4-Ex2. 2度と後悔したくない森人の魔女
約3,500字でお届けします。
楽しんでもらえますと幸いです。
クレアが司教と話している頃、リッドの家でもまたひと悶着があった。
ウィノーとイライドがダイニングテーブルで珍しく相向かいになっており、イライドの目が真っ向からウィノーを睨む。
「嫌です!」
イライドの魔力が彼女の感情に呼応するように、辺りの空気をピリピリと振動させていた。
ランプの灯が揺れ、誰も座っていない椅子がカタカタと音を立てて震え、花瓶に挿されている素朴な野花たちが萎れるようにうな垂れている。
「イライド、そんなこと言わずに、ちょっと留守番を頼むだけニャ」
ウィノーもまたイライドを見つめているが、眼光に鋭さがなく、どこか困ったように耳を伏せ気味にして、尻尾を丸く内側へと巻き込んでいた。
イライドの視線がウィノーを射貫く。
「いーーやーーでーーすーー!」
イライドが顔を歪ませて、ウィノーの提案を悲鳴のような絶叫で掻き消した。
その状況の中、リッドが入浴から戻って来て、火照った顔をしながら、濡れた髪の毛を布切れで覆っている。
「まだやっていたのか?」
リッドはそう呟きながら、ウィノーとイライドを横目にキッチンへと向かい、取り置いておいた水を喉へと流し込む。
イライドがウィノーを見つめる中、ウィノーは視線を外してリッドの方へと向き直し、大きな溜め息を吐くかのように首をゆっくりと横に振っていた。
「この聞き分けのない子猫ちゃんが悪いニャ」
「猫はお前だ」
ウィノーが何気なく使う言い回しに、リッドが軽口で返す。
ウィノーは目を真ん丸にした後に、甲高い声でケタケタと笑い出した。
「ニャハハ! それは違いないニャ……って、言っている場合じゃないニャ!」
リッドは、コロコロと表情と声色を変えるウィノーを見て微笑みつつ、手をぷらぷらと振ってウィノーにイライドの方を向くように促す。
「とにかく、嫌です! 絶対に、私もウィノー様についていきます!」
頬を膨らませているイライドは、頑固おやじがするような腕組みをしたままはっきりと宣言していた。
リッドとウィノーが同時に小さな溜め息を吐く。
「珍しいな、イライドがウィノーの頼みを断るなんて」
「ほんとニャ……いつもは聞き分けがいいのにニャ」
どうしたものかとリッドとウィノーが考えあぐねている様子を見せると、イライドが俯いたままふるふると全身を震わせ始める。
「当たり前じゃないですか……」
空気が変わる。
先ほどのピリピリとした雰囲気をさらに悪化させ、この場に居るだけで誰もが息を呑むほどに重苦しい空気が場を包み込む。
ランプの灯が吹き消される前のように激しく揺れ動き、座りの悪い椅子がついに横転し、花がお辞儀をするようにだらんと花瓶に沿っていた。
リッドも思わず顔を顰める。
「ニャ?」
ウィノーは平気な様子で、ただただイライドの変化に素っ頓狂な声を出した。
次の瞬間、イライドが顔を上げ、大粒の涙が目から幾筋もの流れをつくって頬を伝いテーブルへと力なく落ちていく。
「ウィノー様は……ダンプ様は! ダンジョンに潜って、消息不明になって! それで、私たちの前から急に消えて!」
イライドの感情が高まり、噴き出した魔力の圧が強くなる。
「うっ……いや、それは……」
罪悪感で押し潰されそうになるウィノーは、顔を顰めつつ、前足で髭を弄って視線を横へとズラしていった。
次の瞬間、イライドは両手を振りかざし、テーブルを力強く叩いて、鈍い音を響かせる。
「ダンプ様を慕っていたみんなが一人、また一人と去っていった。ダンプ様との想い出を辛いことのように、『なかったこと』のように、ダンプ様を忘れようとして……。でも! 私はそれでも諦めきれなくて! 報われなくてもいいって半ば自棄になって! でも、生きていると信じて! あなたの見えない影を探し回って!」
イライドの劈くような叫びが、魔力の奔流と化して部屋の全てを殴りつける。
ウィノーの髭がピンと伸びて、全身の毛が逆立ち始めると、さすがのウィノーも自身の変化に驚くように自分の身体を見回していた。
「イ、イライド……落ち着けって……魔力が暴れているって……」
「落ち着けるわけがないでしょう! 分かりますか!? 1日、1日が生きていた中でどれだけ長かったか! そして、今、ウィノー様と再会し、状況を理解したとき、どれだけ嬉しかったか! 分かりますか!?」
イライドの吐息に魔力の塊が宿り、呼吸のたびに空気を歪ませ軋ませていく。
リッドが花瓶を仕舞いつつ、魔力の濁流の中で目を細めながらも成り行きを見つめる。
「……オレだって……それくらい分かるさ……」
「分かっている!? じゃあ、それで、消息不明になったダンジョンにリッドとウィノー様だけで行く? 嫌に決まっているじゃないですか! また消えたらって……また私の目の前からいなくなったらって……思うに決まっているじゃないですか!」
イライドの畳みかけるような言葉は止まることを知らない。
窓のガラスが、外からは雨に打たれ、内からは無遠慮な魔力の粒に打たれて、激しく音を立てて今にも割れんばかりに振動している。
「今は、だ、大丈夫だから」
「大丈夫? そう言って、消息不明になったのはどなた様でしたかしらね!」
激昂したイライドが正論で容赦なくウィノーの心を抉りにかかるので、ウィノーは歪んだ口を半開きにしたまま、喉奥で出られなくなった言葉を呑み込んだ。
「……なあ、イライ——」
リッドがイライドの名前を口にした瞬間、ウィノーが尻尾の動きでリッドを制止したため、リッドは静かに頷き口を閉ざす。
「……それは言い返す言葉もない……けど……それでも、イライドは連れて行けないニャ」
「なんで!」
イライドは、今にもウィノーに掴みかからんばかりに前傾姿勢で立つ。
ウィノーも負けじとテーブルの上で立ち、真っ直ぐな瞳でイライドを見つめる。
「これは、俺とリッドの問題ニャ」
「私たちは今、仲間ですよ!」
「分かってくれ、クレアちゃんだって、分かってく——」
「クレアと一緒にしないで!」
イライドの叫び声が部屋中に響き、ついに悲鳴を上げていたガラス窓が砕け散る。
その瞬間から、静寂と冷えた外の空気が部屋の空気を呑み込むように広がり、小雨になり始めた雨粒が小さな足音を立てて、遠慮がちにガラス窓の縁へと腰をかけていた。
「っ……」
ウィノーは無意識に怯む。
「……私の……ウィノー様を想う気持ちを……別のものと比べないで……ください……」
イライドの悲痛な叫びは、掠れるように、消え入るように、徐々に小さくなっていく。
ウィノーがそのしなやかな四肢を動かして、すぐさまイライドのそばへと寄って、彼女の手にこすりつけるように頬ずりをする。
「イライド……すまないニャ。でも、これだけはどうしても譲れないニャ」
ウィノーが優しい声色で囁くように話しかけると、イライドの目から再び大粒の涙が何度も何度もこぼれていった。
「絶対に……?」
「……絶対に、ニャ」
ウィノーからの再三の拒否。
イライドの目は泳ぎ、ウィノーを直視できないでいた。
「だったら、絶対に……帰ってきてください……たとえ、亡骸でも、霊魂でも、絶対に私の元に帰ってきてください……」
「縁起でもないことを言わないでくれニャ。ちゃんと戻ってくるニャ」
イライドの言葉に、ウィノーはいつもの笑みを浮かべて軽口で返す。
「必ず帰るとか……下手にそういう約束をしない方がいいような気もするが……これじゃあ、まるで悲劇の流れだぞ」
ここまで影のように鳴りを潜めていたリッドは、倒れたリビングのソファやダイニングの椅子を直しながら、ウィノーとイライドのやり取りに呆れたような言葉を発した。
「縁起でもないニャ!」
「縁起でもない!」
何もない所に亀裂が生じ、異界への扉が開きそうになる。
「ぐっ……俺に魔力をぶつけるなよ。そもそも、なんで急に俺が叱られる流れなんだ」
リッドは、いまだに容赦なくぶつかってくる魔力とともに、異口同音にやってくる非難に肩を竦めて応えた。
翌日。
晴れあがった空は、昨日の雨が嘘のように白い雲一つ浮かんでいなかった。
「イライドはもう大丈夫か?」
リッドの家の玄関には、リッドとウィノーが立っている。
「大丈夫ニャ。最後の最後は、オレの頼みをちゃんと聞いてくれるオレの最高の女ニャ」
ウィノーが誇らしげに尻尾を左右へゆっくり振りながらそう言い放つと、リッドはフッと笑って肯いた。
「そうか。じゃあ、行くか」
リッドが頭の鉢金の位置を直し、襟や袖、裾をピンと手で伸ばす。
「行くニャ!」
「行きましょう!」
一瞬、空気が凍った。いつの間にか、イライドがウィノーの後ろに立っていたのだ。
「…………」
「…………」
リッドとウィノーは互いに見つめ合ってから小さく溜め息を吐き、その後、ウィノーがイライドの足を前足で軽く叩く。
「…………?」
イライドが不思議そうな顔をするも、その口は何かを理解しているようにへの字になりかけている。
「イライド? 頼むからリッドの家で大人しく留守番をしてくれニャ?」
快晴の空気に似つかわしくない湿り気を帯びたイライドの視線がウィノーに向く。
「はい……」
リッドとウィノーは、その言葉に頷いてから因縁のダンジョンへと向かうのであった。
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