第79話 助けられる仕事
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
「溺れる、ってのはどういう意味だ」
エドガーが尋ねると、トマはニコを見た。青年の顔を見てから、言葉を変えようとする。その僅かな間で、エドガーは答えの形を知った。
「泳ぎの練習です」
「なら、なぜこいつの顔を見る」
ニコが裏口を開けた。
「中庭で話しませんか。ほかのお客さんがいます」
逃げられる位置には立たせなかった。フレイアが先に中庭へ出る。トマは敷居に片足を残したまま、帰ってもよいかと尋ねた。
「叱られるのは、俺なんで」
「まだ、何をしたか聞いてねえ」
エドガーは椅子を一つ引いた。少年が座るまで、ニコは立っていた。
偽装救助は、下流へ曲がる旧水路で行われていた。流れの緩い浅瀬へトマが入り、見通しの悪い曲がり角で助けを呼ぶ。ニコたちが飛び込み、少し下の階段へ引き上げる。その姿を、対岸から人に見せる。
トマが紙に名前を書き、目撃した旅人にも署名を頼む。職員が尋ねに来た時には、怪我が無くてよかった、と揃って答える。
「毎回、同じ子じゃばれるだろ」
「場所も、救助する者も変えました。俺がしたのは二回です」
「二回ならいいって話じゃねえぞ」
「分かってます」
ニコは膝へ手を置いた。握れば震えを隠せる位置だった。
トマには、そのたび銅貨が渡された。引き取ってくれた修繕職人は腰を悪くし、屋根の高い仕事へ上がれない。普段の使い走りよりも、短い時間で稼げた。
「俺、泳げるんだ。舟底の釘も拾える」
「流れも雨も、毎回同じか」
フレイアが尋ねると、トマは口を閉じた。
「足がつく所だけでやってた」
「今日は、の話ではあるまいな」
少年は赤い布をほどいた。膝の上で端を結び、またほどく。ニコがそれを見つめていた。
エドガーは、青年の腕輪へ視線を落とした。
「ここへ来たのは、何をしたからだ」
返事までに時間が掛かった。
「倉庫の荷を、横流ししました。鍵を開けただけだと、自分では思ってた。止めようとした同僚を突き飛ばして、階段から落としたんです」
中庭の奥で、桶から水が一滴ずつ落ちていた。
「その人は」
「生きています。でも、前の仕事には戻れないそうです。毎月、賃金から弁償を送っています。出ても続きます」
娘のためだったのか、とエドガーは尋ねなかった。ニコも、そうは言わなかった。
フレイアは青年から目を外さなかった。
「鍵を開けただけと思い、今度は泳がせただけと思ったか」
ニコの喉が動いた。言い返そうとしたのかもしれない。結局、出てきたのは、小さな肯定だった。
「……はい」
トマが顔を上げた。
「俺がやるって言ったんだ」
「お前が言ったら、こいつは止めなくていいのか」
エドガーの声に、少年は肩を縮めた。大きな声を出したことを悔やむ間に、ニコが頭を下げた。
「この子は、帰してください。俺が話します」
エドガーは修繕工房の場所を聞き、宿の女に事情の一部を伝えて、少年を送ってもらった。偽装のことは職人にも話す、と先にトマへ告げた。少年は嫌がったが、黙って送られることには同意した。
ニコは、元締めに当たる男がいると打ち明けた。オルドという。同じ受刑者で、荷役の仕事と救助の手配をしている。出所前に抜けると伝えたいと言った。
エドガーは同行した。フレイアも黙ってついてきた。
◆
オルドは倉庫の軒下で、靴の泥を落としていた。ニコが話す間、手を止めなかった。
「出る奴は、みんな立派なことを言う」
聞き終えると、彼はそう言った。
「俺に水路掃除をさせる。老人の薪も運ばせる。それでも門は遠いままだ。だが、あの坊主が三度騒げば、一月近く縮まる。何をやれって、この街が教えたと思う?」
「本当に困ってる奴を助けろってことだろうが」
「毎朝、都合よく溺れてくれるか?」
オルドは靴を下ろした。奥の棚から帳面を出し、開いた。日付、場所、配った銅貨。ニコの署名もあった。
「俺だけ捕まると思うな。これを出せば、お前の明日の便は無い」
エドガーは一歩前へ出た。ニコが腕を差し入れ、止めた。
「殴らないでください。書いたのは、俺です」
青年は帳面を見ていた。取り上げても、書いたことまでは消えない。オルドもそれが分かっているから、手の届く場所に置いていた。
宿へ戻る途中、ニコは認定所の前で足を止めた。窓は閉じられ、明朝の受付時刻が掲げられている。
「娘は、港へ迎えに来ます。日付を書いてしまったんです」
エドガーは、昼間見た花の絵を思い出した。認定所の前を、人が二人通り過ぎた。彼はその足音が消えるまで待ってから、ニコへ向き直った。
「明日の正午、お前の出所便が出るまで待つ」
ニコが振り向いた。
「朝、俺は窓口へ行く。お前の名も話す。そのあと正午まで、ここで待つ。俺が知らない分は、お前から話してくれ」
「それでは、どっちにしろ」
「分かってる。だから、黙って帳面を奪うとは言ってねえ」
ニコは認定所の閉じた窓を見た。中には誰もいない。
翌朝そこへ来る自分を、思い浮かべられないようだった。
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