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おかえりなさい、パパ

 ユウリとエレンが、二階の窓辺で邂逅を果たした頃。


 フィンシスは階上の様子に聞き耳を立てつつ、真面目に建屋の周囲へと目を光らせていた。真夜中に堂々不法侵入など、誰に目撃されたって大問題だ。あの妖精の思惑だって定かではない。こちらが意図を組もうと躍起になっているだけで、存外何も考えていないのかもしれないが。

  

 人気の失せた鍛造区には、物音一つ響かない。聞こえるのは上空から聞こえる話し声、路地裏に吹く風のざわめき、どこかを走るネズミの足音…………獣人の聴覚はそれなりに音を拾うとはいえ、やはり静かなものであった。

 そんな調子で耳を巡らせている内に、ふと、音の一つがこちらに近づいてきた。フィンシスの目の前には、でっぷりと太った鼠が一匹。じっと立ち止まって、路地の陰からこちらを見つめている。その瞳は鈍く、赤銅のような光をたたえて──赤銅カッパー?果たして鼠の瞳は、そんな金属的な色をしていただろうか。違和感の答えは、陰より這い出て月光に晒されたその姿を見て明らかとなった。


 その鼠の身体は、全身が鈍い光で覆われていた。毛皮の柔らかさを微塵も感じさせない針の体毛と、薄い鉄板を貼り付けたような大きな耳、そしてあの赤銅の瞳。およそ自然界にはありえない金属生命体。そんな違和感の塊が、ぞろぞろと路地裏から湧き出てくる──!

 

フィンシスはゆっくりと鼠の群れから距離を取ると、建屋の正面側、鼠たちと同時に現れたもう一つの気配(・・・・・・・)へ向かって声を差し向けた。

 

「……猫と鼠が共闘だなんて、面白いことしてんじゃねえか」

  

物陰から現れたのは、ここにはいないはずの店主、シャテルだった。その目は鋭くこちらを見据えており、昼間と同等、いやそれ以上の警戒がありありと浮かんでいる。

 

「帰り道でなーんか胸騒ぎがしたんだよね。戻ってきて正解だったみたい。で?申し開きとかある?聞かないけど」

 

「俺等のせいじゃねぇとは言っておく、ぞっ!? 」


 フィンシスが言葉を紡ぎきらぬ内に、鼠たちが四方から襲いかかった。鋭く丸まった金属の体が、まるで弾丸のような速度で飛び掛かってくる。下手にはたき落とそうものなら、こちらの腕が持っていかれそうだ。


「クソ危ねぇなこいつら! 」

「どう? うちの子たち、結構洒落てるでしょ。もっと紹介したげようか」


 不敵にそう呟くと、シャテルはどこからか取り出したコインを手に取った。ヴァアト銅貨。誰にとっても馴染み深い、何の変哲もないそれを、シャテルは勢いよくフィンシスへと投擲した。空中へと放り出された銅貨はみるみる内に形を変え、鏃のように鋭い鳥となってフィンシスへと放たれた。


「貨幣魔術かよ! 鍛冶妖精しか使わないもんだと思ってたぜ 」

「意外と便利だよ? 金は力なり、ヴァアトサマは偉大なり、ってねぇ!」


 続けざまにシャテルは追加の銅貨を投擲する。地上には金属鼠の群れ、空中には飛び回る鏃鳥。小さくとも凶悪なそれらに囲まれ、フィンシスは身動きが取れなくなってしまった。

 

「しばらくその子たちと遊んでなよ…………そんで、」


 一段と声を低めて、シャテルは窓辺に腰掛けるユウリを睨みつけた。こちらの状況に気づいていないのか、ユウリはいまだ少女と話し込んでいる。シャテルの視線に呼応するかのように、金属鼠が一匹、地上から跳躍した。


「ユウリ、危ねぇ!」

 

 空中で身体を丸め、窓辺めがけて猛スピードで急突進するそれを──一瞥することもなく、ユウリは片手で受け止めた。


「うっそぉ!?」

「キャッチボールじゃねぇんだぞ……」


 驚愕と呆れの声が交差する。

 受け止めた後でその正体に気づいたのか、ユウリは掌に乗った金属鼠を不思議そうに見つめている。


「サンゴウだよ! シャテルの子分なの!どうして飛んできちゃったの?」

「下をみてごらん。動物さんたちが遊んでるぞ」

「ほんとだ! こんばんはー!」


 窓辺から身を乗り出して、少女が無邪気にこちらへ手を振っている。おいユウリ、お前まで手を振るんじゃない。


「エレンちゃーん! 知らない人とおしゃべりしちゃダメー! あぁもう〜どうしよ」


 シャテルは、フィンシスたちを睨みつけながら笑顔で手を振り返すという、大変器用な取り繕いを披露している。流石に少女の目の前で戦うことはできないのか、フィンシスの周囲を囲んでいた金属獣たちは一斉に動きを鈍らせた。

 今なら逃げ出せるのではないか。そう判断したフィンシスが、ユウリに撤退の意を伝えようとした、その時──見えてしまった。窓の真下に、昼間と同じ、あの黒い靄が。


 その存在に気づき、フィンシスはまたしても猛烈な怖気に襲われた。ユウリへ向かって張り上げようとした声は、喉奥へと引っ込んでしまった。

 靄は窓辺へ登ろうとしているのか、壁に茂った蔦へまっすぐ向かっている。靄の一部が、蔦に触れた瞬間。悲鳴を上げるかのように、蔦全体が大きくざわめいた。靄がゆっくりと壁を登っていくに従って、蔦は生気を失って萎びていく。靄が窓辺にたどり着いた頃には、蔦は完全に枯れきってしまっていた。


「パパ、おかえりなさい!」


 父親の霊が起こした異様な現象に気づかぬまま、少女が笑顔で靄を出迎える。少女はそのまま部屋に入り込んできた靄へと抱きつくと、揃って部屋の奥へと消えてしまった。


「店主、アレについての話がしたい。問題ないな?」

「………………分かったよ」

 

 窓が内側から閉じられたのを確認して、ユウリが口を開く。霊は見えずとも、目前の異常は認識できたらしい。渋々敵意を落ち着かせたシャテルを見て、フィンシスはようやく肩の力を抜いたのだった。



TIPS21:貨幣魔術

 硬貨を形成するエーテルを触媒として利用する、魔術体系の一つ。硬貨の価値や製造年数によって貯蔵されているエーテル量は増減し、それに比例して威力も変動する。

『価値』の魔王、ヴァアトの名を冠するこの硬貨は、魔界で最もありふれた魔王の遺物である。生まれ持ったエーテルが少なくとも、金さえ稼げれば魔界では容易に生き残れるだろう。文字通り、金は力である。

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