目が覚めて見えたのは知っている天井
幾分見慣れた天井の下で、フィンシスは目を覚ました。今朝も見た《鶏の脚置き亭》の天井だ。はて、自分は宿へ戻っただろうか?微睡みながら曖昧な記憶を整理すると、おおよその状況は予測できた。
ユウリを連れて墓地街の調査へ向かったこと、そこで戦闘になって、ユウリが召喚した謎の存在から強烈に叩きつけられた圧迫感に呑まれて……そこからの記憶が曖昧だ。久方振りに感じた死の予感、そして、それを塗り替えるように現れた少女の幻影。思い返しただけで身震いしそうになる。あの場所で起こった事象の多くを、フィンシスは未だ理解できてはいなかった。
身を起こして窓を覗くと、満月が東の空に浮かんでいるのが見えた。どうやら長々と眠っていた訳ではなさそうだ。ふと右手を見やると、ベッドの脇に突っ伏して眠るユウリがいた。今朝と全く同じ状況だ。穏やかに寝息をたてるユウリに視線を向けながら、フィンシスは再び思案に耽る。
今日一日を通して、こいつの事がますます分からなくなった。いや、情報は確かに増えたのだが。経歴も実力も、フィンシスの物差しから外れすぎていて、理解に困る状況が多すぎたのだ。おまけに今日で返済するはずだった『恩』を上乗せしてしまうとは、己も焼きが回ったようだ。
……それにしたって、一回りも体格の大きい相手をよくここまで運んできたものだ。墓地街での戦闘もそうだが、この少年はフィンシスの思っている以上に腕が立つのかもしれない。あれほど平然と亡者を相手取る冒険者を、少なくともフィンシスは知らなかった。
「……そんなに見つめられると穴が空いてしまうぞ」
「狸寝入りかよ」
「今起きた」
ユウリは目を擦りながら顔を上げ、頬杖をついてフィンシスを見上げてきた。
「体は問題ないのか」
「あぁ、もう大丈夫そうだ。また世話になっちまったな」
「問題ない。怪我がない分昨日より幾分ましだった」
心なしか得意げにそう口にすると、ユウリは立ち上がって反対側のベッドへと歩き出した。こうして気の抜けた姿を見ると、墓地街とはまるで違う印象を受ける。フィンシスは何気なく、他の冒険者にそうするように、ユウリの戦いぶりに対する賞賛を口にした。
「それにしたって手慣れてたな。亡者を相手するのは初めてじゃないってか」
「別に亡者でなくとも、戦闘自体はそれなりに経験がある。むしろ今回のような相手は経験が浅い方だ」
「謙遜はよした方がいいぜ、実力は見せびらかしてなんぼだろ。ちなみに最後のあれは……鎮魂って言えばいいのか?エレフィネー教のお祈りってのは随分仰々しいんだな」
フィンシスの言葉を聞いた瞬間、ユウリが驚いたように振り返った。
「見えていたのか!?目か、耳か?いや、獣人なら嗅覚も有り得るな……」
眠そうな態度を一変させて詰め寄ってくるユウリに、フィンシスも思わず気圧される。というよりも、状況が掴めない。何がユウリの興味を引いたのか、全く見当もつかなかった。
「だとしたら倒れた理由は……そもそも魔族の感覚器に対しての……」
「急にブツブツ喋り出しやがって、本当に何の話だよ!」
「見えたのだろう?鎮魂の儀と、俺たちの女神が。」
女神。墓地街で幻視した、あの異様な少女のことだろうか。確かにあれは、『女神』と言って差し支えないような雰囲気を纏っていた。それが少女の正体だったのであれば、あの桁違いの存在感も少しは納得がいく。というより、
「その女神様とやら。もしかして、見ちゃいけないものだったのか?」
「普通は見えないもの、と言った方が正しいな。フィンシス、純エーテル体を視認するのは初めてだったか?」
「まずそれが何なのか分かんねぇよ」
エーテル自体は、フィンシスたち魔族にとってありふれたものだ。肉体を構成する一要素であり、あらゆる動植物の生命源。大気中にも存在するとされる、普遍的な物質。知識としても感覚としても、大抵の魔族は知っていることだ。
しかし、エーテル単体がああして形を成すなど、聞いたことも見たこともない話だった。少なくとも、今この場までは。
「純エーテルで構成される存在は珍しいものじゃない。遭遇すること自体は稀だろうが。問題は、それが『視認』できたことだ。エーテルを感知できても、見えたことはないだろう?」
「言われてみれば、確かにな……」
「味が見えないように、匂いが聞こえないように、エーテル知覚も他の五感と同様独立した感覚だ。ただ、何らかの拍子に知覚同士が混線することがある。そうなると、エーテル知覚が視覚や聴覚に重なって認識される。言ってしまえば共感覚のようなものだ」
「何らかの……って例えば?」
「俺は訓練で慣らした。中々苦労したが。お前の場合は……強いエーテルに触れたせいかもな?」
「疑問形かよ………で、それのどこが問題なんだ?」
「単純に演算負荷が増加する。要するに、脳がびっくりしてオーバーヒートしてしまうわけだ」
フィンシスの頭もそろそろオーバーヒートしてしまいそうだが、何となく話が読めてきた。つまり、フィンシスが墓地街で気絶したのは、その女神様を見て脳がびっくりしたせい、と。
「その女神様ってやつ、お前が召喚したのか」
「いや違……まぁ、その認識で構わない」
「つまるとこお前のせいじゃねぇか!」
「そう言われるのは心外だ。俺は巡礼者としての役割を全うしただけ。依頼とやらの達成にも必要だったろう?」
正論だ、ぐうの音も出ない。なんなら墓地街でフィンシスは何もしていない。今回の依頼は、ユウリ一人で解決したも同然だ。フィンシスを気絶させたのも、ユウリで間違いないのだが。
「巡礼者、ねぇ……」
「興味があるのか?」
「別にそういうわけじゃ……」
フィンシスが言い終わらないうちに、ユウリは部屋の片隅に置かれていた自身の鞄を漁り始めた。
………………まだ漁っている。そんなに大きくは見えないのだが、どれだけ散らかっているんだ。そこまで探すなら一旦中身を全部出した方がいいんじゃないか。そんなフィンシスの呆れた視線をよそに、ユウリはお目当てのものを見つけたのか、古ぼけた一冊の本を鞄から取り出した。
「大抵の事はこれに載っている。暇があれば見てみるといい」
そう言ってユウリは分厚い本をこちらに押し付けてくる。背表紙に書かれたタイトルは『エレフィネー聖典』。これはあれか、布教活動というやつか。お前はそんなに熱心な宗教家だったのか。フィンシスの胡乱な目に気づいたのか、ユウリは補足するようにこう続けた。
「聖典は創作物でも信徒の妄想でもない。記述の信憑性は保証するぞ、特に女神に関してはな」
TIPS05:エレフィネー教聖典
魔界唯一の統一宗教、エレフィネー教の教義をまとめた分厚い本。女神・輪廻・教団史に至るまで、様々な内容を網羅している。
教団史に脚色が多いというのはユウリの師からの受け売りであり、ユウリ自身は目を通したことすらない。




