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無碍なる塔の前世持ち    アンチ光属性 底辺からの異世界職業行脚 或いは人牛の件  作者: いちめ
アンチ光属性 格差社会で教育計画 或いはラミア―の件

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8 お約束をおぼえよう

 あの後大変だったんだって、いやマジで。

「若女将って何?」

この部屋ちょっと寒くなーい?みたいな雰囲気をぶった切って

「ないない。こんなクッソ生意気なチビブスが嫁とかマジで無理」

大工1ことマルコスが言った瞬間、ディオが無言で飛び掛かっていって机をひっくり返しての取っ組み合いになった。アステアスに害が及ぶと、レレクスに引き離されるまで大暴れっスよ。大体チビだのブスだのは普段からディオがアタシに言っている事で、それでお前がキレるとか意味わからんわ。「ディオはアタシと一番仲がいい子なんだよ」で気を良くした(ちょろ…)ディオが騒ぎを皆に謝罪してようやく収まった。

「えーと、罪の女でいいのかな?」

「罪な、女でしょ?」

え?アタシ有罪?

 それは兎も角、しばらく会わない間にディオも色々あったらしい。

「俺、竜車屋で見習い始めたんだよ」

それで、騎竜の世話とか言っていたのか。運搬用家畜の騎竜は二足歩行の大トカゲで馬と変わらない使い方をする。「今」世の竜車は馬車よりもスタンダード。馬より繁殖が楽らしいよ。立って乗る二輪の御者台(腰掛がついてるのもあるぞ)だけならローマ時代の戦車に似た造りだ。こいつに荷台部分が加わったり、貴人用の座席がついたりで用途を分ける。長距離運搬なら幌がついたりね。ディオの父ちゃんはアタシの父さんと同じ竜車の御者だ。親と同じ職を志す事は良くあるし、見習いを始めるのが年齢的に早めなのも伝手だから可能なのだ。が、ディオは言った。

「騎竜兵になろうって思っているんだ」

お、本気でそこを目指すのか。騎竜兵は騎竜に乗って戦う兵で、男の子たちの憧れの職業だな。名誉はあるが、戦や魔物の討伐もあって危険度は高い。喰いっぱぐれはしないので身体能力と生き残る運に自信があるなら平民でそれを志す者もいる。ディオも騎竜の世話に慣れるために見習いを始めたってところかな。騎竜兵には戦闘に向いた神の加護持ちなんかが居て、宮城詰めは貴族の割合が多かったりもする。そりゃ読み書きも多少は出来た方が良いわ。名前だけで十分だと言っていたディオが学舎通いを始めるのも納得。

「宮城なんかじゃねえよ。お貴族様のお屋敷にだって騎竜兵は居るじゃないか。御者もできるし」

ほう。貴族の私兵希望か。アステアスの護衛のレレクスもそれな。仮に騎竜兵を目指して無理だったとしても、貴族家の御者にはなれるって訳。なかなか考えているね。

「クロノもお貴族様のところで働いてるんだろ?ほら、貴族の使用人同士でけっ、け……一緒になって仕えるってあるだろ?」

……本当に考えてる?もじもじしながらの「なって」は別の含みも持たせてない?

 そんなディオも加わっての学舎通いは、騒々しくも笑いに満ちていて、未来があるって言うのはそれだけで素晴らしい事だな、なんて感じたりもする。こんなアタシでもね。残念ながらアタシの場合はそれだけで済まされない。アタシ達が居る界隈に神様がブラッと通りかかったりはしないから。



 それは学舎から市政官邸へアステアスを送った帰り、夕餉の支度には早かろうと言う頃合いだった。街道市を流れる人の波から弾かれて心細げに佇む小さな姿。胴着に腰巻。一人前に髪布もつけたそれはエリトゥラの娼館の小女だった。

「クロノ!居た居た!待ってたのよ!」

アタシを見つけるとぱあっと顔を輝かせる。何事かと思いきや、

「アンタ学舎に行ってるんだから字読めるでしょ!」

アタシの帰りを待ち構えていたらしい。

 手を取られて向かったのは富める者の通りの入り口だ。人だかりが出来ていた。朝は無かった高札がいつの間にか立っている。テレビもネットもない「今」世、庶民への通達を掲げて周知を図るのが高札だ。小女の話では高札はまだ立ったばかりで、幾つかの娼館には宮城から通達の者が来ているのだそうだ。人だかりの中にぽつりぽつりとそれが読める者が居て、周囲にそれを教えている。が、それを聞いても皆その場を離れる様子は無かった。

 高札の内容は、所謂公娼登録に関するものだった。

一つ、私娼を禁ずる事

一つ、娼婦は公に届出を出す事

一つ、届出無き私娼には罰則を設ける事

一つ、この令は施行にこれより一か月の猶予を設け、以後、届出は随時行う事

一つ、届出の場は市内数か所の他、追って追加するものとす

先日エーギルから聞かされたものだった。風紀の乱れ、性病の蔓延を憂いてこれを定むるとなっているが、これは名目だ。婚外交渉を取り締まる姦淫法制定への布石。

「ねえ、クロノ、何て書いてあるの?アタシ達入れ墨打たれちゃうの?」

小女も内容を聞き齧ってはいるのだろう。不安になるのは公に登録された娼婦だと示す方法が記されていないからだ。「前」世江戸期の吉原のように店や地域に営業許可を出す形になるのか、娼婦当人に一目で公娼だと知れる印をつけるのか。後者ならば全員同じ髪色にでも染めさせるかもしれないし、もっと簡単に奴隷同様入れ墨を打つのかもしれない。

「それは書いてない」

まだ。

「良かった!みんなに知らせてくる!」

 礼を言って駆けだす小女ほどアタシは楽観的にはなれない。すぐ脇に女神の花籠亭の遣手ババアがいた。アタシ同様渋い顔をしている。このババア、元は西都の女神と謳われた伝説の娼婦なのだ。当然、読み書きができる一握りである。今や元女神だなんて誰も信じねえ守銭奴だけど。

「この届出って何なのさ?」

娼婦は店に勤めるものばかりではない。名や住まいを記すだけで済むはずがなかろう。

「お前の所にも通達官が来てるだろ。大店は店に営業許可を出す形、フリーは髪染めって話だ。今、お前んとこの会頭が居ないしね」

恐らくこの業界では力のあるエーギルの留守を狙われたのだろう。営業を許可制にすることで業界自体を思うようにしてやろうって魂胆が見え見え。

「それだけじゃないよ。登録の際に素っ裸になって見せろってさ」

へえ。最底辺の娼婦相手なら何をしても良いってか。ババアは根底の憤りを隠そうともしないでどす黒く笑う。多分アタシもババアと同じ顔で笑っている。随分とナメた話だった。

「その下卑た登録方法については明文化されるのかい?これ、例の法案の為だろ?」

公娼登録は姦淫法の対象から娼婦を除外するもの。でなければ姦淫法自体が受け入れられないからだ。つまりそっちが本来の目的となれば、公娼登録の細かい部分を決めたのは法規を定めたいと思った輩ではない。側妃が三人もいる奴が市井の娼婦の登録方法にまで口出しすることは無い。つまり予言派ではなく実務者レベル。そこに下司野郎が居るって訳だ。

「明文化はされていないが、あの分じゃ指突っ込んで味見位するだろうね。金払わずに楽しもうって輩がいるんだよ」

チラとお互いを窺い合う。何とか出来ねえのかよ。

「バアチャンのところはオーナーが貴族じゃねえか」

「ウチは商売を大っぴらにしてないんだよ。お前こそ最近市政官邸に出入りしてるそうだね」

「出入りったってお坊ちゃまの庶民体験の付き添いだぜ?」

「アタシがもう少し若けりゃ、市政官殿をコロガシてあんなこと言わせないんだけどね。何だい?その目は」

少しじゃねえだろ、ふくなよババア。若くても出来ることとできない事があるって。ともあれ世の中はクソ。

「一ヶ月ある。大店は様子見だ」

エーギルが居ない今、そっちはフリュ姉に確認だな。今夜はニ新月だから次の朱の新月までか。世の中誰にもどうしようもない事ばかり。これが天の創った上と下。


 子供の集う学舎へ行く前に寄る所じゃないが、エリトゥラの酒場に寄る。この辺りの娼館は娼婦が酌婦を兼ねていて、飲み食いしながら娼女を選ぶスタイルだ。酌抜きで姿絵からお相手を選ぶシステムもアタシが作っておいたが、まあそれは別の話で。その酒場、まだ娼女達が朝寝をしている時間に会いに行くのはフリュ姉ことフリューネ姐さんである。西都の女神こっちはホンモノが二つ名の宮城に呼ばれる程の高級娼婦。お屋敷に住んで貴族暮らしも出来る筈なのに何でこんな所にいるのか分からんお人である。

「高札見ましたよ。会頭はまだ戻らないんですか?」

「早馬は出したけど、すぐにはね」

女でもうっとりするような声がまた。

「花籠亭のババアがギリギリまで様子見だって言ってたけど」

「ええ。大店は各店舗で登録してやるとか言って出張ってきてるわ。ついでに帳簿類までひっくり返してる。事務所に近づくんじゃないわよ」

商会も色々やってはいるだろうが、足がつく様な帳簿を残しておくはずがない。そちらはアタシが首を突っ込む話ではないから勿論OK。

「で、何とかなるんですか?」

何とかしたいのは公娼登録の方。

「そういうの、デキる子が居るといいんだけど」

ニッコリって……。アタシを見てもムリだから。何考えてるんですか、6才よ?アタシ。そんな冗談はさておき。

「それもだけど、他にも気になる話があるの。顔出してくれて良かったわ」

昨夜また死体が一つ出たらしい。また下手人が判らないと言う奴だ。

「前と同じで壁に押し付けられて息絶えてたって話よ」

物騒な話だった。レンガ壁にひびが入り、割れ砕ける程の力で叩きつけられたのか。被害者は飲んだくれだが、でかい男だ。そいつをそんな風に出来る犯人がこの辺りをうろついていることになる。

「パパが心配するから夜遊びはほどほどにね」

ありゃ、ばれてましたか。

 と二階から娼女が一人降りてきた。フリュ姉と二人そちらを向いてぎょっとした。

「レーナ……」

レーナの顔は浮腫んで膨れ上がり、その細い頸にははっきりとわかる手で締めた跡が出来ていた。時折首を絞めながらヤる客が居るのだ。締めるとイイ(どっちが?)とか言うけれど、鬱血した顔に白目の眼球と舌が突き出した女にタカぶる感性がアタシには判らない。加減を間違えば仲良く大小便まみれor死ぬ訳で。ほかにも撲りながらヤるのがイイって客もいる。娼館では危険がある場合は小女や若衆に助けを求める事も出来るが、間に合わない事も多いのだ。

「失敗しちゃった」

「今日は休みなさい」

と言うフリュ姉にレーナは痛々しい頸を横に振った。

「もう少しの辛抱だもの」

アタシはレーナから目を逸らす。そんな筈がないだろう。男は言う「女はいいよな、いざとなったら売るもん持ってる。減るもんじゃねえし」って。いいや、違う。娼婦が鬻ぐのは春だけじゃない。その仕事を選ぶのは嘲ろうが罵倒しようが殴っても首を絞めても金さえあれば何時でも買える、そういう者になるって事だ。そうして削り取られて減るものを娼婦は春と一緒に切り売りする。そいつを残したまま生き残るなんてほんの一握り。フリュ姉のような女神級か、真実の愛とやらの御伽噺級、後の残りは掃きだめで削れ抉れて死んでゆく。そういや花籠亭のババアも生き残りだな。ありゃ、地獄の亡者を極めて生き残った口。先達に敬意を払ってアタシはこっちを目指すよ。

 その時にアタシはレーナと何も言葉を交わさなかったことを後々まで悔やむことになる。アタシはレーナの話を聞いておくべきだった。今、西都で何が起こっているのかを知っておくべきだったのだ。



 公娼登録の件だけでなく世も末(仏もねえ異世界なのにこの表現www)だと思うのは、翌朝、街道市のど真ん中で一つの死体が見つかった事だ。中の大路と街道が丁度交わる場所だった。遺体はまるで熟れた果物のように潰れはじけて折れ曲がっていた。高い所から地面に叩きつけられたような有様に口々に犯人は

「加護持ちだ」

「いや、ハルピュイアだ」

と言い合った。その辺りの高い建物と言ってもせいぜい3階。建物どころではない高さでなければああはならない。神の加護があるならば人間一人を持ち上げて叩き落とすことも可能だろう。加護持ちならばほぼ貴族。平民の命など命ではないから面白がって殺しても不思議はない。そうでなければハルピュイア。ハルピュイアは人面の大型鳥の魔物だ。人も食う。流石に西都の城壁の内には出ないから、街の外で人を浚ったがその重みに耐えきれず宙で取り落としたのかもしれない。いずれにせよ人でなし。深夜大きな音がしたからと言って閂を外す者などいない。目撃者は居なかった。

 その辺りの時期から明らかに貴族の形をしているアステアスに向けられる目が変わった。気付いたのはアタシだけじゃなかったようだ。

「何かと物騒ですからしばらく学舎通いを控えられては如何でしょう?」

レレクスが言うのだ。人通りの多い大路や街道で行き交う人がアステアスから目を逸らし道を空けるのは以前と同じでも、振り返って様子を窺う気配がする。警戒と疑念と不満。西都の不穏な状況に人々が苛立っているのが分かる。そいつはどう転がるか分からないから、安全面から考えればレレクスが正しい。

「リビュート様より下街では行方が分からぬ者が多数出ているとも聞いております」

何かあってからでは遅いと。

「あ!俺もそれ聞いた」

と言うのはディオだ。学舎へ来るようになったディオはアステアスを送るアタシ達に同行するのが普通になっていた。ディオは目標とする職に就いているレレクスと仲良くしたいらしいよ。こいつそう言うの見え見えだから、アステアスもレレクスも無下にはし難いらしい。そんな癒し要員のディオだが、話の内容はやはり不穏な物だった。

 今、西都では行方が分からないものが複数出ている。そのほとんどは先の二新月を境に消えた。下街の者が大半で上街がちらほら、貴族は一人も含まない。普通に考えれば、夫や雇い主、借金や貧困、何某からか逃げたのだろう。だが南と北の大門に居る門衛はそれらの一人も記憶していなかったのである。いくら何でも一人も引っ掛からない筈がない。ならば消えた人々はどうなった?彼らはあの街道の遺体や下街の裏路地で見つかった遺体のようにどうにかなってしまっているのではないか。命の重さは平等ではない。レレクスに勧められるまでもなく学舎通いは中断した方がよさそうだ。何て思っていた時だった。

 後は通りの何本かで市政官邸という所で竜車がアタシ達の脇で止まった。座席台付の貴族用竜車。ぎょっとしたのはその御者台に御者と共に弟を連れた母さんが立っていたからだ。

(遅かった)

追われる事の無いように成人してから完璧に逃げ切ってやるぜとか悠長な事を言ってないで、アタシはもっと早くに西都を出るべきだったのだ。レレクスがアステアスを背に庇う。違うんだ。アステアスは大丈夫。

これはアタシが目的だ。

アタシは彼らの用件が何であるのか予想できてしまった。軽く絶望する。ディオは何故アタシの母さんが竜車に乗ってきたのか分からず口を開けている。そうして座席台から降りてきたのは貴族の形の男だった。

「おや、これは」

 アステアスに会釈。面識はあるらしい。やはり貴族か。会釈だけで済ますのはアステアスが子供だから。多分この竜車は市政官邸に向っていた。市政官邸で当主アゲリオスや使用人でも家令のベルティナスを相手にするよりはアステアスの方が楽に事を運べると踏んだに違いない。だからこんな道端で竜車を停めた。

「下民相手の些事ですので、少々失礼を。ほら、女、これか?」

母さんを振り返る。「これ」はアタシ。忌々しい予想は当たる。

「はい。娘です」

そう言って御者台から降りてきた母さんは光り輝く慈愛の笑顔。

「ここで会えて良かったわ」

貧民ながら長衣に髪布、常に身綺麗にしている母さんだ。朗らかで優しい物腰は「母」のイメージそのもの。母さんは言った。

「クロノ、もうエリトゥラ商会なんかで働かなくていいの!」

やられた、と思った。

「父さんと母さんはあなたのために借金を返したのよ。それにこちらの貴族様のお屋敷で働かせてもらえるようになったの!」

 アタシの父さんはエリトゥラ商会に借金がある。アタシは両親に質草としてエリトゥラ商会に引き渡されたのだ。残念ながら泣く泣くではない。返済のために自分達が奴隷に落ちずに済んだ時、彼らは喜び安堵した。そんな彼らが為すことがアタシのためである筈がないのだ。寧ろ、この先のアタシの稼ぎをあてにして追加で金を引き出そうとしていたぐらい。彼らからアタシを守って追い借りをさせないようにしてくれたのは、エリトゥラ商会のエーギルの方だった。アタシは父さんと母さんが借金を返してアタシを取り戻すはずがないと高をくくっていたのだ。違った。

あの日、アタシは母さんに街道市で遭遇してしまったから。

 貴族であるアステアスに従うアタシを見つけた時、母さんは「安売り」をしたと気付いてしまったのだ。アタシの価値は借金の額程度ではなく、もっと上だと。より高く買ってくれる所があるのなら、そちらが良いに決まっている。追い借りを許さないようなエリトゥラではなく。そう考えるのがアタシの親。

驚いたのはアステアスだ。

「な!待て!クロノは私の従者だ!」

 アステアスの抗議に貴族男が出てくる。これがより高い買手。恐らく彼らはアタシに神の加護があると思っている。下層民である袖なしの子が市政官邸の若様に従う理由などそれくらいだ。そして神の加護持ちの多さは貴族間の力関係に直結する。

「勝手な事を!無礼だぞ!市政官、トロイ家を侮るか!」

喚くアステアスに男は動じない。トロイ家に先んじて加護持ちを手に入れる。彼らはそれを実行しただけ。貴族間の加護持ちの囲い込みにこの程度は茶飯事なのだろう。何処からどう伝わったのか知らないが、アタシには彼らにとって転がしやすい都合のいい親が居たしね。

「このクロノはエリトゥラ商会の者として市政官邸に働きに出ていたそうですな。我が主はエリトゥラ商会に娘を取り上げられた親御を不憫に思って借金の肩代わりを申し出たのですよ」

これは平民の親子間の問題で、貴族の彼らが介入する話ではない、と。この通り、と男が取り出したのは二つに分かれた木札。割証文だ。

(しまった……)

ぐうの音も出ない。それは父さんとエリトゥラが交わした証文だった。エーギルが留守にしてるのがここでも裏目に出た。そして今、エリトゥラ商会の事務所には公娼登録の件で出張ってきている行政官が居る。実際に金を持って借金を返済に来たという者を追い返すことは出来なかったのだろう。証文の木札の双方に抹消印。つまり借金が完済された証である。アタシは、アタシと言う人間の権利は親の元へ戻されてしまったのだ。

「クロノは親の望みでティタ家と契約がなされました」

そしてその雇用契約書。

「子は親に従うものですよ」

貴族といえどもそこに口出しは出来ない。アステアスが険しい顔のレレクスに目で問う。が、そこはレレクスも頷かざるを得ない。

「……まずはご当主様に確認されるべきでは?」

「そ、そうだ!お爺様が何と言われるか。このまま市政官邸に向え!」

「いえいえ、これは下民の問題でございます。エリトゥラ商会が何を申したかは存じませんが、我々に関わりのある事ではございません。まあ、エリトゥラなどは怪しげな商売で知られておりますからね。市政官殿も斯様な者と取引成されるのはどうかと」

あくまで親と子の問題だと言った。そしてそれは「今」世この社会ではその通りなのだ。所有する家畜と同じようにそれは親の権利だから貴族であっても対価なしに所有物を取り上げることは出来ない。アステアスが呆然と呟く。

「……クロノを連れて行かれてしまうのか?」

別にお気に入りという訳では無かったろうが、この西都で彼の権益を脅かす者は少ない。アステアスは酷く傷ついた顔をしていた。人に上と下があるのなら、上の内でも序列がある。貴も賎も本当は同じ立場にあると知ったのだ。いつだってそれを思い知らされてきたアタシは目を閉じる。思った。ではその対価とはどれ程であったのか?

「母さん、アタシを幾らで売った?」

地獄の底から湧くような声になった。対峙するのは太陽の母。慈愛と穏やかさに満ちて光り輝く。

「人聞きの悪い事を言わないで。エリトゥラ商会なんて評判の悪い所に居るよりも、別のお屋敷に働かせて頂く方が幸せじゃない」

幸せを慮ったのだと言いながら、その幸せは誰のものであったのか。エリトゥラに返済して尚余る金銭を手に入れた父さんと母さんか。牛や馬のように何処へとも知らされずに売られてゆくアタシか。

「幸せ?アタシはエリトゥラでも市政官邸でも待遇は善かったし、他所で働きたいなんて言った事も思った事もない」

貴族家相手にこれまでのように尊重される保証はどこにもない。寧ろ街道で潰れて死んだ遺体のように使い捨てにされても何の不思議もないのだから。

「いつも我儘ばかり……。家族なんだから協力して暮らしてゆくものでしょう?」

家族、協力、綺麗な言葉で母さんは何故わかってくれないの?と目を潤ませる。反抗的な娘に心を痛める健気な母の姿で。

子供の幸せを願わない親はいない。

当たり前に世の人はそう言う。

家族が幸せでいることが幸せ。

その言葉は美しく耳に届く。アタシの母さんは純粋にそう思っているのだ。ピュアで正しい光のような母は。だがそれは可笑しな話だ。何故ならそれは一方通行。アタシが幸せならば父さんと母さんは幸せが成り立つのならば、アタシを娼館に預けずに自分が奴隷に落ちただろう。

(「だって私は嫌だから」)

アタシが幸せであるかどうかは、彼らの幸せには関係ない。親が考える子の幸せは親が考えたものでしかない。

「アタシが我儘?」

弟が母の長衣の裾を引く。次は自分の番だという事が幼すぎて判らないのか、いや男だからそんな目には遭わぬのか。

「女、もう良い」

貴族男が遮った。間違ったことなど何一つない大確信の言葉と微笑みで母さんは弟を抱き上げる。

「もう行くわね。こちらのお屋敷で頑張りなさい。そうすればきっと幸せになれるわ」

幸せになるのは我儘で身勝手だというアタシじゃない。母さんは竜車には乗らず徒歩で帰ってゆく。貴族の言葉に従ったという体で一度も振り返らなかった。貴族男がアタシを向いた。

「さあ、分かったろう。竜車に乗りなさい」

 まだ何が起こっているのか分からない顔をしているのはディオだ。

「クロノ、行っちゃうのか…?」

アタシの権利はエリトゥラから親へ、親からティタ家へ引き渡された。市政官邸に逃げ込んでもアゲリオスにも迷惑をかけるだけ。行かざるを得なかった。観念した。

「……ディオ、せっかく追いかけて来てくれたのにごめんな」

ディオは言葉もない。言った。

「ねえ、ディオ。ぎゅってしてくれない?」

アタシは狡い。アタシを好いていてくれるって分かってるから、断らないって分かっているから頼んだ。おずおずと近付いてきたディオは棒立ちのままのアタシに触れる。アタシの背中に手を回すだけのぎこちない抱き方。ぎゅ、じゃない。壊れ物のようにそっと、宝物のように優しく。ディオの温かい肩に目を押し付ける。6才だけどアタシと違ってごつごつした、これから筋肉がつくのだろうなという肩。

「アタシ、頑張ってるよな?」

便壺洗いから始めて買い出し屋に案内所、小金を稼いできたけれど、自分を買い戻すには足りない。

肯定するって分かっているから聞いた。

「ああ」

「アタシ、上手くやって来たよな?」

質草になっても奴隷に落ちずに権利を確保し続けたし、難民の子達の自立を助けもした。辺境の病とその混乱を終息させもしたけれど、親から逃げ出す事すら出来ない。

否定しないって分かっているから聞いた。

「ああ」

「アタシ、ディオの子どもに生まれたかった」

ディオは困ってアタシを揺する。重心をかけた脚を右に左に交互に変えて、ゆっくりあやす様に揺する。

「クロノぉ」

子は親を選べない。「前」も「今」も。

ため息を一つ。

 顔を上げる。ディオから離れてまだ傷ついた顔をしているアステアスを振り返った。膝をつく。右の拳は地に。

「不本意ながら私事にて任を外れる事となりました。ご当主様にご挨拶も出来ませぬ非礼、遺憾でございます。違約に関しましてはエリトゥラとご協議くださいませ」

市政官アゲリオスが孫アステアスに見せたいと意図した多くは未だ見せることが叶わぬが、

「貴族の御方に対する平民とは、親に対する子とは斯なるものにございます」

今日この事の幾何かが彼に教えてくれると良い。

「法と異なり、仁も義も誠も愛も目に見えぬもの。悲も哀も喜も楽も目に見えるものではございませぬ」

この世には目に見えぬものがある事を。

「アステアス様が益々多くの事を学び身に付けられることをご当主様、ご家族様同様に私も願っております。甚だ無礼ではございますが、これにて御前お許し願います」

目に見えぬものを感じるその部分だけはあらゆる人に平等で、彼我の違いはないのだと君が知ることをアタシは望む。本日の講義を終了します。

 立ち上がる。目は伏せない。背を向けて竜車に向かう。御者台ではなく座席台を示される。アタシが逃げ出さぬ様にだ。後に貴族男が会釈で続く。

「では、失礼をば」

「クロノ」

アステアスとディオの声が重なった。竜車が動き出す。世界を睨みつけて歯を食いしばる。零れる涙なんかない。アタシはこうして全ての庇護を失った。



なかなか筆が進まなくて焦りました……。モチベ維持がきついっス……。読んでくれる方、有難うございます。スイマセン……

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