第7話 知識を納める国
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
ライドゼルへ続く街道には、学生らしい若者が多かった。
背に書物を括りつけた者、歩きながら紙へ何かを書き込む者。休憩所では、片方の持つ本をもう片方が覗き込み、二人そろって食事を冷ましていた。
フレイアがあれも売り物かと尋ねると、エドガーは、ここでは本を持っていない方が珍しいらしいと答えた。
「次の国の王様は、知識なら何でも喜ぶそうだ」
「最果ての国も知っているか」
「聞く価値はあるんじゃないか。賢王と呼ばれるくらいだしな」
先の国を三日で理解できると考えた自分を、フレイアは思い出した。
手帳に挟んだ紙を開く。王へ尋ねたいことは、一行には収まらなかった。
門の前で、エドガーは財布を出した。
白い法衣の職員が、その手を丁寧に止める。
「入国税は、金品ではございません。お二人がお持ちの知識を、一つずつお納めください」
エドガーは財布を見てから、相手へ顔を戻した。
「知識ってのは、たとえば?」
「研究成果、旅の経験、他国の生活様式。国をよりよくするために役立つものでしたら、広く受け付けております」
「俺の知ってる道が、もう誰かの知ってる道だったら」
「現時点の状況に差があれば、それも情報です。どうぞ、ご相談を」
職員はよくある質問へ答える顔で笑った。
フレイアの角へ気づくと、その笑みがさらに明るくなる。怖がる者の目ではなく、珍しい商品を見つけた商人に近かった。
「魔族の方ですか。異なる種族の知識は、なお貴重です。賢王様もお喜びになります」
「知らぬことなら、何でも欲しいのか」
「知ることで、役立て方を考えられますので」
フレイアは小冊子を閉じた。
知らぬことを知らぬまま遠ざけない。その考えは、自分の旅ともよく似ていた。
だが、職員が示した建物の中へ入ると、思っていたものとは違う道具が置かれていた。
◆
小部屋の中央に、金属の兜があった。
頭頂部から何本もの半透明の管が伸び、壁を貫いて奥へ続いている。椅子には背もたれがあり、正面の机には、手を置くためらしい浅い窪みがあった。
「ナレッジ・ブリッジといいます。知識を読み取り、複製する魔導装置です」
「取り出した後、我の中から消えるのか」
「いいえ。書物を書き写しても、元の頁は失われないでしょう。それと同じです」
ジマリハでは、手放したものは他人へ渡った。この国は違う。自分にも残り、相手にも増える。それなら、初めから奪い合う必要がない。
フレイアは兜の内側へ触れた。微かな魔力が走り、彼女の指へ応じて灯る。
「何を写すかは、こちらが決めるのだな」
「はい。提供する知識を意識していただきます。思い浮かべにくければ、事前に内容を整理してからでも構いません」
フレイアは、ベルゼの注意書きを思い出した。旅先で軍の話をしないこと。魔界の禁術について質問されても、説明を始めないこと。あの側近自身が、禁術の系譜を何刻も語るくせに、他人にはそう命じる。
少し考え、彼女は魔界の草を選んだ。
雨が近づくと葉の裏を向ける草がある。魔力の流れに敏感で、根を傷めずに植え替えれば、土地を離れても同じ反応をする。
戦争の役には立たぬ。だが、空を見て天気を気にしていたエドガーなら、知りたがるかもしれない。
兜を被ると、管の中へ青白い光が流れた。
痛みはない。だが、自分が思い浮かべた葉の輪郭を、もう一人の誰かが同じ向きから見ているような感覚があった。フレイアは目を閉じ、提供したい内容を頭の中で繰り返した。
終わってから、草の名を思い出した。
根の長さも、葉の裏に走る筋も、すべて覚えている。物が減った気配はない。それでも、胸の内側へ他人の手が一度通ったような落ち着かなさが残った。
外で合流したエドガーも、帽子を脱いで頭を掻いていた。
「俺は街道の崩れた場所を話した。こっちへ来るやつには役立つだろ」
「頭の中は、何も減っておらぬな」
「減ってたら、確認する方も忘れてるかもしれんが」
フレイアが見返すと、商人は冗談だと言って帽子を被った。確かめられぬことを軽く口にするなと返すと、そこは同感だと頷いた。
◆
城門の内側は、よく整えられていた。
水路にごみはなく、荷車の通る幅が揃っている。掲示板の前では、読み書きを学ぶ子供へ教師が説明していた。紙へ記された数字を見ながら、住民が道の改修について話している。
賢王の名は、至るところにあった。
水の配分。学舎への物資。夜間の灯火。決められた理由が細かく書かれ、どの末尾にもアンドレアの名がある。
「よく調べる王だな」
フレイアが言うと、近くのベンチで老人が顔を上げた。
「お二人とも、初めてかね」
杖を持つ、穏やかな男だった。膝に置いた本は開かれたままで、読んでいた場所を細い紙で押さえている。
「朝飯の美味い、安い宿をご存じか」
エドガーが尋ねた。
老人はフレイアへ目をやり、それなら案内しようと立ち上がった。
「この国へ、何を学びに?」
「王に尋ねたいことがある」
「ほう。どのような」
フレイアが最果ての国の名を出すと、老人は少しだけ首を傾げた。
知らぬらしい。だが、すぐに曖昧な方角を示さず、自分には心当たりがないと答えたことは好ましかった。
「賢王なら、知っているかもしれぬのだろう」
「知っていれば、答えますじゃろうな」
妙な言い方だった。
エドガーも気づいたらしく、相手へ顔を向けた。
「随分、親しくご存じなんだな」
「この国の者は、皆、あの方の仕事を毎日見ておりますので」
老人は歩調を緩めた。前を、制服を着た少女が走っていた。抱えた本が落ちそうになり、彼女は立ち止まって積み直す。
エドガーが一冊拾って渡すと、少女は礼を言い、学舎の門へ向かった。
「難しい本であったな」
「ここの学舎は、各国から人が集まるほどですからな。勉強をして、働き、知識を納める。皆、それを誇りにしておる」
老人は門の方をしばらく見た。
誇らしそうな声なのに、その目は少し疲れて見えた。
案内された宿は、裏通りの小さな建物だった。
入口の鉢へ草が植わり、窓の内側には洗った布が干されている。老人はここの朝食をよく知っているらしく、焼きたてを頼むとよいと教えた。
フレイアが礼を述べると、彼は本を閉じ、最後に一つだけ尋ねた。
「旅の目的は、その国へ行くことだけですかな」
「人間を知るためだ。行き先は、その先にある」
老人の指が、本の背を撫でた。
それから懐へ手を入れ、古い鉄の鍵を取り出した。複雑な歯と、輪の部分に刻まれた紋章。さっきまで手にしていたはずなのに、掌へ落ちる重みは妙に冷たい。
「これを、滞在の間、持っていてくださらんか」
「何を開ける」
「開ける必要がなければ、そのままで。国を出る前に、使わずに済めば、いちばんよい」
老人は笑った。
だが、フレイアが返そうとすると、その手を静かに押し戻した。
「人を知りたいと仰る方に、一度、お渡ししてみたかったのです」
フレイアは鍵を見下ろした。古い鉄の奥に、まだ、はっきりした魔力が生きている。
顔を上げた時には、老人はもう学舎と反対の道を歩いていた。
掲示板の前に、新しい告知が貼り出される。集まった住民が一斉に紙を読み始める。その肩越しへ老人の姿が隠れ、杖の音だけが、しばらく残った。
その夜、フレイアは部屋の窓から通りを見た。
家々の明かりは増えているのに、店の看板は一つずつ暗くなっていく。読書をする人影ばかりが窓へ並び、夕食時の呼び込みも、酒場の笑い声も聞こえなかった。
向かいの店から、男が古い献立を外した。代わりに貼った紙には、国の紋章がある。
彼はそれを長く見つめてから、店の内側へ戻った。
まだ、料理を焼く匂いがしていた。
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