第六話「彼と生きる為に」
全身が、無性に痛く、重い。
手元にあった剣の感覚はない。嫌な予感がし、疲弊しきった瞼をこじ開ける。
見知れた石窟の空。横から橙のランタンが照らす、安心できる場所。
いつの間にか、基地で寝ていたのだ。
「ヘクター。心配したよ」
落ち着いた声音で、ベルは僕を抱きしめる。微かに肩が震えており、いつもの気丈な振る舞いをする彼女の影はなかった。
「ありがとう、ベル。ベルがリーグさんを呼んでくれたおかげで、生きて帰ることができたよ」
そう言って、僕は抱きしめ返した。
ソフィーと帰還していた最中、ベルからソフィーに向けた通信があったのだ。「リーグさんは送った。アタシも今すぐ向かう」という旨の通信だ。別任務で他国に行っていたにも関わらず、仲間のピンチに駆けつけてくれるあたり、本当に”姉貴”のようだった。
「ごめんね、二人を守れなくて。大事な時に助けられない、弱いリーダーでごめんね……」
ベルは衣服を握る手を強くする。こちらに顔を見せないように、ベルは顔を俯かせていた。
どれだけ生きようとも、この感覚だけは変わらない。それがたとえ、一瞬の出来事で本当はまだ生きていたとしても、変わらず心に穴を生む。
彼女の内面で同じことを考えているかは分からない。でもきっと、近しい何かを宿していたのは言うまでもなかった。
「ベルは弱くないよ。だってこうして、また会えているから」
レアンからの救難信号を察知し、即座に呼んで来られたからこそ、僕は生きている。それは紛うことなき、彼女の強さだ。ベルが呼ばず、リーグさんが来なければ、僕も成す術もなく殺されていただろう。
ベルはその言葉を聞き、抱く力を強める。お互いに気持ちに整理がつくまで、一緒にいた。
「良い知らせと悪い知らせがあるー。どっちが良いー?」
いつもよりワントーン低く、ソフィーが僕に聞く。ベルが自室に戻った後、彼女はお見舞いに来てくれたのだ。
「良い知らせから聞きたいな。悪い話の後じゃ、喜ぼうにも……」
大方、なんの話かは察している。彼女が持ってきた二種類のアイスのうち一つ、黒く、漢方のような独特の香りを持ったアイスは、”彼”の好きなアイスであったから。
「レアンは生きている。あんなにボロボロでも、急所は避けてくれたみたい。毒の跡が消えるのも、多分時間の問題」
そう淡々と告げ、深く息を吐く。それ以上は、何も言わなかった。
「レアンの意識が、戻らないの」
その後、僕は何と返したか、そもそも彼女と話をしたのかすら覚えていない。今あるのは、無邪気でカッコよかった彼は眠ったままだという事実。それだけが頭の内で、ぐるぐると巡る。
「責めるべきはベル自身じゃなくて、僕なのに」
そうポツリと零す。憎みに憎んだ相手は、結局は自分自身だった。
「また、大切な誰かが死んでしまう」
いつまでも足手纏いで、仲間が一人ずついなくなるかもしれない。それだけは嫌だ。
気付けばベッドの外にいた。神経毒で麻痺した腕を使って、鉄剣を握る。握ったという感覚がないまま、重い剣を両脚を働かせて引き摺る。
不慣れな操作で石扉を開く。扉の先は、黒空。森の奥から、獣達は低く唸る。冷えた風が露出した肌を刺した。自分への罰であり鞭であることを承知で、積雪に歩を刻んだ。
日が沈む頃には、帰路に着いていた。
「そんなに血塗れて何処へ行く」
「先日はありがとうございました。……それではまた」
リーグは僕の背を呼び止める。
「一つ忠告だ。そういう奴から死んでいく。自分の弱さを嘆き、身を投げ捨てた奴らの屍を幾度も見てきた。それで、揃いも揃ってこう言う。"守られるままは嫌だ"と」
僕に向けて指先を伸ばす。
「死ぬのは勝手だが、呪いを残して死ぬな。ちっとでも関わられると、放っておけなくなる」
クイクイっと指で手招く。
「強くなりたいんだろ?鍛えてやる」
「ありがたいのですが、貴方がそうする理由が分かりません」
「そんなこと、答えるまでもない。俺が"家賊"を蔑ろにする訳がないだろ」
そこには、誰も死なせまいという強い決意と、どこか遠くを見ている"兄貴"の姿があった。
――ワグナーは、冷えたカップをただ見つめる。
「クェーサリー君と言ったか」
「ラーニンで良いですよ」
一口、コーヒーを口に当て、テーブルに戻す。
「娘は、いつ目覚めると思う」
ラーニンは目を閉じ、スンと顔を落とす。だが、瞬時に穏やかな笑顔を浮かべ、顔を上げる。
「救助した際に、回復魔法を施しました。魔力耐性が低いのであれば話は別ですが、彼女にその様な傾向は見られませんでした。案ずる気持ちも分かりますが、待った方が良いでしょう」
また一口、今度は長く口に当てる。そしてカタンと、静かにカップを置く。
「寧ろ、私がしたいのは息子さんの話です」
細めた目をうっすら開く。その貼り付けた笑顔を見て、ワグナーは深く息を吐く。
「……彼ほど純粋で、心優しい子は見たことがないよ。私の恨みを恨みで返さず、許してしまうくらいだ」
「霊酒の件ですか。大変お悔やみ申し上げますが、そちらは関係ない。今したいのは、貴方が何故彼を止めなかったのか」
机上で手を組み、ワグナーを見下ろす。今までにない程冷徹な目を表す。
「確かに、彼程純粋な子ならばメルティを守れなかった自分を恨み、何も告げずに出て行くことは想像できた。だが……」
「ゆっくりで構いません」
「……いずれまた戻って来るだろうと思っていた。だが彼は、三人で築いた日常を捨てる覚悟で、出て行った。要は、守れなかったのだ。私は彼を、守れなかったのだ」
「正直に答えて下さり、ありがとうございます。……嘘であれば、もう少し面倒でした。そろそろお暇させていただきます。コーヒー、美味しかったです」
ラーニンが玄関扉に手をかける。すると、その手とは反対の手を、誰かが小さく掴む。
「目覚めましたか、メルティさん。特にお体に支障がなく、良かった。……何処まで聞いていましたか?」
「ヘクターの話を振った所からです」
「そうですか。それなら、分かるはずです。私はこの場に必要ない。お手を離して下さい」
「……教えてください」
「全て聞いていたのではないのですか」
「私に魔法を教えてください!!」
一瞬の静寂。メルティは漸く、掴んだ手を解いた。ラーニンの顔から、僅かに笑みが消えた。
「ヘクターがいなくなったのが私のせいなら、その償いをしたい。彼を、救いたいんです」
「……良い考えです。貴女ならきっとできますよ。ですが、その景色に私は必要なのですか?」
「必要。なぜなら、あなたが何者か知ってるから」
"神の申し子"。あるいは"人類の頂"。――かつて、平民であったクェーサリー家に傑物が生まれた。天から授かり、たった5年。彼によって初めて、世界に遺る賢者の数は一桁を超え、唯一の幼年でその域へ達した。彼は今も、未踏の境地を歩いている。
「……それを知ってもなお、私に教えを請うのなら、一つ警告です。それは容易な事ではない」
「どうしてですか?私は、どんな大変なことにも耐える覚悟があります」
「覚悟がどうだと、子供が雄々しく言うんじゃない。……私が恐れているのは、君に教える事で生じる、特に悪い方の影響。私は政府から、世界秩序の監視を任されている。それを疎かにしてしまうと、救える命が……」
ふと、彼は話すことを止めた。すると彼は自分の頬を叩いた。再び、彼の顔から微かな笑みが表れた。
「困っている人を助ける為に、政府側に付いたはずなのに、いつの間にか忘れてしまうとは……私もまだまだだな。すみません、気を張り過ぎました。その仕事、喜んで受けさせてもらいます」
「え?い、良いんですか?」
「えぇ、構いません。ただし、条件があります」
メルティは息を呑む。一息置いて、ラーニンは口を開く。
「講義は真面目に受ける事。これが出来たら花丸です。もし居眠りをしたら、雷を落とします」
「おい、私の娘に落雷予告など……貴様、敵か?」
「冗談です!生身で食らったらタダじゃ済まない……って、ちょっと待って下さい。その斧を降ろして下さい。何処から持ち出したんですかそれ?!」
「薪割りで鍛えとんじゃ。老体だからって舐めるなよ!?」
「ワグナーさん止めて!止めて下さい!!メルティさんも何か、何か助け舟を……!」
「お父さんストップストップ!!」
メルティは、大急ぎで斧を振り下ろすワグナーを止める。ラーニンは安堵の息を漏らす。
さっきとは打って変わったこの空気に急におかしくなって、メルティは笑い出す。それに呼応するように、ワグナーとラーニンも笑う。彼女の家の窓は、夜も明るかった。
――何もない無の世界。そこで一人、優雅に晩酌をしている。
〝物語は動き出す。ここが本当の始発点だ。〟
独り言ちる先には誰も、何も無い。
〝何れ、キミの酔狂がボクを満たす。〟
きっと世界は、キミを待っている。また会える時を楽しみにしているよ。"逸脱者"君。




