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ゴーストだるまと七番通りの亡者

 失敗した、完全に想定外だ。黄昏時の墓地街を駆け抜けながら、フィンシスは依頼を甘くみた己の判断を呪った。念入りに身支度を整えて足を踏み入れたはずの墓地街。そこに待ち受けていたのは、ゴーストの群れ、群れ、群れ……ゴーストの数が多すぎて、もはや調査どころの話ではない。まるでどこぞの古墳に潜り込んだ時のようだ。とうてい新人冒険者に対応できるレベルではない。経験の浅い冒険者はパニックでろくな判断もできず、逃げ切る前に憑り殺されてしまうだろう。


「何が初心者向けだ、クソがっ」


 兎にも角にも、まずは襲ってくる連中を振り払って、体勢を立て直さなければ…… フィンシスはそう思案しながら、半ば闇雲に路地を駆け抜けていく。左、左、右、三回ほど路地を曲がったところで、ようやくゴースト達の追跡の手が止まる。

 立ち止まって周囲を警戒しながら、フィンシスははたと気づく。ユウリの姿が見えない。どうして気づかなかったと、冷静さを失っていた己を叱責する。恐らくゴーストの精神干渉だ。集団で襲いかかられるとこうも厄介なのか。もしやゴースト達は、最初から分断が目的で──


かさり。


 思考を現実に引き戻すかのように、獣人特有の鋭い聴覚が物音を捉える。足音、体格は小柄、歩幅は小さく、荷物はほとんど持っていない……恐らくユウリだろうが、油断はできない。ゴーストが足音を模倣しているかもしれない、こちらの耳が馬鹿になっている可能性だってあるのだ。

フィンシスは警戒をあらわにしたまま、おそるおそる足音の方へ近づいた。足音の主も物陰からこちらに踏み出してくる。果たしてその正体は……


ゴーストだるまだった。

 頭の天辺から腿の辺りまで、真っ白なゴーストが無数に群がっていた。体格と履物から、そのゴーストまみれの人物が辛うじてユウリであると分かる。いったいぜんたい何があったらこんな状況になるのだ、いやまずはそれよりも……

「うぎゃぁぁー!!散れ散れ散れェー!!!」



「ゼエッ、ゼエッ……何とかなったか」


 ユウリに密集していたゴーストを必死に引き剥がし、フィンシスは既に疲労困憊だった。払われたゴースト達は逃げるでも襲ってくるでもなく、ただフワフワと周囲を漂っている。


「ゴースト達と話をつけてきた、もう襲ってはこないだろう」

「集られてた奴が言っても説得力ねぇよ……」


フィンシスは辟易しながら返答するも、周囲の雰囲気が変化したことは察知していた。先程追跡を振り切れたのも、恐らくユウリが「話をつけた」からなのだろう。まともに話が通じないゴースト相手に何をしたのかは、全く見当もつかないが。


「ほうほう……なるほどな……そうなのか」


 ユウリは先程まで群がっていたゴーストのうち、小さな個体を手元に抱き寄せて、ブツブツと独り言を呟き始めた。ユウリの手に捕まったゴーストも大人しく──エーテル体をムニムニと揉まれながら、されるがままとなっている。やがて何かを理解したのか、ユウリはゴーストを抱えたままこちらに近づいてきた。


「そんな物騒なもの近づけんなバカ!」

「ゴースト達が騒いでいる原因が分かったぞ。七番通りの亡者だ」

「お前なぁ……ゴーストの話を馬鹿正直に信じるやつがあるか」

「それは音声会話の話だろう?エーテルで思念伝達すれば問題ない。そもそも、嘘をつけるほどこいつらは賢くない」

「じゃあ旅人をだまくらかすって言われてるのは」

「学習した言葉をデタラメに発しているだけだろうな」


 疲労でくたびれているフィンシスをよそに、ユウリは迷いなく路地を進んでいく。フィンシスも気を取り直してその背を追っていった。



 大通りに差し掛かった途端に、凍てついた空気と強烈な怖気がフィンシスを襲った。遅れて、強烈な死臭と不愉快な咀嚼音をフィンシスは知覚する。死の蔓延した墓地街、その中にあっても明確に異端な気配。フィンシスの直感が、騒がしいほどに危険信号を発している。ほんの目と鼻の先、お前を死に至らしめるものがあるぞと言わんばかりにけたたましく。突如として感じた恐怖に気を動転させまいと、フィンシスは努めて冷静に、大通りの中央——ユウリの進む先に視線を向けた。


 通りの中心、2人の行く手を塞ぐかのように、それは座り込んでいた。体躯はフィンシスの倍はあるだろうか、オークやトロルのようにも見える。肌は生気を感じさせない蒼白、見える範囲に体毛は一切なく、出来の悪い肉人形のような印象を受ける。背を屈めて、手をしきりに口元へ運んでいる。何かを貪っているのだろうか。びちゃびちゃ、ずるり、柔らかい肉をつぶすような音が聞こえる。肉像の足元には、幾つものひしゃげた棺桶が転がっていた。敵の存在を察知したのか、新しい獲物に気付いたのか、怪物がこちらを振り返る。百八十度回転した首の上に据えられた、今にも腐り落ちそうな顔面。眼球を失った、落ち窪んだ眼窩と、目が、合った。


 瞬間、ユウリが怪物の目前へと飛び出した。その動きを読んでいたのか、怪物は巨体に見合わない俊敏な動きでユウリに向き直ると、勢いそのまま丸太のように肥大化した右腕を振り下ろした。頭上へと差し迫るその拳を払いのけるように、ユウリは右手にエーテルを収束させ、手刀を真横に翻す。途端、怪物の腕が一直線に裂けた。拳の先から肩口まで、完膚なきまでに両断されていた。怪物が苦悶の声を上げながら闇雲に左腕を叩きつける。それを後方に跳んで回避すると、ユウリはすぐさま前方へ駆け出し、地面に突き刺さった腕を足場に大きく跳躍した。怪物の頭上へ軽々と躍り出る。そのまま、脳天から地面へ向かって一刀に断つがごとく、手刀を正中に振り下ろした。再びの両断。怪物の肉体が、不可視の斬撃によって真っ二つに裂ける。どす黒い汚血を後方へ吹き出しながら、怪物は地に倒れ伏した。フィンシスが戦慄に足を止めた僅かの間に、両者の勝敗は決したのだった。


 呆気なくついた決着にフィンシスが立ちつくしていると、ユウリは徐に怪物の亡骸の胸元へ跪いた。とめどなく流れる血液に紛れて、蠢く何かが見える。臓器の類だろうか、いや、ありえない。すでに息絶えた生物の内側に、あんなにも激しく脈動するものがあるはずもない。

 思考を巡らせるフィンシスを気にも留めず、ユウリは跪いたまま目を閉じ、刹那の間、祈った。その後、先刻と同様片腕にエーテルを集中させると、怪物の内側、脈打つ物体を一息に突き刺した。拍動が、エーテルを介してユウリの肉体を伝播していく。まるで死にゆくかのように、顔は青ざめ、手足が弛緩し、呼気が浅くなる。ユウリの心臓の鼓動が、死人の根源の明滅と同期していく。二つが完全な同調を果たした瞬間、「それ」は顕れた。


 地に伏した死体を起点として、エーテルの奔流が巻き起こる。墓地街全体、あるいはこの都市そのものから、エーテルが収束していく。引き寄せられるエーテルと共に突風が吹き荒れ、フィンシスは体ごと渦の中へ放り込まれるような感覚に陥った。音も、色もなく、ただ滞留するエネルギーの重圧が空間を支配していた。無色透明、本来目視できないはずのエーテル流の渦中に、何かが、いる。視覚でも、聴覚でも、嗅覚でも観測できない。にも関わらず、己の直感が何よりも告げている。その「何か」が発する存在圧に、フィンシスは完全に気圧されてしまっていた。


 エーテル濃度が上昇するに従って、その不可視の存在が次第に像を結んでいく。それはやがて微笑みを湛えた少女の幻影となって、怪物の亡骸を静かに抱き留めた。母のように、恋人のように、あるいは戦友か、情婦かのように。抱擁の最中、嫋やかな腕を怪物の背に回して、亡骸から何かを抱き起こしている。やはり形は認識できないが……端正な青年の姿に見える。青年が抜け出した先から、怪物の肉体が砂のように崩れ、突風に吹き飛ばされていく。少女はそのまま青年の手を取り、エーテルの風に乗って中空へと舞い上がり、やがて掻き消えてしまった。フィンシスとユウリの前に立ち塞がっていた醜悪な亡者は、今度こそ、痕跡すら残さずに消滅した。


 ユウリは目を開き、何事もなかったかのように立ち上がると、辺りを見渡した。


「隠匿結界か、思ったより面倒だ。時間を取らせたな、フィンシス……フィンシス?」


 未だに呆けているフィンシスを訝しんだのか、ユウリは小走りで彼の元へ駆け寄っていく。いつの間にかへたり込んで動かないフィンシスの肩を揺さぶり、意識が飛んでいることに気づいた。


「エーテル酔いかな……魔族でもなるんだな」 


 大して困った様子もなく、純粋な驚きを口にすると、ユウリはどうしたものかと考えはじめた。別段放っておいても構わないだろうと、放置を決めようとしたところにゴースト達が集ってきた。ユウリの態度を伺いながらも、獲物を見つけたと言わんばかりにフィンシスの方へジリジリと近寄っている。


 イタズラしていい?

 うん、ダメ。


 残念ながら放置はよろしくないらしい。このままではフィンシスが干からびてユウリの仕事が増えてしまう。ため息をついたユウリは、フィンシスの体をズルズルと引きずりながら、墓地街を後にするのだった。


TIPS04:我が手に御名を刻む《エンブレイス》


女神エレフィネーの腕を模した洗礼呪法の一つ。

両手へ高純度のエーテルを収束し、肉体を切開して魂を直接捕捉する。通常の洗礼呪法より高出力かつ低消費で、死霊や亡者にも有効。

極めて実戦的な術式だが、魂を捉えた際の感触は、真夏に放置された死体を抱きとめるのと同様である。

それでもなお腕を引かず、貴賤なく死者を抱きとめられるか。

技の行使そのものが、巡礼者への試練となるのだ。

なお、考案者である《腸臥せ》はその感触を気に入っているらしい。

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