第四話 旅支度そして拳闘士
「旅支度の服は、こちらで用意させてくだされ。
アンナ、案内を頼むぞ」
隊商の主人ニコラオスが微笑むと、娘のアンナが嬉しそうに頷いた。
「はい、お父様。
かわいい服がお二人には似合いますね」
「ほっほっほっ……。
ソフィアにも見てもらおうかの」
お目付け役として、女性兵士のソフィアも同行することになった。
◇
布地と仕立て屋の市場――
店頭には高級な布が風に揺れ、鮮やかな色彩が通りを染めている。
華やかさと、行き交う人々の熱気で、少し目眩がするような空間だった。
アンナが案内したのは、通りに面した小さな仕立屋だった。
壁には刺繍を施したチュニックや、色鮮やかな帯が数着吊られていて、棚には旅人向けの丈夫な服も積まれている。
「このリボン可愛い.......この刺繍も綺麗.......カレンとミカに似合いそう」
アンナが目を輝かせる。
「お嬢様。旅の服ですので、もう少し丈夫なものを.......。
かわいいですけど」
ソフィアが穏やかにたしなめた。
カレンは格子柄の刺繍がしてある服に手を触れた。
指先に、しっかりした厚みが伝わる。
(棒を振った時に、すぐに破れなさそう。
もっと、人を守れるようになりたい)
アンナが覗き込んで言った。
「カレン、その服の刺繍お洒落だね。その服にする?」
「ありがとう」
カレンは少し照れたように、目を細めた。
一方、ミカが選んだのは、これまで着ていたものとよく似た、淡い色の上着だった。
「せっかく新しくするのに、前とほとんど同じじゃない」
アンナが少し不満そうに言って、葉の刺繍が入った帯を重ねた。
「これなら、派手じゃないでしょう?」
「……うん。かわいいね」
ミカは微笑んだ。
「決まりだね!」
アンナの明るい声が店に響いた。
(まだ、お父さんの選んでくれていたような服を着ていたいな)
ミカはそっと、心の中で呟いた。
◇
その頃。
シンはニコラオスの護衛として、円形闘技場 ——コロセウムの試合場に来ていた。
護衛隊長のナルセス、副隊長のペトロスも一緒だ。
「シン君はこういった試合は好きかね?」
ニコラオスは機嫌良く尋ねた。
「いえ、あまり人が傷つけ合うのは」
「シン殿は真面目ですな! ハッハッハ!」
ナルセスが豪快に笑う。
「貴族との付き合いで来ていてな。本当はわしも真面目なんじゃよ」
ニコラオスとナルセスは盛大に笑った。
◇
試合はすでに始まっていた。
盾と剣、槍と手斧、投げ網と槍。
訓練された戦士たちが戦う試合場は、血の匂いと観客の熱気が混じり合う、日常とは異なる空間だった。
「シン君、次の試合に出る拳闘士は、わしらの隊商に同行する予定なんじゃ。
名前はユウ。拳で武器と戦いよる」
「拳ですか。不利な戦いになりますね」
拳闘士はカエストゥス——鋲のついた革バンドを装着している。
その破壊力は侮れないが、刃物で血管を切られれば命に係わる。
◇
滑車のきしむ音が響く。
砂埃を巻き上げて、地下の床がゆっくりとアリーナに引き上げられた。
熱狂的な歓声と血生臭い熱気が渦巻く中で――
ユウはひっそりと立っていた。
体は引き締まった筋肉に覆われているが、まだ二十歳前のように見える。
ユウと、対戦相手の短刀使い。
両者が中央に寄る。
ユウの雰囲気は変わらない。
試合が始まった。
短刀使いは奥の手に刃を構える。
前に出した手で頻繁に牽制をしては、時おり短刀を繰り出す。
突き、袈裟斬り、横なぎ。
胴体へ、腕へ。
短刀使いの攻撃を、ユウは細かい体捌きとフットワークで避ける。
「もっとやり合え!遊んでんのか?!」
退屈に見えるのか、観客席からヤジが飛んだ。
ヤジに煽られ、短刀使いの踏み込みが深くなった。
刃がユウの服を掠るようになる。
――その時、ユウの体が一瞬止まり、そして空気が変わったように見えた。
短刀使いがさらに深く踏み込み、刺突を繰り出そうと動いた。
その瞬間――ユウは半歩踏み出し、突きを放つ。
ユウの拳が頭を打ち抜いていた。短刀が届く前に。
ゆっくりと、短刀使いが崩れ落ちる。
歓声が波のように起こり、会場は割れんばかりの歓声が起きた。
「速いな」
「ええ......。反応は難しいでしょう」
ナルセスとペトロスが低く言葉を交わす。
シンの胸に亡き父の言葉が浮かんだ。
『後の先。相手が動き出した後、先に技を当てる。
動き出しを見極めること、圧倒的な速さが必要だ』
気付いた時、シンは父に譲り受けたペンダントを握っていた。
◇
翌朝——
三人と商隊、ユウとで、簡単な顔合わせをした。
「それでは、出発といこう」
ニコラオスが上機嫌だ。
ユウは、王都へ続く街道を見つめていた。
その貌には、静かな影があった。
(母上は……まだ、王都にいるのだろうか)




