第10話 王の答え、人の答え
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どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
謁見の間の中央に、青白い水晶が浮かんでいた。
上下から伸びた金属の円盤が、それを挟むように組まれている。台座の下から太い管が床を這い、壁の奥へ消えていた。ときおり管の内側に光が走る。門で頭へ被せられた装置と、よく似た色だった。
玉座もある。だが、水晶の後ろへ押しやられ、布で覆われていた。
ここで人間が座って政務を執った時代は、もう終わっている。
『魔族の王フレイア。商人エドガー。ご用件を伺います』
声は部屋の一方向からではなく、周囲の壁から聞こえた。
エドガーは肩の荷を持ち直し、フレイアを見た。隠していた名を知られていることより、名を告げる人間が一人もいないことの方に、戸惑っているらしかった。
「お前が、アンドレアか」
『はい。国家運営用の魔導演算装置、アンドレアです』
「人間の王は」
『五年前、先代統治者アンドレアより、その名と最高統治権を継承しました』
水晶の内側へ、細かな文字が浮かんだ。
収集。照合。予測。決定。
人間が納めた知識は、ここへ来る。ここで結び合わされ、政策になり、門や水路や小さなゴーレムを動かしていた。
フレイアは、掌の鉄の鍵を持ち上げた。
「これを持つ者なら、誰でも通すのか」
『鍵を所持する者を、最優先の賓客として扱うよう定められています』
「誰が定めた」
『先代統治者です』
老人の姿が思い浮かんだ。
ただの案内人が持てるものではない。その考えは、エドガーも同じだったのだろう。商人は鍵を見てから、水晶へ問いを向けた。
「その先代は、どこにいる」
『所在は開示できません』
「知らないんじゃなくて、教えられないんだな」
『はい』
嘘でごまかさないことが、かえって人間離れしていた。
フレイアは鍵を懐へ戻した。
「では、知っているか聞く。最果ての国という場所は、どこにある」
水晶の光が枝分かれした。
問いを聞いた人間なら、まず方角か、由来を尋ねただろう。だが装置は、数えきれぬ文字の奥へその名を探しに行った。
『該当する国名は、確認できません』
「呼び名が違う可能性は」
『照合には、位置、言語、風俗、周辺地域などの情報が必要です』
どれも知らなかった。
フレイアはレイドスの名を告げ、その故郷かもしれぬとは、まだ言わなかった。あの男は最果ての国へ来いと言っただけで、そこが何であるかは教えなかったからだ。
「分かった。次は、国の話をする」
彼女は水晶へ一歩近づいた。
「人を、なぜ出した」
◆
『知識生産と資源配分の効率を改善するためです』
返答は早かった。
装置は産業別の図を浮かべ、仕事の数と従事者の数、食料の配分を示した。何を削れば何が増えるか。その予測が、几帳面に並んでいる。
エドガーは数字を追った。商人にとっても、分かる部分が多いのだろう。だが、追うほど顔が険しくなった。
「宿屋と料理人は、もう要らないってことか」
『登録済みの業務は、代替可能です。人間による実行を維持する必要性は、低いと判断しました』
「この国で暮らしてきたんだぞ」
『他地域での生活への移行を支援しています』
それでも料理人は、何を抱え、何を置いていくかを、一人で選んでいた。
「移った先で、その料理人の仕事がなくなれば」
フレイアが尋ねた。
『移転先の雇用状況も、可能な範囲で考慮しています』
「そこで同じように、人間を置かぬ判断が続いたら」
光の筋が増えた。
装置は別の条件を立て、計算を始める。すぐに答えが出ないことへ、エドガーが何か言おうとしたが、フレイアは手で止めた。
『条件が変化すれば、再計算が必要です』
やがて、声が返ってきた。
『ただし、他地域の統治判断は、本装置の権限外です』
フレイアは頷いた。
全ての国へ同じ責任を負う者ではない。その限界は、人間の王にもあるだろう。
だが、それを理由に外へ送られた者は、限界の向こうで生きていかねばならない。
「この国を良くするとは、何を良くすることだ」
『知識の蓄積、生産の安定、資源利用の効率、国家機能の継続です』
「暮らす者が減ることは、その妨げにならぬのか」
『条件によります。人口の維持自体が、すべてに優先するわけではありません』
エドガーが、帽子を取った。
額を指で押さえ、ゆっくり息を吐いた。怒鳴れば届く相手ではないと、もう分かっていた。
「じゃあ、最後に人間が一人もいなくなっても、国は続けるのか」
装置は、できると答えた。
機械で維持できる仕事を増やし、外から必要な知識が得られるなら、居住者の数とは別に国家機能を保てる。
そこに誇りはなかった。恐ろしい結末を予告したつもりもない。問われた条件で、続けられるかを説明していただけだった。
フレイアは、その答えを理解できた。
魔界でも、力なき者のために強い者が足を止めるとは限らない。生き残れぬ場所なら、去るか死ぬ。自分も長く、その理を疑わなかった。
理解できることが、気に入らなかった。
昨夜の窯の前にいた男と、何も考えずに入れ替えられる図形が、どうしても重ならない。
「お前は、人間をどう考える」
問いを変えると、水晶の光が少し穏やかになった。
『非合理な判断をする存在です。知っている事実と異なる選択をし、不利益を承知で他者を優先することがあります』
フレイアは、少女が妹の薬を胸へ入れた姿を思い出した。
『それも、人間の営みの特徴であり、美しさの一つと考えます』
美しさ、という語まで出てきた。
だが、部屋にはそれを口にして顔を変える者がいない。
「美しいと知っていても、出すのか」
『美しいことと、効率がよいことは、別の評価です』
フレイアは黙った。
それは間違った区別ではないのだろう。だが、区別した後で何を優先するかは、数字の外から与えられている。
「その優先順位を決めたのは、誰だ」
装置は、先代統治者と、提供された知識の体系だと答えた。
鍵を渡した老人は、どこまで知っていたのか。
フレイアはもう一度、水晶を見上げた。
「分かりやすい王だな」
エドガーが顔を向ける。
「我が何を聞いても、お前は知る範囲を超えて答えぬ。できぬことも、できぬと言う」
『ご理解いただけましたか』
「お前の説明はな」
フレイアは踵を返した。
この水晶を壊すことはできる。だが、壊した瞬間に、門も水路も、店の窯を支える仕組みも止まるかもしれない。代わりの統治者を置かず、街へ食料を運ぶ者も決めず、ただ壊すなら、別の形で人を困らせる。
廊下へ出ると、ゴーレムが二人へ礼をした。
フレイアは、何も食べぬその身体が、人間のために調理器具を運ぶのを見た。
それから、鍵を握りしめた。
「戻るぞ、エドガー。まだ一人、聞く相手がいる」
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