4-20. 自覚する芽生え
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楽しんでもらえますと幸いです。
陽が沈み始め、色彩が赤らみ、影が伸び始める頃。
人々が家や酒場へと向かう中、リッドはクレアのいる大教会へと向かっていた。
やがて、彼が辿り着いた先で見る斜陽の赤に染まる白い大教会は、どのような時であろうともその荘厳さに翳りがない。
彼は開いていた扉を見つけて入り込んで、奥まで続く暗赤色の絨毯の上を進み、木製の椅子や神話の一節を象ったステンドグラスを横目に、祭壇の方へと向かって行った。
そこには少女が一人、まるで彫像かのように、静かに敬虔な祈りの姿を取っている。
クレアだ。
彼女は顔を俯かせて、金色の髪を垂らすようにし、目をしっかりと閉じていた。まるで絵画のような情景に、リッドは声を掛けることを躊躇ったのか、彼が足音を消して彼女に近付いてみる。
不意にクレアが顔を上げて後ろを振り返った。
「……リッドさん?」
2人の間は距離にして数mほどで、会敵であれば、クレアが十分に対処できる距離だった。
「おっと、もうこの距離で、気配だけで分かるようになったのか」
リッドは顎に手を掛けながら歩みを進め、微笑みを湛えて静かに首を縦に数度振る。
クレアは先ほどまでの静かな表情から一転して、年齢相応のパっとした明るい笑顔を見せた。
「リッドさんのおかげです! 私だって冒険者ですから」
「ははは、まだまだひよっこだけどな。まあ、おかげでエミハマスは【屍霊浄化】で浄化されずに済んだわけだが」
クレアが大きな胸をさらに張るように意気揚々とした姿を見せると、リッドが彼女の膨らんだ気持ちに釘を刺した。
その言葉を聞いた途端に、彼女は青菜に塩とばかりにシュンとして萎れてしまう。
「あう……リッドさんって、普段は優しいのに、たまにイジワルですよね」
頬を膨らませるクレアに、リッドがフッと短く息を吐いて、ほんの少し表情に翳りを見せた。
「命取りになりそうな油断は取り除きたいだけだ」
リッドとクレアの距離が手の届きそうなほどに近付いている。
「むー、心配されるほどの油断はしていないつもりで——」
クレアの言葉が途中で詰まった。
彼女が違和感を覚えた瞬間、彼女の視界は天井を捉えており、すぐさま視界の端からリッドのすまし顔とその中でギラリと光る瞳が映り込む。
その時になって、クレアはリッドに押し倒されて、冷めた絨毯の上で組み敷かれてしまったのだと理解した。彼女の首筋にひんやりとした感触の金属籠手が添えられて、彼が少しでも力を込めればその華奢な首が簡単に折れるだろう。
しかし、クレアの体温と息遣いは、周りの冷たさや静けさに反して徐々に上がっていく。
「俺相手に油断し過ぎだ。このまま殺すことも犯すこともできるぞ」
リッドが放つ一切の情を排した捕食者の目。
クレアの喉がゴクリと音を鳴らし、彼女の潤んだ水色の瞳が彼の目を直視できずに泳ぎ、彼女の手足に抵抗する様子は見られなかった。
「あっ……うっ……」
夕日が差しこんでいるものの、大教会の中は仄暗く、燭台の蝋燭がなければ、近くにいる人の顔さえ判別し難い。ましてや2人きりと分かった大教会の礼拝堂の中で、口を塞がれ、蝋燭の明かりさえ届かない暗い場所に連れ込まれてしまえば、助けなど望むべくもない。
「いいのか? このまま殺すことも犯すこともできるぞ?」
再び繰り返す言葉。
しかし、強い言葉と裏腹に、リッドはクレアのボーっとし始めた表情を何度も確認してから物憂げな表情になって、クレアの首から手を離して立ち上がった後に近くの椅子にどかりと座り込む。
彼女もすぐさま身体を起こし、首に残る感触を彼女の手が辿っていった後に、彼を真っ直ぐに見据えた。
「だ、だって、仲間ですから」
クレアは、頬が赤らんでおり、瞳も先ほどから潤ませていて、さらに高鳴る鼓動を押さえつけるかのように胸に手を押し当てていた。
リッドはその様子に申し訳なさそうな笑みを浮かべた後、再び真剣な表情に戻った。
「あのな、仲間だって、人間だ、男女だ。ぽやぽやしていたら、純潔を散らされて、聖女でなくなるぞ? そんなの嫌だろ?」
クレアがビクンと跳ねる。
「ご存知だとは思いますが……」
「ん?」
クレアは身体を小刻みに震わせながらも何度も深呼吸を繰り返して、やがて意を決したかのように目と口をリッドの方へと向ける。
リッドは、そのクレアの並々ならぬ気配に、訝し気な様子で見つめ返した。
「聖女や……聖女見習いは……一生に1人だけなら、愛することを……か、かかか、身体を重ねりゅこともゆ、ゆゆ、許しゃれ……ふぅ……はぁ……こここ、子を成すのであれば、むしろ、神にも祝福されるんでしゅ!」
クレアは夕日よりも顔を真っ赤にして、噛み噛みで、徐々に声を大きくしながらも、しかし、しっかりと言葉を口にした。
「落ち着いてくれ、舌がまともに動いていないぞ? それに、そんな顔を真っ赤にして言わなくても……」
リッドは思っていた展開と違うのか、数秒間、面を喰らったように目を丸くして、口元を隠すように手で顔の下半分を覆い隠した後に、からかいの言葉をどうにか引っ張り出した。
「これは! 夕日の……加減です!」
へたり込んだままのクレアが目を閉じて両手をぶんぶんと振り回しながら大声で叫ぶ。
「そ、そうか。まあ、一生の1人を安易に決めないことだ。しかし、今日は虫の居所が悪いようだな、伝えたいことはまた後日にするよ」
リッドは本能的な勘か、出直そうとして立ち上がって、クレアに背を見せて立ち去ろうとする。
しかし、クレアがとっさに立ち上がって、リッドに追いつき、彼の背中に思いきり抱きついた。彼女は彼の背中に顔を押し付け、彼の平然としている鼓動を聞く。
「リッドさん……私、気付いたんです……私、リッドさんのことが……」
クレアはエミハマスから言われたことを思い出していた。
好きだって気持ち、大事にして、ね。
エミハマスの言葉によって、クレアの中で薄々気付いていた芽生えが自覚するところになり、溢れる気持ちが行動や言葉となって露わになっていく。
だが、リッドは首を横に振った。
「すまない、クレア。俺には先約がある」
「……ピュリフィさんですよね?」
リッドの突き放す言葉に、クレアは狼狽えることもなく、聞き及んでいる名前を告げる。
ピュリフィ。かつて、リッドの仲間であり、リッドの恋人だった聖女見習いである。その容姿はクレアと酷似しているため、リッドもウィノーもクレアと初めて対面したときには驚いていたほどだ。
「あぁ、俺はピュリフィを取り戻すことを諦めていない」
リッドは強く、まるで自分に言い聞かせるかのようにそう呟いた。
クレアは逃がさないとばかりに、さらにぎゅっとリッドを抱きしめる。
「もし良かったら、そのピュリフィさんのことを教えてくれませんか?」
クレアは自分の言葉で、今まで平然としていたリッドの鼓動が速くなっていくことを耳で聴きとっていた。
リッドは狼狽を隠すようにガシガシと頭を掻いている。
「俺が自分で言うのもなんだが……好きな男からほかの女の惚気話を聞きたいか?」
クレアはとてつもなく複雑な表情を見せるも、誰にも見られないようにリッドの背中にぐいぐいと顔を押しつける。
「それは辛いですけど……でも、ピュリフィさんのことを知って、ピュリフィさん以上に素敵な女性になれれば、リッドさんの心が揺らぐかもしれないですから」
リッドは降参とばかりに両手を上げた。
「……強いというか、強かというか。分かった、その若い恋心が折れるくらいの惚気を聞かせてやるよ」
リッドは観念しつつも、まるでクレアを試すかのような意地悪な物言いをする。
「うっ……お手柔らかに……あ、あと、えええ、えっちなのは、あの、その、ちょっと控えめで……お願いしましゅ……あ、でも、大事なことなので、はぐらかさないでくだしゃい……」
クレアがようやく密着させていた身体を離し、リッドはその機に乗じて、一瞬で身体を振り向かせて彼女と向かい合う。
「いや、どっちだ? って、さすがに、そこまで赤裸々なことは言わないぞ? えーっと……まさか、そこまで期待していたのか?」
「あぅ……」
クレアが真っ赤な顔を俯かせる。
「っと、その前に、そもそも何で来たのか言わないとな」
「あ……そういえば、どのようなご用事で?」
リッドは真剣な眼差しを向けた。
「少しの間、外に出かけてくる。だから、その間は聖女見習いのお勤めに努めてくれ」
「え? どこへ? 私も——」
リッドは静かに首を横に振った。
「すまない。俺とウィノーだけで行く」
「そうですか……わかりました……」
意地悪でも、冗談でも、心配でもなく、それは許されないと言わんばかりの表情に、クレアはそれ以上何も言えずに、ただ了承の言葉を返した。
「……というわけだ。それじゃあな」
リッドは、クレアの両肩を軽くポンポンと叩いてから、満足げな表情で踵を返す。
「はい……って、ピュリフィさんの話は!?」
クレアは気付いた。
今まさに、リッドが全てを有耶無耶にして、はぐらかされそうになったことに。
「今度にしような? うおっ!?」
リッドは逃げる体勢に入ろうとしたが、時既に遅く、再びクレアが彼の背中に彼女の柔らかく大きな胸が変形して押しつけられるくらいに抱きつかれてしまう。
「逃げるのはズルいです! 言ってくれるまで、絶対に離しませんからね!」
「はあ……分かったよ」
こうしてリッドは、クレアにピュリフィのことを、洗いざらい話すことになった。
その後、語り終えたリッドの面影が穏やかな微笑を浮かべていたものの、クレアにはその奥に二度と触れてはいけない深淵を覗かせているようで胸を強く押さえていた。
お読みいただきありがとうございました。
以上で第4話が終わり、次回から複数話は幕間となります。




