四十二、 ボークン博士
聖都の中心地にあるこの中央広場は、朝市でたいそう賑わっておりました。
ここは聖都イチの規模を誇る大きな市で、近隣の町や村々から獣の肉・魚・野菜やらの食材、
そして生活必需品から日用雑貨、薬や酒類まで様々な物が集まっていました。
それらを売る人、買う人が多く集い、人間の営みの活気に溢れているのでした。
横にはその様子を見下ろせるようにアパートメントが立ち並び、その三階の一室の窓から"ボークン博士"が顔を覗かせているのでした。
ボークン博士は先ほど下で買い求めた紅茶を淹れて飲み、その市場の人々の様子を目を細めて眺めているのでした。
その時、部屋の表の扉がドンドンと叩かれました。
はて、こんな朝早くからいったい誰であろうとボークン博士は訝しみました。
このアパートメントは博士の個人的な隠れ研究室であり、この場所を知る者は極わずかな側近のみなのでした。
どなたかが部屋を間違えたのかと思いやり過ごそうとした所、またドンドンと扉が叩かれました。
その音は迷いがなく、中に人が居てそれを確実に呼び出そうとする強い意思が感じられます。
「やれやれ、せっかくの休日にいったい何だ」
そうぼやきながら錠を外して扉を開けた所、そこにはゾロリとした長い外套を羽織り、腰に二本の剣を指した男が立っておりました。
頭巾を深くかぶり表情は伺えませんが、その奥には緋色の目が光っております。
その男の纏う異様な雰囲気に博士は一瞬たじろぎましたがすぐに気付きました。
「……レイロウ殿ですかな?」
その男は静かに頷きました。
「……突然申し訳ない、博士には隠密に会いたかったものですから」
「いきなりの訪問は困るのですが……」
博士はレイロウの腰にある"竜牙"をチラリとみました。
「……まあお入り下さい」
そう言って博士は渋々とレイロウを部屋の中に招き入れました。
レイロウは歩みを進めると室内をぐるりと見まわしました。
そこにある机や棚の上には硝子製のビーカーやら試験管やら乳鉢が多く並び、医療書やカルテが積み上げられ、
隅には人体模型や何やら液体に漬けられた標本に、おまけに鳥や獣の剥製まで置かれています。
つまりここは、お医者の部屋なのでした。
「ここは私の別宅の研究室でね。人を招くようにはできておりませんので、そこいらの椅子にお座りください」
そう言って博士は乱雑な室内をざっと片付け、レイロウの居る空き場所を作ったのでした。
そして木製の簡素な椅子を薦めました。
「いや、結構」
「紅茶はいかがですかな、下の市場で今朝買い求めたものですが」
「それも結構だ」
「そうですか」
ボークン博士は、では私は失礼しますよと、中央の広い机の前にある回転式の椅子に腰かけたのでした。
「レイロウ殿、あなたとお会いしたのは確かアーガンド王国の建国記念日のお祝いの式でしたな。もう何年前になりますか」
「もう十年にはなるかと」
「そうですか、月日が経つのは早いですな。しかし"不老不死"のあなたが医者にかかりに来るなど、思いもよりませんでした」
このボークン博士はアーガンド王国の医療省の大臣であり、言わば王国でいちばん偉いお医者様です。
そしてレイロウはミサンガル大監獄の監獄長、つまり王国中の監獄でいちばん偉い監獄長であり、
レイロウとボークン博士は同じ位にいたのでした。
「是非、高名な医者であるボークン博士に秘密裏に相談をしたく、失礼をさせていただいた」
「……何でしょう」
「これを見ていただきたく」
そう言い、レイロウは外套の頭巾を外しました。レイロウの顔が露わになりましたが、それを見てボークン博士は思わず息を飲みました。
髪は全体的に白く薄くなり、瞼は垂れ、目尻や口元には深い皺が刻まれ、顎の線は何だか弛んでいるのでした。
「……だいぶお老けになりましたな」
博士が慎重に言葉を選びながら口にしました。
そうなのです、レイロウの顔は一気に歳を取ったようになり、初老の男性の様相になっていたのです。
「やはりそう思いですか」
「十年前にお見かけした時はまだ若者の様でした。レイロウ殿は今お幾つで?」
「今年で四十になります」
「……年相応ですかな?」
「そんな訳はないでしょう!これはどう見ても六十は行っている顔だ!」
余りにも気を遣った発言に、レイロウは語尾を少し荒げました。
博士は少しも怯まず眉間に皺を寄せました。博士も大臣です、招きもしてない突然現れた訪問者にそんな言われ様はないのです。
「……これは失礼した」と、レイロウもそれを思い詫びました。
「私も自分で不死人について調べました。 不死人についての研究は余りに少ない。
でも一説には不死人は人間のおよそ五倍から八倍の寿命を持ち、成人になる迄は人間と同じ成長の速度で、
青年期から中年期が異様に長く、300歳過ぎから老年に入る、とありました」
「うむ、私もその様な文献を見た事があります」
「であれば、私の老化は余りにも早い。普通の人間族よりも老けているほどだ。
15年前にあった私の父親の顔もまだ若々しかった、こんなではありませんでした」
「それで私にどうしろと?」
「この老化を止めて、若返る方法は無いものか知りたい」
レイロウのその返答に、ボークン大博士は目を向いて驚いた顔をして、やがて大声で笑い出しました。
「ははは、それは何とも愚かしい!」
その言い方にレイロウは思わずムッとしました。
「いやすみませぬ。しかし良いですか、“不老不死“は太古より人間の願望で有りました。誰しも死を恐れ、いつまでも若く健康で、なるべく永く生きたいと望むものです。
しかし皆のそんな望みも虚しく、ある人は病気で、ある人は怪我で、そして運がよろしくても70も過ぎると老衰で、だんだんだとみな無くなるのです。
その中で不老不死に一番近い者が、あなたがた不死人族です。いや、今はもうあなた"しか"居ないのでしたかな」
「そうだ。しかしその私がこうして急な老衰に困っているのだ」
「よいですか、あなたも聞いた事があるでしょう、『不死人に入れ込むべからず』と」
その言葉にレイロウは口を紡ぎました。それはこれまで何度となく聞かされた言葉なのでした。
「私の先生、タスタク博士はとても偉い先生でした。世に病気や怪我で困った人々、飢饉で食うに食えない人々の為に、
不死人の身体の秘密を知ろうと夕焼け街にあるボタ山へ仲間と赴き、世界で最も下賤か種族と蔑まれていた彼らと共に生活する事を決めました」
「うむ、そう聞いたことはありますな」
「しかしどうでしょう、不死人の研究を進めるとやがて仲間が次々と精神に支障をきたし、不審な死を自ら遂げたのです。
最後まで正気を保っていたというタスタク博士も、遂には自分の顔を短刀で切り刻み、自身の腕を手首まで食べ進んだ所で絶命したそうです」
「……」
「常に冷静沈着、世界で最も聡明であったタスタク博士までが気が触れるという事は王様も大変に心痛め、不死人を誰にも触れさせず隔離する
『不死人保護法』ができたきっかけの一つになったのです」
「……知っている」
レイロウは苦々しく返しました。
そうなのです、不死人の不遇の歴史と共に、その身体の“仕組み”を暴こうとする者には不幸が降りかかる事が確定しており、
それもあり不死人をボタ山から連れ出す事をお上は厳しく禁止したのです。
「しかしーー」
「それにですな」
何か言おうとしたレイロウの発言を止める様に、ボークン博士が口を挟みました。
「急速な老化の原因は、あなたも薄々勘付いているのでは?」
「……なに?」
「その腰にある物騒なモノですよ」
そう言ってボークン博士はレイロウの腰に差してある“竜牙”に目配せをしました。
レイロウは思わず外套で腰元を隠す様な仕草をしました。
「その腰にある刀剣は、持つ者の命を吸って竜の力を引き出すのだとか」
「ああ。だがそれは剣を抜いて柄を握った時に起こる事だ。この革製の鞘にある内は安全である」
「そうですかな?聞きましたぞ、その剣が海の底にあった時、剣の周り一帯だけには海藻も貝類も付かず綺麗なままでまったく腐食していなかったと」
「それは刀身が剥き出しになっていたからだ」
「そうではない。誰もが柄を握っていないのに、周りの命を寄せ付けない点を言っておるのです」
「つまり?」
「刀身を出さずとも柄を握らずとも、もしやその剣の近くに居るだけで命を削られているのではないのですか?」
「……そんな」
レイロウが急に言葉を濁しました。
「何か思い当たる節でもおありですかな?」
「……ここだけの話として欲しいが」
「ええ」
「以前、ある国の王子から贈り物を受けた事がある。その王子が私の事をえらく気に入っているとの事でね。
まあ私は“不死人の剣士”として、子供からの人気は高いので。それでその国の珍しい小鳥を四羽ほど、大きな鳥カゴごと頂いたのさ。
蒼やら翠やら虹色に輝く美しい鳥でね、とても希少な種だそうだ。私も白磁を捕って躾けている位だから鳥も嫌いではない、
だから気に入って監獄長室に“竜牙“のそばにカゴを置いておいておいたのだ。
その日は良い本が何冊か入ってね、私はその傍で椅子に座り読書に勤しんだ。小鳥の美しいさえずりを聞きながらね。
私は夜通し蛍石の下で本を読んだ。あまりに熱中していて、しかし明け方ふと気付くと、小鳥の声が聴こえなくなっていたのだ、ひとつもね。
どうした事かと鳥篭を覗くと、みな横になって死んでいたよ。四羽とも眠るようにね……」
「……成る程ですな」
レイロウの話を聞き、ボークン博士は確信したような表情をしました。
「やはり、その剣は近くに居る者の命も削るようですな」
「……ごく稀にであるが、側近に剣を渡す事もある。短時間ではあるがな。しかし何ともないぞ」
「刀身を抜いて柄を握らない限り、即効性は無いのでしょう。炎も一瞬であれば熱さを感じる事なく触れられる。
しかし炎に手をくべるように置き続ければ大火傷であります。それと似た作用もあるでしょう」
「……」
「人間の命と小鳥の命、どちらが重いかなど私のような者には分かりませぬ。しかし、少なくとも一晩で小鳥四羽ぶんの命を吸う事は確実のようだ。
あなたはその剣を常に身に付けておられるので?」
「そうだ」
「寝る時や食事の時は?」
「不死人は睡眠も食事も必要ない。常に身に付けている」
「やれやれ、ではその剣はいつ手に?」
「あれは14の歳であったから、もう26年前である」
「つまり26年間、あなたはずっとその"竜牙"と一緒にいる算段であると。もう既に小鳥何羽ぶんの命を吸われているか分かりませぬな」
ボークン博士は半ば呆れたように言いました。
「いくら不死人と言えど、命には限りがあるようだ。幾つ命を持っているかは存じませぬが、
常にその剣を身に付けていれば命を吸われ続け、老いるのも早いという訳です」
「つまり……」
「まずはその腰の物騒なモノを、完全に身から離すことですな。なるべく遠くに。それで老化が止まるのか、暫く様子を見て下さい」
「それはならぬ!!」
ボークン博士の提案に、レイロウは即座に反発しました。
「この“竜牙”を狙う輩が世にどれだけ居るとお思いか?奪われでもしたらどうするのか」
「そんな触るだけで死ぬような危険物を、盗るものが居るのですかな」
「居る!博士はご存知ないかもしれないが、この剣は世界中の刀剣蒐集家の垂涎の的であり、正に"刀剣の頂点"となる伝説なのだ。
ひと目見れるだけでも僥倖であり、この剣に触れる為に命を張る者が居ても何もおかしくはない」
「左様か。であれば、大監獄に居る間だけでも離すようにされては」
「ならん!監獄内には多くの人間がいる。その中に狙う者が居ないとも限らない。世界で指折りの囚人も数多おり、いつ何が起こるか分からない」
レイロウのその頑なな様子を見て博士は辟易としました。
『それはあなたが自分の側近を前監獄長の元に何年も潜伏させ、騙し討ちのような勝負をしたのだから、それで仲間内も信じられないのですな』
と言いかけましたが、やはり止めました。
「私の診断に従えないのであれば、もう私に言えることは何もありません。お引き取りください」
「何だとう?」
レイロウは博士の“従えない”という言葉がカチンときたようでした。
「医師であれば患者の望みを聞くのが仕事ではないのか?この私が診察して欲しいとわざわざここまで来ているのだぞ!まずはそれに応えるべきであろう」
「では、まずその剣を離しなさい」
「無理だ」
「無理であるならば、やはりこちらも断るしかありませんな」
「私の願いを断るのか!おのれ」
激高したレイロウが腰にある"竜牙"ではないもう一本の剣の柄を握ろうとした時、ボークン博士が初めて語気を強めて言いました。
「私は王様の主治医ですぞ!」
「む……」と思わずレイロウは閉口して手を止めました。
そうなのです、医療省の大臣であるボークン博士はすなわちアーガンド王国の王様の主治医なのです。
確かにレイロウと同じ地位にはいるのですが、王様との距離であればであれば監獄長のレイロウよりもよほど近いのでした。
レイロウはすっかりしょげたようになり、窓際に向かい顔を外に向けました。
そこの窓ガラスに、随分と老けてしまった自分の顔が映り、さらにゲンナリとしました。
その様子を見て博士が声を掛けました。
「生憎、私はタスタク先生のような偉い医師ではなくてね。他人よりもまず自分の命が惜しいのすよ」
博士の声が聞こえてか聞こえずか、レイロウは黙って外を眺めたままでした。
眼下には、大勢の人々で賑わう市場の様子が臨めます。
商売の威勢よい声が、この三階の窓にも聞こえるのでした。
「どうです、なかなか素敵な眺めでしょう。元々は研究に必要な薬やら道具類を調達するのに便利だからここに離れを構えたのですが、
今ではあそこで良い匂いの紅茶やら出来立ての麺麭を買うのが楽しくてね。
もう店主らともすっかり顔馴染みですよ。ただし、向こうは私を大臣だとは思ってないでしょうがね」
その時、外に顔を向けたままのレイロウの腹がグウと大きく鳴りました。
「はは、不死人の腹の虫とは珍しいものを聞きました。何か美味しそうなものでもありましたか?」
レイロウは窓の外を向いたままですが、まだ腹がグウグウと鳴っています。
それが余りにも鳴るので、博士は少し驚いてしまいました。
「どうです、たまにはあそこで買い物でもされては。これまで不眠不休で剣の道を歩み続けて来たのでしょう、ここいらでひとつ、食にでも拘られてみては。
遠く東の国では、剣士も茶や食を通じて豊かな精神を育むのだそうですよ」
博士がそう言っても、まだレイロウは外を向いたままでそちらから視線を外そうとしません。
しかしよく聞くと、何やらぶつぶつと呟いているようです。
「レイロウ殿?」
博士が訝しんでレイロウの顔を覗き込むと何という事でしょう、
その目は見開らいて血走り、半開きの口からはヨダレがだらだらと流れています。そして
「美味そう……何だあれは、美味そうだ……」
と繰り返し言っているのです。
その様子は正に飢えた野犬のようで、博士はギョッとしました。
医者の目から見てもそれはまともな人間の顔付きでは無かったのです。こんな狂った表情をする者を、博士は初めて見ました。
博士が絶句して思わず後退りすると、レイロウは踵を返してそのまま何も言わずに凄い勢いで扉を開けて部屋を出て行ってしまいました。
いったい何があったのかと狼狽して博士も窓から顔を出してきょろきょろしてみましたが、
そこにはいつも通りの市場の賑やかな様子があるだけなのでした。
「いったいどうしたと言うのだ……まあ良い」
急な来訪者はありましたが、
そう言うとボークン博士はまた休日の朝の日常に戻ったのでした。
~つづく~




