18 経糸 サトゥルノ
竜車が施療院の門を潜る。主ではなく私が乗るものだから竜車は格を落とした物である。家紋入りだから誰何の声はかからない。そのまま研究棟に乗りつけて、連れて来た彫師と共に降りた。御者に騎竜舎で待つよう伝える。竜車を降りた際に手甲がずれているのに気付いた。引き下げる。たっぷりと布を取った貴族服にサンダルの金具が金になってもそれだけは疎かにできない。こちらが元々の目的であったかのように軽く身形と髪も整える。研究棟の扉番の片方が新人で竜車の家紋には気付いたが、私が誰だか分らなかったらしい。
「家令のサトゥルノだ。案内は要らない」
恐縮しまくる扉番に頷く。咎めはしない。私達が通り過ぎた後で「あれはサトゥルノ様だから許してもらえたのだぞ!」新入りが叱られているのが聞こえて来た。解っているのならよろしい。
平民も出入りする治療院の慌ただしさや、多くが立ち働く薬院と違って昼前の研究棟には人影は無い。それぞれが室内に閉じこもっているのだろうか。院長室に辿り着くまで誰ともすれ違う事は無かった。自ら声をかける。
「クラテス様はご在室か?」
「何か?」
クラテス様はその執務室に居た。不機嫌そうに顔を上げる。分家の出であるクラテス様は稀に見るミネルヴァの加護をお持ちだが、研究棟から出る事も少ない御人だ。一族に貢献しているのは間違いないが、貴族というより世捨て人のような有様は嘆かわしいとも惜しいとも思う。本家の若君の家庭教師としてティタ家に入ってから私も年月を過ごした。クラテス様も幼い頃より見てはきたのだ。使用人すら寄せ付けぬのはその加護ゆえ。だから、あの子どもならばと思ったのだ。あの時は。
「そちらの使用人の子どもについて少々」
私が入室して来たのにあわせて床に膝をついたのであろう、先だって買い上げたばかりのクロノが畏まっていた。それでいい。水色の髪に施療院の長衣。見目は悪くない。が、まだほんの子供だ。市政官邸に勤めていたのを手を回し買い上げた女児。ティタ家には突然連れて来られたことになるが、聞き訳も悪くなかった。残念ながらクロノに神の加護は無い。予想は外れたが市政官邸に勤めるだけの能はあるようだ。舌足らずな幼い言葉遣いはこれからで、大きな瞳を不安に揺らしながらも健気に振舞う姿は可憐。笑顔を浮かべればさぞ愛らしかろうと思ったものだ。きっと皆に可愛がられるだろうと。それは間違いではなかった。そしてそれが問題だったのだ。
「成果は報告しているが」
案の定、クラテス様は私の来訪に不機嫌さを露にする。クラテス様の執務机を挟んで、クロノが座っていたのだろう椅子が置かれている。これは駄目だ。奴隷の使用人に対して行うべきことではない。
「ええ。薬師と治癒師を組ませて幾つかの地域に派遣することになりました」
クロノが齎した内容から我が家門、施療院に益する計画が幾つかたてられた。実際、クロノは物覚えも良く賢い子であるのだろう。それがこのような形で影響するとは。今日、ここへ足を運んだのはとある申請書が本家に届いたためである。
「先日、このクロノが予言の巫女とやらの予言を受けたとか。本家には問い合わせも入っております」
面白くもない予言が問題なのではない。過日本家への定期報告の後、薬師のメリナ様はこのクロノを連れて出歩いていたという。それもクロノの希望で。給金を貰う契約の使用人ですらなく、金で所有されているクロノの。そうしてクロノは予言を受けた。聞けばあの予言の巫女は数多神々を礼賛することを辞め、その祖である始まりの神だけを崇めよと説くのだとか。それは貴賤の差異なく人を救うのだ、と。問題はそれを聞きたいとクロノが願った事である。クラテス様は答えない。
「この者は使用人の分際で施療院の内に胡乱な者共を手引きもしているそうですな」
これも報告は上がっていた。学舎の友人などは可愛らしいものだが、市政官邸の者やエリトゥラ商会、魚人がクロノに接触していると言う。魚人は宮城にも出入りする水上都市ヴァティカの貴族であるそうだ。
「屋敷内の事を漏らしているのか、当家に反意を抱いておるとしか思えぬ所業」
6才の女児の側がどうであれ、訪ねて来た側はクロノに利用価値が有ると踏んでいる筈だ。
「しかも、今度は「外出許可」ですか」
昨日、本家に回ってきた申請書には困惑した。それは再びクロノを施療院の敷地外に連れ歩く許可を求めた物だったのだ。名目は街道市に流通する薬品類の調査になっていたが、それだけでは無いだろう。恐らくはクロノの要望だ。思った。
甘すぎる。
施療院の中枢の一端を担うクラテス様にメリナ様はこの奴隷の女児の幼気な姿に懐柔されているのではないか。懸念が芽生えた。もしもそれが他家による策略であったのならばどうなるか。言った。
「クロノは買われた身であるのだと弁えるべきです。性根を正さねばならない」
けじめをつけるべきだ。
よってティタ家の所有を明らかにする入墨を入れる。
振り返って彫師に道具の準備を求めた。まだ幼いからと先送りにしたのが間違っていたのだ。荘園の農奴はもっと早くに入墨を入れるものなのだから。私自身物心ついた頃には墨が入っていた。
「ア、アタシ、入墨打たれちゃうの?」
左腕を抱え込んだクロノが目を潤ませる様は痛々しく哀れで、クラテス様が目を逸らせた。苦々しく思う。それがいけないのだ。
「腕を出しなさい。クロノ」
「サトゥルノ、僕は許可しない」
クラテスが言った。クロノが目を見張る。呆れた。何故それ程にこの奴隷の子を慮るのか。クラテス様に関してはある噂がある。結婚もしないのは大人の女は相手にすることが出来ないのだと。それでこのクロノを気に入り傍に置いているのだと言う。醜聞だ。
(よもや事実ではあるまいな?)
「元奴隷のお前はそれがある苦労を知っている筈だ」
クラテス様が言うように私は農奴の父母の元に生まれたが、才を認められて教養を積んだ。貴族家の子弟に教育を行うための教養奴隷となったのだ。教養奴隷として年月を勤め上げ、自分を買い戻して貴族家の家令にまで上り詰めた。その間多くを見て来た。入墨があれば奴隷の身であることが誰の目にも明らかだ。意味なく慰み者にされる事も物を売ってもらえぬ事もある。苛烈な主を持てばもっと劣悪な環境に置かれもする。だからこそ、真っ当な主家に忠義を誓う事も出来るのだ。それを知らずに人並みの扱いを受ければどうなるか。弁えのない者が無礼を働き処分されたり、恩を忘れて逃亡を図ったり。男女の仲になって揉める事も。勘違いをすれば本人にとっても不幸だ。使用人を管理するのは家令である私の役目。クロノは金で買われた奴隷である。奴隷に相応しく扱われるべきなのだ。クラテス様にはそこが分っていない。メリナ様も。目に見えぬから分からない。ならば見える様にして差し上げる。間違わぬように。
「この者が貴重な知識を有しているのも、僕のミネルヴァの加護を以てしてもそれを自由に読み取れないのも事実だ。本家に相応しくないと言うのなら僕が買い上げる」
そうする価値が有るのだと。このようなやり取りに気分を害したのかクラテス様は青い顔で口元を押さえている。クロノは不安そうにそれを気遣う視線を向けていた。
「本家の財産をどうこうすることは出来ませんよ」
それは当主の権能だ。そして使用人の管理は家令である私の権能である。私の家門を思う働きに間違いがあった事は無い。だからこそ元奴隷であっても家令として遇される信頼を得た。
「さあ、クロノ腕を出しなさい。市政官トロイ家や魚人と繋がりがあるようだが、お前はティタ家の奴隷なのだ」
それを胸に刻むよう。
「構わんぞ、クロノ」
首を振って卓上の小壺に手を伸ばすクラテス様をクロノは見ていた。ふっと目を逸らし、
ため息を一つ。
そして、その姿に似つかわしくない皮肉な笑みを浮かべた。
「それはやめましょうか、クラテス様。泣いて縋って話が通る段階じゃないんだろ?」
(?)
耳を疑った。この女児の口からでたと思えぬ台詞。甘ったるさのないワントーン低い声。俯き気味だった顔を上げた時、その女児は目に別人のような意志を宿していた。
唖然。
甘さも幼さも欠片もない不敵な顔つき。クロノが私に向き直る。
「断ります。入墨を打たれるくらいなら他所に買い上げてもらった方が良い。金を出してくれる所ならあるんで」
黒目がちだと思っていた目の大きさすら違う。変化する魔物の類かと思うほどの豹変ぶり。
(つまり)
あの健気で可愛らしい姿は人の好意を得るための擬態。演技であったのだ。その太々しさに開いた口が塞がらない。低い身分の者が従順さを装うのは良くあることだ。主に媚びへつらう者など掃いて捨てる程見て来た。だから必ず見分けがつくし、見逃したことは無かった。だが、この女児の憐憫を誘うあの姿が偽りの姿であったとは。あれが?その計算高さには悪辣さまで感じる。こんな嫌らしい子供であったとは。
(騙されていた)
ふつりと腹の底が滾る。
「お前は市政官家か魚人の諜者か?」
「違いますよ。アタシが好きでここに居る訳じゃないのはサトゥルノ様が一番よく知ってるでしょう。アタシの人生にこんな予定は無かったよ」
大体何の諜報よ?アタシの知識の方が進んでるじゃん。不遜な独り言まで出てくる始末。膝をついていた筈が、いつの間にか股を割って腕を垂らししゃがみこんでいる。女子に有り得ぬ行儀の悪さは目を疑うばかり。
「ならば女で子どもで奴隷のお前に金を出す者などないだろう。親から売られたお前がつけ上がるんじゃない!」
圧をかけたつもりが、クロノは少しも怯まなかった。これまでの憧憬の籠った見上げる眼差しは、斜め下からの眇目になって逆に威圧してくる。奴隷の弁えどころではなかった。はっともふっともつかない鼻息を漏らしてクロノは言った。
「じゃ、アタシがアタシの稼ぎでアタシを買い上げる。ちいと早まっちまったけど」
入墨打たれるくらいなら、との宣言に沈黙が降りた。その眼付。待たされている彫師の方が怯えていた。クロノは可笑しなことを言う。私が25年をかけて自分を買い上げたように、それは容易い事ではないのだ。
「……そんなことが出来るとでも?」
「出来るかどうかじゃない。やるんだよ」
小癪な応え。そのような事が出来るのならば、この世に奴隷は居なくなる。私が耐えた年月が些細な事でもあるかのような物言いに、左腕がチクリと痛んだ。
「ああ、前に稼いだ分は回収しに行くぜ。その為にも外出許可は必要だ。アタシ、アステアスの様の飲食代立替えてる分があるんだよ。それに親に隠してた貯金も回収しなきゃ」
無知無謀な程の強気に呆れた。失いかけた言葉をかき集めて思った。やれるものならやってみろ。一度その天にも届く鼻っ柱を折ってやった方が良い。
「そんな端金でどうにかなると思っておるのか。嘘をついて一時的に借入るのではあるまいな。その程度の事が判らぬティタ家ではないぞ」
市政官家や魚人が買い戻しにかかる事もあろうから、それは禁ずる。が、その程度ではクロノは言を曲げはしなかった。
「稼ぐっつってんだろ。以前稼いだ端金に加えて「アタシが」、「今」、「これから」稼いでやらぁ。だけど、一日二日じゃどうにもならないぜ?いい大人なんだ。それ位分かんだろ、あ?」
対峙する間、クロノは一度も瞬きをしなかった。この世の全てを見逃しはしないというような太々しさ。生まれの卑しさどころではない口汚さとそれを隠し続けて来た頭の回り様に薄ら寒さを覚える。これが6才?まさか。
「……では10日やろう。10日でお前自身を買い戻して見せろ」
この女児が魔物だと言われても私は納得しただろう。それ故に力ずくで入墨を入れる事も出来たのに、結局猶予を与えてしまっていた。
「もうちょっと負けてくれない?半年とか」
薄気味の悪さを覚える女児はへらっと調子の良い事を言う。
「10日だ」
「じゃ、10日の外出許可頂きますわ」
すぐに引き下がる所を見るとやはり駆け引きだったらしい。強か。睨みつけて言った。
「10日後までに稼ぎ出すことが出来なければ入墨だ!」
私が脅した側なのにじっとりと汗をかいていた。思い直す。これで言質はとった。入墨を入れ、奴隷として躾をし直すのだ。この魔物のような女児を従順な使用人に……出来るだろうか。まだクロノが私を眺めていた。目を直接あわさず、視線を少しずらすのは礼儀として間違っていない。クロノが言った。
「サトゥルノ様、こいつはタダで教えて差し上げます。一度死んだ毛根は再生しないんですよ。頭皮にはお手入れが必要です」
無邪気で可憐な笑みで。ミネルヴァが俯いたまま「それは事実だ」失笑を漏らす。
「どのようなお手入れかは勿論有料です」
クソガキが!




