第9話 よく働く城、人のいない城
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
朝食は、約束の時刻に運ばれてきた。
パンと、温かい汁と、焼いた卵。皿を置く順序にも、器の温度にも、不備はなかった。
ただ、それを運んできた者には、人間の顔がなかった。
「オハヨウゴザイマス」
小さなゴーレムが、卓の脇で頭を下げた。
金属と石でできた身体は、フレイアの知る戦場の巨体より、ずっと小さい。手の指まで細かく動き、空いた皿の位置を正確に確かめている。
エドガーは持ち上げかけた匙を止めた。
「昨日の親父さんは?」
「担当業務ハ、移管サレマシタ」
「どこへ行った」
「本日ノ宿泊業務ハ、当機ガ担当シマス」
答えは声として返ってくる。だが、聞いたことの半分は、そのまま残った。
フレイアが宿の主人の名を尋ねると、ゴーレムは台帳を開き、退去手続きの案内を示した。
国の紋章がある。昨夜、料理人が窯のそばへ置いた紙と同じだった。
食事は、美味かった。
パンはまだ温かく、汁の塩気も強すぎない。フレイアは匙を置きかけたが、残りを飲んだ。
だが、何を足したのか聞こうとした時、彼女は話しかける相手の変わったことを思い出した。
「この汁は、昨日の主人と同じ作り方か」
「登録済ミ調理手順ヲ、再現シテイマス」
「登録されぬ手順は」
「再現対象ニ、含マレマセン」
フレイアは匙を置いた。
窯の強い側へ合わせ、料理人が生地の縁を厚くした仕草が頭へ浮かんだ。登録したものに、あの調整まで入っているだろうか。
ゴーレムは彼女の皿を見たが、片づけなかった。まだ食べる者の前から奪わないよう、教わっているらしかった。
通りへ出ると、人の流れが一方向になっていた。
門へ向かう者の多くが、箱や袋を持っている。昨日まで職場へ急いでいたような人間が、今日は小さな家財を台車へ括りつけていた。
掲示板の前へ立つと、新しい告知が出ている。
知識生産に寄与しない業務の代替。
当該業務に従事する居住者の、国外移転。
長い文章の中から、その二つだけでも、何が始まったかは分かった。
フレイアが読み終える前に、横から若い男が内容を説明し始めた。自分の理解が正しいか、声に出して確かめているような話し方だった。
「同じことを繰り返す仕事は、機械へ渡す。人間は、新しいものを考える。正しい分担じゃありませんか」
「なら、去る者は、ここで考えることを許されぬのか」
「実績が、基準に届いていないのでしょう」
男は答えた。紙のどこを見れば、昨日の料理人の実績が分かるのか。フレイアが尋ねると、彼は知らぬと言った。
ただ、賢王が決めたのなら、調べた上でのことだと続けた。
その顔には、誰かを追い出す喜びはなかった。むしろ、新しい分担で皆が楽になることを、信じたがっているように見えた。
学舎の門には、もう授業へ急ぐ学生がいた。
その外側で、一人の少女が本を抱えている。昨日、エドガーが落とした本を拾った相手だった。
制服は着たままだが、胸の札が外されていた。
「また落とすぞ」
エドガーが声をかけると、少女は顔を上げ、すぐに俯いた。
隣にいた父親らしい男が、代わりに頭を下げる。
「今から、門へ。お世話になりました」
話す間にも、少女は学舎を見た。本を抱える力が強くなり、表紙の端が曲がる。
「何か、あったのか」
「成績です。残るための基準が、また上がりまして」
父親は困った顔で笑おうとした。
少女は、自分のせいで家族まで移るとは言わなかった。ただ、誰にも本を渡さず、一人で抱えていた。
フレイアは落ちそうな一冊へ手を出しかけた。だが、その本を放させることは、今、手伝いになるだろうか。
彼女が手を止めた時、父親が台車の空いた場所を示した。
少女はそこへ、最後に一冊だけ置いた。
昨夜の料理店には、まだ人がいた。
店主は大きな箱を抱え、裏口から出ようとしている。フレイアを見つけると、何か忘れ物かと尋ねた。
「焼くものは、もう終わったのか」
「ええ。窯も引き渡しました」
厨房の中では、小さなゴーレムが道具を並べていた。卓も椅子も変わらない。棚から紙が一枚外され、空いた場所だけが少し白い。
店主の箱には、使い込んだ麺棒と、油の染みた布があった。それだけは持っていってよいことになったらしい。
「手順は、納めたのか」
「すべて。生地もソースも、焼く時間も」
「窯の右側が、強く焼けることもか」
店主は少し驚き、笑った。
「そこまで、覚えていてくださったんですか」
フレイアは頷いた。食べた時だけでなく、作る手を見ていたことを、今さら説明するのは面映ゆかった。
店主は箱を置き、厨房を振り返った。
「報告はしました。でも、それなら窯の火を均等にすればよいと言われました。確かに、その方が手間は減るのでしょう」
「貴様は、どこで焼く」
「次の町で、場所を探します」
昨日まで暮らしていた国の王へ、感謝していると言った口で、同じ国を出る話をしていた。
フレイアは、不満はないのかと尋ねかけ、やめた。
店主は一つ鍋を持ち上げ、箱へ入らないと見ると、窯のそばへ戻した。
エドガーが箱の紐を直した。緩んだ結び目を締め、持ち上げても底が開かぬよう、もう一本足す。
「門まで、運ぼうか」
「家族の荷車が来ます。ありがとう」
店主は手を振り、箱を抱え直した。
見送った後で、フレイアは懐の鍵へ触れた。昨日、老人はこの告知を知っていたのだろうか。必要になると考えたのは、このためだったのか。
「王へ会う」
彼女が言うと、エドガーは頷いた。
フレイアは城へ向かった。
街の中心へ近づくほど、門へ向かう人とすれ違う。彼らが出した足音を、小さなゴーレムの駆動音が追いかけていた。
王城の門にも、人間はいなかった。
警備のゴーレムが二体、同じ角度で二人へ顔を向ける。フレイアが王への面会を求めると、受付に必要な事項が読み上げられた。
名と、用件と、予約の有無。
答える前に、懐の鍵が熱を持った。
フレイアが取り出すと、ゴーレムの目の光が変わる。
「最優先賓客権限ヲ、確認シマシタ」
重い門が開き始めた。
エドガーは鍵と彼女の顔を見比べた。フレイアにも、理由のすべては分からない。
城の内側へ足を踏み入れると、磨かれた廊下が奥まで続いていた。階段の手すりも、窓も、照明も手入れが行き届いている。清掃と警備の小さな身体が、それぞれ決められた場所へ動いていた。
人間の気配は、なかった。
昼食の用意をする者も、書類を抱えて走る者も、客の素性を気にして覗く者も。
城は何一つ滞らず、静かに働き続けていた。
フレイアは、鉄の鍵を握り直した。
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