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第六話

お読みいただきありがとうございます!第六話どうぞ!

 それから数日後。

 制帽の男――彼らからは「飼育員」と呼ばれているその人物と約束した初出勤の日、私は再びあの歌舞伎町のビルへと足を踏み入れた。


 待っていた飼育員は、さっそくテキパキと仕事の説明を始めてくれた。


 私の主な業務内容は、現場の行動部隊が持ち帰ってきた任務の報告書を綺麗にファイリングし、依頼人への報告をまとめること。そして、ひっきりなしにかかってくる依頼の電話対応などだ。さらに、必要に応じて任務へ向かうメンバーの送迎ドライバーを務めたり、雑用をこなしたりすることだった。


 行動部隊の面々は、任務のたびに動物の仮面をつけているため、素顔を拝むことはできなかったが、話し声やちょっとした仕草から、そのほとんどが自分より若い世代であることが分かった。中には一回り以上も年下の若者も混じっているようだった。


 だが、年齢の壁など気にする必要すらないほど、ここにいるメンバーは気さくで、面倒見がよく、何より互いを信頼し合っていた。


 ——「生きている」という実感が、乾いたスポンジが水を吸い上げるように何年ぶりかがっしりと身体の隅々まで染み渡っていく。


 毎日が楽しくて仕方がないと思える日が来るなんて。私はただの「事務員」という裏方ではあるが、このチームの一員として機能できているという充実感が、どうしようもなく心地よかった。


 そうして穏やかで充実した日々が季節をまたぎ、半年ほどが過ぎたころ——。


 組織にとって最大級の、そして極めて危険な「大型案件」が舞い込んできた。


 政府の暗部に関わる極秘の案件であり、国の行く末そのものを左右しかねない重大な機密データが絡んでいるという。アジトの空気は一瞬にして張り詰め、重苦しい緊張感が漂った。しかし、そこは場数を踏んできたプロ集団だ。メンバーたちの目の色が変わり、静かに、しかし確かな闘志をみなぎらせていく。


 その異様な熱気の中、飼育員が静かに、しかし力強く宣言した。


「今回の任務は、この国の、いや世界をも揺るがしかねない極秘事項だ。少しの油断も失敗も許されない。全員、死ぬ気でかかれ」


 飼育員のその言葉に、団員たちが鋭い気合いの声を上げる。


 そして——運命の決行日。


 私は今回の任務において、行動部隊のメンバーを現地まで送り届ける専用バスの「ドライバー」として任命されていた。


 深夜の闇に紛れて、都内某所にある巨大な要塞のようなオフィスビルへ到着すると、動物の仮面をまとった団員たちが次々とバスから降りていく。私は彼らが無事に戻ってくるまで、周囲から見つからない死角の駐車場で待機する役目だった。


 メンバーたちとは無線機で常時つながっており、アジトの本部ビルで指揮を執る飼育員からの指示と、現場の状況がリアルタイムで私の耳にも飛び込んでくる。


 潜入自体は極めて順調に進んでいるように思えた。だが、その静けさは長く続かなかった。


 突然、ビルの内部からけたたましい警報ブザーが鳴り響いた。


 無線機から、団員たちの焦燥に満ちた声が飛び交う。各々が刻一刻と変わる状況を早口で報告し合う中、一人の団員から悲鳴に近い叫び声が上がった。


 二人一組で行動していたそのチームは、運悪く敵の警備員に見つかり、激しい銃撃を受けてパートナーが動けなくなってしまったらしい。


 他のいくつかのチームが任務の目的地へ向けて苦渋の決断を下し前進する中、その動けなくなった仲間を見捨てるわけにいかず、別のチームが救助へと引き返していく。道中での戦闘も激しかったのか、無線越しに聞こえてくる彼らの息遣いは荒く、限界をむかえていることがありありと伝わってきた。


 それでも、執念で目的地へたどり着いた一組が、命がけで「データの奪取」を開始する。もう一組もどうにか合流し、今度は広大なサーバールームを陣取って激しい籠城戦へと突入していた。


 今回の任務にあたって団員たちにも最低限の武装としてハンドガンが支給されていたようだが、相手が持ち出してきたのは制圧用の重機関銃——圧倒的な火力の差があった。


 データは無事に抜き取ったものの、敵の猛烈な弾幕に阻まれ、このままでは一歩も外へ出られない。完全に四面楚歌の絶望的な状況。


 そのとき、アジトの本部にいる飼育員から、私の無線機へ直接緊迫した呼び出しが入った。


「——事務員さん、聞こえますか! すぐにバスの最後部へ行ってください!」


 飼育員の切羽詰まった声に、私は反射的に「はい!」と答える。


「そこにある、布をかぶせた大きな木箱を開けてください。……それを、敵のいるビルに向かって撃つんだ。あいつらを、仲間たちを救い出せる可能性があるのは……今、この場にいるあなただけだ!」


 ——何を言っているのか、最初は頭が追いつかなかった。


 しかし、布をめくって中身を見た瞬間、私の血の気が一気に氷点下まで引き下がるのを感じた。


 そこにおさめられていたのは、緑色の無骨な筒状の武器——軍用映画やニュースでしか見たことのない、『RPG(ロケット・プロペルド・グレネード)』、すなわち対戦車ロケットランチャーだった。


 一般人の人生を送ってきた人間が、こんな物騒な兵器をぶっ放した経験がある人間が、この世にいったいどれほどいるというのか。もちろん、触ったことすらない。


 頭が真っ白になり、呆然と立ち尽くす私に向けて、無線から飼育員の必死の怒鳴り声が飛んだ。


「お願いします! あいつらを助けられるのは、もうあなたしかいないんだ! 発射の操作手順は、今から私が無線で完璧に誘導しますから……! お願いします!」


 その必死の叫びを聞いた瞬間、私の胸の奥で、何かが激しく熱を帯びて爆発した。


 ——そうだ。あの日、渋谷の街で何もできなかった私が、無力さに震えてただ立ち尽くしていた私が、今度は……誰かを「救う側」に回れるチャンスなんだ。


「……分かりました! やります!」


 迷いを捨てて箱からRPGを抱え込み、私はバスの扉を蹴破るようにして飛び出した。


 バスを敵に見つからないよう隠してあったビルの脇の雑木林を、まるで蛇に追われる小動物のように木の枝に顔を叩かれながらも必死に駆け抜ける。


 やがて雑木林を抜け、目の前にそびえ立つ巨大な標的ビルを正面にとらえた私は、足を止め、無線越しに飼育員へ指示を仰いだ。


「——準備できました! どこを狙えばいいですか!」


 無線から聞こえる飼育員の冷静な誘導に従い、私は震える手で照準を合わせる。手のひらは冷や汗でぐしょ濡れになり、心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに鳴り響いていた。


 呼吸を整え、引き金を引く——!


 凄まじい轟音と爆風とともに、ロケット弾が夜空を切り裂いてビルの高層階へと吸い込まれていった。


 直撃の瞬間、敵のサーバールームの手前で巨大な爆発が起き、崩れ落ちた大量の瓦礫が通路を完全に塞ぎ、敵の弾幕を分断することに成功した。


「やった……!」


 無線から、データベース室に籠城していた団員たちの歓喜の声が響いてくる。敵の猛攻が止んだその奇跡のような一瞬の隙をついて、仲間たちは一斉に脱出の行動を開始した。


 ——私の撃ち込んだ一発が、絶望の淵にいた仲間たちの道を切り開いたのだ。


 追いつめられている他のチームだが、敵との距離が近すぎる。こちらとしても、より一層慎重に行動しなければ——。


 そう冷静を装ってみるものの、全身を駆け巡るアドレナリンのせいで、今の私の目は煮え滾る血のように絶対に血走り、ただでさえ冴えない顔の不細工さにさらに拍車がかかっていることであろう。


 まあ、そんな自分の見た目など今はどうでもいい。とにかく、あの仲間たちを全員無事に救い出すことができればそれで……!


 狙いを定め、RPGの二発目を敵の背後へと正確に撃ち込んだ。


 ……待てよ、私にはもしかして、隠された天才的な狙撃の才能があったりするのだろうか。そんな自惚れを抱いた瞬間、データベースのほうから逃走中のチームより無線が入った。脱出用の逃走路が確保できたとのことだったが、先ほど撃たれた仲間の負傷具合が想像以上に悪く、自力で抱えて走るにはあまりにも限界があるという。


 その報告を聞きつけたデータベース組のリーダーから、緊迫した無線が飛んできた。


「——リーダーの組がそちらへ急行する! 援護に入ってくれ!」


 そこからは、まさに一分一秒を争う極限のタイムリミットだった。


 私にも、バスをいつでも発車できるようにエンジンをかけ、万全の態勢で待機せよとの指示が飛ぶ。私は一目散に自分の持ち場であるバスへと駆け戻った。


 やがて、データベースから脱出した組が先に外へ飛び出し、バスへと戻ってきた。だが、負傷者を抱えた残りのチームがまだ出てこない。


 そんな中、一人の団員が無線を通じて飼育員へ決断を迫った。


「——リーダーから、データはすでにこちらで預かってある! これ以上は全員全滅する、間に合わなければ、任務の最優先を……!」


 無線越しに、飼育員がわずかに息を呑む気配が伝わってきた。一瞬の重苦しい沈黙のあと、飼育員は苦渋に満ちた声で非情な指示を下す。


「……退避しろ。これ以上の深追いは許さない」


 しかし、バスのなかでただ待っていることなど私にはできなかった。せめて少しでも早く全員を迎え入れられるよう、私はバスを飛び出し、再び雑木林の抜け口へと走った。


 その瞬間、背後にそびえる巨大ビルのほうから、地響きのような無数の発砲音が鳴り響いた。


 目を凝らすと、取り残されていた最後のチームが、必死の形相で出口のほうへ駆け出してくる。その後ろからは、殺気立った敵の部隊が容赦なく銃弾の雨を浴びせていた。


「——っ!」


 反射的に身体が動いていた。私はダッシュでバスに飛び乗ると、キーを捻ってアクセルを踏み込む。


 無数の弾幕が飛び交う戦場の真っただ中へ、私はためらうことなくバスを突っ込ませた。


「皆さん、伏せていてください——ッ!」


 ひっくり返りそうになるほどの急ハンドルでバスを横付けし、逃げまどう団員たちと敵の弾幕の間に立ちはだかる。開け放たれた扉から、仲間たちが次々と転がり込むように飛び乗ってきた。


 一つの国家の裏を牛耳る巨大ビルの武装戦力といえども、あくまでこの敷地内だけの権限だ。ここを全速力で振り切りさえすれば、追いつかれることはない。


 私は祈るような気持ちでアクセルを床まで踏み抜き、夜の闇へと猛スピードで駆け抜けた。


 極限の死闘の末、どうにか無事に逃げ切ることに成功した。しかし、あの危うすぎる任務の代償は小さくなかった。


 重傷を負った団員たちを急ぎ組織専属の非合法病院へ運び込み、私は緊張の糸が切れたように待機室のコンクリートのように冷たい硬いパイプ椅子に腰を下ろしていた。


 ――その時。


 ガシッ、と目の前が風を切る音がして、次の瞬間、私の頬に激しい衝撃が走った。


「あなたという人は……! 一人の負傷者のために、ほかの全員の命を危険にさらして全滅しかけたんだぞ!」


 見たこともないほどの激怒をあらわにし、飼育員が私の胸倉をつかむ勢いで詰め寄ってきた。


 ……そうだ。その通りだ。


 私の勝手な判断と未熟な行動のせいで、あわやあの場にいた全員があの弾幕のなかで命を落としていたかもしれない。あれは決して「人助け」などではなく、最悪の自己満足による大チョンボだったのだ。


 言葉を失い、うなだれる私を前に、飼育員は突然、その場に力なく崩れ落ちた。


「だけど……だけど……あの子たちを見捨てないでくれて、本当に……本当にありがとうございました」


 飼育員は、制帽を深くかぶりこんだその下から、大粒の涙を拭おうともせず、私の前で文字通り泣き崩れていた。


 私はそのあまりの態度の急変にあっけにとられたが、すぐに胸の奥が熱くなった。——そうか。この組織の誰よりも、団員たちの安全と命を案じていたのは、他ならぬこの飼育員自身なのだ。全員を危険に晒すわけにはいかないからこそ、あの場で苦渋の「見捨てろ」という命令を下さざるを得なかった。


 事実、私のとった行動はたまたま結果オーライだっただけで、一歩間違えば、この世に私たちは誰も残っていなかっただろう。本当に、今回は奇跡的に結果が良かっただけなのだ。


 それからしばらくして、飼育員と並んで待機室のベンチで静かに待っていると、手術を終えた負傷者の子がストレッチャーに乗せられて手術室から運び出されてきた。


 意識を取り戻したその子は、傍らに立つ飼育員の顔を見てほっと安堵の笑みを浮かべ、それから私のほうへゆっくりと顔を向けた。


「……事務員のおじさん。本当に、ありがとう」


 ニコッとあどけない笑みを浮かべてそう告げたその子は、いつもあの『マウス』の仮面をかぶっていた団員だった。


 今、初めてその素顔を見た。おそらくまだ二十代の、あどけなさが残る若い子だった。


 ——どうしてこんな若い子が、こんな命がけの裏稼業に身を投じているのだろうか。


 胸の奥が複雑なもやもやで締め付けられたが、それ以上に「無事で本当によかった」という安堵が込み上げ、私は思わずその場で涙をこぼしてしまった。負傷した子はそのまま専用の病室へと運ばれていった。


 そのあとも、治療を終えたほかの団員たちが続々と待機室に集まってきた。


 一部の荒くれ者な団員からは、飼育員と同じように「無茶しやがって」と厳しくお叱りを受けたが、その目には確かな温かさが宿っていた。申し訳なさでいっぱいの私に、最後には皆が涙を浮かべながら「ありがとう」と声をかけ、ぎゅっと力強く抱きしめてくれた。


 ——この組織の連中は、お互いがかけがえのない家族のようで、荒波の中で寄り添う小舟のようにあまりにも強い絆で結ばれている。


 やがて、飼育員から「入院が必要な者以外は、本部へ帰るぞ」と指示があり、私は再び新しい回収バスの運転席へと乗り込んだ。


 帰り道の車内。さすがに今日の死闘で心身ともに限界だったのだろう、団員たちは皆、泥のように眠りに落ちて一言もしゃべらない。


 そんな静まり返った運転席のすぐ隣の助手席に座り、飼育員がポツリと話し出した。


「さっきは……感情的になって叩いたりして、すみませんでした。本来なら、私が完璧な救出ルートを指示しなきゃいけなかったのに、『任務の優先』と『生存確率』ばかりを天秤にかけてしまって……」


 そう言って、珍しくしおらしく謝罪してくる飼育員に、私は首を横に振った。


「い、いえ……あの状況なら、あなたの判断が組織のリーダーとしては正しかったはずです」


 私の言葉を聞いて少しだけ表情を和らげた飼育員は、しかし、遠くを見るような目で、さらにぽつりと言葉を続けた。


「……今回の任務の成功でね、今後この国は、世界を巻き込みながら大きく変わっていくことになります。そうなれば、今日あそこにいたあの子たちのような、身寄りのない孤児や行き場のない子供たちも減っていくだろうし……この世の貧困問題の構造だって、根本から覆っていくはずなんです」


 ボロッとそう呟いたあと、「……少し, 寝ますね」と言い残し、飼育員もまた静かに目を閉じて眠りについてしまった。


 ——いやいや、待ってくれ。


 なんだか今、とんでもない国家機密級のすごい情報をサラッと言われなかったか?


 世界を巻き込んでこの国が変わっていくって……今回の潜入任務データは、いったいどれほど巨大な意味を持っていたというんだ。いや、その前に、そんな世界を揺るがすような恐ろしい任務をサラッと私たちに振ってくるこの人たちは、いったい本当は何者なのだろうか……。


 もやもやとした疑問を頭に渦巻かせながら、私は夜の首都高速を走り続け、無事に帰路についた。


 その日は、体が溶けた鉛のように重くなるほどくたくたになりながら家に帰り、着替える間もなくベッドに倒れ込んで深く眠りについた。


 夢うつつのなかで、今日一日の非日常的な出来事を振り返る。つい数か月前まで、部屋のベッドで天井の染みを見つめてばかりいた冴えない自分とは、まるで別人だ。


 明日は一体、どんなことが起こるのだろうか。

 そんなワクワクするような予感を胸に眠りにつけるなんて——いつぶりのことだっただろう。


 それから数週間が過ぎ、あの命がけの夜が嘘のように、アジトにはいつも通りの日常的な任務と事務作業の日々が戻ってきた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!次回の展開もお楽しみに。感想やブックマークもぜひよろしくお願いします!

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