4-Ex1. 愛を考える聖女見習い
約4,000字でお届けします。
楽しんでもらえますと幸いです。
分厚い雲に覆われた真っ暗な夜。
大教会の中にあるクレアの自室。
漆喰で覆われた壁や床、木製の窓枠や扉という無機質な部屋に、精一杯の努力か、少し不格好な花柄の刺繍が入ったシーツのベッドや一輪挿しの花瓶があって、机の上には動物の型紙とウィノーの色合いに似た布の切れ端が無造作に置かれている。
「…………」
薄暗がりの部屋の中、ワンピースタイプの寝間着姿をしたクレアは、ベッドの上で膝立ちになりながら、ボーっと窓を見つめていた。
窓越しに聞こえてくる音は、雨が開けてとばかりにガラス窓をノックする音だ。
しばらく、クレアが窓の外を見つめていると、不意にガラスにぼやけて映る自分の髪色や瞳の色が薄くなっていくような感覚に陥り、自分に別の姿が重なるように見えて、ぶるりと身震いをさせる。
ピュリフィ。
リッドと相思相愛で、クレアとほとんど同じ容姿の聖女見習いで、死んだとも行方不明だとも言われている聖女見習い。
「……どうして、ピュリフィさんに似ているだけなの?」
クレアの口から不意にこぼれたのは、リッドが恥ずかしそうに教えてくれた、自分に似た者への劣等感だった。
「……どうして、私の気持ちだけが変わっていくの?」
リッドの向けてくれる優しさが、クレア自身にだけ向けられたものではないことなど出会った頃から分かっている。
最初はクレアもそれでよかった。
だが、徐々に変容していく自身の気持ちに戸惑いを覚え、その戸惑いが今、頬を伝う涙になっている。
「クレア、ちょっといいですか?」
クレアが軽く唇を噛みしめ、胸を押さえるようにぎゅっと握った拳を胸元に置いていると、背後の扉からノックの音とともに司教の落ち着いた声が彼女の耳に届いた。
クレアはベッドから急いで降りて、パタパタと服の埃を払いつつ伸ばす。
「は、はい! どうぞ!」
クレアの返事があってから、木製の扉が音を立てて開いた。
暗い廊下から小さな【ライト】とともに現れたのは、まだ仕事着のままの司教だ。
司教は羊皮紙に目を落としながら入ってくる。
「失礼しますよ。明日のことですが……おや、何かあったのですか?」
「え?」
クレアに話しかけるために顔を上げた司教が柔らかな笑顔のまま、ただ声色だけを少し変えてクレアを案じるような問いを口にした。
クレアは司教の問いを理解できずに思わず素っ頓狂な声を出す。
「まるで今の空のようですよ」
司教が右手を上げて、クレアの奥の窓を指差した。
窓の外は、暗い夜の雨空。
「あ! え、えっと、これは……」
ハッとしたクレアは、じわっとする頬の違和感を何度も拭って、下がった口の端を少しでも上げようと口元に力を込める。
クレアのせいいっぱいの不格好な笑顔に、司教は笑うしかなかった。
「はっはっは、無理をせずともよいですよ。もしよければ、胸の内を話してごらんなさい」
司教は一旦扉を閉め、慈悲の眼差しを持って、クレアを包み込むような雰囲気を纏う。
クレアはおずおずと何かを言いそうになったが、気付いたように首を横に振り始める。
「そ、そんな、司教様のお手を煩わせるようなことは——」
「ずばり、リッドですね?」
クレアが断る言葉を言いきる前に、司教が自身の推理を披露した。
「な、なんで!? あっ!?」
狼狽を隠せなかったクレアが目を見開いて不思議そうに返した後、しまったとばかりに遅まきながらも自分の口を両手で塞ぐ。
司教は、ついに廊下にまで響くであろう、大きめの声で笑い始めた。
「はっはっは! 夕方に会っていたことを知らないとでも? その後の夕食も周りが心配するくらいに、上の空でしたからね。素直と言うべきか、分かりやすいと言うべきか」
司教が順に丁寧に説明していくことで、夕方以降にクレアが露骨におかしくなっていたことが明らかになる。
「あ、あぁ……は、恥ずかしい……」
クレアは頬だけでなく耳まで真っ赤にして、顔を伏せて丸まるようにしゃがみ込んだ。
司教は豪快な笑いを柔らかな笑みへと戻していく。
「恥ずかしがることはありません。さて、本当に言いたくなければ、明日のことだけ伝えて戻りますし、今後も聞きませんよ。クレア、あなたが決めることです」
しばしの沈黙。
しとしとと降る雨の音が時間の流れを告げる以外、まるで時が止まっているかのようだった。
「……ちょっとだけお話を聞いてもらえますか?」
やがて、時が動き出すように、クレアの口から沈黙がそっと破かれる。
「ええ、もちろん」
司教の小さく両手を広げ、すべてを受け入れる仕草に、クレアはホッと胸を撫で下ろす。
「私は……リッドさんを好きになったままで、いてもいいのでしょうか」
意を決したクレアが唇を震わせつつも、迷いとともに解き放った言葉。
誰かの許しを得たいと懇願しているようなその言葉に、司教はゆっくりと首を傾げた。
「どうしてそう思ったのですか?」
司教の問いには肯定も否定もない。
クレアは司教を直視し続けられずに顔を徐々に俯かせた。
「リッドさんには、ピュリフィさんがいて、ピュリフィさんの、話を聞いて、愛する気持ちの尊さと強さ、苦しさ、辛さを教えてもらいました」
訥々と、息苦しそうに話すクレアは、ずっと下を向いている。
「おやおや、彼の惚気話でも聞いてしまいましたか。ええ、そうでしょうね。彼は一途な男ですからね」
司教は何かを思い出したように、口元に手を当てて、小さく楽しそうに笑っていた。
クレアは思わず目を丸くして司教を直視しながら、再び口を開く。
「だけど、私はいつの間にか、リッドさんのことが好きになっていて、胸の奥が温かくなったり熱くなったりくすぐったくなったり、でも、締めつけられたり痛くなったり苦しくなったりして、見てほしくなって、でも、リッドさんの目は私のことを見ていなくて……そうしたら、ピュリフィさんのことがなんだか憎らしくなって……そんな自分も嫌になって……」
「気持ちがざわついているわけですね」
クレアは、睨みつけるように、あるいは、縋るように、司教を直視していた。
「軽い気持ちで聞くんじゃなかった! リッドさんのピュリフィさんへの想いなんて、そんなの聞かずに、いつかこっちを見てくれるかもって夢を見られた方が良かった! これからも一緒に冒険をして、リッドさんの隣はピュリフィさんじゃなくて、私がずっと隣にいて、だからちょっとだけでも、ちょっとずつでもって!」
クレアの一度吐き出した想いは止まらず、止めどなく溢れて吐き出しているものの、まるで水のようにだらだらと口元を湿らせて、いつまでも残り続けている。
しかし、司教はクレアの苦々しい表情と真逆に晴れ晴れとした顔で首を縦に振って頷いていた。
「どうやら、答えは出ているようですね」
「え?」
クレアはこの会話の始まりと同様に、司教の返した言葉を理解できずに、思わず素っ頓狂な声を出す。
「ふむ。私からあえて言うのであれば、クレアは自分の気持ちを大事にしなさい」
「私の気持ちを?」
クレアからすれば、司教の言葉が予想外だったのだろう。
クレアは口を半開きにしつつ、目をぱちりと見開く。
「ただし、リッドを無理やり変えることもできないでしょう。あれを変えるくらいなら世界を変える方が楽かもしれません。故に、彼を愛し、彼に愛されることだけが、きっと、あなたの気持ちへの答えではないでしょうね」
司教の言葉に、クレアは眉間にシワを寄せつつ、眉が八の字を描いていた。
そのクレアの様子に、司教は穏やかな表情で見つめ返している。
「好きになったままでもいい? ピュリフィさんを……正直憎いと思って、リッドさんを奪いたいって気持ちを持ったままでも?」
司教は思わず笑った。
「はっはっは、正直ですね。ええ、それを決めるのもあなたですよ」
司教が腹を抱えて、目尻に涙を浮かべている姿を見せていると、笑われることに耐えかねたクレアが頬を膨らませて口を尖らせ始める。
「むー……話をさせておいて、ズルくないですか?」
「はっはっは。大人は、多少ズルさと誠実さを持ち合わせていないといけませんからね」
「むー……」
ひとしきり笑った司教は、クレアの不平不満を軽くいなした後に踵を返した。
「さて、では、最後に私から。来月に行われる王都祭の事前打ち合わせが明日あります。聖女見習いであるあなたには大舞台が待っていますよ」
司教は顔を見せずにプラプラと手を振って、大したことないことのようにそう告げる。
「……ええっ!? 大舞台!? 私に大役が?」
もちろん、クレアは突然のことに驚いた後、大舞台を想像して口をポカンと開けている。
「そう言えば、ピュリフィの大舞台を見て、リッドがドキドキしたと言っていたような」
「……もしかして、それで私が飛びつくと思っていますか?」
司教の取ってつけたような話に、クレアが訝し気な目で司教の背中に視線を突き刺すも、司教はさして気にした様子もなく、手をプラプラと振り続けていた。
「はっはっは。ではでは、おやすみなさい」
司教は自分の告げたいことを告げて、あっという間にこの部屋から消えてしまう。
ポツンと残されたクレアは、ベッドの縁に座り込んで、ちらりと窓の外を見る。
雨が弱くなり、そろそろ止むかもしれない天気になっていた。
「……もう……ふふふ……ほんとかな……」
クレアは笑顔のまま、ベッドに倒れ込むようにうつ伏せになって手足をバタバタと動かし、刺繍が歪むほどにシーツをぐしゃぐしゃに乱れさせるのだった。
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