生者に手向ける言葉
街の喧騒も落ち着き、日も落ち始めた頃合い。フィンシスは泥濘のように重たい足取りで、ディニスの死体を載せた荷車を引いていた。すぐ先を歩くユウリも、彼に合わせてか、心なし歩速を緩めている。宿を出発してからすでに三十分近く過ぎたが、彼らの間には会話一つなかった。いつものように気安く言葉を紡げるほど、フィンシスの心は整理されていなかった。
半ば条件反射的に足を踏み出しながら、沈む心でフィンシスは自問を繰り返していた。ディニスはどうして死んでしまったのか。いや、そもそも己はなぜこんなにも彼の死に心を乱されているのか。ほんの数時間酒場で話しただけだろう。その上、出会った当初は尋問の真似事さえされたというのに。自分にとってそれほど彼が好印象だったのか、それとも……彼がまとっていた希死念慮が、何より印象的だったからだろうか?
そう、少なくともフィンシスは気づいていたのだ! 彼の目に映る昏い影に、不安定な情緒に、目と鼻の先にある終わりを渇望する危うさに。それらに感づいていながら、一歩踏み込むことを恐れたのも、フィンシス自身だ。
──つまるところ、己の行動一つで彼は死なずに済んだのではないかと、そんな妄想じみた疑念が、未だ頭にこびり付いて離れないのだ。
夕暮れが、街の人々を照らしている。母親と手を繋ぎ歩く少女、仕事帰りの若者、店の看板を下げる料理人、ベンチで歓談する老夫婦、路地裏でうずくまる子供。 いつもと何ら変わりない人々の営みから、一人取り残されてしまったような、そんな心地になった。
「お待ちしておりました、巡礼者様方。」
「埋葬の準備は済んだのか」
「つつがなく。ご報告いただいたディニス様の推定葬数及び巡礼歴に基づき、二級相当の秘文封印型埋葬柩を用意しております。迅速に連携いただいたおかげで、夕刻までに調整が完了いたしました。」
たどり着いた墓地街では、見るからに血色の悪い少女が待っていた。彼女がメイルの言っていた管理人だろうか。ユウリと同じ程度の背丈、体格。年頃も近いのだろうか。見るからに若い二人が冷淡に会話をする様は、フィンシスを気落ちさせるには十分であった。まるで、自分だけが割り切れていないようではないか、と。
「ご遺体を検分させていただきます」
そう言って少女は背伸びをして荷車の中を覗き込んだ。ディニスの遺体は布に包まれて外からは見えないはずだが、一体何を見るというのか。
「……確認いたしました。封印規格は計画通りで問題ないかと存じます。それでは、これより先は私が対応いたします」
「っ、運ぶの大変だろう。手伝おうかお嬢ちゃん」
「申し訳ございませんが、三級規格以上の埋葬手順は秘匿事項となっております。封印鍵の漏洩を防ぐため、ご理解ください」
暗い意識の中フィンシスが絞り出した善意は、冷徹な規範をもって打ち捨てられた。そのまま少女は遺体を軽々と横抱きにし、いとも簡単に荷車から下ろしてしまった。
「それでは失礼いたします。埋葬へのご協力に、感謝を」
「あとはよろしく頼む」
「……………………」
遺体を抱えたまま、軽く会釈をして少女は去った。墓地街の奥へ消えていく姿を、フィンシスはただ呆然と見つめているしかできなかった。
「宿に戻ろう、フィンシス。起きてから何も食べてないだろ、市場街に寄って軽食でも見繕うか。あぁそうだ、メイルにも荷車を返さないと──」
「………………そうだな」
この場でやるべき事は済んだというのに、宿へ向かうための一歩が、日常に戻るための一歩が、どうしても踏み出せない。
いつもと何ら変わらない様子で通りへ戻っていくユウリ。珍しく見せた気遣いが、なぜだか無性に癪に障った。
いつまでも動かないフィンシスを不審に思ったのか、ユウリが踵を返して近寄ってきた。言葉もなくこちらの顔を覗き込む様子に更なる苛立ちを覚えて、フィンシスは思わず胸の内を吐き出してしまった。
「ユウリ、お前さ──なんでそんなに平気そうなんだ」
「お前がどうかは知らねえけどよ、あいつがしんどそうなのには気づいてたんだ、俺。でも、何も聞けなかった。マジで死んじまうとは思ってなかったんだ。」
「だって、あいつ笑ってたじゃんか。あんな楽しそうに。頑張れるって言ってたじゃんか。じゃあ頑張ってくれよ!後始末するこっちの身にもなれよ!俺の知らない所で死んでくれたらさぁ……」
心が擦り切れるような、こんな思いはせずに済んだのに。
思いの丈を吐き出して力が抜けたのか、フィンシスは力なく縁石に座り込んだ。ユウリは未だ言葉一つなく、フィンシスを見つめている。
「俺がおかしいんだよな、きっと。お前が正しいよ。昨日会ったばっかのさ、友達でもないやつに、こんな……」
入れ込む理由なんてないはずだ。ただ、一つの命を取りこぼしたという事実から目を背けるには、あまりにも──
「お前みたいには割り切れねぇよ……」
行き場のない心情をユウリにぶつけても、欠片も気は晴れない。そう分かりきっているのに、フィンシスは己の口から溢れ出す言葉を止めることはできなかった。
ユウリは眉一つ動かさないままフィンシスの懺悔じみた嘆きに耳を傾ける。しばらくの間そうしていたが、やがて彼の言葉が枯れたことを察して、隣に静かに腰を下ろした。落ち行く太陽に視線を向けたまま、己の思考を拾っていくかのように、迷いながら。ユウリは小さく口を開いた。
「……悲しむのも、怒るのも、嘆くのも、割り切るのも。死者を送る正しい礼儀だろう」
絞り出すように呟かれたその言葉は、正しさを語らんとするにはあまりにも悲痛で、切実な響きを滲ませていた。たった一言。フィンシスの目からは無感情に映っていたユウリが、急速に温度を持った存在へ変わっていく。
「初めて人の死に立ち会ったとき、お前みたいに悲しんでやれなかった。穴を掘って、死体を埋めて、その繰り返しで。祈ろうなんて気力すらなかった。みんなお前みたいに気のいいやつで、思い出だってたくさんあったのに」
「不思議なものだな。それ以来、人の死を悲しめなくなってしまった。やるべきことばかりが目について、悼むどころではなくなってしまう」
──それは、違うだろう。
「でも、それでいいと思ってるんだ。俺が割り切ってしまえば、全部背負ってしまえば。同じ場所にいる誰かが、まっすぐ自分の気持ちと向き合えるなら」
死を、悲しめないのではなくて、
「ありがとう、フィンシス。先輩のために悲しんでくれて」
自分の気持ちに蓋をして、押し殺して、強がっているだけなんじゃないのか。
面と向かってそう口にできるほど、フィンシスは無粋にはなれなかった。ユウリの行動に、甘えてしまったから、ユウリの言葉に、背を押されてしまったから。
「………………ハッ、馬鹿言え。礼を言われる筋合いなんてねぇよ」
ぶっきらぼうなフィンシスの返答を聞いて、ユウリはわずかに微笑んだ。自分の行いの意義を再確認しているようで、少しだけ痛々しくもあったが、今はこれでいいのだろう。いつか、この不器用な少年が、自分の気持ちと向き合える日が来ればいいと、そうフィンシスは思った。
ギュルルルル……
物想いにふけるのは終いだと言わんばかりに、腹の虫が響き渡った──ユウリの。
「……フィンシス、本当に宿に戻ろう、早く」
「ッハハ、そうだな。誰かさんはもう我慢の限界みたいだ」
「お前のべそかきに付き合ってやったのはその誰かさんなんだが?」
「べそなんかかいてねぇだろうが!」
日の落ちた暗い通りに、明るさを取り戻した声が響き渡る。垣間見た互いの弱さを心に抱えたまま、二人は宿への道へ歩き出すのだった。
TIPS11:葬数
巡礼者がこれまでに鎮魂を行った魂の概算を表す単位。重ねられた数がそのまま巡礼者の遍歴、実力を示す。千を越えると一人前だと言われるが、心を壊す者が増えるのもこの段階である。




