049 日常と非日常の境界線
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お腹の上を、ぐい、ぐい……と押されるような感覚で目が覚めた。
「ん……」
大した力ではないので、目を閉じたままでも、誰がやっているのかは分かった。それに、お腹の上には、まだ温かな重みが残っている。
「ミミか……」
ゆっくり目を開けると、案の定、ミミが俺の鳩尾のあたりへ前足を乗せていた。左右の前足を交互に動かし、もみ、もみ……ふみ、ふみ……
思わず瞬きをした。
ミミが、ふみふみしている……
子猫が母猫のお腹を押すような、あの独特な仕草だ。
「なんで……?」
ミミのふみふみなんて、ほとんど見たことがない。子猫の頃ですら数えるほどだったはずだ。それなのに、おばあちゃん猫になった今になって、どうして急に?
「ミミちゃんが、お兄ちゃんのことふみふみしてる」
いつの間にか楓が縁側へ出てきて、スマホを片手に、珍しいものでも見るような顔をしている。
「あら、珍しいわね」
続いて母親もやって来た。
「小さい頃にも、ほとんどしたことなかったのにね」
俺もそう思う。
ミミは真剣な顔で、一定のリズムを崩さず前足を動かし続けている。
「お兄ちゃん、どんな感じ?」
「なんか、こそばゆい」
「くすぐったいんだ?」
「押されてる場所と力加減が絶妙なんだよ」
痛くはない。でも、くすぐったいとも少し違う。
鳩尾の少し下を、一定の力で押されたり離されたりする感覚が妙に落ち着かなくて、思わず笑いそうになる。
「にゃー」
ミミは満足そうに一声鳴くと、もう一度だけ強めにふみっと押した。
「翼、そろそろ起きなさい。夕食になるわよ」
「あぁ、もうそんな時間か」
どうやら思っていた以上によく寝ていたらしい。
ミミをそっと抱き上げて楓へ渡すと、嬉しそうに受け取る。
俺は体を起こし、大きく伸びをした。
ポキッ、パキッ。
肩や背中、腰まで気持ちいいくらい音が鳴る。
「寝すぎたな」
軽く首を回してからリビングへ入ると、父親が新聞を読んでいた。
「あれ?」
そういえば今日は休みだったはずだ。俺が帰ってきた時はいなかったよな。
「父さん、どっか行ってたの?」
「少し用事があってな」
新聞を畳みながらこちらを見る。
「翼、大変だったんだってな。後で詳しい話を聞かせてもらっていいか?」
「分かった」
ちょうどその時、母親が料理を運んできた。
「はい、ご飯できたわよ」
全員が席へ着く。
「いただきます」
「「「いただきます」」」
一口食べた瞬間、自然と頬が緩んだ。
「うまい……」
やっぱり母親の料理は落ち着く。昨日は缶詰をそのまま食べただけだったし、昼も牛スジ丼をかき込んだだけだ。こうして家族と一緒に温かい食事を食べられるだけで、妙に安心する。
食事を終え、片付けまで終わると、そのまま食卓で父親へ事情を説明した。
ゴブリンを見つけたこと。子どもたちを助けたこと。ダンジョン管理局へ通報したこと。そして、その後の拘束について。
「――という感じだった」
俺が知っていることだけを話し終える。
結局、愚痴が大半になってしまった。
父親は腕を組んで考え込む。
「お前の話と、少し調べてみた感じだと、ダンジョン管理局の対応そのものは、制度上は間違っていないんだろうな」
「そうなのか」
「あぁ。ただな」
父親は表情を少し曇らせた。
「さすがに戦闘のできない民間人を長時間拘束したうえで、何の補償もしないのは問題がありそうだ」
「やっぱり?」
「同じような訴えがあったことも書かれていた」
新聞ではなく、ネット記事を見たらしい。
「協力義務がある以上、現場に残ってもらう必要があるケースはあるんだろう……だが、半日以上拘束されるなら話は別だ」
父親は指を1本立てた。
「食事の用意もない」
2本目。
「睡眠もまともに取れない」
3本目。
「補償もない」
そして手を下ろす。
「これは明らかに問題になる」
俺もそう思う。俺は犯罪を犯したわけじゃない。義務だから通報しただけだ。それなのに、帰ることもできず、食事もなく、眠ることもできず、朝まで拘束された。
正直、かなり理不尽だった。
「現場の人間に文句を言っても仕方ないだろう。制度を決めたのは上だからな」
「まぁ、そうだよな」
「だからこそ、この制度自体がおかしいという声は、もっと大きく主張されるべきなんだろう」
父親は静かに言った。
「改善されなければ、同じことが何度でも起きる。最悪、拘束されるのを嫌って、入場資格者が通報しなくなる可能性もあり得る」
「そうならないといいけどな」
話が終わると、父親はスマホを取り出した。
「ちょっと連絡してくる」
そう言って別室へ向かった……聞こえてくる話し方は、完全に仕事モードだった。
「翼、腐るものは車から出したけど、それ以外はまだ積んだままだから、明日片付けてね」
「了解」
俺は頷く。
「缶詰とかはほとんど残ったし、そのまま次のキャンプに持っていくかな」
「あんた、懲りないのね。あんな危険な目に遭ったばかりなのに」
「いや、逆に安心したよ」
「安心?」
「キャンプ設営の能力で、ゴブリン程度なら中へ入って来られないって分かったからな」
実際、あの時も境界で止まっていた。あれがなければ、子どもたちを守れたか分からない。
「だから、どこよりも安全だと思う」
母親も納得した。楓も頷いていた。
「確かに、お兄ちゃんのキャンプの中なら安心かも」
会話が途切れる。
俺は何となく自分の手を見つめた。ゴブリンを、自分の手で殺した。あの時は必死だった。子どもたちを守らなきゃという気持ちしかなかった。だから夢中で殴った……
でも今になって考える……人型に限らず、大きな動物を殺したのは初めてだった。
魚を捌いたこともある。肉の塊を切り分けたこともある。けれど、それとはまったく違う。
「……」
体が少し震えた。その時だった……
「にゃー」
ミミが俺の胡坐の中へ入り込んできた。くるりと1回転して座り、そのまま俺へ体を預ける。
俺は自然と笑っていた。
「ありがとな」
頭から背中まで、ゆっくり撫でる。毛並みを整えるように。安心できるように。
そんな気持ちで何度も手を動かしていると、不意に頭の中へ声が響いた。
『手当てスキルを取得しました』
「え?」
思わず手が止まる。
「どうしたのお兄ちゃん?」
「手当てっていうスキルを覚えた」
「手当て?」
母親が首を傾げる。
「文字通り、手を当てると毛艶が良くなったり、回復効果があったりするのかしら」
「回復系?」
「手当てって、治療って意味で使われることも多いけど、本来は手を当てて癒やすことから来た言葉とも言われているのよ」
なるほど、そういう考え方もあるのか。
「じゃあ、癒やし系のスキルなのかな」
「可能性はありそうね」
目指していた能力とは少し違うが、有用そうなスキルなのは間違いない。しかも、ここから派生して新しいスキルへ繋がる可能性もある。
「これはこれで当たりかもしれないな」
その後は家族みんなでテレビを見ながら、他愛もない話をして過ごした。
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