第五話 お椀とスープ
シンが足を止めて振り返ると、少し離れた茂みが微かに揺れた。
「あの子かな……。どうしたんだろう」
カレンが首をかしげた。
森で別れた少年は、遠巻きについてきているようだった。
「隠れてないで、出てきなさいよ」
ミカが言った。
「うるせーな!俺もそっちの方向に行くつもりだったんだよ」
声だけ返ってくる。
「行こう」
シンたちは再び歩きだした。
◇
(……なんで俺は、あの旅人の後をついていってんだ?)
少年は幼いころから、盗賊団の中で「使い捨ての駒」のように扱われて育ってきた。
他人は利用するか、されるかの存在。
それが当たり前だと信じて疑わなかった。
少年が襲われた時……逃げながら振り返ると、狩人が賊に矢を射掛ける光景を見た。
……そして気がつくと、自分自身も木に登って、賊たちに石を投げていた。
(そのまま逃げればよかっただろ……。
いや、俺はあそこで追っ手を片付けたかっただけだ)
少年は、前を行く三人との距離を保って歩いた。
◇
しばらく進むと、道が二つに分かれる分岐点に差し掛かった。
その傍らには、古い炭焼き場がある。
外からは木々に隠れて見つかりにくく、万が一の時に森に逃げられる。
シンは周囲の地形を確認しながら言った。
「カレン、ミカのそばにいてくれ。火はまだ起こすな。煙が出る」
「うん……」
カレンは樫の杖を握り直した。
◇
近くに不審な痕跡がないか調べてから、シンは森に入って行った。
数個、兎の罠を仕掛けながら、周囲を歩いて行く。
「……」
ふいに、シンは足を止めた。
湿った土の上に、まだ新しい小動物の糞。
それから、草の根元が噛み切られた跡があった。
――カサッ
その時、茂みの奥で葉が擦れた。
風とは違う、生き物の質量を持った音。
目を凝らすと、草の隙間で動く兎の長い耳が見えた。
……ヒュ!
風を切って矢が走った。
そして、シンは地面に膝をつき、一羽の兎に祈りを捧げた。
◇
少し離れた茂みの中に、少年は息を殺して潜んでいた。
(おー怖ええ……。やっぱり、あいつはやばいな。
下手をすれば、兎と同じ運命だ。
……っていうか、あいつ何してんの?)
狩人は獲物に祈りを捧げている。
ふいに――
「そこにいるんだろ……?」
狩人は背中を見せながら言った。
「……!」
心臓が跳ね上がるのを感じた。
完全に気配を殺していたつもりだった。
「……なかなか、やるじゃん」
悔しさを誤魔化すように、軽口を叩きながら少年は茂みから出た。
向き直り、狩人は静かに声をかけた。
「俺はシン。お前は?」
「.......フミ」
反射的に、本当の名前を口にしてしまっていた。
(自分の情報は漏らしても良いことが無い。なぜ答えた?)
「昼は……なんで助けた?」
取り繕うようにフミは続けた。
「無駄な殺生は嫌いでな」
答えは短かった。
「俺を助けるより、放っておけば良かっただろ?」
「なんでだろうな。そういう家で育った」
シンと名乗る狩人の言葉に嘘は感じられなかった。
「お前を追っていた賊は、あと何人いる?」
「三人。一人は弓使い」
フミは答えていた。
「助かる……。
フミ、これから戻って飯にする。
お前も食っていくか?」
「ああ……。またな……」
後ずさって、背を向けて歩き出した。
差し出された善意を、そのまま受け取るのが怖かった。
◇
シンが炭焼き場に帰ってきた。
薬草の処置をしていたミカと、見張りに立っていたカレンが、パッと表情を明るくする。
「あれ……兎が二羽も」
カレンとミカは目を丸くした。
「ああ、矢で仕留めた他に、罠にかかっていてな」
シンは少し照れたように、肉を捌きだした。
その日の夕飯は、兎の骨付き肉を乾燥豆、そして爽やかなオレガノと共にじっくり煮込んだスープと、心臓と肝の炙り焼きだった。
鮮度が命の内臓は、仕留めた当日にしか食べられない、旅人のごちそうだ。
焚き火の直火で炙られた内臓の香ばしい香りが、森の冷気に広がる。
「……おいしい。お腹の中から、元気が出てくるみたい」
豆のとろりとしたスープを口に運び、嬉しそうに目を細めると、それを見守っていたカレンとシンの表情も優しく和らぐ。
残りの肉はタイムと塩を擦り込んで炙り焼きにして、明日の携帯食用に仕上げていく。
食後、シンは余った椀に煮込みを注いだ。
「さっき、森で昼間の少年に会った。腹が減っているだろう」
「きっとそうだね」
シンは森の入り口にある岩の上に、椀とスプーンを置いた。
◇
翌朝。
椀はきれいに空になっていた。
昨晩の煮込みの残りで手短に朝食を済ませ、三人は出発した。
歩みを進めるにつれ、木々の間から、石の壁や高い塔が見えてきた。
「目指す都市まで、もう少しだね」
――その時。
「……待てよ。」
背後から声がして、三人は振り返った。
「お前ら、何のために街に行くんだ?」
少年――フミだった。
相変わらずぶっきらぼうだ。
だが、その瞳には刺すような警戒感は感じられなかった。
「故郷の村が魔物に襲われてな。
その災いの正体を知るために、情報を探している。
それが、俺たちの旅の目的だ」
シンが静かに答えた。
「……旧市壁区に『灰色狐』って古物屋がある。
そこのコンラートって男を訪ねてみな」
「古物屋?」
カレンが不思議そうに聞く。
「ああ。普段は皮や古い旅道具を扱ってる。
だが、あいつの耳にはいろんな情報が入ってくるんだ。
何が起きてるか、知っているかもしれない」
フミはそう言って、森に体を向けた。
「フミ、助かる」
小さな背中が止まった。
「またな」
「お、おうよ……」
フミは一瞬、きょとんとしたように目を見開いた。
わずかに戸惑ったような顔を見せると、そのまま森へ入っていった。
「また会えるかな」
カレンは森を見て言う。
「ああ、きっとな」
シンが答える。ミカも小さく頷いた。
「……行くか」
遠くに見える都市を見上げて、三人は共に歩き出す。
答えを探すために。
村を襲ったものの正体は何か?
そして、ルミナは本当に存在するのか?




