第6話 その笑顔を、誰が引き取る
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どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
エレイナは、妹の髪を梳き始めた。
手櫛で絡まりを解き、枕の上へ広げ直す。泣けないことを謝りはしなかった。ただ、何もしないでいるより、いつもの手順が残っている方がよいのだろうと思えた。
フレイアは卓の脇へ立っていた。自分がここにいることで、何かをさせているのではないかと考えたが、去る言葉も見つからなかった。
「今まで、何を話していた」
尋ねると、エレイナの手が止まった。
「リリアと、ですか」
「ああ」
少女は少し考え、窓を見た。
「外を歩けたら、どこへ行こうって。あの子、橋の向こうの市場をちゃんと見たことがなくて。何を売ってるか、帰ると聞くんです」
いつもなら、何度でも話せたことなのだろう。だが今は、一つ話すたび、その続きを何のために覚えていたか分からなくなるように、言葉が途切れた。
「昨日は、何を」
「赤い果物があったって。前に教えたのと、違う形で」
エレイナは唇を少し動かした。
「食べたいって言ったんです。だから、今度、安いのがあったら」
そこまで言って、少女は寝台へ目を落とした。布の中へ戻された小さな手を見て、また、何かを確かめるように自分の胸へ触れる。
フレイアは質問をやめた。
隣の家の女が、物音を気にしてやって来た。
寝台を見ると顔を曇らせ、少女の肩へ手を置いた。エレイナは何が起きたかを説明し、そこで初めて、一人で済ませるつもりだった明日の仕事の話をした。
「お金が足りなかったら、また朝から」
「今夜は、いいから」
女は言い、寝台へ清潔な布をかけた。
フレイアは必要な手続きを尋ねた。女は彼女の角を見て一瞬迷ったが、葬る場所や、呼ぶ者の名を順に教えた。
そのための金をフレイアが渡すと、エレイナはすぐに手を引いた。
「何を引き取ればいいですか」
問いは、習慣のように早かった。
フレイアは掌の銀貨を見た。これを渡せば、目の前の少女に別の悲しみを吸わせずに済む。少なくとも、今夜と明日だけは。
「何も要らぬ」
「それだと、返せません」
「返すために渡すのではない」
言ってから、エレイナが困った顔のままでいることに気づいた。それだけでは説明になっていないのだ。
フレイアは少し考え、銀貨を隣人へ預けた。
「明日、急いで働かずに済むためだ。妹のそばにいてよい」
少女は長い間、何も言わなかった。
やがて鞄を寝台の下へ置いた。感情導管の硬い縁が床へ当たり、短い音を立てる。
フレイアはその音を聞いてから、ようやく戸口へ向かった。
◆
酒場では、昨日と同じ場所から笑い声がしていた。
扉を開けると、店主が顔を上げる。今日は一人かと尋ねられ、フレイアは頷いた。
「飲み物を。酒ではないものだ」
「分かってるよ。昨日は、こっちも気が利かなかったな」
店主が果汁の杯を置いた。
フレイアは口へ運び、甘さの後に広がる酸味を確かめる。美味いと思った。その感覚が今も自分の中へ生まれることに、少し戸惑った。
少女の家を出た後なのに、世界は何もかも苦くなるわけではなかった。
「南東へ、行ってきたのか」
店主が尋ねた。
フレイアは杯を置き、少女と男の話をした。短剣を向けられたこと。男は恐怖を感じると、逃げたこと。何も感じぬと言いながら、生きたいとは願ったらしいこと。
店主は途中で相槌を打たず、手元の作業を止めて聞いていた。
「少女の妹が死んでいた」
そこへ話が至ると、彼の顎が僅かに下がった。
「薬を買って戻った。だが、間に合わなかった。少女は、自分の悲しみが分からぬと言った」
カウンターの向こうで、食器が鳴った。
誰かが追加の酒を頼み、別の給仕が持っていく。店主はすぐには応じず、布巾をゆっくり畳んだ。
「そうか」
短い返事だった。
フレイアは彼の背後の肖像画を見た。黒い布が、暖炉から来る空気に揺れている。
「お前にも、亡くした者がいるのか」
店主はその絵を振り返った。何かを隠そうとはしなかった。ただ、話すための息を、一度深く吸った。
「息子だ。一月前にな」
働き始めたばかりだった。自分の店へ入ると思っていたが、外で商売を覚えたいと言って出ていった。店主は、どうせ戻ってくると思っていたらしい。
「喧嘩別れでも、してりゃ、もっと上手い話にできるんだろうが。最後は、ちゃんと食えよって言っただけだ」
店主は少し笑い、やめた。
「しばらく、肉が焼ける匂いだけで駄目だった。あいつが好きだったものを、客には出さなきゃならん。客が笑えば、俺も笑う。けど、片づけて一人になると、何もできなくなる」
フレイアは口を挟まなかった。
店主の布巾は、もう乾いていた。同じ所を拭く手が止まるまで、フレイアは待った。
「今朝、引き取ってもらったんだ」
店主は言った。
「若い子だった。少し多く渡したよ。泣いてたからな。仕事だと分かってても、見てる方は、どうにも」
フレイアは杯へ目を落とした。
同じ少女かは分からない。だが、ここで絵を磨く手と、あの家で妹の髪を梳く手が、見えない一つの管で繋がれたように思えた。
「少女の名は、聞いたか」
「……いや」
店主は答えた後で、それまでより深く俯いた。
「知らない。俺は、ちゃんと金を払って、帰っただけだ」
彼は法を破っていない。決められた手順で取引をし、相手へ余分な金まで渡した。それによって店を開けられ、食事を出し、誰かが腹を満たしている。
その一方で、今朝、この男の分まで泣いた者がいる。
「今は、息子のことをどう思う」
店主はすぐには答えなかった。
肖像を見てから、指についた小さな汚れを布で拭く。手がきれいになっても、拭き続けた。
「死んだことは覚えてる。どんな顔で笑ったかも、好きだった飯も、全部な」
彼は、絵へ触れなかった。
「けど、さっきまで何であんなに苦しかったのかが、遠いんだ」
フレイアは小冊子を出さなかった。
記憶は残ると店で教わった。それがどういうことなのか、今、初めて別の形で聞いていた。
「明日、また苦しくなるかもしれん。ならないかもしれん。今、笑ってる俺が、どういう俺なのか――」
店主は言葉を探し、結局、首を振った。
「俺にも、分からねえよ」
フレイアは、それを答えとして受け取った。
杯を飲み干し、代金を置く。去る前に、少女と妹の名を伝えた。男は一つずつ繰り返し、カウンターの下へ短い紙を入れた。
何かをしろとは、フレイアは言わなかった。
◆
三日目の正午、エドガーは約束の門にいた。
荷台は入国した時より重そうで、丁寧に縛った小瓶が、布の下へ収められている。フレイアを見つけると、男は袋から包みを取り出した。
「昼飯、まだだろ」
「なぜ分かる」
「約束の時刻に間に合った旅人は、大抵、その前に何かを省いてる」
包みには、揚げた鶏肉が入っていた。
フレイアは一つ受け取った。衣が歯の下で崩れ、熱い汁が舌へ触れる。塩気が広がり、もう一口食べたいと思った。
その後で、彼女は包みの中を見た。
「……これを食えぬ者もいるのであろうな」
「いる」
エドガーは簡単に答えた。励ましも、説教もつけなかった。
「だから、食える時は食っとけ。分けられる時には分ければいい」
フレイアは残りを半分に割り、男へ返した。
商人は受け取り、何も言わずに食べた。
馬車へ上がる前に、フレイアは南東へ続く道を見た。明日のエレイナがどう暮らすか、自分には約束できない。金を渡しても、何が足りなくなったのかを、そのまま戻すことはできなかった。
「荷台の結晶は、貴様が使うものか」
出発してから尋ねると、エドガーは首を振った。
「仕入れだ。欲しい人間へ運ぶ」
「お前自身には、要らぬのか」
「今のところは、使ってない」
今後も使わぬ、とまでは言わなかった。
フレイアはそれ以上、問わなかった。
彼女は小冊子を開いた。三日あれば分かる、と言った自分を思い出し、その見積もりだけを線で消す。
余白には二つの名前を書いた。
エレイナ。リリア。
車輪が揺れても読めるよう、ゆっくり、一文字ずつ書いた。
「そういえば、次の国の噂を聞いたぞ」
エドガーが、道標の向こうを見ながら言った。
「賢王がいて、国じゅうの知識が集まるんだとさ。誰も知らない国の場所でも、あそこなら調べられるかもしれん」
フレイアはペンを止めた。
何でも知る王なら、誰も悲しまずに済む方法も知っているのだろうか。フレイアは書いたばかりの名を見て、ペンに蓋をした。
「行こう。その王に、会ってみたい」
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