act.1 光和41年(西暦1966年) 林ナナコ 21才 その2
某県・畑里町
ナナコ、ユミカの手を引いて町役場から自宅へ向かっている。
「ねえ、ここどこ? ユミカ、おうちに帰りたい」
初めてユミカが口をきいた。
「今、私の家に帰るところよ」
ユミカ、立ち止まって「いやだ、あたしんちに帰る」
ナナコ立ち止まってユミカに説明する。
「あなたの家がどこにあるのかわからないから、それは無理」
ユミカ、泣きそうになって「あたしんちから海が見えるの
だから海が見えるところに連れて行って」
「ここは山に囲まれた田舎町だからねえ、海はないんだよ」頭を抱えるナナコ。
「今日も、朝、うちを出るときに海が見えたの、だからユミカのおうちは海の近くにあるの」
「海かあ・・・」ナナコ、立ち止まっていたユミカの手を取り少し強引に歩き出す。
「ここはどっちを向いても山しかないの、海なんてどこにも無いの」
「じゃあ、赤い角のあるお山はどこ?引っ越した新しい町から角のあるお山が見えるの」
ユミカの記憶
「この辺の山には角なんか生えていないし、普通、山には赤い角なんて生えないのよ」
ナナコ軽くため息をつき、「ホント、この町はどっちを向いても山ばかり・・・うんざりだわ」
本当はこんな山に囲まれた窮屈な町なんかに戻ってきたくなかった。
職を失ったナナコに都会での生活は金銭的に厳しく、仕方なく実家のあるこの町に戻るしかなかったのだ。
畑里町・ナナコ自宅
いつもなら10分くらいで家に帰り着くところ、小さい子供と一緒だったので倍近く時間がかかった。
自宅に戻り、玄関の引き戸を開けて家に上がるが、ユミカは玄関で立ち止まったまま動かない。
「ここ、ユミカのおうちじゃない・・・」
不安そうにナナコを見つめ、なかなか上がろうとしない。
「ここはあたしの家よ、あなたは2,3日ここで生活することになったから」
ナナコ跪いてユミカの靴を脱がすが、それを手に取ったときに違和感を感じる。
「(この靴、都会でも見たことのないデザインと材質だわ)」
ユミカを居間に座らせて、自分用に買っておいたお菓子とお茶を出す。
「(なんか変なのよねえ、この子・・・)」ナナコ、ユミカの隣に座り、ユミカのことを観察する。
ユミカがずっと抱きかかえている狐のぬいぐるみを見て、
「・・・良く出来たぬいぐるみね、ちょっと見せて」
「それテンコちゃん!ユミカ、おとといが六歳のお誕生日だったの。
それ、お誕生日のプレゼントに買って貰ったの」
お菓子を食べながら自慢げに話すユミカ。
「へえ・・・誰に買って貰ったの?」
ユミカ、首をかしげながら「うーん、誰から・・・?、誰だっけ?、思い出せない・・・」
「え?一昨日よね、思い出せないって・・・(記憶障害?)」
ユミカの体内の魔力が大きく波打ち始める。
「(あ、いけない、この質問が魔力暴走の引き金なんだ)」
おそらく両親のことを尋ねると魔力暴走が引き起こされるのだろう。
ナナコ、狐のぬいぐるみを手に取り調べてみるが、かなり良い生地が使われていて、縫製もしっかりしている。
「(これ、かなりいいものね、値段高そう・・・)」
その後もナナコ、ユミカとの会話を続けようとするが、何を話せば良いのか思いつかない。
ナナコはこの年頃の子供の相手が苦手だった、勤めていた小学校ではまだ研修期間中だったことも有り、
直接生徒を指導する機会は無かったが、たまに教壇に立たされることがあった。
1年生の教室などで、教室の生徒全員にじっと見つめられると恐怖を感じて足がすくむことも多かった。
「(やっぱりこの年頃の子は苦手だわ、無意識に感情を魔力に乗せて飛ばしてくるから
感情に押しつぶされそうになって気持ちが悪くなるのよね)」
気持ちを落ち着かせて、ユミカに両親のことを聞き出そうとするが、
「思い出せないの・・・パパとママの、顔も名前も、何も思い出せないの・・・」
ユミカがぐずり始めてしまい、何も聞き出せなくなってしまった。
「(この年頃の子の相手・・・ホント、苦手なのよね)」ナナコは、解雇の原因になった不祥事を起こした生徒のことを思い浮かべた。
「(全然会ったことも、見たこともない生徒だったけど、確か6才か7才くらいの良いとこのお坊ちゃんだったはず・・)」
ナナコ、何とかユミカの機嫌を戻そうとテレビのスイッチを入れてみるが・・・
「ねえ、このテレビ?なんか変だよ」テレビの画面を見ていたユミカ、ナナコに尋ねる。
「電子レンジみたいにおっきいし、海も空もみんな灰色だよ?」
「え!?この子の家、カラーテレビなの?それに電子レンジって・・・どっちも高級品じゃないの!」
ひょっとして私、良いとこのお嬢さんを預かっちゃった?
11月12日、 ナナコ自宅
一夜明けて翌日、昼少し前、ナナコは、ユミカを連れて商店街に買い物に出かける。
食料品、雑貨類など色々と必要な物が出てきたためだ。
現在、金欠気味のナナコは、少しでも生活費の足しにしようと、
残っていた高校の参考書、専門学校の教科書などをかき集めて鞄に詰め込む。
「(でも、この町の古本屋じゃあ、売ってもたいした金額にはならないか・・・)」
家を出た二人は、歩いて旧市街地の古い商店街に向かう。
☆ 地形図に対して建造物のサイズが大きめに描画されています。
実際の建造物のサイズはこの絵の10分の1程度です。
建造物の数も、これの5,6倍あります。
ユミカと二人並んで川沿いの小さな小道を歩く。
この川沿いの道はナナコが小学校に通っていた頃からよく使っていた道だ。
就職が決まって都会に出てからは、もうこの道を歩くことも無いだろうと思っていたのだけど、
こんなに早くこっちに戻って来ることになるなんて・・・、
「(まさか子連れでこの道を歩くことになるとはね・・・、子連れ・・・)あれ?」
いつの間にか隣を歩いていたユミカがいなくなっている。
「さっきまでここにいたのに・・・」周りを見回してみると、ずいぶん後ろの方で立ち止まっているユミカを見つけた。
ナナコ、急いで後戻りをしてユミカの側へ、「ユミカちゃんどうしたの?どこか痛いの?」
「ねえ、お姉さん、この川・・・」ユミカ、川を見つめながら「お船に乗ってずうっと流れていけば海に行ける?」ナナコに尋ねる。
「どうしたの急に、そりゃあいつかは海に行けるだろうけど、
ここから海はずいぶん遠いよ(あれ?この子、つい先日、海を見たって言ってたっけ?)」
ナナコ、ユミカの手を取り「さあ、道草食ってないでお買い物お買い物、
道草なんか食べてると、お昼食べられなくなっちゃうよ」
と、ユミカに、立ち止まっていないで先に進むよう促す。
一旦は歩き出したユミカだが、やはり時々立ち止まっては周囲の風景を観察している。
見覚えのある風景が無いか探しているのだろうか?
しばらく歩き、小学校の校庭の脇を通り抜け、旧市街地の古くからある商店街に着いた。
ユミカ、商店街の電気屋のウィンドウにカラーテレビを見つける。
「あ、テレビだ」ウィンドウ内のカラーテレビを指さすユミカ。
「ああ、カラーテレビね、ほんと、色が綺麗よね。でも、ウチには、まだちょっと縁が無いわねえ・・」
「だって、お姉さんのおうちのテレビ、空も山もみんな灰色で全然綺麗じゃない・・・」
ナナコ、少しむっとして、ウィンドウに張り付いて離れようとしないユミカの手を引っ張って、
強引に引きはがし電気屋をあとにするのだった。
ナナコ、まず古本屋に向かい、高校時代に使っていた参考書や辞書、
専門学校で使った教科書などを買い取って貰う。
「こういうのはこっちじゃ需要がほとんど無いから、都会の方だと少しは良い値段が付くんだけどねえ・・・」
そう言うと、古本屋の店主が少しだけ色をつけて全部買い取ってくれた。
「(これだけ売ってやっと2日分の食費か・・・)」
その後、洋品店によって子供用下着を数日分買う。
ユミカは、店内のハンガーに掛かったブラウスやセーターを興味深げに眺めている。
「(数日しか預からないから替えの上着はいらないかな)」
もっとも、お財布事情が厳しかったので、新しい子供用の上着など、とても買う余裕なんか無かったのだが。
「(2,3日の辛抱、親が見つかって迎えに来てもうらうまでの辛抱よ)」
次に小さなスーパーに入る。
肉と魚を買う。野菜は自宅の庭の畑で取った物があるから、何とかなるはずだ。
お菓子コーナーを見ていたユミカ「ビスコ」を見つける。
「あ、ビスコだ!これ知ってる!おいしいの!」を一箱手に取り、訴えるようにナナコを見つめるユミカ。
「しょうがないわね」とナナコ、これくらいなら・・と購入。
とりあえずちょっとだけ臨時収入もあったし、必要な物も買いそろえたので、帰宅して昼食を取る。
昼食後、ナナコは外に出て庭の掃除と草むしりを始めた、同じ屋根の下によその子供がいるのがどうにも落ち着かないのだ。
その間ユミカは、ビスコをかじりながらテレビを見ている。
庭で作業を終えたナナコが家に上がると、ユミカはまだテレビを見ていた、
「(もう白黒画面は気にならないのだろうか?)」ナナコ、流しで手を洗いながらも気になる様子。
テレビでは12時の時報が鳴り、ニュースの時間になった。「(ありゃ、チャンネル、ずうっとNHKのままだったか・・)」
実はユミカはこの家のテレビのチャンネルの変え方も、スイッチの切り方も知らなかったのだが。




