第三話 傷心王女
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
料理屋で働き始めて二週間。
アリアは少しずつ仕事に慣れてきていた。
「ありがとうねぇ」
常連客の老婆が笑う。
「いえ!」
以前のような大声ではない。
多少は学習した。
老店主も頷く。
「最初よりずっと良くなったな」
「本当ですか!」
「皿も割らなくなったしな」
「うっ……」
それは忘れてほしい。
初日に三枚。
二日目に二枚。
三日目に一枚。
輝かしい戦績である。
アリアがしょんぼりすると、店内に笑いが起きた。
仕事が終わった後。
アリアは一人で店を出た。
夕方の城下町。
夕日が石畳を赤く染めている。
「気持ちいい……」
城にいる時は知らなかった。
仕事を終えた後の風。
どこか心地よい。
疲れているはずなのに不思議だった。
その時だった。
聞き覚えのある声がする。
路地の向こう。
騎士達が雑談していた。
アリアは反射的に物陰へ隠れる。
別に悪いことはしていない。
だが何となく気まずい。
そこで。
耳に飛び込んできた言葉に動きが止まった。
「あの王女様にも困ったもんだよな」
びくり。
肩が揺れた。
「ああ」
「また抜け出してるんだろ?」
アリアの顔が引きつる。
「どこで何やってるんだか」
「男でも漁ってるのかもしれねぇな」
「あり得る」
かあぁっと顔が熱くなる。
思わず飛び出しそうになった。
失礼極まりない。
誰が男漁りなどするものか。
そう思った。
だが。
次の言葉がそれを止めた。
「いい気なもんだよな」
声の調子が変わる。
「あの人が居なくなったら、護衛の俺達は処分されるかもしれないのに」
アリアの顔から血の気が引いた。
(えっ……?)
「本当だよな」
「護衛対象を見失ったとか洒落にならない」
「万が一誘拐でもされたら」
「打ち首だろうな」
世界が止まった。
打ち首。
その言葉が頭の中で反響する。
(処刑……?)
手が震えた。
知らなかった。
いや。
本当は知っていたのかもしれない。
護衛という仕事には責任がある。
そんなことは常識だ。
だが。
一度も考えたことがなかった。
自分がいなくなれば。
この人達が罰せられるかもしれないことを。
「勘弁してほしいよな」
「本当に」
アリアは口元を押さえた。
息が苦しい。
吐きそうだった。
(私……)
何をしていたのだろう。
自由になりたい。
平民のように生きたい。
それは本心だ。
だが。
そのために誰かが死ぬかもしれないことを。
自分は考えもしなかった。
その時。
新たな声が響いた。
「何をしている」
騎士達が慌てる。
「あ、隊長」
「いやこれは」
レオンだった。
「休憩は終わりだ」
「はっ」
「持ち場へ戻れ」
騎士達は慌てて立ち去っていく。
その場に残ったのはレオンだけだった。
アリアは動けない。
処刑。
その言葉が胸へ突き刺さっていた。
今になって分かる。
あの男が怒っていた理由。
あの男が何度も注意していた理由。
全て。
正しかった。
何も知らなかったのは自分だ。
恥ずかしかった。
情けなかった。
「王女殿下」
びくり。
肩が跳ねる。
振り向くと。
そこにレオンが立っていた。
逃げたい。
だが足が動かない。
「聞いていたのですか」
優しい声ではなかった。
責める声でもなかった。
ただ事実を確認する声だった。
アリアは小さく頷く。
「……はい」
レオンはしばらく黙った。
夕日が沈み始める。
静かな空気の中。
アリアは唇を噛み締めた。
そして。
「気にするな」
アリアは顔を上げる。
「とは言いません」
胸が締め付けられる。
「実際に誰かが責任を取らされる可能性はありました」
「……」
「最悪の場合、命を失う者もいたでしょう」
容赦のない言葉。
だが責めるような声ではなかった。
事実を告げているだけだった。
アリアは唇を噛む。
「私……」
何と言えばいいのか分からない。
謝れば済む話ではない。
後悔しても取り返せない。
レオンは静かに続けた。
「ですが」
アリアが顔を上げる。
「貴女は別に軽んじていたわけではないのでしょう」
思わず息を飲む。
「え……?」
「食堂での貴女を見ていました」
アリアは目を見開く。
「お年寄りの話を聞いていた」
「子供の相談に乗っていた」
「泣いている客を慰めていた」
「働いている人へ感謝もしていた」
レオンは淡々と続けた。
「貴女は人の気持ちを察することができる人だ」
風が吹いた。
「だからこそ」
レオンは続ける。
「今回のことに気付いてしまったのでしょう」
アリアの唇が震える。
違う。
そんなことはない。
だって自分は。
護衛達のことを何も考えていなかった。
「私は……」
声が震える。
「何も知らなかった」
今まで見ているつもりだった。
理解しているつもりだった。
だが違った。
「私、自分のことしか考えていなかった」
ぽろりと涙が零れた。
しまったと思った。
王女は人前で泣かない。
そんなことは昔から教えられている。
だが。
涙が止まらない。
「申し訳ありません……」
震える声でそう言うと、
レオンは小さく息を吐いた。
「何故謝るのですか」
「だって……」
「知らなかっただけです」
レオンは言った。
「人は誰でも知らないことがあります」
「……」
「ですが」
視線が合う。
「知った後にどうするかが大切です」
初めてだった。
叱責でもなく。
説教でもなく。
王女としてでもなく。
一人の人間として自分を見てもらえたのは。
「私は……」
声が震える。
「何も見えていませんでした」
堪えようと思っても。
涙が止まらない。
「申し訳……ありません」
「何故謝るのです」
レオンが尋ねる。
「だって私は」
「私のせいで……」
最後まで言えなかった。
涙が溢れる。
そんなアリアへ。
レオンは静かに言った。
「俺達の仕事は貴女を守ることです」
「……」
「そこには」
一拍。
「貴女の心も含まれていると、私は思っています」
その言葉で。
完全に涙腺が壊れた。
アリアは声を押し殺して泣いた。
レオンは何も言わない。
慰めもしない。
ただ。
泣き終わるまで。
その場に立っていた。
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