第57話 道を塞いでいた岩
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
山道の先で、古いトンネルの入口を灰色の巨岩が塞いでいた。
エドガーは馬車を止め、御者台から降りようとした。
「こんにちは」
岩の方から声がした。
エドガーは片足を宙に止め、それから地面へ下ろした。御者台に置いた手は離さず、トンネルの上と、左右の藪を見る。
「どこにいる?」
「目の前だヨ」
「岩しかねえぞ」
「それが僕だネ!」
フレイアが馬車を降りた。
岩は、人の背丈を三つ重ねても足りないほど大きかった。斜面の土と草を連れて落ちてきたらしく、上の方に新しい裂け目が見える。だが、岩自体の苔は厚く、側面には古い道具の傷もあった。
どこから来て、いつから喋っているのかは、それだけでは分からなかった。
「誰かが中に入っているのではないな」
「入っていたら、窮屈だろうネ」
「魔力の塊は感じる。仕組みは、見ただけでは分からぬ」
「僕にも分からないヨ。魔法で作られたんじゃないかと思ってるんだけどネ」
「作った者は?」
「覚えてないヨ!」
フレイアは岩の左右を確かめた。片側は山肌、もう片側は谷へ落ちている。荷馬車はおろか、馬だけでも抜ける幅はなかった。
「道を通りたい。動けるか」
「自分では動けないヨ。動こうとはしてみたんだけど」
「いつからここにいる?」
エドガーが尋ねた。
「温かくなって、冷たくなって。それを何度も繰り返したヨ」
「数は」
「数えておけばよかったネ!」
エドガーは案内板へ向かった。
泥を払うと、迂回路の矢印が出てきた。下の文字は薄いが、余分に四日かかることは読めた。
「戻って補給からやり直しだな」
「菓子も足りぬ」
「それは今も足りねえだろ。昨日、最後だって言ってただろ」
「不足が継続するという話だ」
岩は、二人の言葉が途切れるまで待った。
「僕を壊せば通れるかもしれないヨ」
フレイアは岩から顔を上げた。
「壊してよいのか」
「壊れたことがないから、よく分からないネ」
「分からぬのに勧めるな」
「それと、中の魔力がどうなるかも分からないヨ」
エドガーがトンネルを見た。
入口の石組みには亀裂があった。足元には、白っぽい小石が落ちている。
「爆発したら、岩がどいても道がなくなるな」
「壊さずに、脇へ寄せる」
フレイアは言った。
エドガーは谷側を指した。
「そっちへ落とすのは駄目だ。下にも道が見える」
「承知した」
少し戻った山側に、道を広げた古い待避所があった。
草に埋もれかけていたが、車輪の跡と石積みが残っている。岩が入る幅はありそうだった。
フレイアは土へ棒を差し、エドガーは積まれた石を踏んで、崩れがないか確かめた。
「ここまで運べば、通れる」
「何をすればいいのかナ?」
「動かされている間、急に魔力を出すな」
「出し方も分からないヨ」
「では、何か変わったら言え」
「それならできそうだネ!」
二頭を落石の届かぬ場所へ戻して繋ぎ、馬車から縄と工具を下ろした。
エドガーは岩の底に噛んだ土を、離れた側から少しずつ掻き出した。道具の先が岩肌へ直に当たらぬよう、薄い当て木を挟む。フレイアは谷側に立ち、片手を岩へ当てる。
力を込める前に、岩の中を巡る魔力をもう一度探った。薄い殻ではない。だが、傷の奥がどこまで続いているかは見通せなかった。
「ねえ。僕は何のためにいるんだろうネ」
岩が尋ねた。
「今それを聞くのか」
「さっきから、二人が僕のために働いているからサ」
「俺たちが通るためだ」
「じゃあ、僕は二人を働かせるためにいるのかナ」
「いなけりゃ、働かずに通ってた」
「なるほど。邪魔な岩なんだネ!」
エドガーは鍬の土を払った。
悪口を言ったつもりはなかったが、言い直す言葉もすぐには出てこなかった。
「困ってはいる。けど、お前がここへ来たくて来たのかも知らねえし」
「来た時のことは、覚えてないヨ」
「なら、そこは責められねえな」
「邪魔だけど、悪くはない?」
「今のところはな。もっと知ったら、変わるかもしれねえ」
「二つ、違う言葉なんだネ」
岩は同じ調子で返した。
フレイアが、わずかに押した。
土の上に細い溝ができる。岩は動いたが、石組みからは何も落ちなかった。
「そのまま。右へ傾いてる」
エドガーが手を上げた。
彼女は押すのをやめた。止まった位置で重さを支え、下へ小石が潜り込んでいるのを見つける。
「今、取るな。指を挟む」
彼が工具を伸ばす前に言った。
岩をほんの少し戻してから、小石を除いた。
地面を滑る音が再び続いた。
「動いてるヨ!」
「見れば分かる」
「僕には見えないんだ。地面の当たり方が変わるから、分かるのサ」
エドガーは顔を上げた。
「じゃあ、俺たちのことも見えてねえのか?」
「声は分かるヨ。触ったところも」
「先に聞いときゃよかったな」
彼は、岩の向きを言葉で伝え直した。
向きを半分変える。そこに段差。少し上がる。
岩はそのたび、分かったヨ、と答えた。
待避所へ移す最後のところで、土が沈んだ。
岩の上部がゆっくり谷へ傾く。
「止めるぞ」
フレイアが両手を当てた。
腕の下へ淡い魔力の膜を広げ、岩肌の一点だけに力がかからぬよう支える。表面を砕く音はしなかった。
エドガーは岩の下へ入らず、横から長い棒を使って平たい石を差し込んだ。二人で重さを戻し、もう一度、傾きを見る。
今度は止まった。
「ここでよいか」
「僕に聞いてるのかナ」
「ああ」
「地面に当たるところが変わったネ。それ以外は、まだ分からないヨ」
「では、少し待つ」
フレイアはすぐには手を離さなかった。
岩と土の境目を見て、沈みが止まったことを確かめる。エドガーが周囲へ詰め石をし、最後に縄を外した。
道が開いた。
エドガーは腰を伸ばし、手の土を払った。
「これで、誰も困らねえな」
「僕は邪魔な岩ではなくなったんだネ」
「ああ」
「じゃあ、今は何なのかナ」
エドガーは岩を見た。
答える前に、谷から風が吹いた。岩の苔も、待避所の草も、同じ向きへ揺れた。
「道の脇にいる岩、じゃ駄目なのか」
「長いネ。旅人さんは、いちいちそう呼ばれているの?」
「俺はエドガーだ」
「短くていいネ!」
フレイアが口元を押さえた。エドガーは、名づけを彼女へ任せる前に顔を上げた。
「お前は、岩でいいだろ」
「さっきより短くなったヨ。でも、何が変わったのか考えてるんだ」
フレイアは、手についた土を落とした。
「我らは通れるようになった。貴様は、どうだ」
「ここへ動いたネ」
「それだけかもしれぬ」
「それだけでも、考えることはあるんだネ」
エドガーは残った日の高さを見た。
道が通れても、トンネルの中まで無事とは限らない。先に灯りを持って確かめ、馬を休ませてから出ることにした。
「旅人さん。旅の話を聞かせてくれないかナ」
道具をまとめていると、岩が言った。
「さっきまで邪魔だった相手に、頼むのか」
「邪魔でなくなったら、話してもいけないのかナ?」
エドガーは口を閉じた。
フレイアは、岩の正面へ戻った。
「聞いて、どうする」
「分からないヨ。聞いたことがない話なら、考えていなかったことを考えられるかもしれないネ」
彼女は、ある男の声を思い出した。
忘れられぬために、何度も話しかけてきた男だった。
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