を塞ごうとした。だが彼は逝った。最期の言葉は、ママ、生きてという、5歳の子供が言うべきでない、言うはずのない、言ってはならない、重い一言だった。私が彼に最後にかけてやれた言葉は痛いのはどこだというもので、愛しているという言った時には既に彼は死んでいた。死ぬとはそういうことだ。愛する者が突然、眼前で死ぬとはそういうことなのだ。まだエオとしていないことの方が多かった。私はエオが地下があるよ、と言った後何を言ったのか聞き取れなかった。死ぬ前の会話は曖昧で、これからも私を元気づけてくれるはずの最後の記憶は、地下空間からくぐもって聞こえてくるエオの、なんと言ったかはハッキリしない、これからも一生分かることのない、そんな不確かなものだった。
私は殺人鬼への復讐を誓った。兵士である弟にこのことを話すと、メルアという名前が出てきた。それはなんだと詰問しても、彼は詳細を答えなかった。
私は殺し屋を始めた。稼ぎが目的ではなかったし、実際大した報酬は貰っていなかった。まとまった報酬を受け取った場合はエオの墓の手入れや、児童のための寄付に使用した。私には生きる意味が復讐しか存在しないのであって、金があったところで人生が豊かになることはないのだから。私は相手のことをよく調べ、国家の屑であると思ったヤツだけを殺した。とはいえ私は血にまみれた殺人鬼であり、エオを殺した憎き何者かと同じ次元の存在だ。だからこそ、私はセラフィタスとメルアに命を賭けていた。例え子供だろうと、仲間になるだろうセラフィタスの卵の全員を守り抜くべきだった。フィリアとソテルがあれほど傷つく結果になったことは、私の復讐への道を不確かなものにする懸念となってゆく。私は失敗できない。エオのために、失敗はできない。失敗はすなわち、私の人生全体の失敗、そして無価値を意味していた。エオの無念は、そしてその無念が無念のまま終わってしまう未来は、何よりも恐ろしかった。ヘンリーもエオもいない家の中で眠りにつくと、最後までついぞ願いが叶わず、地獄の底でエオに責められるという夢が、これまでに幾度となく私を苛んだ。
殺しの仕事をしている中で、様々なことを知った。エラ王のラスターと顔見知りになったり、イグニクア王国シーカーであるフィリアと通じて共にメルアを追う協力者になったり、そして何より、ナミダという女性と出くわした。彼女はメルアだったが、エオを殺したやつではなかった。ナミダも、かなり似た状況で夫と子を失った同族だった。だからこそ私とナミダは互いに惹かれ合い、互いを嫌悪し、最大の宿敵同士となったのだ。
「主よ」
私は祈った。
私の願いが成就するその時まで、加護を賜りますように。
その願いが叶うのならば、私はなんだってします。主よ。私は、忠実なる主のしもべ。
……祈祷を済ませると、私は安い宿を取った。聖堂の近くは大都会であり、旅行者用の安い宿はいくらでもあって、23時をまわってからであっても部屋を取ることができるのだ。
今頃子供たちは、眠っているだろうか。ソテルやフィリアの傷は、どうだろうか。
ソテル。ソテルも、きっと私と同じに違いなかった。父と母を殺した者が、憎いに違いない。明日、ソテルの状態が悪くなかったら、私は彼と話すべきだった。
明日以降、フィリア(目を覚ましたら)やイグニクア王ナルヴィッツが子供たちにセラフィタスとメルアの説明をし、すべての幕があがるはずだ。
宿の部屋の窓は、ちょうど月がよく見える角度になっていた。たいへん結構だ。
この景色を、エオと見たかった。
とにかく今日は休もう。明日もその次も、私の肉体や魔法はセラフィタスの要になるはずだ。そのために、エオのために、私は死ぬわけにもいかないし、こんな疲労を蓄積している場合ではないのだった。
布団の中で目を閉じると、まぶたの裏にエオの顔が写っているように見える。その姿は5歳の頃から成長しておらず、具体的に何をしているのか、私に何を言っているのか、そのようなことは一切分からないままだった。
眠ってしまおう。この疲労に、すべてを委ねてしまおう。
今日この日、すべてが始まった。私とエオの願いが叶うまで、私は止まらない。そう誓って、私は眠りについた。
TOPIC……正教会の基本知識(子供向け)
・イグニクア正教会はイグニクアの主を、エラ正教会はエラの主を敬う。
・主の名前は、みだりに呼んではならない。
・2人の主は想像と創造の魔法を持ち、それぞれの大陸を創造し、子を産みだした。
・主は長命で博学だった。聖書の多くは、主らが知識や経験、あるいは単なる日記や旅行記を記したものである。
・主は人間であったが、死後も魂は現世に留まり、私達人類が道を間違えることがないように見守っている。
・「聖堂」と「教会」は異なる。聖書に書かれた地名をもとに、聖堂が建てられた。聖堂はイグニクアに8か所、エラに9か所ある。
いっぽう教会とは、聖堂と異なり、後世の人々が主に祈りを捧げることなどを目的に建てた場所であり、22222222222.2.8現在、2大陸に合計124か所存在している。
また、国に首都があるように、聖堂と教会を司る「大聖堂」が2つ存在し、イグニクアにはシェルネ大聖堂、エラにはエリツィリア大聖堂が置かれている。




