24 追認試験
結婚しちゃったよ♡テヘペロ、どころの話じゃねえ。いつの間にか結婚してたんだってばよ!うぉーい!!色々おかしいこの状況、皆さんがアタシの立場を考えてくれた結果なのだが、どうにもこうにもおかしい。6才よ?貧民街育ちの袖なしよ?神の加護も無いのよ?そして一番重要な筈のアタシの意思確認は?それが貴族に嫁入りとは。アタシも一応女子なので(え?とか言うな!)、恋愛に憧れちゃったりする訳よ(そんな目で見んな!)。異世界なんだし、政略結婚で定番の「お前を愛することは無い」から始まる壮大な純愛ストーリーとか……無いわ。無いね。無いんですよ。当事者アステアスも
「そのうち離婚すれば良いんじゃないのか?」
軽っる!初婚でそんなで良いのかよ。そう。「今」世この世界、その辺りの宗教的な禁忌が薄いので、離婚も連れ子再婚も珍しくない。でも6才で人妻とかってなぁ……響きはエロいな。年齢的に何もしませんよ。ええ。ついでの問題がディオよ。これまーでのあれこーれを考えると非常に面倒くさい事になるのが予測できるからね。なんて言うのは個人的な事情で、そんな事より世の中には大事な事がある。あの後大変だったんだよ。爆弾落としたのはアタシだけどな。
ここに来て予言の巫女ことラミア―の取り巻きパラスが、今年に入ってから西都で頻発している失踪に関与している可能性が浮上した。全てを見通す眼の加護がラミア―の審問会で視た内容の報告書、それが契機だ。市政官殿御一行は衛士の詰め所に伝令を飛ばして複数の失踪者の背景について調べていた三男リビュートを緊急召喚。これは予定だったのだろうが、アタシを回収して市政官邸に帰邸する事になった。ティタ家側は法務と刑務にこれも伝令飛ばして、クラテスの報告書を持ち宮城は刑務へ登城。急に慌ただしくなった。元々あの予言の巫女の審問会の時からアタシは思っていた。
お前ら働かないでどうやって食ってるの?って。
アタシの母さんや娼館のレーナがあの女の説法に喜捨していたのを面白くないと感じていたしね。予言の巫女、紫髪のラミア―は予言自体には金をとっていない。占いや未来予測を売っていた訳でもない。予言の巫女の信者は日雇い仕事をしていると、彼らを監視していたゼフィロスが言っていた。じゃあ、巫女自身と幹部連はどうやって食ってるんだよ、だ。そのカギになるのはラミア―の語る「緑の地」。始まりの神が万人に与えた幸いの地。捻くれたアタシは思うんだ。そんな良い所があるのなら、どうしてお前ら冥府の王のお膝元、こんな地獄の辺縁に居るんだよ。彼らにそれを尋ねれば、きっとこう答える。それを想像した。
「苦しみの最中にある人々を緑の地へ導くために神を説き、旅をしているのです」と。
(………)
パラスは奴隷を欲しがっているテーベの出身。そして予言の巫女の語る緑の地に憧れるのは現実からの救済を切望する人々なのだ。つまり、人的資源が欲しい所から来た奴と、ここじゃない何処かへ行ってしまいたい奴がいれば、
需要と供給が成り立つ。
金が動くのだ。
「パラスが全てを整えてくれました」
パラスはそうして予言の巫女を食わせ、法を説く旅を続けさせているのではないか。だけど彼らは全員で「緑の地」へ向かっている訳じゃあない。何処かへ居なくなるのは信者の内でもあくまで一部なのだ。ある日、まるっと居なくなるのなら、予言の巫女に追従者は一人もいない事になる。
「女性だけに限らないぞ。子供と年寄りはいない」
西都で失踪している者についてリビュートが言っていた。
(就労可能者を選んでやがるな)
病者も老い深き者も選ばれない。そこに人を救う神は居ないから。
「緑の地」がテーベであるとパラスが明言したかどうかは分からない。しなかったんじゃないかと思う。だけどそれは苦しみの最中にある者の心を動かすものだったろう。「前」世のアタシだって過去でも異世界にでも行く電車が出ていると聞いたなら迷わず飛び乗っていた。抱えたものを全て捨てて新しい暮らしを手に入れる事が出来るならば。二度と戻らなくていいならば。アタシがあのまま死んだのは逃げきることが出来なかったから。
クラテスの報告書にあったパラスの発言に「ここが南限」とあった。それも分かる。ドナ川沿いはテーベまで船で遡ることが出来る。プラタイアから西都までは海だ。川を行く船と海の船の形が違う事は西都なら子供でも知っている。川は浅いから平底の船を使う。外洋に出る船は底が鋭角になった竜骨のある構造。が、プラタイアぐらいまでなら沿岸伝いに行くので平底船でも構わない。その南限。
そんな事を考えると、最初の予言の流布も悪意ある省略だったのではないかと思えてくる。西都の民に不安を煽ったのだ。ここではこの先もっと悪い事が起きる、そんな。パラスは元々ラミア―の追手であったのならばテーベの官憲側の人間であろう。受け入れにも問題がない。と、言うよりも、穿った見方をすれば「緑の地」への渡航費と人的資源斡旋の二重取りをしているかもしれない。アタシはその可能性を指摘したのだ。恐らく複数の失踪者の内、一部は「緑の地」を目指したものだろうと。
傍証ばかりでちょっと信じがたいのだけれど本当にそんな事があり得るのかは、アタシのミスリードに引っ掛かって遥か彼方まで捜査を進めていた街道衛士リビュートによって裏付けられた。南北の大門からは出ていない失踪者の八割超えが予言の巫女の説法を聞きに行っている事が判ったのだ。それも熱心に。周囲にそれを語る者もあったらしいし、中にはパラスであろうフードの幹部に声をかけられているのを目撃されていた者もあった。残念ながらビンゴ、なんだろうな。
問題はこれが犯罪なのかどうかという点だ。家出人から費用を受け取って渡航を斡旋しているだけなら、国家的損失は別にしても犯罪かどうかは微妙。明らかに犯罪なのは二件の死体遺棄事件だけになる。街道市で見つかった遺体の件だ。
最初に街道市で死んでいた男、彼は洪水被害のあったプラタイアと取引をする商人で負債を抱えていたらしい。妻子を実家に戻した後、男は残った物を金に換えていた。同じく街道市で死んでいた女二人は、とある貴族家の使用人で旅支度としか思えない物を所持していた奴だ。当初、街道市での買い物に出たままと言う話であったが、実際には「家の使い」の内容が違っていたことをリビュートは突き止めていた。彼女達は貴族の主に公娼登録をしてくるように命ぜられていたのだ。
「あー、あの時点では公娼登録なしの婚外交渉は違法になるって話だったからね」
「慰み者にされているだけでも相当だろうに、娼婦の登録をして来いと言うのだからな」
あの時は登録の官吏も好き勝手をやっていた。そして三人共がパラスと言葉を交わしているのを目撃されている。
結果として、宮城はパラスの強制召喚を決めた。指名手配だ。パラスの身分は明らかではないが、疑わしきは罰するのがこの社会。複数の失踪を西都の民を騙し連れ去る詐欺であると断定したのだ。街道の三遺体の死に関しても確認したい。それらに国家としてのテーベの関与を問う、と。現在行方不明になっている者も探せ、そういう事になった。その判断は予言は信じるけれど緑の地は信じないと言うのに等しいのだけどね。
予言の巫女、ラミアーはあの審問会の後、まだ拘留されていた。審問会でもパラスに事情を説明させよとなってはいたからだ。ただ、その時点ではパラスの動きについて何も想像してはいなかったから、ラミアーを迎えに来たパラスを拘留する予定であったらしい。刑務は迎えを寄こすよう信者らに伝達したが、そのパラスは来なかった。彼が姿を眩ませたと気付いたのはティタ家からの報が入ってからである。パラスは予言の巫女を、ラミアーを捨てたのだろう。デキてるようには見えなかったもんなぁとアタシも思い出す。信者に比べて熱量が感じられなかったのだ。その巫女の追従者達はパラスの代わりに刑務に拘留された。平民の扱いは軽い。彼らはパラスについてほとんど知らなかった。聞き出せたのはパラスと二人の男は「月の船」で「緑の地」へ渡ったのかもしれない、という事だけだったらしい。
様々な事情が出てくると、アタシももっと早くに気付いていれば、という気にはなる。けれどアタシ、神様じゃないからね。肩をすくめる事しかできない。周囲の誰も気付いちゃいないようだが、予言の巫女の信徒で失踪中というのなら、アタシの母さんもそこに含まれる。
(………)
ため息を一つ。
後は良識ある大人にお任せするよ。
蒼の4月は13日。今夜、朱の月は昇らない。新月になるのだ。アタシの結婚が発覚(浮気みたいだな)した翌々日だ。アタシは市政官邸に居る。表の公務を行う場所ではなく内邸の方ね。若奥様だからではないぞ。理由は今日、港で大捕物が予定されているから。富める者の通りもエーギルの自宅も港に近い。万が一があるので避難しておくよう言われたのだ。
結局、パラスたちも失踪者も見つかっていないままだ。彼らは南北の大門を出ていない。あの後すぐにエリトゥラ商会のエーギルによって港は監視が強化されていた。元々脱税目的の抜け荷対策として船荷は検めがあるのだ。その辺は賄賂で何とかするものだけど、エーギルが調べても何も出ては来なかった。つまり出航した船に異常は無く、彼らはまだ西都の内に居る事になる。彼らも何時までも潜伏してはおられまい。蒼は満月に近いが朱の月が新月になる今夜なら普段よりは暗い。居なくなった者たちが西都から抜け出すつもりでいるのなら、今夜あたり港に集まって来ると予想されていた。夜陰に紛れて出港するのではないかと。それを隠れて待ち、姿を現したところで一斉に捕縛する予定だ。
市政官邸にはディオとゼフィロスもお呼ばれしている。ゼフィロスは刑務から戻った後、ティタ家の内で正式に処遇が決まるまでアタシに世話役が任じられていたのだ。施療院の中とかその仕事ぶりなんかを見せる程度だったが、そのアタシが突然寿移動になったのだ。ティタ家もバタついていたが、ちょっと待ってろと言われもゼフィロスには帰る家がない。どうせ待つならとアステアスが招いたものだ。ゼフィロスの事はアステアスも心配していたからね。ゼフィロスはアタシみたいに外出禁止ではない。アタシと違って身分を弁えた振舞いが出来るのでサトゥルノにも認められている。つまりクラテスの玩具に置いてくるには少々不向きだったのだ。
で、ディオですよ。市政官邸は修羅場になってるんじゃないのって?そう……。元結婚を約束した(本人思い込み)男と現夫に尻軽女、更には小姑も参戦。それぞれの役どころを考えると、同席してくれるゼフィロス様様である。言っておくが、アタシは尻軽なんじゃない。ノーパンだから尻出してるだけだ。え?どちらでも大問題?それは兎も角、何故ディオまでって?これは
「ディオがショックを受けないように」
アタシとの婚姻の話が出た時にアステアスが護衛のレレクスに相談した結果なのだ。アステアス様、平民相手に配慮が出来るようになってるよ!成長を感じて涙ぐむ胸アツ展開……じゃねえ。こっちは戦々恐々。呼ばれた時点で用件は明らかにされていないので、ディオもディオでほいほい出てきちゃってるんだよ。レレクスはディオに言ったのだ。
「竜騎士になりたいのなら指導してやろう」
レレクスに憧れてるディオが喜ばない筈がない。しかも見習い仕事中のディオをアステアスの都合で召ぶからと、ディオと彼が唯一乗れる騎竜(騎竜って人を選ぶらしいよ)とを竜車屋から一日借り上げた。おお、太っ腹だぜ。で、アタシとゼフィロスが見学する中、騎乗して槍に見立てた棒をとり回す訓練等々よ。ちゃんと騎竜に乗れてるじゃん、ディオ。で、レレクスはアステアスとディオを指導しながら話をしたって訳。当然あの話題についてだよね。
「男同士の話って雰囲気だよね」
「いや、勘弁してほしいんですけど」
途中、ディオがとんでもない顔でアタシを振り返ったので内容は言うまでもない。ええ。既婚なんですよ、あんたの幼馴染。本人だけどアタシもつい最近知ったわ。これ終わったら修羅場かよー、トホホ。ところがだ。騎乗訓練を終えたディオは
「神ノ御業ハ奇シクシテ想イヲ掛ケシハ遂ゲズトモ、思エヌ処ニ道ゾアル。カク不可思議ノ神ノ御手」
何か変なスイッチ入ってない?レレクス、ディオに何言ったんだ?
「永遠ノ伴侶トニ君ヲ得ン」
聞くに聞けないよ!これ、何なの??誰か教えてー。
結局夕方まで市中に動きは無くて、アタシ達は夕食まで頂き泊まっていくよう言われた。ヘカテーもアステアスもこれまでこういう機会が無かったらしく、とても楽しそうだ。「前」世のバックギャモンみたいな双六をしたりね。ふむ。これも定番だけどゲーム販売もありね。ゲーム関係は特殊な材料が必要ないのが良い。アタシは亡国の遊戯でいくかね。なんて次の蓄財計画を考えたりしていた。子供たちだけの夕食後は三階のテラスへ。お食事様もアタシ達「が」相応しくない物だったが(「に」じゃないぞ)、食後にもフルーツ盛りとか果実水とか用意されちゃうんだよ、スゲー。夜風に当たりながらゼフィロスの笛を聞く。上街のお屋敷は広い敷地の植栽の闇に沈んでいるけれど、ぽつりぽつりとと市中の灯が見える。月が二つあれば夜の西都がもっと良く見えるのだろうに。今日は朱の新月。空には蒼の月だけが昇る。満月に近い蒼が見える筈だった。残念ながら今日は曇り。ここ暫く雲一つない日が続いていたのに憑いてない。
(終わったな)
と思う。西都も今夜を過ぎれば落ち着きを取り戻すだろう。アタシも家族との関係が一段落しているような気がしているのだ。「前」世を入れれば結構長く生きている筈なのに、いつも苦しくて苦しくて苦しかった家族との関係。金どうしよう、ばっかりでさ。そいつがいきなり消えた。安堵と言うのとは少し違う。自分の一部分が突然欠けた、そんな気分。
「そう言や、街道市で遺体が見つかったのって朱の新月だったなぁ。多分、朱の新月毎に人を移送してるんだろうなぁ」
二件目が朱と蒼の両方の月が新月になる二新月だったから気にしていなかった。後で気付いても遅いけど。ここに居るメンバーは皆これまでの状況を知っている。アタシの呟きに答えたのはアステアスだ。
「テーベは朱の月の暦を使っているからな。東の方では朱暦が主流だぞ」
西都を含め西の海岸や南の地域では蒼の月を基準にする蒼暦が使われている。8日で一週の一ヶ月32日で一年は384日ね。朱暦は一月の日数に大小があったり閏が入るのでややこしいのだ。
(ん?)
引っ掛かった。
「東?北じゃないんですか?テーベって」
「授業でやったぞ。東だ」
アステアスの講義に同席させてもらった地政学だ。家庭教師が書物を読み上げる講義だった。プラタイアは西都の北になる。蛇行するドナ川の河口に近い街だから。その最上流がテーベだった筈だ。だからすっかりテーベも北だと思い込んでいた。ドナ川の源流は人の入らぬ地、大森林。西都の背になる峰々も大森林に繋がっている。裾野でさえそうなのだから大森林は標高が高い。アタシは大森林がどのような広がりを持っているのか知らない。もしも、だ。大森林やその繋がりが腕を伸ばす様に湾曲していたのなら?
「……ドナ川は南から北へ流れている?」
「上流の方ではそうなるな」
アステアスの答えは明快だった。つまりテーベは大森林を挟んだ東。
(………)
風に雲が薄くなる。月が射すかもしれない。その方角の空がチカリと一瞬瞬いた気がした。
「今、光った。星かな」
「あんなところに星があったっけ?」
気のせいじゃない。南東の空、随分低い。
ざわり。
血の気が引く感覚。脳裏に情景が蘇る。羅針盤。「地図をつくるんだ」空を舞う水の蛇。記憶の断片に声。「次は図形やるぞ」緑の地。「アンタに何が分かるのよ!」原初の神は与え給う。抱き合った遺体。「ハルピュイアだ!」博物館で見たジンバル構造。「前」と「今」が交錯して。外部が回転しても影響を受けない様は真実が不動であるかの如く。「テーベ」辺境領からの難民が。チクワとはんぺんを作ろう。船。「ここが南限」北の都門。西都、我が街。そして神の加護。爆発的に広がったイメージが逆廻しのように一点に収束する。
―――アタシ。
(南限……)
縦長の平行四辺形の対角線。長い方と短い方。北と東と。
(………)
西都とテーベを直線で結べばプラタイアまで出て川を遡るより近くなる。もしも「前」世のように空を飛ぶ乗り物があるのなら、
大森林など飛んで超えることが出来る。
そして「今」世には飛行機は無くても神の加護がある。
やっぱり図形やっておかなきゃ駄目なんじゃん!!
「アステアス様!月の船!上だ!」
アタシの剣幕にその場の皆が困惑する。
「港じゃない!「緑の地」へは神の加護で創られた船で飛ぶんだよ!」
月の船。天翔ける。
「街道市での墜落死は上空から落ちたんだ」
西都の裏手の山を越えるには難がある。宮城の側は加護持ちも多い。気付かれぬよう市中を行けば、街道の真上になる。何故に市中を横切るのかと言えば、
(潜伏場所が南門の外だから)
北門の先は見通しが良い。そして南門の外には去年難民が使用していた水場や竈が残っているのだ。門を出ていない?飛ぶことが出来るなら都を囲う石壁など超え放題だ。そして出立の機会を待つ。
皆顔を見合わせて思案している。人は鳥ではない。神の加護を持つ者はいてもそんな常識を外れた使い方をする者などいないのだ。この時間が惜しい。
「どうしよう……」
漸く呟いたのはヘカテーだ。大人達は今港を包囲している。仮にそれを知らせても今これから追いつけるのか?先の輝きがそれならば船はもう出ているのだ。市中の警戒態勢も閉じられた都門も空を行くなら関係ない。そして追おうにも都門はすでに閉じている。大門は一度閉まれば開門には手間も時間も必要だ。
「市政官殿に伝えて。北門に開門の急使を出してくれって!」
追跡が決まったらすぐに追従できるよう。ヘカテーが身を翻して公務の表へ。説明を聞いてもらえるだろうか。アタシを認めるこの面子でさえそれを検討するのに随分かかった。言葉を尽くして納得して貰えても、彼らの捜索と追跡に人を割いて貰えるのか。その時には月の船は西都を離れているのではないか。
今すぐに追うことが出来るのはアタシ達だけ。
(追う……か?)
瞬間迷う。追ってどうする?何も出来まい。どうやって引き留める?神に愛されでもしなければ。まだ笛を握ったままのゼフィロスに目を遣った。今宵朱は新月。朱が生命や力を象徴するなら蒼は理性や知恵そして死を表す。蒼の夜。
「行こう」
整った造作。隻腕の月の男神が言った。
「僕は緑の地がどんな所かを知りたい」
彼を捨てた母が行ったであろう地を。
( 「アンタに何が分かるのよ」 )
蘇る台詞に思う。ああ、アタシもだ。言った。
「アステアス様、レレクスを貸してください。市政官殿に経緯の説明を願います。レレクス、騎竜を引き出せ。追うぞ」
即座にアステアスが頷く。決断力は流石。
「それと市政官邸の名を使う許可を!」
「許す!」
三階分を駆け下りて竜舎へ。大柄のレレクスが駆けるのを子供らが走って追うのに使用人が物を取り落とし悲鳴を上げる。悪いね、育ちが良くないもんで。市政官邸は裏手の竜舎に飛び込むとレレクスの騎竜が嬉しそうに声をあげた。ディオの騎竜もだ。「何事?」竜舎を担当する使用人が顔を出す。灯の方が来た。今日の捕物では騎竜の使用が想定されていないので、そもそも準備などなされていない。
「もう、急使は出ているかな?」
レレクスが答える。
「急使の騎竜は常に表に用意されているのだ」
どうかそれがもう出ていてくれと願う。恐らく都の内では追いつけない。レレクスが鞍を取り付けるのを足踏みする思いで見守る。
「ゼフィロスとアタシと二人を乗せられる?」
「三人は無理だ」
ゼフィロスの神の加護、風の力を借りるとしても適切に使えるかは不安が残る。アタシも行くべきだ。同行するには、ちらと窺った。
「ディオ、二人乗りは?」
赤髪が得意気に応じた。待ってましたと言わんばかり。
「いけっぞ!」
ってか、全然終わってねえじゃねえか!
二頭の騎竜を駆って市政官邸を飛び出した。手綱を持つ二人が背を守る。行く人を避けるために声をあげる。
「急使!急使!」
空は暗い。建物が邪魔をして真上には居ない事しか分からない。月の船はどれほどの速さ、どれほどの高度を飛んでいる?「前」世の飛行機ほどという事は無いだろう。地面から離れた経験のない「今」世の人々には恐怖でしかない。西都の高層建築は市中なら五階が限界だ。少なくともそれよりは上。
「急使!市政官邸!市政官邸!」
人影はまばらだが、皆無ではない。先に出た急使を見送っていたのか立ち尽くしている人がちらほら。再びの騎竜に慌てて飛び退く。それを躱して走り抜ける。アタシは必死で鞍にしがみついている。怖えーっ!ほかに捕まる所ないんだよ!隻腕なのに問題のなさそうなゼフィロスは凄い。騎手の違いか。それでもディオはアタシを乗せてもレレクスに付いて行けている。
「ディオ結構上手い?」
叫んで聞けば。
「当ったり前だ!」
叫びで返ってくる。中の大路からは竜車のための道を行く。貴族街ならいざ知らず、平民街は夜間に走る竜車などない。道路脇には畳まれた屋台が幾つか。瞬く間に後方に流れ去る。頬を打つ風は潮の香。昼間の喧噪を他所に飲み歩く者をあてにした屋台が一つ、二つと灯りを灯している。普通ではない速度のアタシ達を呆然と見送る。街道に出た。広がった視界。空も広がる。
「いるぞ!」
北橋の上空。仄かな街の明かるさに影の塊が浮かび上がる。気付く者などない。そもそも空を行く者などあろうはずがないから。速度は―――竜車程度。荷台を曳かないアタシ達なら追いつける。駆ける。
「急使!」
市中に伏せていた追捕使が何が起こったのかと出て来ている。
「市政官邸!市政官邸!急使!」
アタシ達の行く手を遮るべきか迷っている。向かう風にアタシも声をあげた。
「上だ!賊は上だぞ!空だ!」
天を指す。神が居ない空を。賊、ではないのだが緊急性が伝わればいい。色めき立つ彼らを置いて駆け抜ける。ついさっきその上空に船がいた北の大橋。遠目に北の大門。大閂が外されようとしている。先に出た急使が命じてくれたのだ。行ける。
「市政官邸!急使!」
船が都門の上空を超えた。レレクスが吠える。
「開けろおおおおおおお!!!」
門衛が門を押す。大門に隙間が。ややも明るい市中より深い闇。だが狭い。あれでは人が一人通れるかどうか。間に合わない。速度を落としかけたレレクスとディオにアタシも声を大に。
「そのまま突っ込め!」
ぎょっとした視線をくれるレレクスに構わず叫ぶ。
「ゼフィロス!風だ!押せえええええ!!」
耳の横で大気が撓んだ瞬間。耳を劈く轟音。爆発する勢いで大門が開いた。目の前に雷が落ちた錯覚。門を押していた門衛が勢いに付いて行けず顔から地面に突っ込む。返しの突風に水色の髪が舞う。
二頭の騎竜が北門を駆け抜けた。
今になって一部を含めて書き直したい箇所があれこれと出て来てしまいました……。元々縦書きなのでスマホの方は読みにくかったですよね……。ちょこちょこ修正していくつもりです。次エピソードで二部完結(予定)。当初の予定よりかなり長くなってしまいました。拙いものをここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。感想、リアクション、評価、まだ生きててよかったレベルでめちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます。




