第五話「溺愛の鰭」
最近、森がやけに騒がしい。日中にも関わらず、森の端々から啼声が止まず、剰え人すら襲う凶暴さを露わにする。これが夜に起こるならまだしも、昼に起こるのはあまりにも不可解だ。
そんな奇異な出来事が続いており、それを止めるため、僕とレアンは森を見て回っている。
「これで7匹……今日は特に多いね」
「変だな。靭怖狼は群れで狩りをするが、一匹ずつっていうのは初めてだ」
森の外へと逃げていく狼を木の上から眺める。しばらくして、落ち着いたのを確認してから僕らは降りる。
「比較的大人しい部類のはずだ……よね……」
僕は振り返り、逃げた方とは反対。森の奥の方へと視線を移した。僕は、言葉を失った。
「おい、どうしたヘクター。どこを見……て……」
レアンも眼前に広がる惨事を見た。視界の先には、白を塗り潰す赤があった。
瞠目。それは、一際目立つ歳の近そうな一人の少女であった。
ナイフで滅多刺しにされた、先述の狼のリーダーと思しき血を被った黒い毛皮。よく見れば、瞳は白く染まり、泡を吹いて倒れている。その真ん前で、両手にナイフをぶら下げ、見下ろす少女。
「あれ〜迷子?道案内しよっか〜?」
黒いヒラヒラのドレスが陽光と対称的に揺らぎ、満面の笑みを見せる。いつ、こっちに気付いた?
「も〜無視しないでよ」
ただねめつけ、拳を握る以外、体は動じない。目前の未知への、無価値な抵抗だ。息をするにも浅くなる。空気がまるで重苦しく、肺を掴むからだ。
盲目。どうやら僕らは、彼女の放つ異様さに呆気に取られていた。
「ぼけ〜っとしてると……食べちゃうよ♪」
彼女が腕を振るうと、魔法陣から不気味な口をした異形の生物が、ゆらゆら飛び出す。僕らは一歩遅れて回避する。
「コイツ、めちゃくちゃ強ぇ。……逃げる時間を作る。ヘクター、俺の動きに着いて来れるか?」
「多分、いける。少なくとも、生きて帰ろう」
「当たり前ぇだ。負けて死ぬのは"絶対"に嫌だからな」
僕らは一気に間合いを狭める。鉄爪と鉄剣を構え、交互に打ち続けるが一向に当たらない。空に弧を描くばかりだ。
「よわよわだね〜?」
ナイフが互いに触れ、爪と剣の軌道が逸れる。すかさず、僕の喉元を突くが、左手が防ぎ生存する。
「あらりゃ?な〜んか当たんないなぁ。ま、いっか。次はキミ」
レアンのいた方へ振り向くが、誰もいない。
彼女の注意が逸れたその隙。レアンは彼女の背後に回り込み、脇腹を切り裂いた。が、血など沸かず、全くの無傷で笑っていた。
「ごめんね、アタシの能力。ハンデがほしいなら禁止にするけど」
「……ぶっ殺す」
レアンは残忍さを滲ませた笑みを垂れ流す。その返答に対し、「そうこなくちゃ」と、引き裂けそうな笑みで返す。
レアンの強みは、その圧倒的なスピード。団内でもトップに入る速さをしている。それから繰り出される、取り回しの良い鉄爪。ほとんどの敵は、彼を捉えきれずに沈む。だが、今回は違った。
「見えてるよ、全部♪」
あらゆる攻撃が冷静に対処される。レアンの額を、汗が伝う。
「ヘクター!!」
この呼び声は、入れ替わりの合図。速さで駄目なら、威力で叩く。
鉄剣を暴れるように振るうが、当然当たらない。大方予想済みだ。なら……
「レアン!」
僕が体を捻り、飛び跳ねる。背後ではレアンが、既に魔法を構えていた。
〝焼き払え。〟
僕の真下を、炎の渦が通過する。でも、この程度じゃきっと死なない。
「相性バッチリだね♪」
ほら。そのために、僕が動くんだ。
剣を握る力をより一層強める。
「遅いよ。ヘクター君」
彼女の首を狙ったつもりが、空を切る。しまった、見失った。そうこうしているうちに、側面から蹴り飛ばされた。
「不意打ちはもっとパパァっとやらないと……あと、そろそろ限界じゃない?」
まだ立てる、まだ…………あれ?
「このナイフ、そこそこ強めな神経毒が塗ってあるの。しばらくは動けないだろうから、頑張ってね♪さて……」
少女は振り向き、肩で息をする絶望したレアンと顔を見合わせる。
「もう終わり?なら、アタシの番」
冷気が肌を刺す。彼女の纏う雰囲気が変わったのだ。
「晦冥」
今度は霧だ。霧が立ち込め、視覚を奪い去る。レアンと僕は深い、深い霧の海に呑まれた。
どうにか霧を払おうと、闇雲に鉄爪を振るうが、無意味。むしろ濃くなっているような気さえする。
「マジぃな」
戦闘は駆け引きだ、と姉貴は言っていた。
——今、俺は完全に呑まれている。
「アタシはどこでしょ〜か♪」
右か、左か、どっちから聞こえたのかわからねぇ。
「”アレ”をするにも今は朝。それまで時間をかせぐしかない」
「えい♪」
右大腿骨を不可視のナイフが抉った。
痛みに堪え、どうにか耳を働かせ、声のした方へ爪を振る。
しかし、それは虚空。次の瞬間、俺の背中を一本のナイフが引きずった。
成すすべもなく負けるのはこんな気分だったな。久しぶりに思い出した。そして、自分に託された使命も思い出した。
「ヘ、クター……だけでも……!!」
毒が回って完全に動けなくなる前に、腰のペンダントを握りしめる。
せめて、せめて負傷の少ないヘクターだけでも、自分よりも才のあるヘクターだけでも、生きてほしい。
「姉貴、ソフィー……誰でも良い。ヘクターを……助けてくれ!!」
舌がピリピリする。段々と、握る力が弱まる。俺の願いは、届かなかった。
「もう終わり?少し寂しいけど、さようなら」
居場所を隠すために、どこからともなく声を響かせる。本当に隙のない女だ。……だから
「負けたく……なくなっちまうんだよ……」
血反吐を吐こうが、体がズタボロだろうが関係ねぇ。ヘクターには、生きて欲しいから。
「まだ立つんだ?そんなボロボロなのに……」
「だ……まれ……」
どこから見てやがんだこいつは。そう舌打ちをしながら、考える。
「もうやめよう?レアン君。アタシも鬼じゃないからさ」
一つ、逃げ足が速いヤツ対策がある。俺着想、俺直伝の、完全無欠な俺対策。これで行くしかない。
「そんなゆっくりじゃ当たらないよ〜」
声のする方を辿り、ゆっくり爪を振る。それを易々と女は躱す。
「もう、遅過ぎて欠伸が出ちゃうよ」
無謀で結構。でも、無能なまま死ぬのは嫌だ。疲労を晒せ。弱者を気取れ。次が俺の最後の"爪跡"だ。
「しくったな。テメェ」
一気に加速し、襟を掴んだ。
「う、嘘……」
勢いの乗った拳を女の腹にぶち込む。
「そんな……余力が……」
怯んだ。見えなくても分かる。次いで肋骨を割る気で爪を立てる。
爪先が届く寸前、彼女の腕が割り込んだ。致命傷には、ならなかった。
「じゃあね、レアン君。楽しかったよ」
俺の仕事は、もう終わり。少しは、姉貴や”兄貴”に届いたかな……
「ふぅ〜セーフ。危うく死んじゃうところだった」
霧が晴れると、すっかり赤黒く染まったドレスをはたきながら、彼女は姿を現した。そして、彼女の足元に倒れているレアンが目に入る。
「あれ、まだ生きてたんだ。彼の勇姿に免じて、ヘクター君は見逃してあげる。さ、逃げて逃げて」
レアンの瞳は白かった。僕は、呆然と立ち尽くしていた。
初めて、身近な人の死を見た。こんなにも苦しいんだ、切ないんだ。
胸の奥を締め付け、息を吸うのすらままならない。その場に膝をつき、何度もレアンの名を呼ぶ。当然、口が開くことはなかった。
「泣かないで?可愛い顔が台無しだよ?」
涙の蓋を、瞼が拭き取る。それでも止まない。
そんな姿を見兼ねたのか、彼女は僕を抱き寄せる。
ひとしきり泣いた。喚いた。そして、また一つ、僕の根幹を成すものを形成してしまった。
「許さない」
憎悪、憤怒、屈辱、ありとあらゆるものが混じり合った、果ての殺意。気付けば口が、勝手に動いていた。
〝汝、在る処常に我在り。故に逃場は亡く、救済は亡く、我と言う史書を認め潰える。破滅巡りてして不滅。悠久の呪縛よ、この腕に。〟
その声に応じ、伸ばした左手の前に虚空が生まれ、柄が生える。
〝閃滅剣〟
重厚な深緑の剣を取る。不思議と身体は軽く、冷静だ。
「……❤︎その目、最ッ高……!」
足を鳴らす。気付けば既に、腕を斬っていた。
「アレ?ないや」
遅れて彼女がこちらへ向く。失った右腕に目をやり、パチクリさせる。隙を逃さず連撃を叩き込む。
「とっても速いね。そして鋭い。す……ごくドキドキしちゃう❤︎」
僕の剣は、確かに彼女の喉元を貫いた。だが、霧のようになって消え、気付けば背後に回られていた。
彼女は歓喜の笑みで満ち満ちていた。僕はその狂気に相対し、攻めるのに尻込みしてしまった。彼女は躊躇いなく突進し、僕を押し倒す。そして、器用に片手だけで僕を組み伏せた。
「もっとたくさん、アタシを見て?触れて、感じて?肌の奥の奥の、その奥まで……❤︎」
右手首を捻って折り、軟化した腕を鞭のように振るい、拘束を解く。
まるで、勝てる気がしない。この武器があっても尚。動きを見るに、先程よりも余裕などないはずなのに、絶えず余裕さがチラつく。あまりにも不気味過ぎる。
「今から……手品、見せるね♪」
彼女は深く息を吸い、失った右腕に左手を翳す。
〝癒し給え。〟
信じがたい光景が、またも瞳を支配した。欠損した腕部から、緑光が放たれる。赤い繊維のようなものが集まり、失った右腕が復元していく。それはまさに、神話の一幕。
「その顔、最ッ高……❤︎もっと、アタシを愛して欲しいなぁ〜」
太ももから毒付きの黒ナイフを抜き取る。
状況は逆戻り。もう、勝ち目はない。でも、
「こいつに勝てなきゃ、メルティは守れない。”アイツ”を……殺せない」
忌々しい長耳の青年を思い浮かべ、歯を食いしばる。
憎い、憎い、憎い。
「少年、交代だ。後は俺に任せときな」
いつの間にか、身の丈程ある巨大な大剣を担いだ青年が隣に立っていた。白と黒が混ざった髪に、自信に溢れた端正な顔立ち。
「ソフィー、レアンとこいつは頼んだ」
「りょーかい」
男は、僕を軽々と片手で持ち上げ、ソフィーの方へとぶん投げた。
「行くよ、ヘクター」
僕の手を取り、基地の方へと走って逃げる。レアンはいつの間にか応急処置を施されており、ソフィーが担いでいる。
「その剣とか、レアンの容態とか、聞きたいことはたくさんある。けど、今は聞かない。質問攻めは戻ってから。……覚悟しろー」
人差し指で僕の頬を何度もつつく。彼女の顔はいつも通り無表情だが、安堵が透けているようにも見えた。
しかし、目の前では靭怖狼の群れが、待ち伏せしていたかのように待っていた。
「犬っころの群れ……レアンをよろしく。私が倒すから」
そう言うソフィーを止め、前に出る。
「ここは任せてほしい」
息を整え、剣を下した。
「騎士道遵守で行こう。俺はリーグ・ジルケート。過激派の中枢を担うお前なら、分かるだろ?」
「リーグ……君が例の……」
「君、名前はなんだ」
「嫌だ」
「嫌だ、か。分かった。さぁ、どこからでもかかってこい。もちろん、本気でな」
リーグは手招きをし、挑発する。
「裸鰭魚」
腕を振るう。魔法陣から不気味な魚が畝り、飛び出す。リーグを四方から噛み付き、覆い隠した。
「温いな」
暴風、その地を喰らい去った。雪床は弾け飛び、木々は軒並み倒れている。当然、先述の生物の跡など微塵もなかった。
「一振りで……これ……か……」
確実に折れているであろう左脚に力を込め、少女は立ち上がる。メキメキと音を立てようが構わずに。
そして、毒ナイフを全力で投げる。だが、その速度は決して速くなかった。
「君は頑張った。あの一撃を防いだだけ、上出来だ」
指で挟んで止めてみせ、どこかへ放り投げる。彼女は最後に、張り裂けそうな笑みを見せた。
「アタシはラヴァラ・ヴァラータ。最後の……プレゼントだよ」
少女が指を鳴らす。投げたナイフは、いつの間にか霧散していた。
リーグの胸には、止めたはずのナイフが何故か突き刺さっていた。
「霧化かと思っていたが、幻術か。さしずめ、幻と現実の境を曖昧にさせる能力だろう」
「そう。でもアンタは……死ぬ。愛の……邪魔をした……罰……!」
「悪いな」
ナイフを抜き、刺さった箇所が露わになる。いや、正確には、刺さっていなかった。空気の壁に阻まれ、衣服を貫いただけだった。
「う……そ……」
「俺の叡星だ。決闘に水を差すような能力で申し訳ない」
「アタシの……ミス」
少女は空を見上げる。リーグは高く、大剣を掲げる。
「じゃあな。地獄でまた遭おう」
「二度とごめんだよ」
少女は目を閉じる。剣の重みに任せ、頭蓋から真っ二つ。裂けた少女が、動くことはなかった。




