↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/83

第81話 自分の名前で話す

お読みいただき、ありがとうございます。

どうぞ、今回の旅もお楽しみください。

「水へ入ったのは、俺が金を出したからです」


 ニコは言った。

 オルドが短く舌を打つ。トマはまだ座らず、椅子の背を握っていた。


「二回です。俺が頼んだのは。先に下の階段へ回って、助けを呼ぶのを待っていました」


 セラがペンを取った。

 青年は娘の手紙を出所証から抜き、鞄へしまった。しまい終わっても、鞄の蓋を閉める手が離れなかった。


「一度目は、あの子から言ってきたのか」


 エドガーが聞いた。ニコは首を振った。


「オルドさんに、すぐ点になる仕事があると言われました。場所を見て、大丈夫だと思った。子供が先に来ていて、やり方も知っていたので」

「なら、俺だけに頼まれたことにするのか」


 オルドは椅子へもたれた。


「一回目が終わってから、また頼んだのは誰だ」


 ニコは机の端を見た。


「俺です」


 セラのペンが動いた。窓の外で、誰かが認定された点数を読み上げていた。

 トマが椅子を引いた。


「俺も、話していい?」


 セラが頷く。少年は座り、膝の上に手を揃えた。

 何度も水へ入った。そのたびに、少し下で待つ大人の顔を見た。引き上げてもらえる場所へ泳ぎ、見物人が少なければ、もう一度声を出した。

 途中まで話して、ニコを見た。


「一回、返事をしなかったでしょ」


 青年が顔を上げる。


「後ろに舟が来てたから、待てって言われて。足が滑ったんだ。届いたけど、底がぬるぬるしてて」


 ニコは何か言いかけた。

 少年は先に続けた。


「だから次は、壁の段を使った。俺が知ってたんだ。そこを歩けばいいって、教えた」


 親方の指が膝の上で組み直された。

 トマはその手を見て、肩を縮める。


「俺、使い走りよりたくさん貰えるから。屋根の修理に行けないぶん、俺が――」

「俺の腰のせいにしなくていい」


 親方は言った。

 怒鳴る声ではなかった。トマは机を見たまま、口を結んだ。


 オルドが椅子を押した。


「泳ぎをしくじったことまで、俺たちのせいにするな。仕事を選んだのはお前だ」


 男の手が、少年の肩へ伸びた。

 フレイアは間へ入った。指先に集めた魔力が、卓上のペンを転がす。オルドの腕は、まだ少年に触れていなかった。


「待って」


 トマが言った。

 フレイアは振り向いた。


「俺、まだ言ってない」


 少年は彼女を見上げていた。逃げ出しかけた足を椅子の下へ戻し、机へ向き直る。

 フレイアは指を開いた。止まったペンを、セラが拾った。

 彼女は扉の脇へ下がった。オルドが一歩動くと、そこに立っているフレイアを見て止まった。


「お金を貰ったから、嘘も言った。でも、やめたい時に、どこでやめればいいか分かんなくなった」


 ニコは顔を伏せた。


「おじさんたちが出ていくまで、って思ってた。また次の人が来るから、その人が出るまで。そのあとも誰か来るし」


 窓の外で、点数を読み上げる声が止んだ。

 トマは自分の指を一本ずつ握った。


「俺は、いつ終わるんだろうって」


 エドガーは椅子へ手を掛けたまま、動かなかった。

 ニコはようやく鞄から手を離した。


「明日からは、頼みません」

「今日、言って」


 少年の声は小さかった。


「今日から、もう頼まないで」


 ニコは頷いた。頷くだけで終わらず、顔を上げて言い直した。


「今日から、頼まない。ほかの人にも頼ませないように、知っている人の名を話す」


 オルドが鼻で笑った。


「立派だな。そう言えば、それも点になるか?」


 フレイアは男を見た。指が再び曲がり、外套の布をつかんだ。

 ニコが、セラへ顔を向ける。


「なりますか」


 セラはペンを止めた。


「不正を説明したことを、救助の点にはしません」

「……はい」


 青年は返事をした。膝の上の出所証を見て、赤い印のある側を表へ返す。


「二度目の申請書も、俺が書きました。あの子が勝手に転んだと書きました。対岸で見ていた旅人には、助けたところしか見せていません」


 セラが新しい紙を出した。

 ニコはそれを待たず、次の日付を言った。トマに渡した金の額も、救助に呼ばれる前から川にいた者の名も。


 正午の鐘が鳴った。

 トマは親方と先に帰った。出る時、ニコが呼び止めかけたが、少年は振り返らなかった。親方が空いた方の手を差し出すと、そこへ赤い布を載せた。

 オルドは別の部屋へ呼ばれた。帳面は持っていないと言った。セラは巡回員へ引き継ぎ、机の紙を揃えた。

 ニコの聞き取りは終わっていなかった。

 窓から、港の小舟が岸を離れるのが見えた。青年は一度だけ立ちかけ、座り直した。


「娘たちが、向こうで待っています」


 セラが顔を上げる。


「遅れると、知らせたいんです。今日、帰れないと」


 女は机の引き出しから紙を出し、ニコの前へ置いた。


「連絡先を。港から渡せるか、係に聞きます」


 ニコは紙を引き寄せた。住所を書いてから、文の初めで止まった。

 フレイアは戸口に立っていた。青年の顔を見ず、窓から入る風で浮いた紙の端を押さえた。

 しばらくして、筆先が動いた。

 エドガーは二人分の椅子を廊下へ寄せた。フレイアが座るまで、隣を空けていた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

続きも読みたいと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。