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無碍なる塔の前世持ち    アンチ光属性 底辺からの異世界職業行脚 或いは人牛の件  作者: いちめ
アンチ光属性 格差社会で教育計画 或いはラミア―の件

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9 経糸 ヘカテー

 クロノを連れて行かれてしまった。

 私よりも四つも年下、まだ6才の平民の少女。素直な水色の髪に濃紺の瞳、華奢な体躯は幼児に近い。あの子と初めて会ったのは家族の集まる食事の席だった。遠縁にあたるエリトゥラ商会の会頭が連れて来たのだ。養子かと思ったら商会に所属しているだけなのだそう。ただの藍染の長衣は使用人と変わらぬが、それでいて嫡男であるアステアス兄様の正面という席次は既に普通ではなかった。

(神に愛されているのかしら?)

クロノには市政官邸の食事に招かれるだけの何かがあるのだろう。私はそう思っていた。神の加護を持つ者を貴族が取り込む事は良くある。元は平民でも、女であってもその加護によっては宮城に出仕する事さえあるのだ。

ところが、

クロノに神の加護は無い

と、聞かされた。その上で彼女はこれからアステアス兄様と一緒に学ぶのだ、とも。胸の内が波立った。平民であるクロノは持たざる者だ。聞くに袖なしという平民以下奴隷以上の生まれらしい。だから、クロノが私の前に、市政官邸の家族の席に現れたのは、貴い血を持つからでも、美しく宝石のような女であるからでも、加護を持っているからでもない事になる。ただクロノはクロノ自身の才によってこの場に招かれたのだ。たった6才のクロノが自分の手で手に入れたものによって。


 クロノが持たざる者であるなら、私は持てる者なのだろう。市政官アゲリオスの孫として貴族に生まれ、困窮というものをしたことがない。糸車を回したり、機を織るのは生活の為ではなく伝統的な女の作法の一つに過ぎない。食を楽しみ、身形を整えて、季節を愛で、毎日神に感謝して穏やかに過ごしてゆく。髪を梳り、爪を磨き、香油を塗って肌を整え、華麗に装う。貴族向けの湯屋に行って美しさに磨きをかけるのと年に二度の祭の演劇や歌舞を慰みに、高価な宝石や工芸品のように屋敷内に隠されて暮らす。美しく嫋やかで愛されるために。そうして嫁して子を成して、加護を受け継ぐ血を繋ぐ存在。それが貴族の女の在り方だ。そう在るべきと言われて私は育った。クロノが現れた事で気付いた。私という人間は、誰かにそう在るべきと与えられたもので出来ている。ではもしも、誰も何も私に与えようとしなかったのならば、どうであったろうか。

 本当に持たざる者なのは私の方ではないのか。

 そう感じてしまう私は貴族女性としては異質だ。乳母の娘で側仕えのリアナにも解ってはもらえない。

「ヘカテー様は価値ある宝石のようではございませんか!」

平民の暮らしも知る彼女は言う。

だけど、足りない。

普通の貴族の女なら何事もない単調な暮らしに倦んでも紛らわしてやり過ごしてゆくのだろう。ないものを数えて過ごすのは愚か者のすること。

だけど、私は。


 食事の後でクロノを自室に誘った。

「クロノ、お兄様が学ぶことを私にも教えなさい」

 もっと幼い頃に私は兄様のやっている学問が面白そうに思えて戯れに手を出したことがある。私も読み書きや簡単な算術までは習っていた。だからそれはちょっとした思い付きだったのだ。兄様よりも出来る所を見せて褒められたい。そんな子供じみた思い付き。しかし、兄様が繰り返し唱えても覚えることが出来ない神詩を諳んじ、歴詩を解釈すると大人の顔色が変わった。

「女にはそのような物は必要ありません」

主にお母様が。私には与えられないものがある事を知ったのはその時だった。

 私は与えられていないものを勝手に手に入れることにした。兄様から学んでいる内容を聞き出しては図書室に入り浸り書を漁る。リアナは黙っていてくれたけれども、家の者は気付いているのではないかとも思う。隠れて幾つもの分野でお兄様よりも先んじるようになったが、決して褒められることはないだろう。だから、それは無駄だ。先々私に何の役にも立たぬのであろうそれを続けたのは何故だったろうか。まだ6才のクロノが目の前に現れた時、私はその答えを知った。

 私の命にクロノは困った顔をした。頬に手を当てて小首をかしげる様は可愛らしく、妹が居ればこんな感じなのだろうかという所だ。が、出てきた言葉は違った。

「ヘカテー様、貴方は何のために学ばれますか?」

何のため?そんな事考えた事も無かった。

「アステアス様にはご当家の嫡男として市政官に望まれるもの、世の有様を見定める目を得させよと申付けられております」

見る目、視点、そのための学び。兄様には問う事なく与えられたそれ。

「私にはそれが必要ではないと言うのか」

我ながら不機嫌な声になる。が、クロノは畏まらなかった。それどころかクロノがそれまで纏っていた女の子らしい雰囲気は霧散して、何か違う生き物になったような気がする。何よりその目が違う。

「いいえ。ただそれが貴族としての幸福かといえば、そこは疑問に感じざるを得ない」

知ることが貴族としての幸福を阻むのならば、無知が幸福とやらになってしまう。この歳下の平民の少女に気圧されてはならぬと考えを巡らす。

「無知が幸福だとでも?」

「満足が幸福ならばそうなりますな」

飼われた鳥が籠の外を知ってどうする、と。美しく、楽しく、何事もなく―――いや、足りない。女同士の気のおけないお喋りだと思っていたリアナは呆れ顔で果実水を用意して下がってしまう。

「知識とそれを求める人の性は尊くございますな。だが、探求そのものが目的となれば人は容易く迷う」

少女の口から出たとは思えぬ隠者めいた言葉に返すことが出来ない。本当にこれが6才なのか。

「人間は知識の器というだけではない。記録だけでよいのならば書き記せばいいだけの事」

知識の為の知識であっても何時か誰かの手によって人に還ることもございますが、それは別の話。と、独り言ちる。

「知識は道具でございますからね。何にに使うのか考えねばなりません」

兄様はこのトロイ家の嫡子としてそれを得て、当主の働きを成すのだろう。では、私は――何のために学ぶ?それが判らぬようでは既に惑っているのだ。悔しくはあるが。

「……では、お前は何故兄様と共にそれを学ぶのだ」

「そこは違いますよ。アタシが学ぶのではない。庶民が持つ理に貴族であるアステアス様が触れることが出来るよう、庶民の中から選ばれただけなのです」

勿論、ただ平民であるというだけではなかったろう。平民の暮らしを知り、その視点を持ち、一方で平民らしからぬ感性と聡明さを持つ。この問答一つとっても、年齢では上の私が思考の厚みにおいて負けている。認めた。鳥籠の外の世界を何のために知り何を成すのか私には考えが及ばない。今はまだ。

「……今すぐその問いに答えることは難しい。だが、考えながら進めるのでは駄目だろうか?」

クロノがニカッと笑った。太々しいとさえいえる笑顔だが、可愛らしいそれよりも、私には余程好ましく思える。

「ヘカテー様はヘクトル様、御父上に似ていらっしゃる」

それが容姿を指しているのではないと分かった時、喜びがぞくりと背をのぼった。

「アタシは行儀も言葉遣いも悪いです。不敬になるのは困るのですけれどね」

「不敬には問わない」

どうやらクロノを口説き落とすことが出来たらしい。


 クロノは兄様の学舎通いの後で私の元へ顔を出すようになった。退屈を持て余した私のおしゃべりに付き合うという形である。件の問答の答えはまだ出ていないが、平民のこの娘がただ者ではない事はすぐに分かった。本当にこれが加護ではないのかと疑うくらい。

「今やっているのは実学、とでもいう感じですかね」

学問知識が生活にどう関わって来るのかを、庶民の生活を例に実践してみせているらしい。「塔」ことアトランティアで用いられている算術の使いようも、暮らしにおける税制も興味深いが、クロノの解説がまた面白い。下から見上げる社会は、視点が変わるだけでまるきり違う。法も慣習も利便も。ぐにゃりと世界がゆがむような感覚。最近出たという公娼登録制度などは、そもそも娼婦がどのような職業か私に教える者など居ないから知りようもなかっただろう。名目の利点だけでなく、当事者側の実害と為政者側からの思惑を双方から見せてくれる。ほかに教師を雇ったとしても、こんな話は出てこないだろう。そして私は貴族の女の幸福が酷く危ういものであることを知った。鳥籠の外は危険で鳥籠は然程丈夫ではないのだと。

「私が男だったらって思う」

「いいえ。ヘカテー様が男ならアステアス様がもう一人居ただけになったと思いますよ」

知ってしまえば、幸せな宝石の暮らしは川面の一葉にしか思えない。そして、ここから私は―――。


 そのクロノが連れて行かれてしまった。

しかも、私にはアステアス兄様が食事の席に現れない事を訊ねて初めてそれを知らされた。クロノは神の加護があるのかと思うほど有能だ。他の貴族家がクロノを欲して、その親に金で話を付けたのだという。クロノの意志など問わず、交渉のできる身分の大人が居ない所を狙われて連れて行かれてしまった。

(間違っている)

 兄様は他貴族との初めての折衝に衝撃を受けてふさぎ込んでいるらしい。要するに我が家は後手に回ったという訳だ。お爺様と父様はといえば、他家に出し抜かれたことを苦々しく思っているのだろうが、深刻さは無かった。たかが加護なしの平民一人の話なのだ。

「クロノを気に入っていたようだし、ヘカテーも残念であったな。代わりに同じ年頃の娘を雇うか?」

代わり?お喋り相手の?そんな者は要らない。歯に衣着せぬ物言い。貴族に対する不敬ともいえる視点。学を道具と呼び使い倒す姿勢。平民でも貴族でも、男でも女でも、クロノに代る者など居る筈がない。そのクロノを。

(こんなの間違っている)

トロイ家を軽んじた事、ではない。今、私はクロノの意志が誰にも一顧だにされなかったことに憤っているのだ。間違っているのならば、正されねばならない。そう思った。


 クロノは出仕しなくなって五日。気を取り直して学舎へ行くという兄様を見送った後、私は母様の湯屋通いに同行する事にした。屋敷にも風呂はあるが、社交も兼ねて食や豪奢を楽しむ場である。高い壁に囲われた広い敷地には散策する木立の庭園まである。男は一人も入れぬから、安心で安全な場であるのだ。自然を感じる半屋外の露天風呂に蒸気室、休憩する部屋も数ある。早々に切り出した。

「久しぶりで湯あたりしたようですわ。休んでまいります」

 休憩室の一つに下がると、脅迫と買収で取り上げたリアナの藍染の長衣に生成りの肩布と髪布をつけて湯屋を出る。兄様の学舎は上街のイルムスの館だという事は知っていたし、徴税用の地図で事前に確認して来た。竜車での道すがらあたりもつけてある。屋敷外で供なしの一人歩きは初めてだが、そう遠くは無い筈だ。男も女も雑多な人が行き交う街はそれだけで面白くあるが、よそ見をせぬよう自分を戒めながら歩く。

「お嬢ちゃんお使いかぁ」

「って、無視されてるじゃねえか」

下卑た笑いが背後で上がる。店先に居た老人が寄ってきて言った。

「あんた、早く行きなさい」

ほう、先ほどの男等から私を庇っているらしい。「お嬢ちゃん」とは私の事であったか。

「この辺りのイルムスの館に学舎があるそうだが?」

「その角を曲がりな」

 神の館特有の屋根の形でそれが判った。中から子供声がする。扉を開けた。

「ヘカテー様?」

「え?ヘカテー?どうして此処に?供は?」

ぎょっとした目を向けるのは兄様とレレクスだ。何故私がこの場に現れのか分からず混乱している。場所は間違えなかった。上々。兄様を除いて子供らが8人、教師らしい老爺が一人。認めてある書状を渡す。

「クロノを取り返す算段を付けます」

本日これから子供らを徴用する事が記してある。

「其の方ら供をなさい」


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