↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/83

第70話 借りた銀の縁

お読みいただき、ありがとうございます。

どうぞ、今回の旅もお楽しみください。

 宿の受付は、木の仮面を見て筆を置いた。

 戸口には厚い敷物があり、通りの砂を踏んだ靴が、その上だけ音をなくした。壁に並ぶ客室の鍵は磨かれている。鍵札の文字へ目を近づけるより早く、男の視線がルシアたちの顔を順に辿った。


「お泊まりではない方は、食堂の利用をお断りしています」

「我の客だ。部屋へ上がる」


 フレイアが宿の鍵を示した。

 男は帳面をめくり、来客の名を書くよう求めた。ルシアは自分の許可票を出す。アデルミラが名乗る間、男の目は青い面から離れなかった。


「お食事は?」

「部屋へ持ってきてくれ」


 それには、拒む返事がなかった。


 エドガーは卓の前にいた。

 箱から出した仮面と留め具を数え、納品書の欄へ線を引いている。三人が入ってくると手を止めた。


「ルシアか」

「はい。証言をお願いしに来ました」

「レイから話は聞いてる。昔の俺と会ったことがあるんだな」

「あります」


 エドガーは椅子を引いたが、親しげには笑わなかった。


「俺には、あの頃のことは分からない。今聞いた話を、見たこととして書くつもりはないぞ」

「記録官も、覚えていない部分を補わないようにと言いました」

「なら、そこはそう書いてくれ」


 ルシアは頷いた。

 アデルミラは扉のそばに立ったままだった。フレイアが隣の椅子を少し動かすと、少女はその端へ座った。


 薄いスープとパンが運ばれてきた。

 アデルミラは代金を尋ねてから匙を取った。フレイアは自分が頼んだ分だと答え、先ほどの話をエドガーへ伝える。

 少女が盗もうとしたことも、省かなかった。


「それで、この見本を借りたいと?」


 エドガーは布の掛かった仮面を見た。


「持ち主に聞いてほしい。勝手に貸す約束はしておらぬ」


 彼はフレイアへ一度顔を向けた。

 何も言わず、荷に添えられた紙を開く。


「試着用の見本だ。本店へ届けた時に、聞いてみる」

「断られたら?」


 アデルミラが尋ねた。


「借りられない」


 少女は匙を動かした。

 その返事が気に入らなくても、食事を取り上げられることはなかった。


 レーヴェ工房の本店では、荷を受け取る係が一つずつ品を並べた。

 通りへ開いた窓には完成品が飾られ、奥の壁には彩色前の木型が掛かっている。高い天窓の光が、アデルミラの見つめる銀の縁を照らしていた。

 留め具の数。仮面の縁。輸送中の擦れ。

 エドガーは相手の確認が終わるまで箱を閉じず、受取の印が押された控えを受け取った。


「こちらの一枚を、展示用に借りられるか聞きたい」


 紺地に細い銀の縁を持つ仮面を示す。

 目元の青い石は三つだった。アデルミラは指を伸ばさず、光の動く表面を見た。


「着けるのは、この人。買うためじゃない。街で使った時の感じを確かめたいという」


 係は少女を見てから、エドガーへ顔を戻した。


「取引先へお見せするのでは?」

「違う。だから聞いてる」


 係は奥の帳面を調べ、展示担当を呼んだ。

 出てきた女は、少女の目と面の穴の間隔を見た。裏の留め紐を引き、傷がないことを示す。


「これなら調整できます。一般の方への着用展示も受けています。ただし運搬を請けた方の立ち会いで。お名前を」

「アデルミラ」


 少女が答えた。

 女が名を書き留める間、アデルミラは青い石を三つ、端から見直した。


「返却は、夕方六時の鐘まで。傷がついたら、隠さず知らせてください」

 女は小さな試着札を留め紐につけた。

 エドガーが貸出票を受け取る。

「壊れた時は、俺が窓口になる。逃げずに、一緒に説明しに来てくれ」

 アデルミラは頷いた。受け取ろうとして両手を出し、まだ着けている青い面へ触れた。

「ここで替えてもいい?」

「宿へ戻ろう」

 エドガーは空いていた箱へ布を敷いた。少女は銀の面をそこへ置いたが、受付を離れるまで、一度も目を離さなかった。


 着け替えは宿の部屋で行った。

 人前ではなく、閉めた扉の内側。アデルミラが青い面へ手を掛けると、ルシアは窓へ顔を向けた。

 紐が擦れる音がして、しばらくしてから、見ていいよ、と声がした。


「軽い」


 少女は頬の辺りを指で押さえていた。

 銀の縁より、そちらの違いの方が気になるらしい。首を動かしても、面が遅れて揺れなかった。


「ここ、当たらない」

「紐を締めすぎるなよ」


 エドガーが言った。

 フレイアは古い面を包む布を差し出した。アデルミラは自分で包み、鞄へ入れた。


「置いていかぬのか」

「返したら、これを着けるから」


 ルシアは自分の木の面へ触れた。

 白い面は鞄の中にある。旅人札は木の面についたままだった。


 階下で、受付が立ち上がった。


「お出かけですか。お帰りにはお席を――」


 アデルミラが足を止める。


「さっき、泊まってない人は使えないって言ったよね」


 男は試着札を見つけた。

 口元の笑みが薄くなった。


「お連れの方でしたね。失礼しました」

「仮面の方を覚えたの?」

「こちらにも大勢のお客様がございますので」


 男はフレイアへ目を向けた。

 彼女は少女より先に答えなかった。アデルミラが小さく息を吐き、扉を押した。


 通りでは、何人かが道を譲った。

 若い給仕が店先から声を掛け、巡回兵が会釈した。アデルミラは最初、後ろの誰かに向けられたものだと思ったように振り返った。

 ルシアたちしかいなかった。


 少女の歩みが遅くなった。


「どうですか」

「まだ分かんない。嬉しいって言ったら、返す時に手を離したくなくなりそう」


 軒には、式典用の飾り灯が積まれていた。

 仕事をしている者たちは、通りの仮面より、灯を吊るす紐を見ていた。銀の縁に気づかず、そこを空けてと声を掛ける者もいる。

 アデルミラは黙ってよけた。


 少女は、角の店を指した。

 窓の中で、蜂蜜を塗った菓子が光っていた。


「あそこで、仕事を探したことがある。食器洗いでもいいって言ったの。物がなくなると困るからって、帰された」


 ルシアは裏口と、表の広い扉を見比べた。


「今日は、何をしたいですか。アデルミラ」


 少女は窓を見たまま答えた。


「普通に座って、注文して、食べてみたい。まず、それだけ」


 エドガーが店先の献立を見に行った。

 フレイアは横に並んだが、二人で笑い合うことはなかった。値段を確かめ、席を尋ねる短い声だけが聞こえた。


「入れるぞ」


 アデルミラは試着札を直し、扉へ向かった。

 給仕は銀の縁を見てから、四人へ道を空けた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

続きも読みたいと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。