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第62話 舞台の下で待つ人々

お読みいただき、ありがとうございます。

どうぞ、今回の旅もお楽しみください。

「ルークなら、同じ舞台に立ったことがある」


 向かいの格子の奥で、老人が言った。

 立ち上がろうとして壁に手をつき、膝を伸ばすのを諦める。エドガーは自分の格子まで戻った。


「今、どこにいる」

「東の小劇場にいた。私がここへ来る前はな。役名は何だ?」

「芸名しか聞いてない。兄のハロルドが、五年ぶりに会いに来たんだ」


 老人は唇を結んだ。

 代わりに、隣の牢の男が身を乗り出した。頬を横切る傷には、まだ新しい瘡蓋が残っている。


「東の小劇場なら、道具を直しに行っていた。若いルークだろう。右の踵を庇って歩く」


 エドガーは靴の包みを見た。

 それだけで同じ人だとは言えない。兄が持ってきた、と言って差し出せば、誰でも受け取れる。


「本人だと確かめてから渡したい。兄の名を知ってるか、聞けるか」

「伝言を持って行く相手なら、いる。ただ、俺はここから出られん」


 男は牢の隅の工具袋へ触れた。


「装置を十二年作った。今でも壊れた物だけは直させに持ってくる。運ぶ連中の中に、話の通じる奴がいる」

「頼めるのか」

「次に誰が来るかまでは決められない」


 フレイアは、通路の奥の戸を見た。


「運ばれた者の記録は、どこにある」

「左の搬送口だ。車につける札と、台帳の番号を揃える。舞台道具でも、人でもな」


 エドガーは、先ほど板に書いていた係を思い出した。

 何のための字か分からずに見過ごしたものが、ようやく繋がった。


「この国で死んだって言えば、みんなここへ来るのか?」

「俺が聞いた連中は、そうだった」


 男は傷から指を離した。


「うちは吊り具が外れた。妻が下にいた。事故だと認めさせようとして、俺も演者にされた」


 奥の牢で、若い女が顔を上げた。片脚に添え木を当て、膝の上で包帯を巻き直している。


「私は治療しようとしただけです。薬師の見習いでした」


 その先を言おうとして、彼女は口を閉じた。

 老人も続きを語らなかった。エドガーは格子へ手を掛け、錠の位置を確かめた。


 フレイアは錠の構造を覗き込んだ。

 金具を折ることはできる。しかし通路の向こうで鍵が鳴るたび、女の肩が強張った。


「ここを開ければ、歩けるか」

「私は一人では……」

「外には家族がいる」


 職人が、低く言った。


「俺たちだけ消えれば済むとは限らん。担いで出られても、その後どこへ行く」


 エドガーはフレイアを見た。

 日没という約束は、まだ変えていない。それまで座って話を聞くだけにはできなかった。


「出口を調べる。運べる車も。今、ここを壊して全員連れて走るより、その方がいい」

「途中で処分を始めるなら、待たぬ」

「ああ」


 職人は二人を見比べた。信用した顔ではなかった。それでも、搬送車の通る坂と、裏門の位置を教えた。


 衛兵が来たのは、その途中だった。


「銃士、出ろ」

「俺は役者じゃない」

「そういう役だ」


 差し出された板に、対戦相手の名が書かれていた。血斧のガロン。勝てば次、歩けなければ搬送と、衛兵は読み上げた。


 フレイアの指が格子から離れた。

 エドガーはその手を見て、彼女へだけ届く声で言った。


「俺が出てる間に、搬送の方を頼む。あいつを倒せそうになければ、合図する」

「両手を上げろ。武器を置けるなら置け。そこで終わりだ」

「分かった。助けを呼んだら、格好つけて待つなよ」

「貴様こそ、格好のために呼び遅れるな」


 衛兵が苛立って鍵を鳴らした。

 エドガーは靴をフレイアへ預け、通路へ出た。


 返された銃は二丁とも自分のものだった。札を確かめ、弾倉を開く。装填されているのは実弾だ。劇団の紋章がついた箱から、衛兵が予備の弾を渡した。


「作り物じゃないんだな」

「お前の方が詳しいだろう」


 扉の向こうから、自分を紹介する声が聞こえた。


 ガロンはエドガーより頭一つ大きかった。

 両手に大斧を持っている。名を呼ばれても客席へ手を振らず、反対側の扉を見ていた。


「降りろ。まだ始まってない」


 近づいた時、大男が言った。


「あんたは降りないのか」

「家族がいる。俺が勝手に降りれば、あっちへ行くと言われてる」

「あっち?」

「劇場裏の白い別棟だ。妻と娘がいる。ここへ連れてこられる前、妻をそこへ入れるのは見た。娘は……一緒にいると言われた」


 ガロンが言葉を切った。

 観客へ聞かせるには小さすぎる声だった。


「二人の名を教えてくれ」

 ガロンは二人の名を早口で告げた。エドガーは聞き違いがないか、一度ずつ繰り返した。


「軽傷なら次がある。だが、歩けなくなるほど負ければ、俺は用済みだ」


 鐘が鳴った。

 斧が石床を擦り、火花が散る。エドガーは後ろへ跳んだ。


「殺さずに終わらせる。あんたも、そのつもりでやれないか」

「それを決めるのは俺たちじゃない!」


 二本目が横へ来た。

 エドガーは身を低くしたが、刃が上着の肩を裂いた。熱い痛みが遅れて走る。

 安全な勝ち方を話している暇はなかった。


 大男の足元へ銃口を向けかけ、止めた。脚へ当てても、歩けなくしない保証はない。背後には相手の入口と、低い石壁がある。跳ねた弾の行く先まで選ぶことはできなかった。


 斧が上がる瞬間、彼は一発だけ撃った。

 ガロンが肩の動きを読み、身体をずらす。弾は背後の土を盛った壁へ食い込んだ。


「銃は初めてじゃない」

「そうかよ」


 次に銃を上げた時、大男は先に右へ動いた。

 エドガーは撃たずに踏み込み、振り下ろされる腕の外へ回った。短く握った銃把を脇腹へ当てる。ガロンの肘が頭へぶつかり、耳の奥が鳴った。

 彼もよろめいた。偶然相手の足に掛かった踵を、そのまま引いた。


 二人とも倒れた。

 斧が石床を跳ねる。エドガーは身体を起こし、落ちた斧を足で遠ざけた。もう片方を持ち上げかけたガロンへ、銃を向ける。


「置いてくれ」


 大男の息が荒い。

 エドガーの頬にも血が流れ、片目へ入った。それを拭う余裕はなかった。


 斧が地面に置かれた。

 ガロンが両手を開く。


「……降参だ」


 エドガーは引き金から指を外した。

 客席から、まだ終わるな、と声がした。立つ者、拍手する者、酒杯を傾けたままの者がいた。


 勝者の名が告げられて、ようやく銃口を下ろした。


「立てるか」

「肋が痛む」

「悪い」


 手を貸したが、ガロンはすぐには立てなかった。係が肩を支え、歩けると記録する。エドガーはその文字を見てから通路へ戻った。


 今度は牢でなく、鉄柵で区切られた待機席へ連れていかれた。次の出場者として移されたフレイアが、そこにいた。

 靴の包みはまだ彼女の腕にある。


「道具を取りに来た者が、ルークに伝言を渡せるか確かめに行った。遺体の札も、職人が照合する手立てを考えておる。まだ、本人には届いておらぬ」


 エドガーは頷き、白い別棟と二人の名を伝えた。


「娘がそこにいるのは、まだ分からない。ガロンの話だけだ」

「先に戸口を確かめる。空だった場合も考えねばな」


 次の対戦札が運ばれてきた。

 外ではまだ陽が高かった。対戦札の裏へ、エドガーは別棟までの道を書き込んだ。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

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