四十三、 新米剣士・オーレン
アーガンド王国軍の新米剣士・オーレンはいつものように聖都の街を警らしていました。
偉大なる聖都は今日も活気に溢れ、行きかう人々は大人も子供もみな笑顔で溢れています。
空は晴れて気持ちの良い風が吹き、この街の平和と安寧を守るのが自分の使命であると若きオーレンは心に誓っているのでした。
するとある街角で、オーレンは生成りの絹のローブを全身をすっぽりと覆った女性に声を掛けられました。
「もし、そこの剣士様。すこしお話をよろしいかしら」
ローブにより顔は見えませんが、その声から若い女性のように思えます。
「ハッ、自分でありますか。何でありましょうか」
「剣士様に相談ごとがございまして」
「であれば、近くに王国軍の詰所があります。そちらで伺いましょう」
「いえ、まずはご内密にお話をしたく」
これは表沙汰に出来ない面倒ごとかと思いながら、しかしまだ新米のオーレンは自分が剣士として頼られたことが嬉しく、
まずはひとりでこの女性から話を聞くことにしました。
そこでオーレンは、この女性を昼からやっている馴染みの酒場に連れて行きました。
オーレンの気心知れた者ばかりの小さい店であれば、話が漏れることもあるまいと考えたのです。
店内には既に顔なじみの客と店主がおり、オーレンが珍しく女性連れで来店したことを少し冷やかしの目で見ましたが、オーレンは
「仕事の相談である」
とそれを突っぱね、女性を店の一番奥の席に通しました。
「すみません、狭くてむさ苦しくてケチな店で。でもここなら気兼ねなく話せますので」
「おいなんだと?狭くてむさ苦しい?」
「はは、違いない」
店の男たちがふざけて言いあっている間に、席に着いた女性が全身を覆っていたベールを取りました。
その瞬間、その狭い店内の空間が、一変しました。
その女性の美しさと言ったらどうでしょう、彼女の髪・瞳・鼻筋・口もと・顎先・首筋・肩からの腕・指先・腹部・太ももからふくらはぎに掛けて脚の流れ、
その頭の天辺から手足の指先までの全てが、まるで造り物のように美しいのです。
これは正に筆舌に尽くしがたいのでした。
男達はこのような美しい人を見たことがありません。
それは人間の女性の、というよりも自然の美しさ、例えば空や雲、山々や夜の月星の麗しさに近いものがありました。
それほど、壮大で神々しくもある"形"なのでした。
男達があんぐりとして言葉を失う様子を見て、女性はにこりと微笑みました。
その表情に、男達はこの目の前にいる"美しい形"が人間であることを思い出した程なのでした。
「あ、ああ。いらっしゃい、こんなケチでむさ苦しい店で申し訳ない。何か飲みますかね」
我に返った店主が慌ててそう言うと、女性は「では乳汁はありますか」と言いました。
「乳汁ですか?酒を割る牛乳ならありますがね」
「ではそれで」
「へえ」
子供でもあるまいに酒場で牛乳とは珍しな、と店主は思いました。
「いいからあるなら出しなさいよ」とオーレンが店主をくさしました。
「少し面倒をお掛けします。私、"無垢族"の出ですので」
"無垢族"、誰もが名は聞いたことのある世界でも有数の希少種族です。
無垢族は心情として他の生命を決して獲りません。
獣類や魚介、虫類はおろか植物でさえもその命を尊び、食することをしない種族なのです。
食は勿論、衣や住も他の生命を使わずに生活をしており、
故に世界で最も気品ある、高潔な種族と言われています。
「へえ、"無垢族"!これはどうも。しかし……牛乳は飲めるのですね」
「ええ、乳は子にそれを飲ませる為にあるものです。命を獲っているいるわけではありません」
「成る程」
「よく無垢族は何を食べているのかと聞かれることもありますが、乳類にはちみつ、それに果物や木の実など。
もともと食される為にある物は、採っても問題ないのです。それらを少し分けてもらうことで、我々は生きながらえているのです。
身に纏うものもこの通り、木綿や絹が主流です」
「へえー!」
と男達は感嘆しました。
しかしそうして他者の命を獲らずに何世代も生きることで、姿までもこんなに清らかで神聖なものになるとは思いもよらなかったのです。
「しかしウチは獣の肉も野菜も出す店だからね。それは承知しておいて」
「ええ、他の種族の生き方には何も申しませんので。私は、ね」
無垢族のその女性は、イノスと名乗りました。
イノスは早速、オーレンへの相談事を話し出しました。
"無垢族"はかつてより人間文明とは距離を置き、魔虫の森のほとりにひっそりと住んでいました。
そこで石や泥を積んで住居を作り、井戸より何度も過した水を汲み、そんな集落が幾つか点在しているのでした。
しかし森窩族と同様に、やはり魔虫の森の中だけではどうしても保てません、
定期的に街に行き、生活に必要なものを買い出しする必要があったのです。
買い出し担当は各集落の持ち回りで必要最低限で行われましたが、その買い出し組が2年程前から出たきり行方不明となり、森に帰らない事態が頻発したのです。
買い出しはいつも集落の力も脚も強い若者が担っており行き倒れることは考えにくく、その人数はすでに四人に登りました。
これは失踪でも事故でもない、同胞が何者かに意図的に狙われいるのではないかと集落の長間での話し合いがありました。
そこでアーガンド王国の王国軍に捜査の申し出を行い、買い出しの際の護衛も依頼したのですが、
これが聞き入れられる事もなく何の調査もされなかったのです。
しかし種族の生活の為にも外へ買い出しに全く行かないわけにもいかず、遂にはイノスの兄が買い出し組として出発したところ、
その隊も行方知れずとなり帰って来なかったのでした。
イノスの兄は聡明で健脚を持つ青年であり、何も悪い所はありません。
そんな兄まで居なくなるとは、これはいよいよただ事ではないとなったのですが、
"無垢族"は不殺を信条とする種族なので武装をして身を守る心得もありません。
改めてきちんと王国軍に依頼して行方知れずになった兄や同胞たちの調査を依頼したのですが、
それもなぜか正式に受け入れてもらえず、今後の進め方について考えあぐねいていたのでした。
そこで周囲の反対を押し切り、イノスが一人で森を出て聖都までやってきたとのことなのでした。
「イノスさん、そりゃ危ないだろう!確実に狙われているぞ」
「物騒な世の中なんだから、もうそこらを出歩いちゃだめだよ」
「だからローブで姿を隠して歩いているのです」
「いや、ローブだけではあなたの美しさは隠せてませんぞ」
「おいオーレン!お前は新米の下っ端といえど王国軍の一員だろう、どうにかして差し上げろ!」
これまでの話を聞き、オーレンは考え込んでいました。
イノスが自分のような若い剣士に声をかけて、さらに内密に相談を持ちかけたのも、王国軍への正式な依頼では動いてもらえないと踏んだからでしょう。
ここは自分のような現場の剣士が、現場で仲間に働きかける必要があります。
「分かりました、私が軍に戻り事情を話しましょう。軍の職務は王国民の生活と平和を守ること。きっと突き止めましょう」
「ああ、どうもありがとうございます!」
イノスは天使のような清らかな声で礼をしました。
そしてこれまで行方知れずとなった兄を初め、"無垢族"全員の年頃や風体をいろいろと聞いては紙に書き記したのでした。
皆若く、健康な男女となります。
オーレンは職務を遂行しながらも、向かいに座るイノスの美しさに心を奪われていました。
容姿だけでなくイノスの発するその声すら美しく、透き通った小鳥のような囀りが耳に心地よく届き、
そちらに意識を奪われてイノスの説明が頭に入らなくなる程でした。その度にオーレンはかぶりを振り、我を取り戻すのでした。
「あの、私どもは貨幣を持ちませんのでお礼はこの石で」
そう言って、オーレンは綿でこさえられた小袋から手の平に小さな石粒を幾つか取り出しました。
「おい、こりゃあ極光石じゃないか!」
店主が驚きのあまり声を上げました。
それは極光石と呼ばれる世にも希少な宝石であり、たいそう高価なものです。
光りを受けると、石の中で小さな火が極彩色で波打ちながら燃えるように見えるのです。
この小さな石粒だけでもどれだけの値段になるかわかりません。
「へえ初めて見た」
「こりゃあ北の森の奥底、最果てまで行かないと採れない石だと聞いているが」
「ええ。私たちが住む北の森の奥は、皆さんが見たこともない"甲殻獣"と呼ばれる狂暴な生物が棲む危険な所です。
どんなに武装した人間の軍隊も、そこまではたどり着けません。しかしながら私たち"無垢族"はどういう訳か"甲殻獣"に襲われることがありません。
よってわが同胞だけがこの極光石を採掘することが出来るのです」
「へえ」
「怪物もあなた方の神聖さに臆して手を出せないわけですな」
「それは何故か分かりませんが、わが同朋の得られる貴重な外貨として珍重しているのです」
「いえ、これは受け取れません。王国民の安全を守るのは軍の使命ですので」
そうオーレンが断ると、「おいおい、それに飲み代も含まれるのだぞ」
と店主が取り乱しました。
その様子を見て思わず微笑むイノスの胸元に、キラリと光るものがありました。
それを目ざとく見つけた店主が言いました。
「イノスさん、もしやその首飾りは?」
「ええ、これも極光石です」
イノスの胸元に在る首飾りの極光石は、手の平に出した石粒とは比べものにならない程大きかったのです。
「へええええ!そんなに大粒の極光石!」
「ここまで大きい粒は珍しいですね。これは私の家系に代々伝わる大事な石で、魔除けとして付けて来たのですよ」
そう言ってイノスは襟ぐりの中からその特大の極光石を取りだしました。
その神秘的かつ不気味ささえも併せ持つ優美で妖しい輝きに、宝石類に興味のない男たちも思わず引き込まれる程でした。
「その大きさ!イリスさん、あなたもしや名のある家系の出なのでは。王族か?」
「フフ、"無垢族"には王族とか平民だとか、そんな概念はありませんので」
イリスはそう応えました。
「しかしそりゃ危ないよ。それ目当てで誘拐されているんじゃないのか」
「いえ、兄たちはこんな大粒は持たず、必要なだけの石を持って出たはずです」
「しかしだね……」
「あい分かりました」
皆の会話をオーレンがそう遮りました。
「話は全部分かりました。私が軍に戻り事情を話します。イノスさんは身を守るためにもすぐ故郷にお戻りください。
結果は"無垢族"の総代に連絡しますのでお待ちください」
オーレンは、この無垢族連続失踪の事件はただ事ではない、何かきな臭さを感じ取り一刻も早くこの美しいイノスを安全な場所へ返したかったのでした。
~つづく~




