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第五話

お読みいただきありがとうございます!第五話どうぞ!

 それから、いつものようにうだつが上がらない日々が一週間ほど過ぎたころ、私はまた「何か」を求めて未開の地へと足を向けていた。


 今日は若者の街、原宿――『竹下通り』へ行ってみよう。一度その派手な喧騒を自分の目で見てみたかったのだ。


 前回と同じくお金などないため、今回も店には入らず、ただひたすらに街を歩き回る。そして夜になると、都内一の歓楽街である新宿へと移動し、足を踏み入れたのは『歌舞伎町』だった。


 駅を降りると、そこは幾重ものビル群に囲まれた、まるで獲物を飲み込む巨大な怪物の巣穴のような現代の光の迷宮だった。前日にスマホのSNSで街の様子を調べてはきたものの、無一文の私にはどれも贅沢な選択肢に思えて、有名そうな建物の前まで行っては外観を眺めるだけ。ただひたすらに、熱を帯びた群衆という名の濁流の中を徘徊していた。


 きらびやかなネオンの看板、どこか鼻をつく雑多な匂い、そして時折、道端で酔いつぶれ、汚物を吐き散らしながら眠りこけている人々。あまりにもカオスで、圧倒的な熱気を持った街だった。


 それから少し歩き、ある雑居ビルの前で足を止める。「なんとなく、このビルの屋上に登ってみたい」と思い立ち、飲み屋がたくさん入っているそのビルへと足を踏み入れた。


 階段をひたすら上り、最上階までたどり着いたものの、屋上へ通じる出入り口は見当たらない。どうやら、一般客が立ち入れるような場所ではないらしかった。こんなきらびやかな街の喧騒を、上から見下ろす夜景はどんなものか見てみたかったのだが。


 諦めてエレベーターに乗り、一階へと下りていく。その途中、途中の階から一人の激しく酔っ払った人物が乗り込んできた。


 面倒事に巻き込まれないよう、私はそっと視線を下に落とした。しかし、どこかで見覚えのあるその背中と横顔に、ほんのわずかな好奇心が湧き上がり、チラリと視線を向けてしまう。


 ――その瞬間。


 ぐらりと大きくバランスを崩したその酔客が、よりによって私の胸元へと寄りかかるように倒れ込んできた。


 支えようと腕に力を入れたとき、私ははっと息を呑んだ。あの日、渋谷の修羅場で圧倒的な強さと気高さを誇っていたあのヒーローの男性が、酒にはこれほどまでに弱かったとは。あの凄まじい雄姿を知る身からすると、何とも言えないシュールな状況だったが、彼の背中には今もあの日の熱が残っている気がした。


 そんなことをぼんやりと考えながら、倒れこむ男性の身体を前後から支え、一階へと介館しようとする……いや、介抱しようとする。


 もう少しで一階に着くというその瞬間、抱えている腕の中から、氷を噛み砕くような冷ややかな女性の声が飛んできた。


「おい、おっさん、もう大丈夫だから離してくれます?」


 誰がおっさんだ。……いや、今はそんなことを言っている場合ではない。


 声をかけられて振り返ろうとしたが、支えている男性の感触がどうもおかしいことに気づく。慌てて手元の感触に視線を落とすと、そこにはいつの間にかすり替わった――見目麗しい一人の女性が、私の腕の中にすっぽり収まり、こちらを氷のような冷たい目で睨みつけていた。


「っ……!」


 そのあまりに冷ややかな拒絶の眼差しに、脳裏の奥底で嫌な記憶がフラッシュバックする。


【回想】

(——お前なんかに関わってほしくなかった)

【回想終わり】


 危うく過去のトラウマの沼に引きずり込まれるところだったが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。現実へ意識を引き戻した瞬間、私は背筋から冷たい血の気が一気に引いていくような強烈な冷や汗をドバっと噴き出した。


 ……なぜなら、今まさに介抱しようと男性(だと思い込んでいた女性)の身体を抱えていた私の両手が、あろうことか、その女性の柔らかな胸元をガッツリと鷲掴みにする形でホールドしてしまっていたからだ。


 直後、チンと軽やかな音を立ててエレベーターの扉が開き、一階のフロアに放り出された。目の前には、そのビルで働いているのであろうキャバクラのドレス姿の女性が二人、呆然と立ち尽くしている。


 脳がショートし、「いや、これは違うんです!」と叫ぼうとしたが、あまりの衝撃と言葉の出なさに、喉の奥から乾いた息しか漏れない。


 傍から見た私の姿はといえば――薄汚れた中年男が、酔いつぶれた若い女性を介抱するふりをして、堂々とその胸をもみしだいている犯罪者のような最悪の変態紳士そのものだった。


「変態——ッ! 誰か『Zoo』を呼んで!」


 女性の絶叫が、ビルの一階ロビーに鋭く響き渡る。


 咄嗟に女性から両手を離し、降参するようにパッと両手を突き上げたが、時すでに遅い。ガヤガヤと周囲から野次馬や関係者がぞろぞろと集まり、瞬く間にエレベーターの前が囲まれてしまった。


 何が何だか全く理解できない。だが、客観的な状況証拠があまりに黒すぎて、何をどう言い訳しても言い逃れなど不可能だった。


 ほどなくして、その場に奇妙な一団が現れた。動物のリアルな被り物を頭からすっぽりとかぶった、複数の人物たちだ。


 ……そういえば、さっきあの女性が「Zoo」と叫んでいたような。頭の片隅でぼんやりと考えたのも束の間、彼らは有無を言わせぬ手際で私を取り押さえ、そのまま近隣の別のビルへと連れ込んでいった。


 ビルの一室へと押し込まれ、二階の部屋のドアが開く。


 中に入った瞬間、私は思わず息を呑んだ。部屋のあちこちに、同じように動物の仮面をかぶった人物たちが無言で立ち並んでいる。一言でも余計なことを口走ったり、ピクリとでも動こうものなら、まるで牙を剥いた獣の群れに引き裂かれるかのように即座にここで駆逐されそうな——そんな、底知れぬ重々しさと異様な緊張感が漂う空間だった。


 そんな異質な空気の中、頭に動物の被り物ではなく、なぜか飼育員風の制帽を深くかぶった一人の男が、ゆらりと歩み寄ってきた。顔の大部分が影になって表情は読めないが、その男は私を見るなり、こう声をかけた。


「いやぁ、大変な目にあいましたね。おおむねの事情は、先ほどの彼女から聞いていますので、もう大丈夫ですよ」


 咄嗟に「ち、違うんです!」と弁明の言葉を叫びそうになったが、あまりのプレッシャーに声が喉でつかえて出ない。


 そういえば、騒ぎの発端となったあの女性の姿がどこにも見当たらない。いつの間に消えていたのだろうか。彼女はこの怪しげな人たちと、いったいどういう関係なのだろうか。


「先ほども言った通り、こちらで事情は把握していますから、もう帰っていただいて構いませんよ」

 男は不敵に、しかしどこか柔らかく口元を緩めながらそう言った。


 私は張り詰めていた肩の力を一気に抜き、心底からほっと胸をなでおろした。だが、この異様な空気に対する耐性のなさからか、安堵と同時に抑えきれない疑問が口をついて出てしまう。


「あ、あの……! さっきの女性は一体……あなたたちは、何なんですか……?」


 パニックになりながらも問いかける私に、制帽の男は淡々と答えた。


「彼女——いや、彼(あるいは彼女)ですがね。あなたをあらぬ誤解に巻き込んでしまったから、助けてやってほしいと頼まれましてね。それに、僕たちはここ、歌舞伎町の裏社会を陰から守る——いわゆる『自警団』ですよ」


 前半の発言の意図は相変わらずさっぱり分かったような分からないような感じだったが、「自警団」という言葉だけは妙に腑に落ちた。先ほどのエレベーター前で、女性が咄嗟にこの組織の名前を叫んだのは、ここ歌舞伎町において彼らが絶対的な認知と信頼を得ている証拠に他ならない。


 その事実を知った瞬間、私の胸のなかで、恐怖を押し退けて別の感情がむくむくと頭をもたげた。


 ——私は思わず、目の前の制帽の男にさらに詰め寄るように問いかけていた。


「あの……その、自警団とは、いったい普段どんな活動をしているんですか……!」


 対人恐怖症のくせに、極限の緊張感に耐えかねて少し感情的に、早口でまくし立ててしまう。そんな私を、男は静かに見つめ返した。


「あまり深くはお話しできませんがね。僕たちはここ歌舞伎町を拠点に、警察が表立って手を出せないようなグレーゾーンの案件や、一刻を争う緊急事案を主に扱っている。……それが、僕たちの活動です」


 淡々と告げられる言葉の数々。


 まさに、名前の通りの「自警団」だ。その街の闇に根付き、誰にも知られずに誰かを救うために暗躍している組織。その響きに、私の心は激しく揺さぶられていた。


 気がつけば、私は自分でも驚くような勢いで言葉を紡いでいた。


「あの、人員の……メンバーの募集などはされているんでしょうか!? ここに入るためには、何か特別な条件が必要ですか……!」


 私の剣幕に、制帽の男は少しだけ呆れたように息をつき、それから値踏みするような目で私の全身をジロジロと眺めた。


「特に厳しい条件はありませんが……強いて言うなら、『誰かを救う覚悟があること』、そして『無暗に人を傷つけないこと』、それくらいですかね。……あなた、もしかして自警団に興味があるんですか?」


「はいっ!」


 迷うことなく即答していた。


 毎日が灰色で、うだつの上がらない人生を送っている私にとって、この「自警団」という得体の知れない集団は、どうしようもなく眩しく、激しく惹かれる存在だった。


 弱きを助け、強きをくじく。こんな頼りない私でも、いつかあの日見たヒーローのように、誰かを救う側になれるチャンスがあるのだろうか——。そんな淡く、しかし熱い希望を胸に、私は頭を下げて懇願した。


「どうか、僕をこの自警団に入れてもらえないでしょうか!」


 私の必死な様子に、男は顎に手を当ててしばらく考えこみ、それから私のぽっこりとお腹の出た体型に視線を落とした。


「うーん……正直言って、あなたのその体力じゃ、前線で暴れる『行動部隊』のほうは到底無理でしょうね。ですが……もしサポート役の『事務員』を希望してくれるなら、ちょうど今ひどく人手不足でしてね。入っていただけるなら非常に助かりますが」


「事務員……!」


 たしかに、自分の身体を振り返ってみれば、まともな筋トレなどしたこともなく、偏った食生活のせいで筋肉など皆無、お腹だけが無残にせり出している。誰かを守るための肉体としては、あまりにも頼りない張り子の虎のようなものだった。


 一瞬の悔しさが胸をかすめたが、すぐに頭を切り替える。何せ私には、前職を含めて十数年間に及ぶデスクワークの経験がある。一般的な事務仕事なら人並み以上にこなせる自信があった。


「――事務員でも構いません! ぜひ、僕を雇ってください!」


「それはありがたい。では、詳しい業務内容や、就業規則、お給料の面についてはこちらの書類に記載してありますので目を通してください」


 手渡された書類を開き、私は目を見張った。

 ——えっ……これほどの好条件が……?


 自警団の裏稼業的な組織だと思っていたが、提示された給与額は私の年齢の平均年収を優に超えるほどの破格なものだった。この最悪の経済状況に喘ぐ今の私にとって、これほど救われる条件はほかに絶対にない。


 湧き上がる嬉しさと確かな希望を胸に、私は制帽の男へ深く頭を下げた。


「よろしくお願いいたします……!」


 その場で初出勤の日程を決め、夢見心地の足取りでビルを後にする。帰り道、この日の奇跡的な出会いを思い返すたび、凍りついていた心に温かい血が巡りはじめるような胸の高鳴りがどうしても収まらなかった。


 止まってしまっていた私の人生の歯車が、錆びた音を立てながらも、確かに再び噛み合って動き始めている。自分の人生にこれほど強い希望を持てたのは、いつぶりのことだろう——もう思い出せないほど遠い昔のことだった。


 その夜は、未知の希望に胸を焦がしながら、深く、穏やかな眠りについた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!次回の展開もお楽しみに。感想やブックマークもぜひよろしくお願いします!

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