第一話 ミカの軟膏
都市の巨大な石造りの城門をくぐった瞬間、音の波が一度に押し寄せてきた。
露店の呼び声。
石畳をきしませる車輪。
鍛冶屋の槌が鉄を打つ、乾いた音。
森では一つずつ聞こえていた音が、ここでは何重にも重なって響いてくる。
ミカは思わず歩幅を乱した。
(こんなにも、街って騒がしいんだ……)
喧騒も人の多さも、想像をはるかに超えていた。
――そのとき、シンがミカの手を引いた。
「どけどけぇ!」
怒声とともに荷馬車が傍を駆け抜ける。
跳ねた泥が裾に飛び、ミカは息を呑んだ。
「大丈夫か?」
引き戻してくれたシンの手が、温かく力強かった。
硬くすり減った石畳を踏みしめ、三人は商店の並びに入っていく。
ミカが薬屋の看板を見つけた。
◇
薬屋の裏手の卸し口に案内される。
薄暗くひんやりとしている空気の中、乾燥した薬草と蜜蝋*の甘い香りが、静かに漂っていた。
神経質そうな店主が、ミカの差し出した乾燥ハーブの束を、不機嫌そうにつまみ上げた。
「最近は粗悪品を持ち込む旅人が多くてな。乾燥が甘いとすぐカビる。売り物にならん」
パキッ。
店主が曲げたタイムの茎が、小気味よく折れた。
乾いているとは思えないほど鮮烈な香りが広がった。
「……水は抜けている。香りの成分も死んでいない」
店主の眉が動いた。
「こちらも見て頂けますか」
ミカは油布で包んだ小さな壺を差し出した。
油と蜜蝋の配分を考えて、自分でが練った軟膏だった。
いぶかしげに蓋を開けた店主の目が、大きく見開かれた。
「これは……セイヨウオトギリソウの膏か」
軟膏は美しいワインのような深い赤色に染まっていた。
成分がしっかり閉じ込められている証だ。
「旅では湿気が多いので、蜜蝋を少しだけ増やしてあります。壺の中で傷まないように」
店主は指先を軟膏の表面に滑らせる。
体温に触れた途端、滑らかに瑞々しく溶けて指先に馴染んだ。
軟膏の匂いを二度も嗅ぎ、蓋を戻す。
それから、ミカをまっすぐ見つめた。
「お前さんはどこの生まれだい?」
「イシヒアの村です」
「誰に習った?」
「父です。村で治療師をしていました」
店主は合点がいったようだった。
「ああ......あの先生の娘さんか。加熱の止め方が、似ている。
いいだろう。これは全部、わしが引き取る」
卓の上に、銅貨が並んだ。
ミカは数を確かめ、布に包んで懐へ入れた。
手が、少し震えていた。
◇
店を出ると、昼の光がまぶしかった。
瞼を閉じると、父の姿が浮かんだ。
薬草の調合を教えてくれた。
失敗しても怒らず、何度も教えてくれた父。
「すごいね、ミカ!」
笑顔でカレンが言う。少し、目のふちが赤くなっていた。
シンはミカの頭に、ぽんと手を乗せた。
「......一人前の薬師だな」
(カレンはお母さんみたいで、シンは.....お父さんみたいだ)
ミカは胸に温かさを感じていた。
◇
広場の掲示板には、新しい紙が一枚貼られていた。
『怪鳥に注意——教会区。夕刻以降、裏通りを避けること』
周囲では、鎖帷子を着た警備兵が巡回経路を確認していた。
「教会の近くで出没したらしい......たまったもんじゃねえな」
聴衆の噂話が、雑踏の隙間から聞こえてきた。
「この街でも、異形が出ているのね」
カレンが言った。
「……ああ。故郷だけじゃなかった」
シンが短く頷いた。




