第6話「シーカー・フィリア/妹たち」N/T
今日はイグニクアに用があった。港から定期便に乗り西へ向かう。
シリカのことを考える。ソテルのことを、そして自分のことを考える。
波風にマフラーが揺れる。
俺の名前はノヴァ・カラミティア。
この世界にはイグニクアとエラの2国しかない。2つの島しかない。
だが、人間の種類はイグニクア人とエラ人という単なる二元論では語れない。なぜか。俺は常に考える。
俺は魔法を持たない。例えばシリカは予知魔法。レテアは炎魔法。俺は何もない。俺を定義する言葉は、魔法ではない。
波が夜の明かりに照らされて、ぎらぎらと船を押しだした。
イグニクア城には、顔パスで入ることができた。イグニクアの官僚として稼いでいたのは一昔前のことなのに、まだ顔を覚えられているとは。いや、マフラーをした背の高い男など、覚えるか。
時間は深夜2時。ナルヴィッツ王もその召使いたちも眠りにつき、残業をしたがる官僚の集まる部屋だけがまだ灯りをつけている。3階のある部屋を開けると、「待ってたわ」と女性が俺を出迎えた。
「久しぶりになるか。フィリア」
俺は相手の名を呼んだ。初代シーカー、そしてスパイとしてM2になったと記録の残るアデルと同じ姓を持つ、フィリア・ダ・セラフィス。数年前俺がシーカーを少しだけ担った後、フィリアが後を継いだ。
「飲み物、何がいい? ノヴァ」
「ああ。喉が渇いた。そうだな……」
シーカーには伝統的にセラフィタス家の人間が就く者だったが、俺の前のシーカーで最近老衰で亡くなったヴェンデル・ダ・セラフィスから認められ、例外的に俺はシーカーになった。その後、ヴェンデルの子のイトスにフィリアが嫁いだ。イトスは激務や政界内の争いに嫌気がさし失踪。今では、フィリアはイグニクア中央政府にとってなくてはならない存在になっていた。
「緑茶が良い」
「言うと思った」
待ってましたとフィリアは湯飲みを用意し、いつもの机に置いてくれた。この椅子に座るのも久しぶりだ。
「久しぶりに会えて良かったわ、ノヴァ。まさか、エラに行っちゃうなんて」
「すまないな。仕事を押し付けたかのようになってしまった」
現在のイグニクア王であるナルヴィッツ王は、既に老いた。しかし後継ぎがおらず、今、王がするべき政務の多くを、フィリアは負担しているのだ。俺がイグニクアで働いていたころはその手伝いをしていたのだが……。
「それで? エラを自分の目で見て、どう思った?」
「そうだな……世界は、くだらん停滞に陥っている」
「ほう。と言うと?」
フィリアの相貌は、無害そう、というのが良いだろうか。優しさと厳しさの中間にある何とも言えない独特の表情をたたえ、茶髪を肩のあたりまで伸ばしている。40歳を超えているのだが、30代前半の溌剌とした女性に見えた。仕事をすることで若くなるタイプの、訳の分からないほうの人種だった。
「エラにはイグニクアの何倍もマホ信仰、ヴィルテリア信仰が蔓延っている。ヴィルテリアの支配がある限り、新たな世は訪れん」
「まあ、そうでしょうね。でも、現実問題、ヴィルテリアに寄りかかっていないと、都市機能どころか、世界全体の経済と生活が回らない。それはノヴァ、あなたも分かっているでしょう?」
「ああ。……フィリア。おまえは、どのような世を実現したいと思っているだろうか。ナルヴィッツ王の代理人として、イグニクアを動かす力を、おまえは持っている」
「そうね……」
フィリアは考え込むふうに頬杖をついたが、たぶんすぐに脳内に、彼女の考えは浮かんだのだろうと思う。
この部屋はフィリアに個人的に与えられた部屋で、質素なものだった。イグニクア城は華美な装飾が多いので、少し異質に感じる。もはや生活感が感じられ、この場所だけは一般的な民家を切り取ったかのようだった。
「メルアのいないの世界。そうでしょ? ノヴァ」
俺は何も言わず、頷いた。
俺とフィリアは、時間をかけて世界じゅうから適性のある人間を探し出した。前世代のセラフィタスは、ソテルの両親が死亡したことできっかけもなく解体された。思春期のカップルが、自然と離れていくように。
今日の日付は、西暦22222222221年、12月20日。
来月には、新たなセラフィタスを結成せねばならない。メルアの動きは、活発になっていた。
今日のフィリアとの密談は、その最終確認だった。
「やはり」と、俺は覚悟を決める。「シリカは必須だ。セラフィタスに欠かせない」
部屋が暗くなる。フィリアは立ち上がる。
「……いいのね? ノヴァ。私もそう思うけど……」
「ああ。構わない。俺の感情ひとつで、世界の運命に干渉するわけにはいかないだろう」
蝋燭の蝋を新しいものに取り換えながらフィリアは、まあ、そりゃあね、と呟いた。
12月20日。今日は、魔法局でのお仕事はおやすみだ。
「おはよう。シルねえ、あのさぁ」
エリカが私を呼んだ。家族はシリカという私の名前をシルと呼ぶ。同じようにエリカはエル、メリオンはメル。これは、お父様が、セリカお母様のことをセルと呼んでいたことに影響されている。
「おはよ。なあに、エル」
「最近、疲れてない?」
「なあに、突然。だいじょうぶだよ。心配してくれてありがとう」
このヴィルテリア資本主義の世界において、魔法局員は激務に追われ、週5日や週6日の出勤はざらにある。週3.5日から4日が一般的な出勤日数だが、それらを管理する資本決定委員の一員である私が適正に機能することは、世界全体のインフラから生活の隅々までを成り立たせること、維持することそのものを意味する。
「魔法局でお仕事するからには、がんばらないと、なんだよ、エル」
「でも……それだと、グレイお父様とかウィルお父様みたいに仕事人間になっちゃうよ。たまには、おやすみ、してね」
「ありがとう。エルはいい子ね」
エリカの頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめる。妹たちは、お父様が『仕事人間』になってしまったことを、寂しく思っているのだろう。
だが、四貴族の地位を維持するのも甘くない。セリカお母様は亡くなり、私も成人したとはいえまだ16歳。お父様は私たち5人きょうだいを、たった1人で養い、それでいて『リリアント家の家督』でいなければならない。それを抜きにしても、グレイお父様は魔法局の副局長、ウィルお父様はエラ中央政府の高官という、世界じゅうの中でもトップ級に忙しい職に就いている。
どちらのお父様からも、父親として私達を愛してくれていて、私達のために働いてくれているという愛情を、深く深く感じる。
それでも、子供たちには寂しいのだ。だから、私が仕事ばかりになるのを心配している。なんて可愛いんだろう。
「だいじょうぶだよ。別に、どこにも行ったりしないからね」
お母様が亡くなったことの心の傷も、まだ癒えきっていないのだろう。やっぱり私、この家族の中で上手に立ち回らないといけないのかも。がんばるぞ。
というか、私には分かる。エリカは私の2個下の14歳だけど、たぶんもっと下の子たちのそういう寂しさを感知して、私にこうやって言ってきてくれたのだろう。エリカはそういう子だから。
「いい子だね」
「……」
エリカは何も言わないで、ただ私をぎゅうっとしていた。それでいいのよ、エル。
「じゃ、ちょっと出かけてくるね。エル」
「うん。行ってらっしゃい、シルねえ」
行ってきます、と言って、私はリリアント邸を出た。お出かけをするのは昨日から決めていたけれど、今のエルとのやり取りで、より心には複雑な思いがよぎるのだった。
貴族地からエラ城、そしてその城のすぐ隣にある魔法局までは徒歩数分。中央都市の大都会の中、四貴族は立派な邸宅を持つことを許されたし、そうあるべきってことになっていた。
エラ城は4階建てだけれど、隣の魔法局が50階まであるので大きさでは負けている。しかし魔法局が何の意匠も凝らされていない直方体のようなビルであるのに対し、エラ城の方は芸術家でもあり建築家でもあるナントカという人が考えた見事なもので、城そのものが芸術作品に見えるほどだ。
黒と紺を基調とする、物語に出てくる秘密結社の本部みたいなこのお城。私は貴族服を着ていたし、リリアント家の長女ということもあり顔が知れていて、顔パスで入ることができた。
城には詳しくない。覚えている道順を辿って、2階のある部屋に辿り着く。
「あれ、シル。どうしたの」
「ウィルお父様。少し、相談があるの」
お父様ウィル・フォン・リリアントはエラ中央政府の官僚で、しかもお城で仕事をする超エリートだ。魔法局にカンヅメのグレイお父様と同じでふだんはこの部屋にいて、家に帰ってくることはほとんどない。
ウィルお父様は年齢よりも若く見える。肌がきれいだからだと思う。身長は普通くらいで、髪色も黒。顔にはまだ幼さがあって、四貴族としては威厳に欠けるんだよな、とよく自分で言っている。
私は、ウィルお父様に今の悩みを話した。セリカお母様が亡くなってからの家族のこと。ウィルお父様もグレイお父様も『仕事人間』になってしまって、子供たちが寂しがっていること。そして、ウィルお父様もグレイお父様も登場する、いろんな人が混とんとなって殺し合う恐ろしい予知を見たこと。
「シリカ。シリカは、家族のことを、よく考えているんだね」
お父様はこの部屋で一人で仕事をしているから、いつでも来ていいよと言ってくれている。来るたびに優しい言葉をかけてくれて、なんだか元気を分けてくれて……私は、この部屋のことが好きだった。
「ありがとうな」
「ううん。悩んでばっかりなんだ」
「話してくれてありがとう」と言って、ウィルお父様は、私の悩みに真剣に向き合ってくれた。役職が高く、自分で休憩の時間を決められる彼は、私のために少しだけ、時間を取ってくれたのだ。
こうやって悩みを打ち明け、難しいことは家族みんなで乗り越えるというのは、セリカお母様が遺してくれた私への強いメッセージだった。セリカお母様自身がお父様やもっと幼かった私達とたくさん相談して、心の中を打ち明けてくれて、そうして私達はここまで成長してきたのだ。
「僕も、父親として家にいられる時間が少ないこと、寂しく思っているよ」
「うん」
「イルやマルは、寂しがるだろうね。メルやエルはもう大人に近づいてきたけれど、セリカがいなくなってしまったことは、やっぱり大きい」
「うん。そうなのよ」
「そして、何より、シリカ。シリカだって、僕たちの子供のひとりだ。セリカの代わりになろうとなんて、思わないでいい。そんなのは、本当に子供を持ってからでいい。シルは、シルのままでいるのがいい」
ウィルお父様は、よく私の気持ちに寄り添ってくれる人だった。ちょっと不器用なグレイお父様とは正反対だ。
「そして……ね」と、お父様の顔色が変わる。「これから、きっとエリカたちは、もっと寂しい思いをすると思うんだ」
「え……? どうして? お父様」
「僕がちょうど今考えている、この仕事だけど」
お父様が指さした資料には、『Serafitasu』……セラフィタスと書かれていた。
「今のシルにはまだ分からないだろう。だけど……もう、避けられないところまで来ている。だから、エリカたちはもっと寂しい思いをすることになる。僕は、そこをずっと前から心配してきた。でも、大丈夫なように、してきたつもりなんだ」
「お父様……?」
「フィリアと、これについて仕事を進めているんだが」
フィリアというのは、イグニクアのシーカーの名前だ。確か、ノヴァとも知り合いだった。つまり、イグニクアとエラ、両方の国が進めているプロジェクトだってことかしら。
「何もかも、大丈夫になるから」
私は、身震いをした。なんでだろう。
何か私とノヴァを覆う、強大なものの影が、すぐそこに迫っているような気がした。




