第三話 薬師ミカ
朝の沢に、冷たい水音が響く。
ミカはカレンと、沢の水で食後の椀を洗っていた。
(村でも、こうして洗い物をしていたな……)
耳に届く水音だけが、あの頃と似ていた。
シンは獲れた兎の皮の後処理をしていた。
乾燥させれば、それなりの値段で売れる。
「早めに出よう」
準備を済ませると、三人は出発した。
◇
森は静かだった。
木々の間から差し込む光も、鳥の声も、昨日と変わらない。
それでも、濡れた苔や朽ちた葉は足元を狂わせ、少しずつ体力を奪っていく。
正午を過ぎたころ、ミカの歩幅が狭くなってきた。
「休もう」
シンが足を止めた。
「まだ歩けます」
ミカが背嚢を背負い直した。
「休みましょう。私も少し疲れたわ」
カレンが背嚢を地面に下ろした。
ミカは二人の顔を見比べ、やがて小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
シンは倒木の苔を手で払い、水筒を差し出した。
「まだ森を歩くことに慣れていない。
無理はするな」
足手まといにはなりたくない。
……けれど、その優しさは胸の奥に静かに残った。
◇
西に傾き始めた太陽が、木々の影を長く伸ばし始める頃。
川から少し離れた高台に、焚き火跡が残されていた。
シンは不審な跡が無いかを見てから、カレンに魚罠の作り方を教えた。
浅瀬に石を並べて流れを一か所へ集め、その先に細枝で編んだ罠を固定する。
仕掛けを終えたカレンが野営地へ戻る途中、川岸の湿地で足を止めた。
「あ、これ……ワイルド・ガーリックだわ」
鮮やかな緑色の葉を指で揉むと、ニンニクのような香りが立つ。
よく似た毒草もある。
慎重に選んでから、洗って持ち帰った。
◇
そのころ、ミカは今日摘んだ薬草を麻布の上へ広げていた。
軟膏を作る分と、乾燥させて保存する分に取り分ける。
(二人の力になりたい。
薬を街に持っていけば、旅の足しになるかもしれない)
深い緑色のコンフリーの葉。
セイヨウオトギリソウの葉と黄色い花。
すり潰した葉と花を植物油に浸し、小鍋で静かに温めた。
やがて、粘度を出すための蜜蝋を削りかけて、手が止まった。
『多すぎれば硬くなる。少なければ流れてしまう』
亡き父の声が蘇る。
「大丈夫」
指先の記憶を信じて削り、鍋に落とした。
小さな壺に移した軟膏は、冷えると程よい固さになった。
指ですくうと、瑞々しく溶けてなじむ。
「よし……。これで傷薬が三つ、出来上がりね」
壺の蓋を閉めた。
そのとき、森で狩猟罠を仕掛け終えたシンが帰ってきた。
「傷薬を作ったのか?」
静かに壺を手に取った。
「はい、シンとカレンの分と、町で売る分です」
「助かる」
(なんだか、お父さんが褒めてくれているみたいだ)
胸の奥が少し温かくなった。
◇
夕飯は、残った兎肉と麦パン、それにカレンが摘んだワイルド・ガーリックを煮込んだスープだった。
香草の匂いが、焚き火の周りにふわりと広がる。
炙った肉には肉汁が閉じ込められていて、スープに薪の香ばしさが、ほのかに移っていた。
ミカは木の匙で一口すくい、ふうふうと湯気を吹いてから、口へ運んだ。
「シンの兎と、カレンのワイルド・ガーリック、とても美味しいです」
「よかった。たくさん食べてね」
カレンが嬉しそうに目を細めた。
シンも静かにスープを口へ運ぶ。
焚き火の音の合間に、穏やかな沈黙が落ちた。
沈黙には悲しみだけではなく、わずかな安らぎもあった。
森がささやくように葉を揺らし、月明かりは水面を照らす。
今日は傷薬を作れて、少しだけ二人の役に立てた気がする。
ミカはそっと、そう思った。




