第59話 悲劇を売る町
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
山を下りると、車輪の揺れが小さくなった。
街道の穴には石が詰められ、橋の手前には水桶が置かれている。水を足していた老人に礼を言うと、旅人が来なければ町も食えないからね、と笑った。
「よい道だ」
フレイアが言った。
「お前が食べ物以外を先に褒めるとはな」
「菓子を落とさずに済む」
「道を直した人に聞かせてやりてえよ」
次の坂で、大きな背嚢を負った男に追いついた。
男は道の端へよけ、馬を見上げた。
「エンダーメントかい?」
「ああ」
「なら、もう少しだ。そこの丘を越えると門が見える」
ハロルドと名乗った男は、国外での仕事を終えて戻ってきたという。
五年ぶりに弟に会うのだと、背嚢の横の包みを叩いた。
「役者をやってる。俺が出る頃は、死体役ばかりだったけどな」
「今は違うのか」
「手紙じゃ、台詞が増えたってさ」
包みは、新しい靴だった。寸法が合わなければ直してもらうつもりだと、男は少し恥ずかしそうに言った。
馬を歩かせながら、しばらく話した。
エンダーメントでは、劇場の外でも芝居が始まるらしい。恋人の別れも、強盗の押し入りも、通りを歩いているだけで見られるのだという。
「本当の強盗とは、どう見分ける?」
「係がいるよ。劇団の紋章を着けてる。俺がいた頃は、危ない場所へ客を入れないようにしてた」
「五年の間に変わっておるかもしれぬ」
「そこまで用心するなら、門で聞けばいい」
ハロルドは怒らなかった。
「初めて来ると驚くんだ。でも、芝居を見るために来る奴も大勢いる。うちの弟も、それで飯を食ってる」
昔、疫病で人が減った後、旅の劇団がこの国へ来たのだと、彼は話した。
葬式ばかりだった広場で、転んだ役者に誰かが笑った。その笑いを忘れたくなくて、劇場が建ったのだという。
「祖父から聞いた話だけどな。だから、悲しい時こそ芝居を見るんだって」
「悲しいことがなくなるのか?」
「なくなるわけじゃないだろ。腹を抱えて笑ってる間くらい、考えずにいられるんじゃないか」
男は背嚢の紐を肩へ掛け直した。
「俺は、弟がちゃんと食ってれば、それでいいよ」
白い門が見えた。
道が二つに分かれる所で、ハロルドは東を指した。
「弟の劇団はあっちだ。芸名はルーク。本名より、そっちで聞く方が早い」
エドガーが名を繰り返すと、男は嬉しそうに頷いた。
「中で会ったら酒でも飲もう。俺たち兄弟に、旅の話を聞かせてくれ」
「岩にも頼まれたばかりだ」
「岩?」
「長くなる。また会ったらな」
ハロルドは笑いながら、東の道を歩いていった。
西門では、エドガーが先に質問した。
街中で事件を見た時は、誰を呼べばよいのか。
門番は、朱色の紋章が入った外套を示した。
「この印の劇団員へ。演目の範囲と、通れる道を案内します。無断で割り込むと、あなたにも役者にも危険です」
「本物の怪我なら?」
「救護係へ回します。これも劇団員が手配します」
エドガーは頷いた。
何でも芝居と思え、と言われたわけではない。
分からなければ、この印を捜せばよいのだと覚えた。
馬車を指定の厩舎へ預け、二人は荷物を持って通りへ出た。
窓から色とりどりの布が垂れ、広場の楽隊が演奏している。看板の怪物は口を開閉し、子供が近づくと、中から飴を一つ落とした。
フレイアが足を止める。
「順番、子供が先だぞ」
「承知しておる」
彼女は列の後ろへ回ろうとした。
その時、向かいの路地で女が叫んだ。
「放して!」
男が女の腕を掴み、短剣を抜く。
エドガーは反射的に踏み出した。フレイアも列を離れる。
「お待ちください」
朱色の外套が、二人の前へ入った。
「演目中です。白線の外からご覧ください」
足元に白い線があった。
女の腹へ刃が沈み、赤い液が衣服を染める。彼女が膝を折ると、観客が息を呑んだ。
フレイアは係員を見た。
「確かに、芝居なのだな」
「はい」
「間違っていたでは済まぬぞ」
係員の笑顔が、少し固くなった。
男が台詞を言い終えると、楽隊が短い曲を鳴らした。
倒れていた女は立ち上がり、裾を摘まんで礼をする。
拍手が起こった。
エドガーはようやく、剣から手を離した。
「……生きてる」
「ええ。驚かせてしまいました?」
女優が近づき、衣服の内側の金属板を見せた。短剣は押すと柄へ刃が収まる。血の袋は空になっていた。
「初めての方は、本当に助けに来てくださることがあるんです」
「だから、係が止めるのか」
「はい。私たちも怪我はしたくありませんから」
フレイアは白線を見た。
線のこちら側で見ていれば、終わった後に女は立ち上がった。
ラフティアの柵の向こうでは、そうならなかった。
女優は服についた血糊を摘まみ、眉を寄せた。
「甘くすると子供が触るし、苦くすると洗う人に怒られるし。これ、なかなか難しいんですよ」
「食べ物なのか」
「食べないでください」
エドガーがフレイアを見た。
「我はまだ、何もしておらぬ」
「今のうちに言っといた方がいいと思ったんだろ」
次の広場では、竜の首が柵の上から覗いていた。
布と木で作られた首の継ぎ目が、近くへ行くと見える。中の役者が水を飲むため、顎を開けたまま休んでいた。
エドガーは少し笑った。
「こっちなら、落ち着いて見られる」
「中身を先に見せてよいのか」
「それでも面白いんだろ」
竜役は二人に気づき、空いた手を振った。
小さな子供が振り返す。
通りの先で、また悲鳴がした。
エドガーはそちらを見た。朱色の外套が立ち、見物人を横へ寄せている。
先ほどの係と同じように、笛を鳴らして道を分けていた。
「確認するか?」
フレイアが尋ねた。
「ああ。何の演目か聞いてから、飯にしよう」
彼は係員の方へ歩いた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
続きも読みたいと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




