第三話
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帰宅途中。その日はとても晴れていて、夜空の星が驚くほど綺麗だった。
「明かりの少ない河川敷のほうを歩けば、もっときれいに見えるかもしれないな」
なんとなくそんな気分になり、月見酒でもしようと、甲斐性もないくせにコンビニで五百ミリリットルの缶チューハイを買い、足音を向ける。
河川敷の道をしばらく歩いたとき、川沿いの雑木林の茂みから、ちかっと青白い光が漏れているのが見えた。何だろうと好奇心が頭をもたげ、私はその光のほうへ近づいていく。
茂みをかき分けて進むと、数人の男女が緊迫した声で言い争っているのが聞こえてきた。
「早く〇〇を助けに行かないと間に合わなくなる! △△はまだなのか!」
男の一人が、焦りを滲ませた必死の声で周囲の仲間へ訴えかけている。
それに対して、女性の一人が冷徹なまでの冷静さで答えた。
「△△は怖気づいて逃げたんじゃないかしら。だけど、『××門』はあと一人いないと開けられない」
何を言っているのか、さっぱり意味がわからない。だが、尋常ではない緊迫感だけが伝わってくる。――ま、私に関係のある話じゃないな。
そう思ってそっと引き返そうとしたとき、別の女性が不意に声を張り上げた。
「この際、人数合わせでそこらの人間を一人連れていけばいいのではなくて?」
「どういうことだ」
「あそこにいる男を××門まで引っ張ってきて、門が開いたあとにすぐ帰らせればいいのよ」
そう言いながら、彼女は突然こちらへ指を突きつけた。
背中を向けていた私は、嫌な予感に背筋を冷たい蛇が這いずり回るような悪寒を覚えながら振り返る。――おっと、嫌な予感は見事に的中した。どうやら、あの女は間違いなく私を指さしている。
四人の男女が何やらひそひそと言葉を交わしたかと思うと、その隣に控えていた大柄な男が、ずしり、ずしりと地響きを立てながらこちらに歩いてきた。
「しまった」と思った瞬間、次の瞬間にはその巨漢にまるで農具でも扱うかのようにひょいと抱きかかえられていた。
「本当にすまない。俺たちに協力してくれ」
男は申し訳なさそうな顔で頭を下げてくるが、あの――これは相談ではなく決定事項なのでしょうか? 私に拒否権や発言権というものは存在しないのでしょうか?
そんなツッコミを入れる間もなく、彼らはものすごい勢いで雑木林を駆け抜けていく。そして、空の真上に昇った月が川の光を反射したその瞬間、全員が濁流めがけて飛び込んだ。
いわゆる「ワープ空間」というやつなのだろうか。しばらくの間、強烈な光に包まれ、洗濯機の中でぐるぐるとかき回されるような浮遊感に襲われる。
やがて光のトンネルを抜けた先で待ち受けていたのは、耳をつんざくような戦闘の爆音と轟音だった。まるで、一瞬にして地獄の釜の蓋が開いたかのような凄惨な戦争のど真ん中に放り込まれたかのような錯覚……いや、現実。
ふと、背後から大きな影が私を覆い隠す。その瞬間、先ほどの大柄な男が、後ろから襲いかかってきた何者かを凄まじい拳で殴り飛ばした。
よく見ると、殴り飛ばされたその怪物の手には、不気味に光る長細い剣が握られている。どうやら、あの巨漢の男が私を救ってくれたらしい。
だが、その怪物を直視して私は息を呑んだ。人間に似た姿かたちはしているものの、肌は血のように赤黒く、頭には生えかけの短い角のような突起がある。
周囲を見渡せば、先ほどまでいた日本の見慣れた河川敷など影も形もなく、そこはまるで火炎で焼き尽くされた地獄絵図のような荒れ果てた荒野だった。視線の先では、背中に漆黒の翼を生やし、頭に角や獣のような耳を生やした者たちが、血みどろの激しい殺し合いを繰り広げている。遠方には、禍々しくも巨大にそびえ立つ城塞が見えた。
「一気に城まで駆け込むぞーっ!」
先ほどの男が大声で残りのメンバーに号令をかける。
残りの三人もうなずき、城へ向かって猛然と突撃を開始した。その中で、私はまたもや大柄な男の脇に抱えられたまま、戦場を駆けていく。
――なんだか、拾われたばかりの子犬のような気分だ。一応、私は身長一七〇センチ、体重六十キロの中肉中背なのだが、この男の腕の中ではあまりに無力で、自分が軽すぎて悲しくなる。
そうこうしているうちに、一行は城の門へとたどり着いた。
入場する際も門番らしき異形の怪物たちに道を阻まれたが、この数人——特に仲間たちは桁外れに強かった。
奥へ進むにつれて、まるで黄金の神殿のような厳かな回廊が現れ、次から次へと立ち塞がる敵を、彼らは文字通りバッタバッタと切り伏せていく。
そうしてようやくたどり着いた最奥の部屋には、巨大な五つの引手が不気味に並んでいた。
「みんな、それぞれの配置につけ!」
「おい、お前はそこでいい」
大柄な男にそう言われ、私は一つの引手の前に放り出されるように降ろされた。男自身は別の引手へと足早に向かう。
「合図をしたら、その引手を全力で引いてくれ!」
私を睨みつけるようにして男が叫ぶ。
やがて「せーのっ!」という緊迫した合図が響き渡り、私は訳が分からないまま、無我夢中で目の前の引手を力いっぱい引き抜いた。
全員が同時に引手を引いた瞬間、部屋の奥にあった巨大な扉が轟音とともに開き、その向こうから目が眩むような光があふれ出した。
――ははーん、またこの光に飛び込めってわけか。
そう冷静に構えていると、仲間たちが次々と私に声をかけていく。
「おっさん、本当に助かった。ありがとう!」
そう言い残し、男Aは光の中へ飛び込んでいった。
――おっさん言うな。せめてお兄さんくらいに見られたかったかもしれないだろ。
「危険な目に合わせてごめんなさい」
そう言って女性Aが光へ消える。いやいや、こっちは心臓が止まるかと思いましたよ。
「どうか、ご無事で元の世界に帰ってくださいね」
そう言って女性Bが微笑みながら飛び込む。いや、もうここまで来たら最後までつきあいますよ。
最後に、大柄な男が私をじっと見下ろし、深く会釈をしてから光の中へと身を投げた。
一人、広間に取り残された私。
てっきりまたあの巨漢に抱えられるものだと思っていたが、どうやらここはセルフサービスらしい。深く息を吸い込み、覚悟を決めて私もその光の中へ飛び込んだ。
再び眩い光のトンネルを抜け、次の瞬間、どさっと硬い地面に投げ出された。
今度は足元に柔らかな芝生の感触がある。あたりを見回すと、見覚えのある草木――間違いなく、最初に迷い込んだあの河川敷の雑木林だった。
私はその場にへたり込み、ぽかんと体育座りをした。
あそこは、とてつもなく危険な場所だった。あの大柄な男が守ってくれなければ、何回死んでいたかすら分からない。
だが――不思議と、心の奥底で何かが沸き立っていた。引きこもり生活ですっかり錆びついていたはずの自分の感情が、炭酸飲料の栓を勢いよく抜いたように激しく躍動しているのが分かる。あの異世界のような空間、命のやり取りが行われている圧倒的な非日常。恐怖と同時に、とてもワクワクしてしまった自分が確かにいたのだ。
「あの後、あの人たちはどうなったんだろう……」
そう思い馳せた矢先、現実の静けさがスッと戻ってきて、急に強いむなしさがこみ上げてくる。まあ、あいつらは命がけで真剣だったのだから、こんな呑気な感傷を抱いている私に申し訳なさも感じてしまうが。
しばらくそのままの姿勢でもやもやと考えてしまっていたが、いつまでそこにいても何も起きるわけがない。仕方なく立ち上がり、帰って眠ることにした。
久しぶりに外で飲もうと買ったあの缶チューハイのアルコールは、この壮大な冒険のせいでとっくに抜けきってしまっていた。
その日は家に帰るなり早々にシャワーを浴び、今日起きた信じがたい冒険の残像を思い出しながら眠りについた。
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