第11話「無可有郷」E
エオ。
如何なる時も、私の胸の内にはエオがいる。それだけが私の原動力だ。
私はヘンリーと結婚し、エオを産んだ。ヘンリーは病死し、エオはメルアに殺された。
そして今日。ナミダとノヴァが、私の前に姿を現した。ついに、メルアとの正面衝突の機会に恵まれた。
主よ。これは、主の導きだろうか。主は、私の宿望を、認められるのだろうか。
理想の世界とは、苦しみのない世界だ。理想とは、得られない何かであり、得られ得ない何かだ。
現実には苦しみがあり、生きていれば苦しみがある。それを恐れた人類は苦しみの世界としての現実を反転させた、理想郷の存在を夢想した。それは非現実であり、生の無い世界なのではないだろうか。楽園は『存在しない場所』なのだ。
それを求めようとすることは道に反するものであって、得られぬ物を得ようと泣く赤子のような行為であって、しかも意味はない。私はヘンリーもエオも存在しないこの非理想的世界で、死ぬまで生き続けるしかないのだ。それを知った上で、私は……。
「すまないな、ネオン」と言うと、ネオンは「いえ、エレアナ」と私の名を言い、優しく微笑んだ。「あとでエルセスに言っておくからね」
回復魔法使いネオンの力で、フィリアとソテルの2人の傷を癒えてゆく。ネオンは仕事を終えるとエラに帰って行った。
我々セラフィタス(の卵)は、メルアによる奇襲を受けた。あれから半日くらいが経って、夜20時。官僚サマがたはまだまだ仕事をしているようだが、我々は、これからの仕事の話をせねばならないのだ。
フィリアの集めた子供達は、勇敢な者はいたものの、実戦で活躍できるレベルに達していると言える者はいなかった。子供が死んだら寝覚めが悪いと思い、やれるだけのことをやったつもりだったが、結局ナミダの思った通りの結果になってしまった。
ソテルが目を覚ます。レテア・フォン・プロアミルが、ソテルと名を呼び、大丈夫? と彼の顔を覗き込む。この2人はまだ15歳と言っていた。フィリアも、ずいぶんな者どもを集めたと思う。
「レテア……」と呟いたソテルは、辺りを見渡し、概ね状況を理解したようで、ため息をついて身体を起こした。
ソテルのほうはすぐに目を覚ましたが、傷が深かったフィリアはそうではなさそうだ。彼女から欲しかった情報は山ほどあるのだが、仕方ない。命あってだ。
「大丈夫か、レテア」
状況を思い出すと自分の心配よりもレテアという相手のことを気に掛けるソテルを見て、私は自分のエオに対する愛を思い起こした。自分の身がどうなってもいいほど息子を救いたい……そう思っていたはずなのに、私はあのとき何もできなかった。
だからソテル。
「……」
口を開きかけて、しかしつぐむ。私はこんな少年に気軽に声をかけてやれるような身分じゃない。
ソテル。あの男……エオが死んだときに同じ現場に居合わせたあの男の子だろう。
愛おしい我が息子、エオがメルアの何者かによって殺された時、その場には6人の人間がいた。メルアのだれか。私。エオ。ソテル。ソテルの両親。
そして、エオとソテルの両親が死亡した。
あのあとどうなったか、まったくわからないでいた。こんなタイミングで出会えるとはな。主の導きだろうか。
だが今その話をするだけの体力も気力もないし、ソテルの方も、今はまだ目覚めたばかり。この話をするのは、すべてを説明してからの方がいいだろう。
魔法力が欠乏する時は精神も身体も猛烈に削られる。今エオのことを考えたままでは、自分は何を言い出すかわからない。ソテルと言う男が見つかっただけでも大きな進歩だとするしかない。
眼鏡をかけたヴィクターという冒険家の青年と、その妹のアルファンという2人は、さっきの戦いで目立った傷を負いはしなかったが、動揺や不安は明らかに見て取れる。
いや、それよりも気にかかるのはシリカだ。あいつの相棒だったらしいノヴァという男がM5、メルアの有力者だったことを突きつけられ、今は放心して目の焦点が合っていない。心理的に効く魔法も今のところない。あっても困るが。
ここはイグニクア城の隣にあるナントカという庁舎の医務室だ。医療用具もあるが、何よりも回復魔法使いがいたことが大きい。ネオンは本来エラ城に勤める者だが、たまたまこちらに出向いていたらしい。
「皆……状況を教えてくれるか」
城の方からナルヴィッツ王がのこのこやってきた。そんな平気そうな顔をしていられる身分でよかったな。
王様とまともに話のできそうな奴は私とフィリアくらいしかいないが、フィリアは目を覚まさない。
「ナミダとノヴァのことはご存じだろう。あの二人がメルアだ。で、セラフィタスの話はどうなる」
「なんと……」
なんと、ではない。なぜ数十年そばに置いておいて気付かないのだ。ナミダはイグニクア官僚だったし、ノヴァはフィリアの前の代のシーカーを務めていたはずだ。そいつらが2人してメルアだった。
そのことを見抜けなかったのは何より王とフィリアの失態によるのだが、どうも怪しい。ナルヴィッツ王は耄碌する前は名君であったし、フィリアも内通者を見抜けないような間抜けではないはずだ。これは、どう考えるべきだろうか。
「セラフィタスという職について、エレアナはほとんど分かっているようだが、ここにいる5名……に向けて、説明せねばなるまいな」
王は5名と言った後、何かを飲み込んだ。王はノヴァを信頼していたはずだ。そのノヴァが実はスパイだったという事実に、王自身も出鼻をくじかれたと言ったところなのだろう。ああ、情けない。私も、王も、何もかもが。
「ああ、情けない」
間違って口に出した。そんな奴がいるか。注目が集まる。咳ばらいをして誤魔化した。いや、誤魔化せてはいないのだが、咳ばらいをするということは、私は今自分の発言を誤魔化そうとしたのだ、だから私のことを見てくれるな、今の発言は忘れてくれ、という意思表示であって、そういう約束事の通じているこの現代コミュニケーションの提携の中で、彼ら子供達も、王も、私の一言には何も追及してこなかった。ああ、なんたる羞恥か。
「あの」と、ソテルが手をあげる。彼は入院患者のような服に着替えさせられており、あの戦いから半日のあいだ、レテアが心配そうに隣でずっと見守っていた。「今日は、休ませてくれませんか。俺もそうですが、見てくださいよ、王様、みんなの顔を。……あの戦いから、今まで、休めていないんでしょう。何もかも……明日からに、しませんか」
ほう。やはりフィリアは、生半可な人間を集めたわけではないか。そのためのシーカーであるのだしな。
この状況でナルヴィッツ王に物申せる人間がいるとはな。それもまだ成人に達していない乳臭い男が。
「……分かった。明日の朝、9時に、ここに来よう。そこで、フィリアと共にすべてを話す」
ナルヴィッツ王は退出し、沈黙が訪れた。窓からの月光が子供たちを照らし出す。
「とはいえ、何の説明も無しにお開きにもできないな」と、私は言った。「おそらく、ナルヴィッツ王とフィリアは、私とおまえら子供達を、『セラフィタス』という官職に勧誘しようとしていたのだろう。これは、あのナミダとノヴァの属する犯罪組織に対抗するための少数精鋭の組織だ。おまえらは恐らく、明日の朝9時に、セラフィタスに加入するかの決断を迫られる。セラフィタスとしてやっていくことに決定するのならば、今日の昼間に経験したあのような恐ろしい戦いが日常となるだろう。それでも自らの理想の世界のために戦うと言うのなら、きっと、私と共に戦うことになるだろう」
子供たちはそれぞれの相棒と顔を見合わせる。いや、シリカの相棒は裏切って消えてしまった。彼女は心細そうで、知り合いらしいレテアの方に近付いて、こそこそ何かを話し出す。そうか、彼女らは同じ地位にある四貴族の2人だったな。
こいつらは全員、私のところにも届いたあのフィリアからの招待状を受け取って、それぞれの相棒と共にこのイグニクア城までやってきたのだろう。一体、どんな用だと想像していたのだろうな。私はセラフィタスに関する話だと確信していたが。まさかソテルも、こんなけがを負う羽目になるとは露も思わなかっただろう。
「えっと……」と、最初に口を開いたのはヴィクターという冒険家だった。「僕たちは、その、メルアに対抗する兵士となる、ということか?」
「兵士。兵士か。まあそう思っても構わないだろう。メルアの目的は人類の滅亡だから、警察や国家機密組織と言った方が近いだろうが、兵士と思っても構わんだろう」
「人類の……滅亡だって……!?」
荒唐無稽な話だが、先ほどの戦いを経験した今となっては、頭ごなしに否定できるものでもあるまいな。シリカは医務室のベッドにとぼとぼ歩いて行き、ぱたんと座って静かに言った。
「ちょっと、あの、……私は、もう、何が何だかわからなくて。今日は、ここで休んでもいいんだよね?」
「ああ。ソテルとフィリアがここから動けないだろうし、例え今その権利がなかろうと、フィリアが後から許可をくれるだろう。シリカ、おまえは眠ると良い。ここは休憩のための場所としようか。私は少し外に出る」
これ以上は子供達全員への負担になるだろう。私は、メンタルケアが得意なほうではない。どうすればいいか分からない。してやれるのは休憩のための場所を確保し、彼らが眠り休む場を整えることだと判断した。何より、自分がいちはやく、あの場を離れたかった。子供は苦手なのだ。子供達には説明も必要だが、休息も必要だ。フィリアが寝ている以上、説明はでき得ない。
城前広場に出て大通りを歩く。ナミダたちに破壊されたイグニクア城3階4階の惨状は、下からは簡単には見えない。しかし城前広場の端から見ようとすれば異変に気付く者も現れそうなくらいで、立ち入り禁止の看板が出て守衛も立たされていた。きっと今も、城内はてんやわんやだろう。ああ、同情するな。夜20時を過ぎているというのに、まだ中では多くの者が労働に明け暮れているのだ。
雲ひとつない夜。月は5イン硬貨並みのやや大きめな状態に見え、ほとんど欠けていない。この月光にも、地球の裏側の日光にも照らされ得ぬ、世界の闇の中で蠢くメルアという陰謀のことを何も知らぬ大衆は、屋台や土産店で買い食いだか何だかで賑わっている。カップルが多かった。城前メインストリートが観光地と化すのは気にくわないが、それらに税をかける中央政府がそれで回るようになるのなら、文句は言えまいというのもまた事実。この世界は、きれいごとでは成り立たん。きれいごとで成り立つのが理想の世界であって、どこにもない理想郷、無可有郷なのだから。
思えば……このまま行けば、セラフィタスは6名か。ソテル、レテア、ヴィクター、アルファン、シリカに私。何と女性の方が多いとは。とんでもない代になりそうだ。
ああ、それにしても、昨日から魔法を使いすぎた。頭が回らんな……。
TOPIC……イン
イグニクアとエラの通貨はインと言う。
1、5、10、20、50、100インの硬貨、500、1000、2000、5000、10000インの紙幣がある。
パン1つは100イン、本1冊は500イン、一般的な服一着は5000イン程度。
年収の平均値は620万イン、中央値は600万イン程度。




