4-19. 英雄譚を創る吟遊詩人
約3,500字でお届けします。
楽しんでもらえますと幸いです。
ラケ湖の廃城ダンジョンから帰ってきた日の翌日。
リッドが拠点としている王国、その中でも閑静な住宅街として有名な区画を彼が歩いていると、外壁や扉などがしっかりとした造りの家々が彼の目に映っている。
ぽかぽかとした陽差しに小さな影ができる時間帯ということもあり、彼の鼻をくすぐって腹具合を気にさせるような匂いがあちらこちらの家から漂っていた。
「こんにちは、リッドさん」
「こんにちは」
リッドが通りを歩いていると、穴1つない服装を着込んでいる人々から笑顔で挨拶されるため、彼は手を軽く挙げながら温和な表情でそれに応じている。
「あ、リッドだあああああっ!」
「おっ、元気か?」
近くを歩いていた子どもがリッドの姿を見るなり、大声で叫びながら繋いでいた親の手を払って、彼の方へと駆けて声を掛けてくる。
リッドは数歩壁際に寄った後に、子どもと目線を合わせるように膝を少し曲げてから返事をした。
「うん、元気!」
「はあはあっ……こら! リッドさんだろ?」
遅れてやってきた親が子どもを窘め始めたので、リッドは曲げていた膝を戻しながら軽く手を上げる。
「いえいえ、大丈夫ですよ。お父さんとお出かけか? 気を付けてな」
「うん! またお話を楽しみにしているね!」
「そ、そうか」
満面の笑みを浮かべる子どもの待ち望んでいるものが、ハトオロの語る英雄譚だと理解したリッドは、片方の口の端しか上げられずに、中途半端な笑顔で応じてしまうことになった。
その後、彼は歩き続けて、ひと際大きな家の前で立ち止まってから、わずかに鳴る軋む音ともに扉を開ける。
「ただいま、ギルドへの報告は済ませたぞ」
真っ白な壁が続く薄暗がりの廊下、そこを迷いなく突き進んでいったリッドが突き当たりの部屋の扉を開けると、外からの日差しで廊下よりも明るい部屋の中で、ダイニングテーブルに座っているイライド、彼女の膝の上で丸まって撫でられていたウィノー、リビングのソファで天井を仰ぎ見るように顔を上へと向けてうんうんと唸っているハトオロの姿があった。
「おかえり、お疲れ様ニャ」
「おや、リッドさん、おかえりなさい」
「帰ってきたのね」
ここはリッドの持ち家である。
「……なんで2人がまだいるんだ。ハトオロは、俺が家を出るときに『そろそろ出る』って、言っていたよな?」
リッドが訝し気な視線をハトオロに送ると、ハトオロはその視線に気付いた様子で、手に持っていた楽器をポロンポロンと数度掻き鳴らす。
「ええ、そろそろ出ますよ! 死の蟷螂をも超える可能性を持つ新たなリッドさんの英雄譚がっ!」
興奮気味のハトオロに対して、リッドはがっくりと肩を落とす。
「俺の期待していた『出る』じゃないな……まあいい、昼飯にするか」
リッドは無人でスープの匂い1つしないキッチンの方へと歩みを進めて、自慢の金属籠手を外して袖を捲ってから、常温食糧庫の中を覗き込んでいくつかの野菜を手に取り抱えて、さらに冷蔵食糧庫の中にある大きめの肉が入った包みを鷲掴みにした。
「ジュイオの名前を悩んでいるのです」
「二つ名みたいなやつか? 愚かな王子でいいだろ」
リッドはドサリと数人分の食料を置いてから、ハトオロの切実な訴えをこともなげに返す。
「それはあまりにも単純すぎますね。あと、吟遊詩人の矜持としても、さすがに手垢のついた呼び名を流用することは避けたい」
「そんなものか」
「そんなものです」
リッドの抑揚のない聞き返しにも、ハトオロは意気込んで強く肯く。
リッドは次に、破顔の笑みでウィノーを撫で続けるイライドの方を向いた。
「で、イライドは? まだ宿無しか?」
「宿がないわけじゃないわ。ウィノーさまと一緒にいられる場所が私の宿よ!」
「意味が分からん」
リッドは平坦な調子で言い返してから、鍋に水を入れて火に掛けつつ、包丁を手に取り固めのパンを切った後にそのまま野菜をザクザクと切り始める。
「まあまあ、部屋はいっぱいあるんだから、住まわせてもいいんじゃないかニャ」
「ここは俺の家だし、部屋は将来の……ピュリフィとの子どものためなんだが」
動物であるため居候しか選択肢のないウィノーだが、すっかり家主のような振る舞いをしているため、リッドにそう窘められる。
そのやり取りの横で、イライドは家主である彼にジトっとした視線を投げかけていた。
「大人用のシングルベッドのある子ども部屋が10部屋もいらないでしょ……寿命の短いヒト族なのに、どれだけ子作りするつもりよ……」
「リッドの脳内は、そりゃもうお盛んピンクニャ」
「うぐっ」
ウィノーとイライドの示し合わせたかのような波状口撃に、リッドの小気味の良い包丁のリズムが乱れている。
「それに今は1人もいないどころか、そのピュリフィと結婚もしていないわけだし?」
「ニャ……そ、それはともかく、空いているなら使わせてもいいじゃないかニャ」
イライドのその追撃に、ウィノーはたどたどしくも横に置きつつ、リッドに許可を促した。
ウィノーの焦りとは裏腹に、徐々にリッドの包丁のリズムが元の雰囲気に整っていき、鍋の水もポコポコ、コトコトとセッションを始める。
「……はあ、まあ、勝手にしてくれ。飯代と宿代はちゃんと請求するからな」
「分かっているわよ。ウィノーさまといられるなら、それくらい問題ないわ!」
リッドが野菜を鍋に放り込んだ後、鍋横にフライパンを置いて火をかけ、肉を一口サイズまで小さく切ってから、半分を鍋に、もう半分をフライパンへと放り込む。
後は待つばかりと、リッドが使った包丁を流しで洗い始めた。
「決まりました!」
ハトオロの叫びに、全員が声にならない声を漏らしつつ、ビクッと身体を震わせる。
「急に叫ぶなよ、危ないだろ」
リッドは1度手放した包丁を流しに落とす直前で拾い上げて、ホッと胸を撫で下ろした。
彼の非難めいた声なんてなんのそのといった様子で、ハトオロがゆっくりと首を縦に振って、恍惚混じりのトロンとした瞳を揺らしながら、拳をグッと握っている。
「2つまで絞りましたよ!」
「決まっていないだろ、それ」
リッドは思わずツッコんだ。
「ええ。だから、リッドさん、あなたに選んでほしいですね」
「お、俺に? そんなの——」
リッドが「嫌だよ」と続けようとしたが、ハトオロのいつになく真剣な眼差しに言葉が続かなかった。
ハトオロの虹色の瞳に見つめられ、リッドの鼓動が若干強く早く跳ね始める。
「……無尽の暴君か、応えなき暴君か」
ハトオロの言葉に、リッドは胸に手を当てた。
死してもなお強欲で、部下に「使えない」と吐き捨てるように憤怒し、あまつさえ味方を自ら斬り捨てた傲慢さを持ち、自分が持たざるものを持つ者に嫉妬し、ただ己がために魔力をすべて食らう暴食に至った、大罪とも呼ばれるいくつもの悪徳を、尽きることなく周りに見せつけたジュイオ。
その反面、ただ一人の少女に愛されるための純粋さを持ち、才能と努力によって自らを誰もが届かぬ境地へと磨き上げ、誰もが羨むような存在になったにも関わらず、周りの言葉に応えず、さらには自分の想いが応えられることのなかった不器用な面も見せたジュイオ。
「……正直、2つとも選び難いくらいにいい名前だな」
リッドは、激しい戦闘の中でジュイオが見せた、いくつもの姿を脳裏で思い出していく。
「そう言ってもらえて光栄ですね」
肉の焼ける音に、コトコトと煮込まれている鍋の音、やがて、ウィノーの腹から虫の音がぐーと鳴る。
「悪ぃ、美味そうな匂いに、もう我慢ができなかったニャ」
笑い声が出始め、沈黙が一気に消え去っていく。
「そうだな……飯にしないとな。さて、ハトオロ、俺が選んでいいんだったら、応えなき暴君かな」
リッドは優しく哀しい言葉を選んだ。
誰の声も届かない場所で、「愚かな王子」のまま消えていった男への、せめてもの弔いの言葉でもあった。
「そうですか。結局、一番に欲しいものが得られなかった彼の最期にぴったりの名前でしょうね」
ハトオロは目を伏せて、楽器を鳴らし、落ち着いた調べをつくっていく。
「それもこれも、周りの言葉に耳を貸さなかった罰さ」
「そうでしょうね」
リッドが皿を出し、パン、野菜多めのスープ、塩で味付けしただけの肉料理を盛り付けて、ダイニングテーブルへと運んでいく。
料理はきちんと、4つに分けて出されていた。
お読みいただきありがとうございました。




