百聞と一見は同価値
「本なんて読みたくもねぇよ……」
先程押し付けられた分厚い本を片手に、フィンシスは夜道をうろついていた。目的地は冒険者ギルド──正確には、そこに併設された酒場である。酒を飲む気分にはなれないが、情報収集にはここが一番だ。読むよりも聞いた方が早いとは、フィンシスの持論である。
ちなみに押し付けた張本人であるユウリは、未だ困惑するフィンシスを放置して早々に床についてしまった。
「読み終わったら返してくれればいい。あぁ、教団史は読まなくていいぞ、あそこは捏造が多すぎる」
などと口にするだけで、自分で説明する気はまるでないようだった。こちらも真面目に読む気はさらさらないので、おあいこだ。
ギルドの扉を開けると、冒険者どもの喧騒とキツいアルコール臭がフィンシスを出迎えた。今日の仕事を終えた職人街の連中も混じって、昼よりもよほど繁盛しているようだった。
カウンターでは大男のバルザンが鬼酒早飲み競争を敢行している。敗れた冒険者の情けない姿が死屍累々と積み上がり、もはや目も当てられない惨状だ。普段であればフィンシスも名乗りをあげるところだが、色々あった今日はさすがに遠慮したい。気配を殺してカウンターに近寄って、店員に席代がわりのエールを頼むと、そそくさとテーブルへ避難するのだった。
間に合わせで注文したエールを片手に、フィンシスが聖典を訝しげに眺めていると、背後から声をかけられた。
「旅のお方。私の思い違いであれば申し訳ないのですが、もしや巡礼者でいらっしゃいますか?」
「はぁ?何だよそれ。というか、あんたは一体──」
「重ねてお伺いします。エレフィネーの信徒でないならば、その聖典をどちらで入手されたのですか?」
「……仲間に借りたんだよ」
「そうですか」
突如現れた青年は、矢継ぎ早にフィンシスへ問いを投げかけていく。問いの答えからフィンシスが巡礼者ではないと分かると、僅かに剣呑な雰囲気を滲ませ始めた。
青年はフィンシスの背後から移動すると、逃がす気はないと言わんばかりに卓を挟んで正面の椅子に座った。
「巡礼者がパーティを組むなんて、珍しいこともあったものです」
「俺がギルドを紹介したんだ。路銀を稼がないと、旅なんてやってられないだろ?」
「そうなのですか」
青年は穏やかな顔でこちらの話を聞いているが、目が笑っていない。間違いなく、信徒から盗んだか強奪したと思われている。一通りの経緯を白状したところで、果たしてまともに信じてくれるだろうか。
「──んで、墓地街でぶっ倒れた俺にこいつを押し付けてきたって訳だ。読めば分かるとか言うくせに、教団史はウソばっかとか言いやがるんだからよ」
「っ、フフッ……失礼しました、続けてください」
ユウリの物言いが可笑しかったのか、青年の雰囲気がわずかに緩む。ここだ、この物々しい空気を崩すには、ユウリのダメエピソードを披露するしかない。すまないユウリ、明日の朝飯も奢ってやるからな。
その後もユウリの奔放っぷりを話題に出す度に、青年は肩を震わせて笑いを堪えていた。一通り話し終える頃には、先程まで纏っていた険も随分と薄れていた。
「いやぁ、大変失礼しました。改めまして、私はディニスと申します。あなたのお仲間と同じ、一介の巡礼者です」
笑いの波が収まったのか、再び平静を装った青年は、物腰柔らかに己の素性を明かした。
「冒険者のフィンシスだ。まったく、あんたといいアイツといい、巡礼者ってのは物騒な奴ばかりなのか」
「先程の無礼は謝罪いたしましょう。ただ、私の疑いもご理解ください。強盗、奴隷狩り、宗教弾圧……一般の信徒が暴虐の憂き目に遭うことは珍しくないのです」
確かに一理ある。こと魔界じゃ、弱者を食い物にする連中には事欠かない。先程の警戒心剥き出しの態度も少しは納得がいった。
「教会もそれなりにあるもんな……巡礼者ってのは、信徒を守るのが仕事なのか?」
「仕事の一部、ではありますね。我々の旅路に信徒の助力は不可欠ですが、巡礼者の本分は、あくまでも死者の鎮魂にありますので。エレフィネーの手足となり、あまねく死者に女神の救済を届ける。これが巡礼者の役割なのです」
「女神様ってのは、そんなホイホイ呼べるもんなのかい?墓地街でも見たが、亡者一人に随分手厚くするんだな」
「洗礼呪法は亡者が持つ未練や嘆きによって強度が変わりますから……お待ちなさい、今なんとおっしゃいました?」
「へ?だから墓地街で——」
「見たのですね」
「うぉ……」
「女神エレフィネーを、見たのですね」
デジャブだ。完全にさっき見た流れだ。巡礼者共は驚くところまで同じなのか。
「——エーテル共感覚ですか。確かに、エーテルを物質的に知覚できる魔族は少ないですね」
「訓練で慣らせるとか言ってたけどよ、俺は別にそんなことした覚えないぜ」
それまで思案するように目を伏せていたディニスは、フィンシスの言葉に困惑をあらわにした。
「エーテル感覚の訓練なんて、今まで聞いたことがありませんが……いや、大抵の巡礼者は秘密主義ですから、私の知らない修練方法があっても不思議ではありませんね。興味は惹かれますが」
「あいつも苦労したとは漏らしてたけど、詳しいことは聞かなかったな」
「……巡礼者の間では、エーテルの感知力は死に近づくほど向上するという言説があります。あるいは、精神に苦痛を与えられるほど強化される、とも。訓練と言うには、些か刺激が強すぎますがね」
ディニスの言葉を聞いても、フィンシスは自身の状態に首を傾げるばかりだった。
冒険者として、死にかけたことなど幾度とある。つい最近だって、ユウリに助けられて何とか命拾いしたのだ。しかし、死線を抜ける度にエーテルに過敏になるとか、見えないものが見えるようになるとか、ただの一度たりとも経験はなかった。
心の話など尚更だ。ここ数年心を波立たせるような出来事はなかったはず、多少図太くなくては冒険者など生業にできないだろう。
「あまり心当たりはなさそうですね……まぁ、純エーテル体が見えたとして困ることはないでしょうから、安心してください。むしろ羨ましいくらいです」
「あんたは見えないのか?」
「今は見えますよ。巡礼に出て、三年以上かけてようやく、薄ぼんやりとですが」
巡礼者の才能ありますよ、などと冗談めかして口にするディニスに、フィンシスは愛想笑いで応えるのだった。
──本当に冗談ではない、祈る度に気絶する巡礼者がいてたまるか。
その後も、ディニスはフィンシスの口にする疑問に嫌な顔ひとつせず答え続けた。
エーテル操作でゴーストと意思疎通できること、教会が巡礼者の補給地点となっていること──教団史は言うほどウソだらけではないこと。
少しだけ上から目線な態度は気になるが、それを差し引いてもユウリよりよほどできた宗教家と言えるだろう。あいつも見習うべきだ、うん。
「そういえば、肝心のお仲間さんの名前をお聞きしていませんでしたね」
「そういえばそうだな。ユウリっていうんだ。ヒューマンとかいう銀髪のガキンチョだよ」
ユウリという名前を聞いてディニスは顎に手を当てて考え込み始めた。どうやら、彼の知己ではなさそうだ。
「ユウリさんですか……存じ上げない名前ですね」
「巡礼者同士なんだろ、知り合いじゃないのか?」
「私もここ数年聖都に戻っておりませんから、知らない後輩がいたとしても不思議ではありません。ご挨拶できればよかったのですが──」
「奇遇だな、俺もそう思っていた」
突如としてカウンターから声を掛けられ、二人が振り返る。静かになったカウンターの真ん中、スツールに腰掛けてこちらを眺める銀髪の少年がいた。間違いない、宿で寝ていたはずの、ユウリだった。
TIPS06:鬼酒
サングリット統治圏伝統の地酒。新鮮なオーガの首を漬け込んでおり、火をつけると三日三晩消えないと言われている。
ディニスの好物はこの鬼酒の熱燗であり、水よりも早く飲み干してしまう。本人は否定しているが、酒飲みとしての実力は教団でも五本の指に入る。




