069 戻った日常、戻らなかった日常
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「おっ、翼!」
聞き覚えのある声がした。
「もう来てたのか」
振り向くと、夏休み前まで同じグループだった男子学生だった。ダンジョンへ通い始めてから、ほとんど話さなくなった相手でもある。
「久しぶり」
向こうは軽い調子で話し掛けてくる。
「夏休み忙しくてさ。課題が何個か終わってなくてさ。見せてもらえない?」
「無理」
即答した。
「もう提出したし」
「写真でもいいから」
「それでも駄目だよ」
首を横へ振る。
「今からじゃ、ほぼ丸写しになるだろ」
「別にいいじゃん」
「いや、良くない」
大学の課題だ。丸写しが見付かれば、提出した俺まで巻き込まれる可能性がある。
「俺も未提出扱いになるかもしれないし」
そう言うと、小さく舌打ちをして離れていった。
背中を見送りながら、小さくため息をつく。
夏休み前より少し身だしなみが乱れている。腕や首には治療したような跡も見えた。ダンジョンへ潜り続けていたんだろう。
「グループワーク、大丈夫かな」
あの様子では、まともに話し合いができるとは思えない。そんなことを考えていると、
「おはようございます」
担当講師が講義室へ入ってきた。
ざわついていた教室が静かになる。そして出席を確認した後、
「講義を始める前に、夏休み前から変更になった点がありますので、先に説明します」
資料が配られる。
「まず、グループワークについてです」
教室の空気が少し変わる。
「今年度から、グループ分けは大学側で指定します」
あちこちから驚いた声が上がる。これまでは仲の良い者同士で組むことが多かった。だけど、それが完全に変更されるらしい。
「夏休み期間中、人間関係の変化により孤立する学生が増えました」
講師は淡々と説明を続ける。
「公平性を考慮し、今後はこちらで編成します」
なるほど、俺みたいな学生も少なくなかったってことか。少しだけ肩の力が抜けた。
さらに講師は資料をめくる。
「もう1点あります。夏休み中、ダンジョン内で亡くなられた学生が複数名確認されています」
その一言で空気が重くなった。
「そのため、大学としても対応を見直しました」
講義を休んだ理由がダンジョン活動だった場合や、課題提出の遅延についても。
「これまで以上に厳しく対応します」
教室の後ろから小さなざわめきが聞こえる。
「学生の本分は学業です」
それは正論だと思う。ただ、バイトで生活費を稼いでいる学生も少なくない。そう思っていると、
「なお、経済的理由でアルバイトを行っている学生については、大学独自の支援制度を新設しました」
講師が続ける。
「条件を満たした学生には、学費や生活費の補助を行います」
ただ厳しくするだけじゃないらしい。大学なりに考えた結果なんだろう。
心配していたことが一つ減った。そんなことを考えていると、教室の反対側から鋭い視線を感じた。さっき課題を断った元友達だ。
露骨に睨んでいる。
「……面倒だな」
逆恨みもいいところだ。講義が始まる前から疲れそうだと思いながら、俺は配られた資料へ目を落とした。
1限目の講義は、大きな混乱もなく終わった。
変更になったグループワークについては、来週から本格的に始まるらしい。まだメンバー表が配られただけだったので、今日のところは説明だけで終わっている。
教室を移動し、2限目の講義室へ向かう。席へ着くと、こちらでも講師が最初に話し始めた。
「まずは大学からの通達があります」
内容は1限目とほぼ同じだった。グループワークの編成変更。ダンジョン活動を理由にした欠席や課題遅延への対応。そして、生活が苦しい学生への支援制度。
どの講義でも説明が行われているようだった。
その後、今日最初のグループワークが始まる。
「それでは、このメンバーで自己紹介からお願いします」
机を囲んだのは四人。俺を含めて全員、今までほとんど話したことがない学生だった。
「九十八翼です。よろしくお願いします」
順番に自己紹介をしていく。不思議なことに、以前のような気まずさはなかった。むしろ全員が同じ条件だからか、変に遠慮することもない。
「じゃあ、この課題はこういう分担でどう?」
「それなら私は資料を探します」
「僕はまとめます」
自然と役割が決まり、思っていた以上にスムーズに進んでいく。 以前は仲の良さが優先だった。そのせいで、話す人と話さない人がはっきり分かれてしまうことも多かった。今の方が全員が参加している感じがする。
講師たちも、いろいろ考えた末の変更なんだろう。
そんなことを思いながら課題を終え、2限目も終了した。
「今日は定食にするか」
学食へ向かい、日替わり定食を注文する。席へ座ると、自然とスマホを取り出した。ペットカメラを起動する。
「ミミは……」
画面には、キャットタワーが1階で俺の部屋にはないので、ベッドの上から机の上、タンスの上、カーテンレールの上など色々な場所に飛び移っていた。
「にゃ」
身体能力は上がっていて、運動不足を解消するために、家具を上手く利用して遊んでいるようだった。
そんなことを考えながら昼食を食べる。周りでは友達同士で楽しそうに話している学生も多い。俺は1人だった。
だけど、不思議と寂しいとは思わない。
「案外悪くないな」
大学だけ見れば、以前より少し味気ない。でも、それ以外は充実している。
キャンプ、革細工、居酒屋のバイト……家族とミミがいる。だからなのか、1人で学食を食べていても、以前ほど気にならなかった。
昼食を終え、3限目を受け、講義自体は特に問題なく終了した。
バイトまではまだ時間がある。
「革細工の店へ行くか」
大学を出て地元の最寄り駅へ……最近見慣れた革細工の店の前まで来て、ふと立ち止まった。
今さらながら気付く……そういえば、この店って、名前なんだろ。結構な頻度で通っているのに、一度も気にしたことがなかった。
店へ入ると、店長がすぐ気付いた。
「おう、翼」
「店長」
「どうした?」
「今さらなんですけど、この店って何て名前なんですか?」
一瞬きょとんとしたあと、
「……まだ知らなかったのか?」
店長が苦笑する。
「ここはLeatherNoteだ」
「LeatherNote?」
「革に思い出を刻む。そんな意味を込めて付けた名前だ」
店内を見回す。財布、キーケース、バッグ、ベルト、どれも長く使われるものばかりだ。革のノートへ、それぞれの思い出を書き込んでいく感じか……いい名前だな。
店長が少し照れくさそうに笑った。
深く考えると格好よく感じる。使う人の人生と一緒に歩いていく……そんな思いが伝わってくる店名だった。
「よし、それじゃあ今日も頼むぞ」
エプロンを身に付け、いつものように作業台へ向かう。今日も小物作りや下準備を手伝いながら、革細工の技術を少しずつ覚えていく。分からないところは職人さんが教えてくれる。
「そこはもう少し力を抜いて」
以前なら失敗していた作業も、今では自然に手が動くようになってきた。
気付けば、あっという間に時間が過ぎていた。
その後は、居酒屋に行ってキッチンとホールを、臨機応変に対応するかたちで休憩込みで7時間ほど働いて、家に帰る。
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